これも休みの日を利用して日がな読みふけった一冊。
「帰還せず」
ある藩に潜入した公儀隠密が帰国しない。調べてみると身代わりの男を殺して他人に成りすまして藩の片隅で生きていた。公儀の討ち手が迫る。
「飛べ、佐五郎」
佐五郎は、あることで人を斬り国を出た。国から仇討の追手が来るのは必定で江戸、大坂、京と点々と逃げたが、気の休まることはなかった。あるとき、その斬った事情に同情を寄せる藩士とばったり出会う。彼はその討ち手が明日をもしれない重い病に伏せっているという。そしてその討ち手が死ぬ。佐五郎は今までのうっ積から解放されそれまで世話になった女に、別れを告げる。その女は、冗談じゃないと寝ている佐五郎に出刃包丁で斬りかかった。
佐五郎は薄れいく意識の中で叫んだ
「なんでやねん」
「山桜」
最近読んだ藤沢氏の短編で一番強く心にしみる一篇だった。
読みおわったとき不覚にも落涙してしまった。
亭主に先立たれ若く後家になった浦井野江(この名前もイイなぁ)は人の世話で再嫁した。だがその嫁ぎ先は、舅姑が裏でで金貸しをしているような家でその舅の借金の取り立てをかいま見た野江はそのえげつなさに恐怖と強い嫌悪をおぼえた。それに加えて家族のみならず亭主までからも出戻りとさげすまれつらい日々を送っていた。そんなおり、叔母の墓参りに行った帰りにそのまままっすぐ家に帰るのもつらく遠回りすると思いがけず大きな桜の木に出会った。ひと枝欲しくなった野江は手をさしのべたがわずかに手がとどかなかった。野江はそうして桜に心をうばわれている間にこのまま帰らなくて済んだらと思った。そのとき不意に男の声がした。
「手折って進ぜよう」
その男は長身の武士だった。渡された花を胸に抱いたとき、その武士は言った。
「野江どのですね。お忘れだろうが手塚弥一郎でござる」
手塚は野江が突然寡婦になったとき再婚相手として名のあがったことのある男であった。一刀流の剣の使い手でもあったが母一人子一人という境遇がきらわれ再婚候補から除かれたいきさつがあった。ただ弥一郎は、野江のことをよく知っていた。道場の前を通っていた野江をよく見ておりあこがれの人であった。
そんなことがあってしばらくして城中で弥一郎が上司を刺殺する事件がおこった。その上司というのは藩政上の大きな癌であり藩内のだれもが弥一郎のやったことに陰ながら称賛をおくったが上司刺殺は大罪であった。そんな弥一郎を野江の亭主は小ばかにしたようなことを野江に言った。野江は今までこころの中に澱のようにたまっていたものが爆発した。野江は、その家を去った。
弥一郎には当然切腹の沙汰がくだされると思われたが、藩内に大きな同情があり藩主の帰国を待って裁断を仰ぐこととなった。
季節は変わり、また桜のころとなり野江は弥一郎と出会った桜の下にたたずんでいた。そして去年の今頃はと野江は胸がしめつけられるようであった。そしてふと思いついたとき野江の足は弥一郎の家に向かっていた。出迎えたのは40半ばの柔和な顔をした女だった。
―「お聞きおよびではないかとも思いますが、浦井の娘で、野江と申します」
「浦井さまの、野江さん?」
女はじっと野江を見つめたが、その顔にゆっくりと微笑がうかんだ。
「あなたがそうですか。野江さん、あなたのことは弥一郎から、しじゅう聞いておりました。弥一郎は、あなたがあのような家に再嫁されたのを、たいそう怒っていましたよ。あなたに対しても、あなたのご両親に対しても・・・」
「・・・」
「でも私は、いつかあなたが、こうしてこの家を訪ねてみえるのではないかと、心待ちにしておりました。さあ、どうぞお上がりください」
履物を脱ぎかけて、野江は不意に式台に手をかけると土間にうずくまった。ほとばしるように、眼から涙があふれ落ちるのを感じる。とり返しのつかない回り道をしたことが、はっきりとわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。
野江さん、どうぞこちらへ、と奥で弥一郎の母が言っていた。
