Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

趣味

信長の足跡をたどる旅(最終回)。。。

 「信長の足跡をたどる旅」最終回である。
今回は愈々行きたくてやまなかった安土城跡を訪ねた。
そのほか浄巌院を望外にも訪れることができた。事前にこの寺の訪問は予定に入っていたのだがこの寺があの安土問答の寺であるとはとんと気づかなかった。
 前回も面白かったが今回の旅は、今思い出しても信長のまさに足跡をたどる愉しいものであった。
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 新大阪で集合。
 バスで出発後、京都で講師の中井先生、京都からの参加者を乗せて名神を北上した。今回も雨模様で、午後から降り出すとの予想から予定を午前午後入れ替えてまずは安土城へ。
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 中井先生の興味深い話を聞きながら一路天守を目指す。
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 秀吉邸跡といわれているが中井先生によると厩他大きな建物跡があり当時の秀吉の地位からいってありえないと思うとのことだった。信長の厩他城のもろもろの倉庫の役割をする建物だったと考えられるとのことだった。
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 ひたすら上る。
 平屋城といわれるが立派な山城である。
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 愈々ここからがお城、三の丸、二の丸に入る。
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二の丸を過ぎる。もうすぐ本丸。
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現在確認されている中で一番大きな石。だが「信長公記」には、蛇石と呼ばれる大石が何百という人足で何日もかけて山の上まで鳴り物入りで上げたとの記述がある。さてその石たちは?という大きな興味のある謎も現在残っている。
 お城巡りは、「男のロマン」である。
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愈々本丸に入る。
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数々の文献、小説で夢描いていた本丸天主跡。遂に来た。
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現在は埋め立てられているが当時は目の前山のふもとまで琵琶湖がせまっていた。
信長が見たであろう400有余年前の景色に思いをはせた。
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ここに7層吹き抜けの当時では考えられない設計の天守があった。
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天主前の石垣。
 最近ここで基礎石が見つかった。NHKの放送では「懸け造り(かけづくり)」の跡ではと推測していたが、中井先生は物置だったのではとの説だった。ただ敵に攻められた場合ここに火をかけられると天主炎上への導火線となるので、一般的には何の建造物をも天主近くの石垣には造らないものである。あえて信長が造るとしたら派手な謁見舞台になる懸け造りであったとの説をとりたい。
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さて念願叶った安土城登城も果たし下山である。
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30分ほどかけて麓に着いた。

資料館「信長の館」に向かった。
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 ここでは天守2層が実物大で再現されていた。
 書物や先日のNHKのCGで見ていて想像していたものよりはるかに華麗荘大なものだった。圧倒された。
 館内はこの手の資料館ではホント珍しく撮影可だった。素晴らしい関係者の見識である。
 ただこの天守だけは、意匠の関係もあるので撮影は可だがWEB等で公開は遠慮してくださいとのことだった。
当然なことだと思う。為にモザイクをかけているが、信長ファンなら一度はこの建造物を見るべきである。信長は天守に住んだ稀有な殿様である。

 この再現は、平面図は残っているのでその広さは実物大だが、高さを記録したものは現存しておらず平面図から想像で割り出した数値をもとにしたとのことだった。
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当時の安土は、琵琶湖に半島のように突き出た湖に浮かぶ要塞だった。
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 左端がこれも小説で出てくる信長考案の長槍。手に持ったがこれを振り回すにはそれ相当の体力と日ごろの絶え間ない鍛錬が必要だったことだろう。この単純明快な敵より長い槍を持って戦うのが有利だということだけだが、これを取り入れた信長の非凡さがうかがわれる史実である。この長槍は信長の軍事才能の原点といえると思う。

次に浄巌寺に向かった。
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この寺の名前は何度も読み知っているはずだったが全く記憶になかった。
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 だがこの寺こそあの有名な法問答の舞台となった寺であった。
 この問答は信長の宗教勢力に対する根本思想を表している事件で、強く印象に残っている。まさかその舞台が現存しているとは思わなかった。

 当時京で勢力を強め公家たちにもその信者を急速に増やしつつあった法華経はまた他国へもその勢いはますばかりであった。その勢いに乗りその僧侶たちは公然と信長にも尊大な態度をとりはじめていた。これ以上の増長は天下布武を目指す信長にとって大きな妨げになるものと思われた。信長は、一計を案じ法華経(日蓮宗)と彼が庇護する浄土宗の間で法論争を仕掛けた。この寺で行われたその論争は、法華経の勝利に終わるかと思われたが審判に立ったのは信長の息のかかったものばかりであった。いわば八百長で法華経の高僧は法衣をはぎ取られ殺されてしまった。この強引な信長の仕打ちに法華経僧侶はもとより信者たちも、ふるえあがりその勢力も瞬く間に消え失せてしまった。

 というのがこの事件の顛末である。
 信長の宗教弾圧ともいえるが、実際信長が駆逐したのはその宗教ではなくてその思い上がった僧侶たちそしてそれを信奉する勢力であった。実際比叡山焼き討ちにせよこの法華経弾圧にせよ信長はその宗教自体には弾圧は加えていない。

 面白い事例が本能寺である。本能寺は、日蓮宗の檀家寺である。
 信長はそんなことはおかまいなく使い勝手の良かった本能寺を定宿にしていたのである。
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安土城へ
雨に降られたがこの旅もホントに愉しく興味を存分に満たしてくれたものであった。またこんな企画の旅があればぜひとも参加したい。

紫電改。

紫電改のプラモデルを買った。
 実際はプラモデルではなくてダイキャストモデルというらしく手に持つとずっしりと重たい。
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右 紫電改。左 零戦開封前。
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プロペラはちゃんと回ります。
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地上滑走時。

ん~~んカッコイイ!!!
実物を作って飛んでみたいなァ~~~


シリーズもので第二回の「零戦」の頒布と同時に発売されていた。当然二つ合わせて買ったがまだ零戦の方は開けていない。明日にでも開けよう。日本の戦闘機の後はドイツ、イギリス等々と発売されるようだがそんなものはいらない。
 全く小さな疑問だが何故紫電改が第一回で零戦が二回目のなのか発売元に尋ねてみようと思う。

内子座文楽鑑賞「義経千本桜」。

朝早く起きて、土讃線に乗って内子へ。
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アンパンマン号と名付けられた特急「宇和海」。
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全体にガラガラだったが、特に指定席は我々二人だけで、この指定席だけど派手な内装。落ち着かないことであった。
マァ30分ほどだしゆっくりしていいかと前の席を回してリラックス・・・

んが、出発近くになって家族連れがどっと乗り込んできた。
慌てて席を戻すと瞬く間に満席。
このテーマパークの電車みたいなのに昂奮しているのか大きな声でしゃべるし、バシャバシャと歩きまわって写真を撮るしで大騒ぎ。
言語は中国語であった。
勿論瞬間ですぐ隣の車両の自由席に移動した。

移動した自由席はまだガラガラで前後の空いている席に座るとすかさず近くにいた男性二人がにっこりとあいさつして今来た指定席の方に移っていった。要領のいいことでさっきの中国人の団体の指定席のあぶれた二人でこちらのことを見ていたのだろう。チラッと男たちが行ったそっちに目をやるとまだその車両では記念撮影が続いていた。
にしてもこの列車は宇和島行きで、中国人の家族はどこの観光に行くのだろうと訝った。中国語がしゃべられたら絶対に訊いたのに。。。

内子駅に着いた。
駅を出ると焼けるような日射しが降りかかった。
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水補給の為ペットボトルを買って、
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内子座を目ざした。日陰をえらんで歩いた。
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途中、町の主婦たちが開いていたぶどうのお店があった。
試食させてもらったら冷たくてとても甘かったのでお土産に送ってもらった。

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内子座の近くに来たようだ。
幟(のぼり)が迎えてくれた。
イイ感じの町の通りに、その幟が雰囲気を醸し出していた。
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内子座に通じる細い道。
この炎天下に出店が並んでいた。
手前からかき氷屋さん、お土産屋さん、無料休憩所、内子座受付。
あとで午前の公演が終わってから受付をのぞいたらテントが焼けてうだるような暑さで、中の女の子は「倒れそうです」といっていた。
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遂にやって来た「内子座」。
ええ感じやなァ~~~
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ここも取り壊しの危機を何度も乗り越えて残った建物である。
来年設立100周年を迎える。

町の案内より
-江戸末期から明治にかけて栄えた内子は、その財政的なゆとりから文化活動も盛んであった。その象徴のようなものが内子座の建設である。1916年に創建され、歌舞伎、人形芝居、落語、映画上映でにぎわったと言われる。老朽化が進んで取り壊されようとした時、再び町民の熱意が集まり、昭和60年10月再出発した-
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造り酒屋。

