久しぶりに何も予定のない日曜日。楽しみにしていた一日でもある。
 昨日は、本業の懇親会があってよせばいいのにまた飲みすぎた。今朝はゆっくり朝寝坊して起きては本を読み疲れたら寝てのだらけたbut至福の一日となった。何冊かちょこちょこと読みつないでこの作品を読み切った。その並行して読んだ中で伊東潤「国を蹴った男」でも信長の話が出てきて今思い返すとこの本の内容だったかそれとも「国を蹴った男」だったかどっちに書かれてあった内容だったかこんがらがっているところがある。似たような本を同時に読まなきゃいいのにと・・・いつも思う。
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この頃は時代小説ばかり読んでいるような気がする。
 この作品は、昭和62年、今から30年ほども前に初刊されたものである。その後信長研究は数々の書簡が発見されるなどして大きく進みこの小説の内容は歴史的事実と齟齬をきたしている部分が多々ある。

 この桶狭間の戦いも今川義元の上洛に伴う織田との衝突といわれてきたが近年の研究では義元の単なる織田征伐にあったということが分かってきているし、信長の迂回本陣急襲説も講談的には全く面白いがこれも信長は義元本陣に真正面から一気呵成に突入したであろうとの説が最有力である。他にも多々今の研究からすると「はてな」はあるが、やはり信長の生涯はむちゃくちゃ面白い。信長は、秀吉はもとより家康をもはるかに凌ぐ軍事天才であったといえよう。

 蛇足だが、司馬さんによると軍事天才というのは、他の分野の、音楽、文芸、スポーツ等他の天才と違ってはるかに人類が生み出しにくい才能であるという。日本の長い歴史においても軍事天才と呼べるのは、義経と信長の二人かもしれない。

 もう一つ蛇足、信長の波乱万丈の生涯は現代だけでも多くの作家によって描かれている。それも詳細をきわめているがこれはひとえに太田牛一の「信長公紀」のおかげである。この稀代の天才信長の生涯をこと細やかに後世に残した彼の功績ははてしなく大きい。ただ現代語訳でも文庫本で500数十ページに及ぶこの大作の中で桶狭間に関する記述は極めて少ない。ほんの7ページほどである。これは「信長公記」が牛一が晩年に自身の日記等をまとめて再編したものであり桶狭間に関しては彼も多くの資料を集めきらなかったことによるものだと思われる。その中でもこの戦いに藤吉郎が参加したという記述はなくこの「織田信長〔2〕」で描かれている藤吉郎が信長の近習として桶狭間で活躍するという話は山岡荘八の創意によるものである。