「あのことがあってから、たずねて来るひとが一人もいなくなりました。さびしゅうございました。ひとがたずねて来たのは、野江さん、あなたがはじめてですよ」―
「盗み喰い」
職人仲間で労咳もちの助次郎をなにかと面倒を見てやる優しい男征太。あるとき仕事で手が離せずに付き合っていた女を助次郎の世話に行かせる。だがその女は助次郎とできてしまった。
助次郎は叫んだ。
「なんでやねん」
「滴る汗」
城下で手堅く商売をしている宇兵衛は、実は代々の公儀隠密であった。ある日仕事のことで城に上がった宇兵衛は、公儀隠密の正体がわかったと告げられた。てっきり自分のことだと思った宇兵衛はそのことを知るやめた使用人を殺してしまう。だが正体がばれたのは宇兵衛ではなかった。
「幼い声」
幼なじみの女が人を傷つけて牢屋に入れられた。何かと牢にも差し入れをして面倒を見てやったが、出牢したその幼なじみの女は礼も言わずに立ち去った。
「夜の道」
おすぎはもらいっ子だった。というより記憶にないが迷い子で実の両親のことは何も知らない。3歳の時に道で拾われた子だった。
ある日母親だと名乗る女があらわれる。が、おすぎには全く記憶がなかった。上品で大店の奥さんだというその女はおすぎの顔立ちから確信しているようだがおすぎの記憶が何かもどるまで気長に待つという。
何年かが過ぎおすぎは、職人と結婚し子供をもうけるがあるときその亭主と大喧嘩して家を飛び出してしまう。そのとき追いかけてきた娘をふり返ったときおすぎは目の前がはじけるようにそのときのことが浮かんだ。自分も泣きながら母を追いかけたときのことを・・・
最後で何かつじつまが合わないところがあるが面白い作品だった。
「おばさん」
亭主を亡くしてさびしい日々を送っていた女がある夜、一人の若者を救う。世話をしてやるうちに親子ほども違うその男と深い中になる。幸せが戻ってきたその女は昔のように生き生きと楽しい日々が戻ってきた。だがそれは長くは続かなかった。長屋に出戻りの娘が帰ってきた。その娘は、その女に比べようもないほどの若いからだと美貌を持っていた。おばさんは捨てられた。
おばさんは叫んだ。
「なんでやねん」
「亭主の仲間」
読後感のものすごく悪い作品。
亭主が気のいい仲間だと男を連れてくる。亭主の言うとおりさわやかないい青年だったが次に来た時に「金を貸してくれ」といわれる。少したくわえがあって貸したのが運のつき。一分という大金だったが、その男は返すどころか何度も無心に来るようになる。それにましてその男は凶暴な内面を秘めていた。
「おさんが呼ぶ」
おさんは紙問屋の下働きである。幼いころ母が男を作って逃げ、父親もほどなく死んだ。そんな不幸があって以来おさんは物いわぬ子になった。
ある日紙漉き村から兼七という男が紙を売り込みに来た。何かとやさしくしてくれた兼七の持ってきた紙は上質であったにもかかわらず店で扱ってもらえなくなった。それには裏で手代と競争相手の男がグルになって兼七を陥れたためであった。傷心の兼七が去る朝おさんは叫んだ。
「兼七さん待ってください」
おさんはその彼らのたくらみを偶然に聞いていたのだ。おさんは自分が聞いたことをしゃべれば兼七を救ってやれると思った。
「時雨みち」
新右衛門は、丁稚から身を起こし今は大店の旦那におさまっている。先代に見込まれて婿養子に入りその才能を生かして店も一層大きくしていた。もうすぐ隠居の身となる新右衛門だったが彼には婿養子に入る前に捨てた女がいた。あるときその女が、岡場所で埋もれていると聞いた。尋ねあててその女に会った。その時のわびにと大金を渡そうとしたが女は投げ返した。女は新右衛門に捨てられたあと大きな辛酸をなめて生きてきていた。二度と来るなといわれたが翌日またたずねたが女はその日の朝、行方をくらませていた。
新右衛門は
「なんでやねん」とは思わなかった。
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