その先に在郷のかつて豪商の家を改築した町の史料館があった。
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古い町並みを残そうという町の人の動きは、ドイツのローテンブルクの人々との連携を生み、姉妹都市となったそうだ。
ローテンブルクは私の再訪したい町の№2である。城壁に囲まれた深夜の街を一人散策した思い出は今も鮮明に心に残っている。少し霧がかかった町を歩きながら何か中世に迷いこんだような不思議な感じだった。
№1は、勿論Salzburgである。


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何とも趣のある芝居小屋である。
この内子という町が当時如何に裕福であったかを偲ばせる。
町の人々が建て、そして彼等が残した日本の伝統文化財産である。
そしてそこで見られる年に一度の伝統文化「文楽」。
双方とも日本人が遺して受け継いでいくべき「文化」である。
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少し前に入場して雰囲気を楽しんでいたが、瞬く間に満席となった。
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謡いと三味線の方が鎮座する高座。
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今年の演目は「義経千本桜」。
入念に内容を下調べをしていった。
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休憩時に、前の松乃屋で昼食を摂った。
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文楽観賞者には、町のボランティアの方がl公演後1時間程の町巡りを案内してくれる。
出発を待つ間に、「禅昌寺」を見学した。
だがこの日は猛烈な暑さ。。。禅昌寺から帰ってまだ案内まで後一時間待てといわれたが、とても待てるものではなかった。
キャンセルして、内子駅に向かった。その道中炎天下の暑かったことって何の・・・
予約便を早めて帰路についた。新大阪到着時にはバテバテであった。

しかし旅において初めて訪れる町は矢張り心躍るものだ。

五島列島のクルージングからの連ちゃんでザァ~マに疲れたが人生の思い出に残るであろう愉しい松山~内子の二日間であった

松山へ。

昨年から計画していた夏の松山行き。
 内子でおこなわれる文楽特別公演を見るためだ。
 内子の内子座で興行される年に一度の文楽公演でこれを楽しみにしている文楽ファンも多い。
 一年も前から行きたいと思っていたのにまさかそんなに混むとはうかつに思わず春に内子町の宿を手配したときにはすべて満杯であった。
 この文楽公演を目当てに来るファンは、その年の公演が終わると翌年の予約もして帰るそうで、電話で問い合わせた宿主たちはみな申し訳なさそうにすみませんといった。
 そんなことで前泊は松山市内にとった。文楽の出演者たちも大勢でなのでみな松山市内に宿をとるそうだ。

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JRで4時間半かけて松山に来た。陸路での松山入りは初めててである。
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市内の宿の手配も、クルージング準備に忙しくて直前にとろうとしたらほとんど満杯であった。
 駅からのTAXI運転手によるとこの両日なんでも俳句高校選手権とかが開かれていたそうだ。
 直前に一部屋キャンセルが出てとれたホテル。
 ビジネスホテルだが、とても清潔でいいホテルだった。

ホテルは予約していたすし屋の近くにとったので、歓楽街も近く、すし屋の予約時間までネットで調べておいた「BAR露口」に立ち寄った。
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ネットで調べていなければとても入ろうとは思わない面構え。
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マスターとママさん。
とても気さくな方で、全国にファンがいるという。
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丁度先日亡くなった柳原良平さんも松山に来ると必ず立ち寄ったという。
 佐治敬三氏の色紙もあり。その下に良平さんがマスター二人を書いたイラストがあった。

 写真がないのが残念であるがマスターの作る少し濃いめのハイボールは、その温度、濃さ量と抜群であった。こんなにハイボールが美味しいものだとはとうならせる味であった。エリーの飲んだマスターお任せの、カクテルもそうとう美味かったらしい。

 二杯目を注文するとき、このグラスでいいですと冷えたグラスを差し出したら、マスターは「もうグラスが冷え切っているのでだめです」といい、新しいグラスにさっきと同じように角ウイスキーを微妙に入れて炭酸を三度に分けてやわらかく注いだ。そしてこれまたやさしく3/4ほどくるりとステイしてどうぞと出してくれた。
 全くさっきと同じハイボールでプロだなナァと感激した。
 良平さんとの話をネタにマスターと愉しい会話もでき、松山のいい思い出となった。

 入ったときには、先客が一組いただけであったが、瞬く間にカウンターだけの店は、ほぼ満席になった。
一元の客であろう、若い男が一人横柄にぶらりと入ってきたが、マスターは、予約で満席ですと丁寧に断っていた。

さて、今回の旅のサブイベント、鮨屋「鮨の間」での夕食である。
 先客が押したので30分ほども待ったが、その間露口で楽しい時間をもてたので万事塞翁が馬。
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ん~ん、中の料理に期待が持てる雰囲気である。
だが〜〜残念~~~どれもネタが古く、出だしのあて2点は軽く匂った。思わず席を立とうかと思ったが、松山ナンバーワンの食べログを信じて後を待つことにした。
ただ以降も期待に沿うものは出てこなかった。

折角胸を膨らませて腹をすかせてきたのに、このネタの古さはないんじゃないかと思う。たまたまであろうが、松山でここ一番との評判に今宵の大きな楽しみに選んだのに期待をたがわされたのには非常にがっかりである。

フラストレーションがたまったので、ラーメンを食べにいった。
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博多風ラーメン。
まずまずの美味さに機嫌を直してホテルに帰った。
明日は、内子座。

天体ショウ。

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破鏡の月と木星。この右に金星が肉眼では見えたが、バカチョンカメラでは、全然撮れなかった。
一眼レフカメラだと綺麗に撮れるのかしらん。。。

文楽鑑賞。

前々から楽しみにしていた国立文楽劇場。
三浦しをんの「仏果を得ず」を読んで以来俄か文楽ファンになってしまい、一度見に来たくて仕方なかった。
厳密には、大阪の中学高校に通った人間なら一度は、授業では来たことがあると思うが、高校生の時以来略半世紀ぶり二度目である。
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国立文楽劇場。
日本橋(にっぽんばしと読む)にあり難波の中心と目と鼻の先にある。
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Kちゃんが今回の案内と、出し物の床本集を用意してくれていた。

第一部1100からの公演を見た。
演目は
・靭猿(うつぼざる)
・吉田玉女改め
二代目 吉田玉夫 襲名披露 口上
・襲名披露狂言 一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)
・卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)

どれもみんな面白かった。
だが事前に知識がないと舞台上に字幕が出るがとても理解できない。
しっかりと予習していった。

「靭猿」
大名が狩りに出た折に、猿曳き(さるまわし)に会い毛並みがいいのでその皮を靭にしようと猿曳きにちょっと貸せと命ずる。猿曳きは貸すといっても実際は殺してしまうとわかっていたので婉曲に断るが、理不尽も大名は貸さないとこの場で弓で討ち殺してしまうという。仕方なしに弓で苦しんで殺されるなら自分で急所を打って殺すと申し出る。その打つ棒を猿に向けると猿は健気にも芸をしろと命じられたと思い一生懸命に踊る。この辺りのやりとりは絶妙で思わず涙してしまった。
結局その健気な猿の踊りを見た大名は、自分が間違っていたと悟り助命し一緒に踊って褒美をとらす。

一谷嫰軍記
熊谷直実と敦盛の話を題材にしたもの。
これも余程予習して行かないととても理解できないが、下地を作っていくと色々な場面が面白く理解でき人形遣い、太夫の表現を存分に楽しむことが出る。

ただ物語はとても理不尽な内容である。三浦しをんさんも、「あやつられ文学鑑賞」の中で文楽の台本はとても理不尽な話が多いと書いていた。

卅三間堂棟由来
睦あった柳の木が生まれ変わって人間になるもこれも理不尽な坊主に切り倒されその木の精であった女性は死んでしまいその木を二人の子供が涙ながらに運ぶという話。

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二代目吉田玉夫襲名披露公演とあって多くの観客(ほぼ満席であった)でにぎわっていた。
ただここも平均年齢が恐ろしく高かった。加山さんコンサート、クルーズ船とどこも高いが、ここはずば抜けて高かった。

公演終了後、Kちゃんにバックヤードツアーに連れて行ってもらった。
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Kちゃんと。
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床本台。
太夫それぞれに持っている。
この回転台座が回って客席に出る。
台座は、この文楽座の場合、珍しい人力で回転させる方式である。

太夫はこの台座に向かう前に、縁起を担いで塩で清めるといい、Kちゃんは滑ることがあるとぼやいていた。
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人形を触らせてもらった。
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人形は、男性には足があるが、女性は着物の裾の動きでそれを表現する。
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ナンで敬礼ヤネン!

