今回は愈々行きたくてやまなかった安土城跡を訪ねた。
そのほか浄巌院を望外にも訪れることができた。事前にこの寺の訪問は予定に入っていたのだがこの寺があの安土問答の寺であるとはとんと気づかなかった。
前回も面白かったが今回の旅は、今思い出しても信長のまさに足跡をたどる愉しいものであった。
新大阪で集合。
バスで出発後、京都で講師の中井先生、京都からの参加者を乗せて名神を北上した。今回も雨模様で、午後から降り出すとの予想から予定を午前午後入れ替えてまずは安土城へ。
中井先生の興味深い話を聞きながら一路天守を目指す。
秀吉邸跡といわれているが中井先生によると厩他大きな建物跡があり当時の秀吉の地位からいってありえないと思うとのことだった。信長の厩他城のもろもろの倉庫の役割をする建物だったと考えられるとのことだった。
ひたすら上る。
平屋城といわれるが立派な山城である。
愈々ここからがお城、三の丸、二の丸に入る。
二の丸を過ぎる。もうすぐ本丸。
現在確認されている中で一番大きな石。だが「信長公記」には、蛇石と呼ばれる大石が何百という人足で何日もかけて山の上まで鳴り物入りで上げたとの記述がある。さてその石たちは?という大きな興味のある謎も現在残っている。
お城巡りは、「男のロマン」である。
愈々本丸に入る。
数々の文献、小説で夢描いていた本丸天主跡。遂に来た。
現在は埋め立てられているが当時は目の前山のふもとまで琵琶湖がせまっていた。
信長が見たであろう400有余年前の景色に思いをはせた。
ここに7層吹き抜けの当時では考えられない設計の天守があった。
天主前の石垣。
最近ここで基礎石が見つかった。NHKの放送では「懸け造り(かけづくり)」の跡ではと推測していたが、中井先生は物置だったのではとの説だった。ただ敵に攻められた場合ここに火をかけられると天主炎上への導火線となるので、一般的には何の建造物をも天主近くの石垣には造らないものである。あえて信長が造るとしたら派手な謁見舞台になる懸け造りであったとの説をとりたい。
さて念願叶った安土城登城も果たし下山である。
30分ほどかけて麓に着いた。
資料館「信長の館」に向かった。
ここでは天守2層が実物大で再現されていた。
書物や先日のNHKのCGで見ていて想像していたものよりはるかに華麗荘大なものだった。圧倒された。
館内はこの手の資料館ではホント珍しく撮影可だった。素晴らしい関係者の見識である。
ただこの天守だけは、意匠の関係もあるので撮影は可だがWEB等で公開は遠慮してくださいとのことだった。
当然なことだと思う。為にモザイクをかけているが、信長ファンなら一度はこの建造物を見るべきである。信長は天守に住んだ稀有な殿様である。
この再現は、平面図は残っているのでその広さは実物大だが、高さを記録したものは現存しておらず平面図から想像で割り出した数値をもとにしたとのことだった。
当時の安土は、琵琶湖に半島のように突き出た湖に浮かぶ要塞だった。
左端がこれも小説で出てくる信長考案の長槍。手に持ったがこれを振り回すにはそれ相当の体力と日ごろの絶え間ない鍛錬が必要だったことだろう。この単純明快な敵より長い槍を持って戦うのが有利だということだけだが、これを取り入れた信長の非凡さがうかがわれる史実である。この長槍は信長の軍事才能の原点といえると思う。
次に浄巌寺に向かった。
この寺の名前は何度も読み知っているはずだったが全く記憶になかった。
だがこの寺こそあの有名な法問答の舞台となった寺であった。
この問答は信長の宗教勢力に対する根本思想を表している事件で、強く印象に残っている。まさかその舞台が現存しているとは思わなかった。
当時京で勢力を強め公家たちにもその信者を急速に増やしつつあった法華経はまた他国へもその勢いはますばかりであった。その勢いに乗りその僧侶たちは公然と信長にも尊大な態度をとりはじめていた。これ以上の増長は天下布武を目指す信長にとって大きな妨げになるものと思われた。信長は、一計を案じ法華経(日蓮宗)と彼が庇護する浄土宗の間で法論争を仕掛けた。この寺で行われたその論争は、法華経の勝利に終わるかと思われたが審判に立ったのは信長の息のかかったものばかりであった。いわば八百長で法華経の高僧は法衣をはぎ取られ殺されてしまった。この強引な信長の仕打ちに法華経僧侶はもとより信者たちも、ふるえあがりその勢力も瞬く間に消え失せてしまった。
というのがこの事件の顛末である。
信長の宗教弾圧ともいえるが、実際信長が駆逐したのはその宗教ではなくてその思い上がった僧侶たちそしてそれを信奉する勢力であった。実際比叡山焼き討ちにせよこの法華経弾圧にせよ信長はその宗教自体には弾圧は加えていない。
面白い事例が本能寺である。本能寺は、日蓮宗の檀家寺である。
信長はそんなことはおかまいなく使い勝手の良かった本能寺を定宿にしていたのである。
雨に降られたがこの旅もホントに愉しく興味を存分に満たしてくれたものであった。またこんな企画の旅があればぜひとも参加したい。