今回の長崎行きに選んだのは密謀の下巻。藤沢作品が本棚に増えていく。毎晩本棚に並んだ思い出の本たちを眺めて悦に入って飲む酒は旨い、‼️
 このところ何故か秀吉がらみの歴史小説ばかり読んでいる。

 外題の密謀とは、関ヶ原の大戦(おおいくさ)に謀(はか)る三成と兼続との密談である。
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 家康が愈々その本性をもろに現しはじめ天下制覇にうごめく。
 多くの大小大名が家康になびく中、三成が秀吉の遺訓をまもり、この大きな流れに竿をさす。
 兼続と三成の友情を中心に物語は展開していくが、彼らの二人の絆は歴史に確かではないという。

 所謂歴史小説と、時代小説との線引きは、むつかしいところであるが史実という大命題にほぼ忠実に沿ったのものが前者で、それをもとに作者が思い描いたのが後者ということになろうかと思うが、その境界ははなはだ不明瞭である。
 この作品では、家康が策を弄し豊臣恩顧の武将たちを懐柔し砂場に立てられた棒を崩すがごとく豊臣の屋台を削ぎ徐々にそして且つ着実に我が足元を固めていく。そこで描かれる家康の陰湿な老獪さはあまり気分のいいものではないが、これも秀吉の自分で蒔いた種で自業自得である。if三成をあれほど偏用していなければその死後の展開も大きく変わっていたであろうに、if淀殿の周りに智将がいればまた歴史も変わっていたであろうに。

 関ケ原の天下分け目の戦いは、歴史の奇跡のようなことがらが幾重にも重なって起こった戦いであろうし、これも光秀が挙兵して信長を討たなければ・・・秀吉が大返しをしなければ・・・三成にもう少し人望があれば・・・家康が秀吉を心から憎んでいなければ・・・暗愚の秀秋が小早川家に養子に出されていなければ・・・およそ起こりえなかったドラマのような事変である。
 
 歴史のifを思い描くのはとてつもなく面白い。



 上杉景勝が、関ケ原の戦いの後家康に膝を曲げ、長井、伊達、信夫三国に所領を減封され徳川の世に背を向けて歴史の表舞台から消えるところで物語は終わる。

 自分の歴史の知識から抜けている上杉の盛衰を大きく補ってくれる面白い作品であった。


・秀吉には側室がとても正気だとは思えないほど多かった。それもその彼女らの「出」は信じられないほど華麗である。もちろん今の世の基準から見ると到底出す側の倫理観も理解できないし、それを諾と認める周りも道徳外である。

 前田利家の三女の加賀の局、京極の娘、蒲生氏郷の妹、信長の五女、織田信包の娘などなど、秀吉の病気ともいえるこの性癖と執着癖は勿論異常だが、これに追従していた取り巻きたちの卑屈さも尋常ではない。

・家康は、3才の時に生母と別れ、6才で今川に質に出され途中織田に売られたりしながら生まれ故郷の岡崎に帰るまで11年間人質として過ごした。


 家康が天下を取り秀忠に将軍職を譲って隠居生活に選んだのは、その生まれ故郷の岡崎ではなくて人質として過ごした駿府だった。この辺りの家康の深層心理はまことに面白くいつかホント小説でも書こうかしらん。。。

・三成が関ケ原に敗れ、東軍が佐和山城を取り囲んだ。守将の三成の父正継、兄正澄が腹を切り城兵は助けるという交渉は成立寸前までいった。それをぶちこわしたのは田中吉政である。田中の兵は、交渉途中で城になだれ込んだ。

 先日の信長を巡る旅で中井講師から教わったことだが、そのときの東軍兵の略奪、残虐さは陰惨を極めた。そして一部の雑兵たちは城内部のふすまの絵柄を破って折りたたんで懐に入れて持ち去ったという。  だが皮肉なことにそれらは歴史資料として残り、その他のものは佐和山城と共に焼け落ち現存していない。
 
 信長の3男の愚鈍信雄が安土城に火をかける前に、if先に入った光秀が部下に取り切りかまいなしにしていれば、狩野永徳が描いた屏風絵、襖絵ほかの今では超国家文化財になっているであろうもろものの美術品他安土城の多くの資料が残っていよう。(安土城の完全設計図は、今のところ現存していない)

歴史のifはホントに面白い。