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夕方の部のセットを準備していた。
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この竹他の植物は、本物である。
Kちゃんのお陰で愉しい舞台鑑賞後となった。感謝。。。。

すっかり文楽にハマってしまった。今度は6月公演の「曽根崎心中」。実話を元にした有名な題材でこれも楽しみにしている。続きを読む

破鏡の月

今日は、広島原爆投下から69年目のその日である。
あの日灼熱の中で、身を焦がして亡くなった12万数余人の方々に深い哀悼の意を捧げたい。
合掌。

さて今夜は破鏡の月である。この破鏡も、極めて明るい。
もうすぐ、4日後はスーパームーンである。台風が来ているが、五島列島の空にこのスーパームーンが見えることを楽しみにしている。
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ウェーブ産経 講演会「硫黄島(いおうとう)の戦いを語る」に行ってきた。

今回で5回目となるそうだが、先の大戦を最前線で経験された方々の語る講演会に行ってきた。
このところの連日の忙しい週末で、いささかならず疲れていて今日は行くのをやめようと思ったが講演者は、いずれももうご高齢で貴重なお話を聞ける機会はいつまでもないと思いベッドで読んでいた本を置いて出かけた。
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講演に先立ち、硫黄島で亡くなった方々、そして、前回12月の講演会で講師を務められた、私も聴講した真珠湾攻撃参加の城氏が先々月亡くなられたとのことで全員で黙とうをささげた。

今回の講演者は、秋草鶴次氏(87歳)。
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昭和19年7月28日敗戦の濃厚な中、硫黄島に通信兵として配属され、昭和20年2月19日航空隊本部壕に連絡に行く途中、艦砲射撃で被弾、重傷を負い本部壕内意識を失う。この時一緒に走った仲間6人のうち最後の2人は直撃弾を受け即死だったという。

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今回でこの企画講演会に参加したのは3回目だが、多くの諸先輩方の中に混ざって若い人たちの姿がちらほら見られた。嬉しいことである。

今回の講演者秋草さんは、今までの講演者とは違って余りしゃべるのが得意でないようで聞き手の方も苦労されていたが矢張り修羅場を越えてこられた方から直接語られる経験談は、読んで知るそれより万倍に心に響く。
硫黄島、いおうとうと読むが、海から眺めたことがあるだけだがその島の小ささ、異様な形にいい知れぬ思いを持った。現在一般人の入島は禁じられているが、是非この戦争を知るにも一般開放してほしいものである。
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2013/1/2飛鳥Ⅱより硫黄島を望む

講演内容から
・米軍上陸後は、日本軍の夜襲を防ぐために島の北側、南側から交互に照明弾が夜通し上がり昼のような明るさだった。
・摺鉢山では2度3度と星条旗、日の丸が交互に上がった。
・一度だけ何機(6機?)かの特攻機が来たが1機だけが敵に突っ込んだ。
・島での戦いは、早く決着をつけるというより出来るだけその攻防を長引かせるように上官から命令があった。
・島では何よりも水が不足していた。米軍は、ガソリンに水を混ぜて壕内に流し込み、日本兵はその水を飲むために近づいたがそこで火を放たれて多くの兵が焼け死んだ。

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今日の講演会場ANAクラウンプラザホテルを振りかえった。
疲れていたけど今日来た価値があった。講演内容の余韻をかみしめながら帰途についた。

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帰る途中Gucciからエリチャンが出てきているからと電話があり、一緒に食事をした。

スーパームーン

ホテル敦賀クオーレ屋上展望露天風呂にて。
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生憎少し靄がかかっていたのと、イイカメラを持っていかなかったのでこんな写真になってしまった。
だが肉眼で見たスーパームーンは、素晴らしかった。とても明るく、いつも見る黄色ががかった色とは全く違って白く輝いていた。
こんなお月さんの時に、ナイトクルージングしてみたいものだ。

今夜は、スーパームーン

今夜は、満月、そしてスーパームーンである。
 スーパームーンは、月が地球に接近する時と満月が重なる現象で、通常の満月に比べ大きさが約15%、明るさが約30%増して見えるという。
このところ満月前のお月さんも蛍光灯で照らしているような真っ白な明るさだった。
今日からケニー夫妻と敦賀である。滅多に行かない敦賀が、最近重なった。
さて今夜、スーパームーン見えるかしらん。 

ヴォーリス建築。大丸百貨店。

ヴォーリスは、その生涯に地元近江八幡はもとより日本各地に1500もの建造物を残した。
その数々の今に残る名建築の一つに「アール・デコ」建築の傑作といわれる大丸百貨店がある。

「まけんとき」の読後余韻の冷めやらぬ中、近江八幡の彼の建造物にはまたいずれ訪問するとして、先日手近にある心斎橋大丸に見に行った。

1922年(大正11年)に最初の心斎橋に面した南半分、1925年(大正14年)に北半分、そして御堂筋の拡張整備に合わせて1933年(昭和8年)に全館が完成。

高さ30m、地上7階のこの建物は、先の大戦戦火からも逃れ今もその威容を誇っている。戦後、進駐軍に摂取され、進駐軍専用デパートとして使用されたことは、母からよく聞かされていた。米軍は、戦後摂取する為に爆撃から除外したのであろう。流石周到なことだ。

いつも見慣れている建物であるが、しげしげとは見たこともない。御堂筋を隔てて真正面から見てみた。

こんな素晴らしい建物だったんだ。。。

御堂筋を渡り、正面玄関から入って、まさかあるとは思わなかったが、受付に何かこの建物に関する資料はないのかと訊くと、それがきちんとした資料があり、色々と見せてくれた。
それにこんな冊子も用意されていた。流石大丸である。
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加山雄三コンサート IN 神戸。

久し振りに、加山さんコンサートに行って来た。フェスティバルホール以来半年振りかな?
今回の会場は、神戸である。

例によってファンクラブのオフ会に出席したが、メンバーから元町で春節祭をやっていると教えられ、パンフレットを見ると「変面」のプログラムがあった。

これは行かなくてはと、オフ会を抜けて行った。
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まず最初は女性演者であった。
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もう一人は、男性。
どちらも初心者のようであった。変化の数が少なかったのと、一寸ネタばれ寸前であった。

上海で見たそれは、目の前で十数回の変化をしたが瞬きより早いそれで素晴らしいものであった。
また見たいものた。

動画が上手く撮れなかったので、これを見てもらったら変面の素晴らしさが分かると思う。
http://www.youtube.com/watch?v=qPBkegjjPSQ

車を移動させて会場に向かった。
会場は、いつもの国際ホール。今回は三木のIさん夫妻と同伴である。
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何時までも若々しい加山さん。今年で77歳である。元気溌剌である。
今回も一緒に沢山の曲を歌った。
第一部の前半が他の歌手のカバー曲であったが、ファンとしては矢張り全曲加山メドレーであって欲しい。
自分でも全部で何曲作ったか判らないそうであるが、そんな曲を掘り起こしてやって欲しい。

次回の加山さんのコンサートは金沢である。
今回2階のBOX席であったが金沢は前から2列目である。
BOX席もゆったりと優雅であるが、矢張り若大将の顔が見える前の席が好きだ。
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3階まである会場は超満員で主催者に因ると約1700名の観客で溢れていた。
日本ではこういったコンサート中は、撮影禁止である。
ただいつも何故なんだろうと不思議に思う。
写真を撮ったっからと言ってそれで商品価値が落ちるわけであるまいに・・・
海外のように、動画、フラッシュ以外はOKだとか、時間を決めて許可するとかしたらいいのにと思う。

終演後、I夫妻とお好み焼きを食べに行った。
奥さんが
「いつもブログ見てますよ。」
「本を読んでいなくても、読んだ気になって面白いです。」
と不人気の「読書ネタ」も全部見ていててくれるようで、おだててくれた。

以前も彼女にそう言われて読書ネタを充実させたことがある。

ヨシ、頑張って、また書こう。

さぁ読むぞぉ~~。楽しみ。楽しみ。

今日も紀伊国屋に行ってきた。
また何冊か買ってきた。
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最近、読むより買う方が多いのでサァさて何冊あるのかと全部集めて積んでみた。

全部読みたい本ばかりである。
楽しみ、楽しみ。。。。

これ以外に仕事場で並行して読んでいる本が何冊かある。仕事場でお昼に読む本は、小説だと止まらなくなって仕事に差し支えるので基本的にノンフィションである。


ついでに去年読んだ本を並べてみた。
上に載せてあるのは今年読んだ本である。
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仲間に貸してある本もあるのでみんな返ってきたら全部まとめて記念撮影をしよう。

仲間に貸すつもりなので、カバーは付けたままである。その時には全部剥がして並べよう。

本棚がいっぱいなので、貧乏症で今まで飲むのをためらっていた海外の免税店で買い溜めた洋酒棚の酒をこの際片っ端から飲んで、そこに並べてそれを肴に悦に入って飲もうと思う。ウン良い考えだ。
ん?ガラス棚が持つかな?

