漆の実のみのる国

若いころはといってもまだ若いつもりだが、日曜日、休日にひねもす家にいることは耐えられない苦痛だった。だが最近は、ここ一年くらいであろうか、何もない休日が待ち遠しくてしかたがない。そんな日はどの本を読もうかと前の日からワクワクする。その日は夜が明ける前から読みだす。読むのはもっぱら寝床の中でそこからごそごそはい出すのはトイレ以外は食事のときのみである。

今日もカーテンの外が暗いうちから読み始めた。読もうと思って買った本が書斎に山積みだが手にとったのは先日買ったばかりのこの上下巻。

10時間くらいかな、で一気に読んでしまった。流石に夕方飽きて腹も減ったのでみんなをよび出して焼肉を食べに行った。つき合ってくれた友に感謝。


藤沢作品は新潮文庫のそれはすべて読みきったのであとは文春文庫の作品10冊と集英社の数冊を残すのみである。

藤沢作品には、武家もの、町人を描く市井もの、そして歴史上実在の人間を描く歴史ものがある。武家ものがやはり自然描写が美しく自分としては好みである。歴史ものは、藤沢氏独特の自然描写がなぜかとても少ない。なんでなんだろうといつも思う。
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 さてこの作品は、東北の藤沢氏出身地の庄内地方のお話。
 藩家は、名家上杉である。藩祖は上杉謙信。謙信から景勝にうけつがれ(この辺りは「密謀」にくわしい)領地は秀吉の命で越後から会津へ移されるが、豊臣政権では五大老の一角を担い中枢を占める。だが秀吉亡きあと家康と事をかまえ関ケ原では西軍につきそして負け、150万石から30万石へと激減俸されるが景勝は家臣を一切解雇せず6000人余りを引き連れて米沢に移封する。しかもさらにそのあと跡目相続をめぐるいざこざでさらに半額の15万石に減俸される。領地米沢はそれなりに肥沃なとしてあったが海にも面しておらず他の主だった産業もなく、それだけの武士階級をやしなうのはとうてい無理な話であった。年貢は三公七民であったのが、のちには七公三民にまで引き上げられという。

この米沢地方はもと直江兼続の領地だったものを兼続が景次にゆずったものである。

そんなことで上杉の貧乏所帯は全国でも有名だったそうである。蛇足だが、そのあとの4代目(この作品では5代目となっているが)の藩主はあの吉良上野介の嫡男を迎えている。その男がまた阿保で、また実家の吉良家へ少ない藩のやりくりから毎年6000石もの思いやり手当を出していたそうで、討ち入りが起こったときにはひそかに藩では喝采を送ったという。シランケド・・・

話を元に戻すと9代目の放蕩家だったボンクラ藩主重家(この作品では10代目)のときには、幕府の普請役も賄いきれずに家老たちから藩主は藩領返上の願いを出せとまでのこととなったという。そのあと藩主お気に入りの家老が誅殺されるという事件や、七家騒動とよばれるお家騒動が起こるが何とか次代の藩主治憲の徹底した改革で持ちなおす。治憲は有名なのちの上杉鷹山である。鷹山が、漢詩から起こした「為せば成る、為さぬは人の為さぬなりけり」の有名な訓示を残すのはその改革が終わったあとである。

題名の「漆の実の・・・」は、時の敏腕家老竹俣当綱の改革により国で漆をつくろうとしたことの顛末に由来したものである。この漆造りも結局最後には実をみのらせずに終わるのだが、貧乏藩の小さな盆地でおこる大小さまざまな事件は息もつかせないほど文字が躍るように展開しものすごく面白く、10時間ほどで一気に読んでしまった。


藤沢周平は199712669歳を一期としてこの作品を最後に長逝の途についた。


・諂諛(てんゆ):おもねりへつらうこと。「色部が諂諛の家老だとの評価があった」

・諸葛孔明:「賢臣に親しみ小人を遠ざくる、これ前漢の興隆する所以なり、小人に親しみ賢臣を遠ざくる、これ後漢の傾頽する所以なり」

・扶持米侍:藩から家禄ではなくて扶持米そのものをうけとる侍のこと。米を直接給与としてもらうのでコメの値によってその価値は変動し不安定なもので、家禄侍からはさげすんで見られた。