零戦の本。

「大空のサムライ」「祖父たちの零戦」の副読本として読んでいた2冊。

一度ハワイでセスナ機を操縦させてもらってオアフ島を一周したことがあるが、操縦席から目の前一杯にに広がる大海原と大空の景色は、圧巻であった。


零戦で戦った若者たちの苦しみ、苦労は微塵も知ることもできないが闘いが終わって今日も生きて帰られると凱旋する時、彼らの目の前に広がる大空はどんなにか素晴らしいものであったろうと思う。

叶わぬことながら、一度零戦に乗ってみたいものである。
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この中での坂井三郎氏の、最後のインタビューの記事に深く感動した。
氏が亡くなるわずか4か月前に行われてたものである。

舌鋒鋭く当時の事実が語られている。そして戦後の日本のふがいなさを嘆いている。
その語り口は辛辣であるが、その故敵も多かったであろうが、その内容は当時の最前線を戦った者にしか分からない多くの真実を含んでる。

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零戦は、総生産数10430機。
零戦の開発元は三菱重工業であるが、三菱のみならず中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。

搭乗員からは、三菱製の方が信頼は厚かったようであるが当時は、整備のされた機から順に使用していたので、どれにあたるかは出撃当日にしか分からなかったそうである。

繰り返しになるが、一度零戦で大空を飛んでみたいものだが、今造るとなるといくらかかるのだろう。

零戦パイロット講演会。

中央公会堂で開かれた産経新聞社主催の「零戦パイロット講演会」に行って来た。
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講師は、笠井智一さん。
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御年86歳とのことであったがその凛とした立ち姿、マイクを通せどとはいえ堂全体に響き渡る張りのある声は、若き日の雄姿をほうふつとさせるに十分なものであった。
聴衆である私も思わず背筋を伸ばしてその講演を聞き入ったことであった。

ただ年齢も近くその立ち居姿が、亡父に極めて似ていたのには、いささかならず胸に来るものがあった。

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講演に先立ち、司会者の音頭で全員で先の戦争で亡くなった多くの方々に黙祷を捧げた。
シンとした静寂の中に堂が包み込まれた。

講演は、冒頭「今回の講演趣旨として、私が述べたいのはたった60年前に、この日本にただただ私利私欲も何もなくお国の為にと戦い死んでいった多くの若者がいたことを覚えておいてほしい。ということそれだけです。そして二度とこういった戦争はあってはならない。」
との言葉から始まった。
会場に大きな拍手が起こった。

後は、彼が入隊してから終戦を迎えるまでの3年間を思い出を探るように、エピソードを交えながら話は進められた。
その記憶は確かで、年代は何度か間違われたが、日付は、一度も間違われることは無かった。


私の知り合いにも戦闘機乗りがおられて、残念ながら昨年他界されたが彼からも生前貴重な話を伺った。
彼は終戦間際(昭和20年3月~)には、知覧からの特攻機の直掩をされていてその時の悲惨さは話すのも、思い出すのも嫌だとおっしゃっておられたが、私のひつこい質問に、ぼそりぼそりと答えてくれたものである。
長くなるのでここでは紹介できないが、彼の話を聞き改めてこの特攻を立案した、指揮した、命令を下した日本人、日本軍の組織に言い知れぬ憤りを覚えたものである。

そしてその命令を受け凛として散華していったのも日本人である。
日本人というのは、組織の上に立つと人格が変わるのか、組織の上に立つ日本人はまた別の人種なのであろうか。
そして残念ながら現代日本に於いてもその特性は、今も全く変わっていない。

直掩とは直接掩護の略である。


笠井さんも直掩機に乗っておられたが、その時期は昭和19年の終わり頃で、まだ特攻機が成果を上げていた頃であって、とても意外に思ったのは、敵艦に突っ込んで行った特攻機を「やった。」と思えども悲惨だとか、可哀想だとか全く思わなかったと当時感じていたとの下りであった。その時にはやがて自分も続くと、お国の為なら怖いとも、命も惜しくもないとも思っていたとのことであった。


講演の最後に、もう一度笠井さんは
「私は、右翼でもなんでもない。戦争とはとても酷いものである。どうか前の戦争でお国の為に戦った多くの若者がいたことを覚えて欲しい。」
と締めくくられた。
大きな長い拍手がまた公会堂に響き渡った。

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白いマフラーは、当時戦闘機乗りを目指す若者、女学生のあこがれの的であったが
これは、火災時、緊急防火の為に装着していたそうである。顔面は、エンジンが火を噴いた時にもろにその炎を浴びるそうで、為にその材質は、絹であり、綿では全くその用をなさなかったそうである。
終戦間際に、「紫電改」に配属転換になった時に、ある地方(松山?)の女学生が搭乗員に全員に絹を紫に染めた刺しゅう入りのマフラーを贈ってくれたそうである。そのマフラーは搭乗員の戦死他で笠井さんの一枚しか残っておらず紫電改記念館に寄付をされたそうで館訪問時には是非見て欲しいとのことであった。


講演終了後、もう一度壇上に戻って来られて聴衆の方々と話をされていた。
同時期に戦場におられた方もおられて今後の連絡先を交換等しておられた。
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このお歳で軽々とこの態勢をとられていた。
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残念ながら写真は残せなかったが、
「ありがとうございました。」と
握手させていただいた。返って来たそれはとても力強いものであった。

心に残る良い講演であった。

ただ前半、予科練終了時一番嬉しかったことがもう殴られないですむと思ったとの話や、特攻をはじめ軍の上官、上層部が部下、将兵を物としか思っていなかった事実を改めて聴きそのバカさ、愚かさに改めて暗澹とした気持になったことも確かである。

以下は、笠井さんの講演内容からメモ書きしたものである。
乱雑ご容赦。

・海軍にあこがれたのは、単純にその真っ白な軍服のスマートさであった。それに引き換え陸軍のそれは、言っちゃ悪いが不細工なものであった。

・陸軍は、天皇陛下の為に、海軍は、お国の為に戦うといった風潮があった。

・予科練を終了して一番嬉しかったのはこれでもう殴られないですむと思ったことである。

・ただ翌月から始まった運良く選ばれた戦闘機乗りの訓練では、後部座席の教官から鍛錬棒と称し木刀のようなもので頭を殴られまくったが、その殴られたたんこぶは、後々の命の引き換えにもらったものであると今も感謝している。この時の厳しい訓練が無ければ幾多のの戦闘の中で命を落としていたであろう。

・上官であった空戦の神様といわれた杉田庄一一飛曹は、器量も抜群で部下を殴ったのを見たことがない。部下の面倒見も良く、素晴らしい上官であった。

・杉田氏からは、口をきわめて言われたことは編隊から決して離脱するなであった。

・杉田氏から伝授された「秘儀ひねり込み」は、教わって出来る物ではない。教官に付いて行って体で覚えなければ絶対に会得できないものである。

・初期(初めて?)の直掩で付いた特攻の中で、急降下して海面すれすれで上昇し、再度反転しつっこんだ特攻機がいた。後にも先にもこんな離れ業を見たことが無い。

・当初海軍(日本軍には空軍が無かった)は3機編隊であったが、米軍の効率のいい4機編隊をまねて、それに変更した。状況によって2機2機での戦闘を行った。

・杉田一飛曹について
GUAMに着任時に笠井氏らを前にした挨拶は、「俺が杉田や。この顔よぅ覚えておけ。」それだったそうだが、後後よく酒を飲まされたそうである。当時笠井さん達は、18.19歳だったそうで、初めて飲んだ酒で酔っ払ったが、杉田氏は「酒も飲まんで敵と戦えるか。」と笑っていたそうである。
(部下はもとより、上官からも広く愛された彼は、終戦間際に、鹿屋で急襲を受け離陸時に、一斉射撃を受けて、飛行場先の丘に激突して戦死した。)

余談
・宙返り3回転について見せたアメリカ軍の器
これは、もう一人の伝説の零戦パイロット坂井三郎氏が敵基地上空で3機で行った有名な話である。彼は、杉田氏とは犬猿の仲だったそうで、この話は、坂井氏著「大空のサムライ」の中で描かれている逸話である。
彼我の軍上層部の器量の差が如実に出ている事実で項を変えて書いてみたい。









Sunprincessのクルーズを終えて。

今回の知床、コルサコフを巡ったSunprincessのクルーズも深く思い出に残る旅となった。
各寄港地で天候に恵まれ、コルサコフの雨もそれなりに良い思い出になった。

今回のhighlightは、矢張り国後島、知床半島であった。特に北方領土4島の一つである国後島の美しさは、今も目に焼き付いている。

その日は前夜からSunprincessは深い霧の中にあり、僅かの時間の差でくっきり一瞬見えたという歯舞島を見逃した時には、もう北方領土は見られないと諦めていた。

ただしばらく航くと、デッキまでも覆っていた深い霧の中を抜けだし、前方にあった厚い霧が幕が開くように流れ雄大な二つの山が現れた。その時我々と共に未練がましくデッキに居残っていた若干名の間で大きな歓声が上がった。
彼等とはその後、折につけ14Fデッキで顔を合わせる仲間となった。

その二つのように見えた山は霧が晴れるに連れてその裾野はつながり一つの島になり、共に頂に雪に化粧されその色は濃い藍色でとてつもない美しさであった。
島は国後島であった。
本文にも書いたが国後島とは、アイヌ語で黒い島の意であることが頷ける。


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国後島ルルイ岳を背に。

現在北方領土の島々は、ロシアのビザを取れば煩雑ながらその地を踏むことができるが、ビザを取り上陸することはその主権を認めることにあり日本政府はその自粛を求めている。

よってその地を踏むことは、未だ未だ叶わぬことだろうが、来年Diamondprincessが同航程のクルーズを組むそうなので、今回見ることが出来なかった3島をこの目で見たいものである。

次に訪れた国後島から目と鼻の先に見えていた知床半島も、素晴らしい景色であった。

自然のままの一切人工物の見えないシンと静まり返った知床半島が浮かぶ静寂の海を航くsunprinsessは音のない世界に迷い込んだようであった。


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波の音も、風の音も全く聞こえない中をSunprincessは滑るように航く。

丁度同じ時期に、ポンユウがこの地を車で訪れていたが、絵のような茜色の夕焼けの海を見たことが忘れられないと言っていた。

日本にも訪れていない、知らない土地がまだまだあるナァと目の前に景色に感動しながら思った。

海好き、船好きにとって毎日船に乗って、海を眺められるクルーズほど魅力的なものは無い。
移動に、荷物のパッキングに、煩わされることもなく初日に旅装を解けば、その日からキャビンが楽しい我が家である。

兎角クルーズは、高価なものと思われているが3食付き、ショウを始め多くの船内イベントを楽しみ、好きな時に休憩し、酒を飲んで昼寝をし、夜は好きなだけ遅くまで遊んで寝て、そして目覚めれば次の訪問地である。
贅沢なスイートルーム等を選ばなければパック旅行よりも全く格安である。

今年からは、このprincesscruiseのように海外の超大型船が日本発着のシリーズを販売し、その価格も驚くような設定がなされている。

princesscruiseは、今後5年間は、撤退しないことが国交省による参入条件ということなので、コースを選んで、また、この日本発着クルーズを十二分に楽しみたいものである。

「錨を上げよ」。

遂に百田さんの全小説読み終えてしまいました。

最後に読んだ「錨を上げよ」は超大作でしたがこれも他のどの作品にも増してや劣らずの面白い作品でした。
先日の旅行に上巻だけ帯同したのですが、オホーツクの海を枕に、一気に読み切ってしまいました。
未練たらしく所々読み返して、フラストレーションが溜まったまま旅行から帰った後、休日をつぶしてすぐに下巻を読み終えました。

ただ可也アクの強い作品ですので、万人受けするかどうかは、難しいところです。

描かれている時代が、昭和31年から始まるまだ戦後が僅かならず残っている年代であること、背景が大阪の東淀川という大阪でもいささか上品な地域を舞台ということで、同年代のまた宝塚沿線に少なからずの縁がある自分には、声を思わず出して大笑いする場面も多々ありました。さてこのどぎつい内容に、他の方の感想が聞きたいものです。

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主人公は、作田又三といい、マァ頭が筋肉でできているような単細胞な奴で、その破天荒なんて表現がかわいらしく見える程の無茶苦茶な半生が大阪市北部を中心に描かれています。

主人公の姓が百田さんとよく似た作田とあるように多分に彼の自伝的なエピソードも数多く含まれていると思いますが、よくこれだけの息もつかせぬ場面を次々と展開できるものです。

また時々大阪を飛び出しての、東京でヤクザの片棒を担いだり、根室でウニの密漁をしたりとこれだけのネタを良く仕入れられたなと感心する奇想天外な場面には時間を忘れて読み耽りました。

それにしてもよく女性に振られる主人公です。全ては自業自得ですが最後は余りにもかわいそうかな。

すべてを読み終えての
私の百田さんの作品のランキングは、


「永遠の0」
「海賊とよばれた男」
この2作は別格で1.2位です。

「錨を上げよ」

「モンスター」
「風の中のマリア」
「ボックス」
「影法師」
「プリズム」

「輝く夜」
「幸福な生活」

番外「夢を売る男」

でしょうか。番外は別としてすでに2回読んだ作品も数ありますが、また時を置いて読み返したい素晴らしい作品ばかりでした。

6/25に「永遠の0」の完成試写会が行われたそうです。試写後、監督から百田さんは目が真っ赤なことを冷やかされたそうですが、原作者をも感度させる出来に仕上がったことは同慶の至りです。
12月の封切り時には、仲間のみんなと一緒に見に行くつもりです。

「風の中のマリア」。

この間のアクアパッツァが美味しかったので調子に乗ってエリーがまた作ってくれた。
中々の美味しさ。

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アクアパッツァと、マグロ、クロアワビで昼間っからビールをグビグビ飲んで気持ち良くなってきたところで「風の中のマリア」を読んだ。
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百田氏は、同じジャンルの本は二度と書かないと決めているらしいが、今回のこの「風の中のマリア」も異色の作品。いや異色中の異色の作品であった。

主人公は、オオスズメバチの働き蜂「マリア」の話。
羽化してたった30日の命を懸命に生きた彼女の一生を綴った作品である。

この作品においても百田氏は、オオスズメバチの生態を徹底的に調べ上げ作品の中で描かれる生態は生物学者をもうならせたという程精密に描かれている。

その精密さをベースに物語は、彼女の一人称で描かれ暑さも一段落した夏の終わりに羽ばたいた短い一生が壮大なドラマとして展開し、息をもつかせぬ早いペースで晩秋を迎える。
これも素晴らしい作品であった。

このところ、百田作品に出会って以来、休日は読書三昧である。
ただ片っ端から読んでしまうので百田作品が残り少なくなってきた。
どうしよう・・・

お魚を買いに行きました。

プロが仕入れに来るお店。
年中無休でやっています。
何でも安くていい品物ばかりです。

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キンキ、フグ、アサリ、フグ皮、フグ皮湯引き、クロアワビ、本マグロ。
2.3日、晩御飯の食材買わなくていいでしょう。

「ボックス!」DVD

ツタヤで「ボックス!」のDVDを借りてきた。
「読んでから見るか?見てから読むか?」なんてキャッチコピーがあったけれど読んでから見た場合、どうしても自分で物語全体のイメージが完成してしまうのでそれが制作監督と一致すると非常に腑に落ちたものとなるが大概の場合、「原作と違うなぁ・・・」となってしまう。
この「ボックス!」に関しても残念ながらそうであった。
鏑矢とユウちゃんのキャスティングはイメージ通りで、そのボクシングシーンは二人がかなりの練習したことを窺わせられ素晴らしいものであったが、小説に比べると丸野智子はかわいらしすぎるし、先生の耀子はもっと綺麗だろうし、顧問の沢木は、ださすぎる感じである。

何よりも百田作品の根本貴重である友情の為には自分を犠牲にすることもいとわないということがうまく描かれていないこと、そして読後の何とも言えない壮快感が描き切れていないことが残念である。
監督が小説をもっと読みこんでいればもっともっといい映画になったことと思う。

クラブハウス当番。

今日は、3回目のクラブハウス当番でした。
08002200までと一寸長すぎますが、これで今回最後です。

もうほとんどエントランツはいませんが、一艇の出航を見送り、一艇の買い物の世話をして、もう一艇の修理の手配と忙しい一日となりました。

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最盛時は、10艇のエントランツのヨットで賑わいましたが、すでに3艇が出航、3艇が一時帰国の途につきました。

またそれに伴いエントランツの家族、メルボルンサイドのレース委員会メンバーも帰国しずいぶん寂しくなりました。

今日は、SPIRIT OF DOWNUNDER(以下SP)とESCAPADEが出航の予定でした。
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1000 SPが出航の準備をしています。

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1999に当時新造船だった(1997進水)この船に乗せてもらってクラブレースに出ました。ランニングがとても速かったのを覚えています。

今回もこの船のオーナー家族とはメルボルンで再会を喜び合いました。
今回は、父子でのレース参加となりました。

船によってphilosophyが違います。
SPは、ビール、wine、ラム酒と沢山のアルコールを積みこんでいました。

GustoBrianは、ヨットでは一切アルコールを口にしません。陸では、浴びるほど飲みますが・・・
まねはできませんが、中々素晴らしいphilosophyです。


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天満宮のお守りを祀ってありました。

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バウは、これはほぼどの船も共通ですね。セールと荷物とで溢れかえっていました。


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ヘッドというくらいでトイレは大体バウに設えられています。

これは帆船時代に、トイレがバウに設えられていたことの名残でしょう。
帆船は、今の縦帆のヨットと違って横帆を主にして航きました。従って、向かい風に向かっては航くことができず基本的に追風で走る船でした。その為、臭いトイレは、風下に作られる為に船の風下になる頭の部分=ヘッドに作られ船乗りの間では、トイレはヘッドと呼ばれていました。その名残で今もヨット乗りの間では、この言葉が使われています。

閑話休題。
ダイビング用の空気ボンベが見慣れない形で置いてあったのでクルーに聞いてみると、

これは、事故等の浸水時にこのタンクから手前の赤のFLOAT PACKと書かかれている物に空気を送り込んで膨らませ、船を沈没から守るものだとのことです。

初めて見ました。このサイズの船だから可能なことなのでしょうが良いシステムですね。

他気がついたことは、各バルクヘッドがとても頑丈に作られていて、ハルの剛性も高そうでとてもいいヨットです。

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クルージングボートでよくみられる光景です。ネットに野菜を釣って保管しています。
もうクルージング気分満点です。
生野菜はこうしておくと持ちが良いようですね。

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この船も通信設備は充実されていました。
日本では、小型船舶であるヨットには、これらの通信機器の許可がおりません。非常に不思議に思いますね。
役所の許認可制度に大きな欠陥があるということです。

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これも初めて見ました。

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ワッチ中等、デッキにいる時にこれを携帯するのだそうです。
このチップとメイン機器と一定の距離が離れると警報装置が作動するとのことです。素晴らしい安全機器です。BigELLEでも、今度調べて購入しましょうね。
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この船では、発電はこの機材でやっていました。ガソリン駆動だと思うのですが、どうなのでしょうか?
Andyに聞きましょね。

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軽油は、160Lしか積んでいないそうです。
これで約600M、父島まで航くそうです。
機帆走は、ほとんどしないそうですが、風のない時は、エンジンを回して平均6ノットで航く計画だそうです。

先日出航した、ファンネルウェブも、軽油は300Lしか用意していませんでした。

オーナー・スキッパーのアイバンのcashingに付き合った時に、30万円引き出そうとするので
何に使うのか聞いたところ300Lの軽油を買うためだと分かり減額させましたが、どの船もクルージング中もほとんど帆走するのですね。

BigELLEは、ほとんど機帆走ですが一寸反省しないとイケませんね。

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ラットの前の機器は、風向風速計のみでした。
流石レース艇ですね。
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この船は、スモーカーばかりでした。
おどろしい写真が載っていますが、止められないのですね。
にしてもこんな写真の載っているたばこをよく買えるものです。
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カーボンマストに、カーボンブームです。
この船は一度オーナーで乗りたい良いヨットです。

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インフレータブルのテンダー用の船外機。
3.5馬力でした。
あちこちで遊んで帰るそうです。
父島~SAIPAN~ホニアラ~オーストラリアの北部(名前忘れました)に寄港しながらMelbourneまで帰るそうです。

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出航前の記念撮影。みんなひどい風邪を引いていました。
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さて出航です。

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Bon Voyage!
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出航を見送るのもまた乙なものです。


出航を見送って、今日は帰らせてもらおうと思っていましたが
ESCAPADEのボブが、コーナンに買い物に行きたいというので付き合うことにしました。
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ボブ。
彼とは、BlairgowrieYCでの前夜祭、Port seaでのEscapadeのスタートにも立ち会って今回時間的には一番長い間顔を見ているのですが話したのは今日が初めてでした。

何か神経質そうだったのでこちらから話しかけずにいましたが実際話してみると中々ひょうきんな男で、niceGuyでした。

車から、おばちゃんが自転車に傘を立てているのを見て、「あんなのを見たことがない。便利そうだ。」としきりに感心して欲しそうにしていましたが、コーナンで偶然見つけて、即購入していました。
とても嬉しそうです。

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アンカーチェーン、折りたたみ自転車、釣り道具とあちこち回って購入して、最後は食糧品です。
山ほど買いました。
これに缶ビール、5ケース、日本酒、ラム酒とどれだけ飲むのというくらいに買いました。
たった奥さんと、クルーの3人分ですが、「longtripだから、longtripだから」と言っていました。
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結局全部は車に乗りきらず、volunteerを買って出て、
買ったばかりの折りたたみ自転車でハーバーまで行くことにしました。
久し振りのバイクロードでしたが、車輪が小さくおまけにアゲインストの風に4kmの道のりはきつかったです。

この後も別のヨットのダイナモの修理の手配などで結局帰ったのは、2000になりました。
が、まァこれも彼らの手助けもできたし今日も愉しい一日でした。

永遠の0。映画化。

昨日TV番組で、岡田准一を初めて見ました。
イヤ~~~良いですねぇ。宮部久蔵を演じるに、最高のキャスティングです。
読後描いていたイメージと、寸分違わないくらいにぴったりです。

彼は、若い女性にすごい人気だとかでこれでこの映画を若い子たちが見て、たった60数年前に、この日本で起こったことを知り、日本人の余りにもの愚かさ、そして誇らしき素晴らしさを考える機会になればと願います。

戦争というのは、その民族の一番悪いところと、良いところが両極端に出るものだということを改めて深く考えさせられるこの原作本の教えるところがどう画面に描かれるか今から楽しみです。

百田尚樹「永遠の0」。

「なんでもいって委員会」の中で、勝谷氏が絶賛していた、百田尚樹「永遠の0」。
今回の金沢行きに帯同した。どうせ道中すぐに飲んでしまって荷物になるだけかと思ってもいたが読みだすと止まらなくなった。

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片町で飲んで帰った夜も一眠りした後未明から、ホテルのベッドの上でとり憑かれたかのように読み耽った。

帰路の列車内でもビールを控えて一心不乱に読んでしまった。

年ごとに涙もろくなり、読後涙した本は恥ずかしながら少なからずあるが、
この作品は自宅で最後の章を読み終えた後、嗚咽が止まらず、本を拝むように挟んでしばし動けなかった。
人生、数え切れないほど本を読んできたがその中で最高の小説である。



0とは、ゼロ戦の0である。

物語は、戦闘機乗りであったという亡祖父の足跡を調べるところから始まる。
当時の祖父を知る人は少ない中、たどり着いた二人の戦友からは、祖父の芳しくない話を聞かされ暗澹たる気持になるが・・・
それからは、やめておこう。絶対に読んで欲しい本である。

読後、日本人は何と美しく、素晴らしく、そして何と愚かな民族であろうかと改めて深く考えさせられた。

物語の中にも描かれている旧帝国陸海軍の上層部、将校達の愚かさ、無能さは、残念、不幸ながら今の日本の組織に恐ろしく暗然と60余年の時を経て尚引き継がれている。

昨今、巷間かまびすしい、体育系組織に於ける体罰は、旧軍隊のそれそのものであり、その根にある上部組織の陰湿、隠蔽体質、無責任さは、当時戦時日本軍上層部そのものである。

この「永遠の0」は、今の日本人にそして特に中高生たちを始め、一人でも多くの若者たちに読んでほしい名書である。



そして国の為に尊い命を捧げ散華して行った英霊に、共に深い感謝を捧げたい。

海賊と呼ばれた男

先週の「なんでも言って委員会」で勝谷氏が絶賛紹介していた百田尚樹氏の「海賊と呼ばれた男」早速、アマゾンで買いました。

出光興産の創業者の生涯を描いた作品だそうです。上下巻の大作です。読む時間を作らないとなぁ・・・
ヨーロッパ旅行でもあれば、機内で一発読破出来るんだけど、
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この番組の看板であった三宅さんがお亡くなりになりましたね。
とても残念です。

それとたかじんさんですが、この病気で余りにも休養が長いのが気になります。

加山さんコンサートat浄るりシアター

久し振りにぽっかり予定の空いた日曜日、昨晩は遅くまで夜更かしをして、昼頃から溜まった雑用をしようと思っていたら朝早く携帯が鳴った。

ファンクラブのメンバーから今日浄るりシアターである加山さんのコンサートの空きが出たとのこと。眠気眼ながら即座に「有難うございます。」

行くことにした。

浄るりシアターはとてつもなく遠かった。
加山さんはオープニング当初何か疲れているようでしたが、最後は、矢張り流石加山雄三さんである。会場を大いに盛り上げて幕を閉じた。

500人収容と小さな箱であったが、加山さんとの距離が近くてライブの様な雰囲気であった。

今日も愉しいコンサートであった。




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能勢町。
一時はよくゴルフで通った町だが久し振りに行くと、とてつもなく遠かった。

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販売即完売であったそうである。
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いつも懇意にしていただいているファンクラブのメンバーさん達と。。。
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場内には浄瑠璃に関する展示物が数多く置かれていた。


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正面入り口。
大入の旗が掲げてあった。
加山さん、ハイパーランチャーズにも大入袋が配られたそうである。

確率論。

久しぶりの数学ネタです。
ねたままというサイトで、面白い記事を見つけました。

これと同じことですが、サッカーの試合で、両チーム合わせてイレブン×2で
22人ですよね。
そうすると試合しているチームの中で約4割の確率で同じ誕生日の人がいることになります。
2試合すると、略両チームの中に同じ誕生日の人がいることになります。
面白いですね。
これは1年日数の「365」という数字が意外と小さいということによるものです。

ざっくり簡単に説明すると、3人集まったら、同じ血液型の人間がいる確率は略100%ということで何となく理解できます。

また、別の確率の話ですが、4人の人が順番に、4つの中から一つの当たりくじを引く場合の、それぞれの当選確率は、どうなるでしょうか?
凡人の頭では、後先関係なしに4人の当たりの確率は全くイーブンになるはずですよね。

多くの数学者も4人の当たりを引く確率は同じだと主張しました。
でもこれにIQ200のアメリカの天才が異議を唱えました。

実際に実験も行われましたが、実は、1番最初に引く人が当たりを引く確率が一番高いのです。そして2番目、3番目と低くなります。

これは私には説明がつきません。

確率論は面白いですね。

以下、抜粋記事です。

【今日の雑学ねた】クラスに同じ誕生日の人がいる確率は90%


仮に一クラスを40人と考えた場合

365/365(1人目)×364/365×363/365……と、『40人全ての誕生日が異なる確率』を計算していくと0.108、つまり10.8%になる。

にわかには信じられないが、計算上40人クラスの中に同じ誕生日の人がいる確率は89.1%という事になる。





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サイコロの目で一番でやすいのは5-

サイコロの目の出る確率は理論上1/6。

しかし一般的なサイコロは表面に穴が掘られており、掘られた分だけ重心が傾くようになっている。

以上の事を踏まえて検証するとサイコロで一番でやすい目は『5』という検証結果が出たらしい。

それこそ何百万、何千万回と試行回数を重ねなければ表面化しない数値だろうが、ギャンブルでどの目に賭けようか迷った時には5に賭ければ多少は期待値が上がる!……かもしれない。



加山雄三さんコンサート。

久しぶりの雄三さんコンサート。
クルージングの日程が変わり連休の予定が空いたので加山さんのコンサートに行ってきました。
ファンクラブのメンバーがチケットを手配してくれました。感謝。感謝。。。
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ファンクラブのメンバーが集まってのオフ会です。
40名近い参加者があり、コンサート前から熱気ムンムンです。

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抽選会もありました。
写真は光進丸
一度乗って見たいですね。
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フラさん達による、フラダンスの披露もありました。

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みんなで加山さんの曲を大合唱です。
3時間ほどあり、これでコンサート前に結構疲れました
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開場です。
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すごい人、人です。
75歳の加山さん一人でこれだけの観客を集めます。素晴らしいことです。

にしても平均年齢は、恐ろしく高かったです。
コンサートオープニングで加山さんの呼びかけにファンクラブのみんな他はスタンディングでノリノリでしたが、後ろから「見えないから座れ~~」の怒声には折角の盛り上がりも興ざめでした。
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グッズも飛ぶように売れていました。

品のない観客もいましたが、3時間にも亘る加山ワールドに酔いしれ、ファンクラブの仲間達と又の再会を約束して会場を後にしました。
最高。。。

ΩOMEGA

親父の遺品のΩ時計。Y橋カメラに修理に出したら、部品が無いので修理不可能とつれない返事。
仕方ないかと諦めていたら昨日知人が同じ型のΩをしていたので、聞いてみるとそれも修理に出したばかりと言う。
教えてもらって早速、その店に行ってきた。
その店は、喜連にある「ねのひ屋」と言う喫茶店と並業している小さな時計店で親父さんが一人でやっていた。
見てもらうと、暫くごそごそと見ていた。

国内はもとより海外からもその依頼が来る瀬戸内海の大崎下島の時計屋さんのことが頭にあり、
http://www.city.kure.hiroshima.jp/mitekure/mite23_04.html

その時計屋さんはその部品が手に入らない場合、自分で一からその部品を作って修理するとのことだったので、預けるつもりであったので帰ろうとしたら、その親父さんは、一寸待てと言う。

そして針の異常だと、表と裏の蓋を外して簡単に修理してしまった。

ここにも匠がいた。
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またこの時計を使用できる。感謝、感激である。


戦艦大和を作る。

TVのコマーシャルにつられて「戦艦大和を作る。」を買いました。
増刊号は390円。

張り切って作ろうと箱を開け、中の説明書をよく読むと。
全90巻とある。
2号以降は、週刊で1190円。。。。。

電卓をたたくと・・・オーマイガ~~~

どうしよう。。。。

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靖国神社崇敬奉賛会終身会員。

靖国神社の崇敬奉賛会終身会員にさせていただきました。

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終身会員証と共に、
神饌(しんせん。神様にお供えする食べ物)。
風呂敷。
桜の入ったキーホルダー。

が贈られてきました。


台琉ヨットレースアルバム出来ました。

数え切れないほどのヨットクルージングの中でも最高の思い出となった台琉ヨットレースのアルバムが完成しました。

全航程参加してくれたTomに感謝して一部進呈しました。Tomバージョンも造りたかったのですがこれだけでも何時間も制作にかかり別バージョンは断念。

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ハードカバーにして、中々重厚な出来上がりとなりました。
第一部は、池間出帆から基隆到着~表彰式~台湾出航まで。。

第二部は、与那国、石垣、池間到着、帰阪まで。。。。

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思い出満載です。

雑誌「島へ」届きました。

面白い雑誌があるのですね。知りませんでした。Tom情報です。

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バックナンバーを取り寄せました。
魅力的な記事が満載です。

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今度のクルージングの情報を集めましょね。

金環日食。

みなさん見ることができましたでしょうか?
自宅で屋上から見ましたが、食の最大のところで雲がかかり始めましたが数秒間金環日食が見られました。
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愈々かけ始めました。
世紀の天体ショウの始まりです。

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木漏れ日もかけ始めています。三日月の形をしています。

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トリミング後最高
金環日食~~~
少し欠けているように見えますが、実際には、綺麗な金環日食を見ることができました。

木漏れ日のまん丸い影は撮ることが出来ませんでした。

これで皆既日食と金環日食の両方を体験できましたが、やはり皆既日食と金環日食は、全く別物でした。

皆既日食の素晴らしさは、金環日食の比ではありません。
人生観が変わる人もいるほど神秘的なものです。2009年屋久島での皆既日食は太陽を見ることはできませんでしたがその時の体験は、今回完全に見えた金環日食でさえ比べ物にならないくらいくらい圧倒的なものでした。

今秋にオーストラリアで皆既日食があるので今年の重要スケジュールに繰りこんでいましたが日の出前から食が始まり非常に低い仰角での皆既日食になるとのことで断念しました。

またいつか必ず皆既日食は、世界のどこかまで追いかけても見たいものです。

大吟醸。結心。

白川郷で正月に買った「結心」。
とてつもなく美味しかったです。
日本酒で今まで一番のお気に入りはダントツに、「越乃寒梅」でしたが
この「結心」はそれに勝ります。
ネットで買えるのかしらん。。。

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ウィンディと。
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「ゆいごごろ」と読みます。

BigELLEアルバム&2012calendar

今年もいつの間にかもうあとわずか、Honolulu沖洋上で迎えた元旦からあっという間の一年であった。
マァこの一年は本当にあちこち北海道から沖縄へ、そして地中海へと旅したことであった。
人生で最高に遊んだ一年であったことであろう。
それぞれのイベントで一緒に付き合ってくれた友友に感謝してやまない。
感謝感謝。

石川達三じゃないがその愉しかりし日々の記録のアルバムを作った。
ついでに2012年版calendarも作ったが出来上がりは想像以上のものであと何部か作ろうと思う。

出来上がったcalendarは、今度のBigELLEのクリスマスパーティの景品にしようと思っているが何か手放すのが惜しくなってきたなァ・・・


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Pride of America船上にて 
happy new year&birth day

今年の元旦は、Honolulu沖で迎えた。
countdownで新年を迎える前に気の早いHonoluluAmericanはあちこちで新年の花火をあげていたのを思い出す。

昨年は台北の101から噴き出る花火を見ながら、その前はMacaoシルク・ドゥ・ソレイユを見ながら新年を迎えた。もうずいぶん昔のように思える。。。



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calendarと今年の記録。膨大な写真の中から集合写真のみのアルバムを作った。

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calendarは中々の出来栄え。

アルバムは見返すと涙が出るほど、あふれるほどの思い出が詰まった一年の記録。

改めて仲間に感謝。感謝。。。。

久し振りのおじさんバンド

一か月振りのおじさんバンド。久しぶりだったのでいつもにも増して愉しかったです。
みんなの出来も中々良かったですね。
まだまだみんなに披露できる代物ではないが、とりあえず一所懸命練習して発表会をしようということになりました。そしてそこで頭をかいてまたその後の練習の励みにしようということになりました

来年の6月を目標にしていますのでみなさん見に来てくださいね。
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ドラムを叩いている時はゴキゲンデス。

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keyboardのYさんの加入でレパートリーが増えました。

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今とりあえずのレパートリーです。
まだまだあやしいのもありますがしっかり練習して完成させたいものです。

これにトークを入れて60分くらいのライブの予定をしています。
さてどうなる事やら・・・


Jackie Evancho

Jackie Evanchoは改めて素晴らしいの一言に尽きますね。これほど感動を受けたsingerは初めてです。わたしにとって生涯で聞いた最高のsingerです。

早速注文したAmazonから今日CD・DVDが届きました。ただこの収録時の歌唱力とと行列・・・時のそれは遥かに別物です。
日々進化しているのはYouTUBEからもうかがえます。

中でも一番好きなのが「わたしのお父さん」
2011/6に収録されたこのDVDは、先日のTVのそれととても近いです。
http://www.youtube.com/watch?v=td3WBxKYWlw&feature=related

ただ行列・・・時のそれはまた一段と素晴らしいものです。

マリア・カラスの再来と言われていますがその素質は、マリア・カラスを凌駕するものでしょう。

ジャッキー・エヴァンコ

昨日「行列のできる法律相談所」を見た。
その中で出演していたアメリカの11歳の少女「ジャッキーエヴァンコ」。
その素晴らしさに衝撃というか感動のあまりに落涙してしまった。来年の1月に東京公演があるとのことだが、平日であるが都合がつけば是非にでも行きたいものである。

例によって大阪公演は、全くなしである。
ここ何年にもわたり大阪の凋落が語られて久しいが経済面もさることながら東京に比して歴然とある差は文化面の圧倒的な遅れというか、とてつもない貧弱さである。
世界のエンタテナーがまともに公演できる箱モノが一つとしてないのである。

Anyway

U TUBE
で見つけた「行列・・・」で歌った「わたしのお父さん」。
http://www.youtube.com/watch?v=Ej1giP1QFFQ&feature=related

これも素晴らしいが「行列・・・」で歌ったそれは、この数倍素晴らしかったですね。

阪急メンズ館

風邪もだいぶ良くなったので前から予約していた阪急メンズ館に行ってきた。オープン当初は、大人気で予約も取れない状態だったがこのごろは少し落ち着いてきたとのことであった。

図体がでかいのでいつも洋服選びには苦労させられる。
その点このシステムはとても便利。専属のコーディネーターがまず採寸してくれて色々のブランドから選らんで持ってきてくれる。さすがプロで、普段自分では選ばないようなデザインや色を合わせてくれる。

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試着室も用意されて一度にあれこれ選べるので横着者にはとても便利である。

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これは自前ですが、これだけのものを選んで合わせてくれた。
本当に好きなものだけ買えるのでとりあえず買ってほとんど着ずたんすの肥やしになってしまった多くのことを考えると経済的でもある。

昔は結構お洒落だったのだが最近は体形の変化もあり気を使うこともなくなっていたが流石に齢を重ねるにつけ、その加齢を補うために少しおしゃれをしようと思った次第。

その前にこの突き出た腹をドナイかせんといかんなァ・・・

地中海の海図来ました。

RubyPrincessで見て、欲しくてたまらなかった、そしてオークションで見逃した海図やっと手に入れました。
ネットはホントに便利ですね。
探し回ってイギリスから買うことが出来ました。
航空便で来ましたが発注してから20日間かかりました。
WEBchaseしながら、待ち遠しかった愛しの海図です。

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Buffet Restaurant入口に飾られていた海図。

海図 004
ついに手に入れました。勿論全く同じものです。

入っていた筒がつぶれていて上部少し皺になっています。
日本の海図より紙質が大分悪いようですね。

これにRubyPrincessの航跡を、写真を元に書き込んでいきます。
ロガーの軌跡も大いに役に立つでしょう。

完成したら額に入れて飾るつもり。

余談の余談。ピタゴラスの定理について。

「ピタゴラスの定理」についてである。

定理の王様といえる

「平面幾何学において直角三角形の斜辺の二乗は他辺の二乗の和に等しい。」
 X² + Y² =Z²

という定理である。

ある一定の直角三角形がこのような性質をもつことは、ピタゴラスが現れるはるか昔バビロン、中国でも知られていたが、ピタゴラスが全ての直角三角形に普遍的にこの式が成り立つと証明して彼の名前が冠されたといわれている。

ピタゴラス自体が紀元前の人であるがそのはるか前に・・・信じられないことである。

そしてこのピタゴラスの定理は、フェルマーの定理
xn + yn = zn
において
「この式を満たす3以上の自然数nは存在しない。」

を生み2000数百年という遥かな年月をかけて1994年9月アンドリュー・ワイルズによってこの定理の全てが解き明かされた。

数学界の20世紀最大の出来事といわれている。

このフェルマーの定理についての本は数知れないほど発行されているが、
このフェルマーの定理の祖先ともいえるピタゴラスの定理の発見者が、
こんな小さなSamos島の出身とは驚きである。

Kusadasi は当時はギリシャ領で現在トルコ領、Samos島は今もギリシャ領である。

通船が出ていることは前項で述べたが、通関はどうなっているのであろうか?

というのも現在EU諸国の間では、「シェンゲン協定」が結ばれておりその国間では、国境検査が免除されている。

よって我々のようなEU外の外国人に於いてもBarcelonaで一度通関した後は、一国を除いてpassportcontrol(出入国審査)は免除されていた。

その一国とは、トルコである。

船内に於いてIstanbulの前後でパスポートの回収、返還が行われた。



バイスパロットの法則

楽しみにしていた日本海の釣りもこの台風であえなく中止です。自然現象だけは仕方ありませんね。
そんな厄介者の台風も、大量の雨という副産物の恵みも運んでくれるのですからそれも良しとして我慢しましょう。

そんなことで二日間予定がなくなりましたが遊び過ぎたおっちゃんにはいい休養になりそうです。

それにしても奴は、今、瀬戸内海塩飽諸島あたりにいるはずなのに、一向に風が強くなりません。
空の雲もそれほど走っていませんね。

それでも行けなかった日本海に思いをやりながらひつこく、未練がましく大きなベルトコンベアに乗ったような北西に流れる黒灰色の雲の流れをぼんやり見ていて「バイスパロットの法則」思い出しました。

海に出る方は知っている方も多いかと思いますが

北半球では、風を背にして、左手を10~11時に伸ばした方向に低気圧の中心があります。

何かの時に覚えておくと便利ですね。

南半球では、逆に低気圧は右巻きとなりますので右手1~2時の方向となります。

ソニーαデジカメ

ケンケンに相談して、ソニーデジタル一眼レフカメラ買いました。
これはミラーレス、プリズム無しの一眼レフカメラで、一眼レフのクオリティを持った、軽量簡易型のカメラです。色々と出来そうですが練習しないとね。

ブログネタ 001

何と16mmと18-55mmのレンズが二本付いています。
本体の右は外付けフラッシュです。
動画はハイビジョンで撮れるようです。

もう一本望遠が欲しいところですがこうなると一眼レフの選択になりますね。
取説では、今までのαのレンズがコンバーターで使えるとのことです。
長いレンズを持っているのでこれはイイですね。

昭和64年年賀状 男岩にて

大分色あせましたが、昭和64年の我が家の年賀状です。昭和64年といえば昭和天皇が崩御した年ですね。たった1週間ほどの昭和64年でした。
この写真は、よって昭和63年、1988年に撮ったものと思われます。足繁く座間味に通っていた頃です。

男岩で撮ったものです。小舟で又吉さんとエリーと数人でマンタを探して男岩に行って運良く見つけてみんな素潜りで海に飛び込みました。思い出すと昨日のやうです。

モデルはエリーです。メチャクチャスマートですね。

会心の一枚です。

ネガどこいったかな・・・




1989座間味男岩 003

GPSロガー

この間座間味に航ったときにKennyが持っていたGPSロガーが欲しくて教えてもらってネットで買いました。バイクライドにも今度の旅行にも持って行こうと思っています。
20118月夫美子 008

中々の優れもので、移動時の時系列速度変化、高度も出ます。地図と連動させることも出来、デジカメの写真とも連動出来るようです。またおもちゃが増えました。
台湾製です。

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