Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2019年03月

垣根涼介「ワイルド・ソウル下」。

先日久しぶりに読んだ現代小説「風よ 僕らに 海の歌を」(何度書いても覚えにくい外題だ。もうちょっとつかみのいいのにすればいいとおもうが)が、一気読みするほど面白かったので、同じジャンルで、長い間ベッドサイドに積み上げてあったこれを3月の沖縄行にお供させた。

 

風よ・・・と同じく実際にあった事柄を題材にしたもので、ここでは、外務省の犯罪ともいえる(というか犯罪そのものだとおもうが)南米移民を巡る悲惨さを中心に物語は進む。実際外務省は、害務省と揶揄されるようにその実態は、戦前のひどさと全く変わらないどころかますますその程度を悪化させている。隣国とのいわれなき中傷にもまともな対応ができないほか、先例主義、ことなかれ主義、先送りなどなどその官僚の権化ともいえる低レベルさに加え、外交官たちの選民思想、外交特権、使い放題の予算には、これでまともな国の国交担当部署なのかと、あきれを通り越して、強い怒りを感じる。

 

 P1030341

下巻は、ブラジル移民で親兄弟、財産全てを失った主人公が、現在の外務省に復讐を決行する。上述したが、日本の省庁の、官僚の下劣さは、旧日帝国軍のその組織図と驚くほど近似している。結構なまともな、優秀な部下がいるのにその上層部には「なぜ?」という下劣な人物がのさばっているという構図である。ホンマこの国はどないなっとるんかと嘆かわしいことだ。

 

 

巻末の宮沢和史氏の解説文が秀逸である。

長くなるが引用する。

―「ワイルド・ソウル」このタイトルを書店で見た時、何とも言えない切なさと郷愁をおぼえた。「野生なる魂」私たちが無くしてしまった言葉だ。今の日本人が金と引き換えに売りさばいてしまった言葉だ。戦争に負け、占領軍に統治され、ストックホルムシンドロームにも似た日米の関係性の中で、自らを去勢してしまうことで開き直った我々は、自衛隊を煙たがり、日の丸を揚げることに抵抗を感じ、国歌斉唱を拒み、日本人としての誇りさえも売りさばき、それによって手にした金で世界を買い、そして、今、全てを失ってしまった。私たちは、全てを失ってしまった。私たちはいったい何をしているのだろう?どこを目指しているのだろう?―

 

・スペイン語とポルトガル語は兄弟言語。

・ブラジルには現在140万人以上の日系人がいる。

 


増山実「風よ僕らに海の歌を」。

P1030339
人間関係が複雑なので一覧表にして読み進んだ。こうして読むもの久しぶりだった。



久しぶりに並行読みしている本をすべてストップして読みふけった作品。作者は、私の数あるお気に入りの小説の中でもベスト5にはいる「勇者たちへの伝言」の増山実。

先月紀伊国屋で徘徊していて増山実の名を見つけまよわず買った。ちらっと読んでそのままになっていたのだがたまたま先週土曜日は何の予定もなかったので続きを読みだすととまらなくなった。(2019-3-12

 

8章から構成され、その中でまたいくつかの項に分かれ、そこの登場人物の断片的な語りで物語は紡(つむ)がれていく。それら話はひとつの物語として完結するが、全体的なものは漠然として見えてこない。しかし章が進むにつれ彼らが語った小さな糸が絡み合って物語の本筋へとつながっていく。このそれぞれが作中の人物(最後までこの人物が誰なのかは明かされない)に淡々と語るシーンは、増山文学の本骨頂であり、その語られる内容は、まるで語り手に同化したように目の前に情景が浮かんでくる。そして全体の流れは、章を追うごとにいきおいをましていく。こちらもそれにつれてページをめくるのももどかしくなるほど読む速度があがり、最後のページを読み終えるとこの物語が壮大な親子三代の家族ストーリーだったと知る。そして描かれた物語の一場面一場面が絡みを解かれたように目の前にはじけて浮かびあがる。素晴らしい作品だった。

たぶん今年のわたしの大賞となる作品となろう。

 

物語は、昭和1898日イタリアが降伏したその日の神戸港沖から始まる。舞台は、私が結婚後11年半にわたり輝いた日々を過ごした宝塚へと移る。描かれる街並みはすべて慣れ親しんだ思い出あふれる場所で、何度も涙が出そうになった。主人公が開くイタリアレストランのモデルであろう「アモーレ・アベラ」は自宅から徒歩数分に位置したし、宝塚ホテル、宝来橋、宝塚ファミリーランド、西谷地区、武田尾すべて何らかの過去の自分のいた状況が浮かぶ施設、場所ばかりであった。しかも物語が進んでいくと、学生時代何度も通った淀川河畔のラサスケートリンクがあらわれ、そしてさらになんとベンチャーズまでもが登場する。彼らはそのイタリアレストランに現れるのだがそこでの場面は、バンドをやっているものならゾクゾクするほど興奮するもので、たぶんこのくだりは作者の創作ではなくて事実であろうと思う。

 

超おすすめの作品である。

 

194398日イタリアは突然無条件降伏した。

・イタリア軍は、武器の開発は苦手だったが、「食」に関しての開発は熱心だった。レトルトパックも戦争中どこでもおいしいものが食べられるようにイタリア軍が開発したという説がある。

・イタリアには南北問題がある。

・突然のイタリアの無条件降伏は、末端の兵士には伝えられなかった。イタリアらしいといえる。

・シチリアを占領したスペイン軍は、無敵艦隊を作るためにシチリアの森林を伐採しまくった。

・アメリカ軍のイタリア上陸はシチリアから行われた。

・無線電信を発明したのはイタリアのマルコーニ。

・人生で予想できることが一つだけある。予想もしないことが起こるということだ。

・イタリアではフィアットの自転車が有名。

・武田尾は関ケ原の戦いで敗れた豊臣方の落ち武者の「武田尾直蔵」という武士が発見したことによる。

・木が風に吹かれるとき幹に耳を当てると「ザーッ」と水の流れる音がする。

・船が敵の機銃掃射を受けるとき怖いのは頭上をかすめる弾丸ではなくて、甲板に打ち込まれる弾丸の跳ね返りだった。

・サンタルチアは、ナポリの港の名前。

さー、あんたあーる、ちーあと唄う。

・シチリアには、「トマトの季節に、食卓にまずい料理は並ばない」ということわざがある。

・戦争の間、宝塚には軍需工場があった仁川をのぞいては、米軍の爆撃を受けなかった。占領後遊園地他を、アメリカ軍が使うためだった。

・昏(くら)い心を抱えながら・・・

・宝塚大劇場こけら落としは、1924年、大正13年。

・樹影。

・大阪から、淡路島の南方に行くには宇野から高松を経て鳴門海峡を渡っていった。船の名は住吉丸だった。

・園井恵子は、広島の中心部700mで被爆し、被爆当初は症状もなかったがやがて高熱、皮下出血、下血という放射線障害の症状が次々と現れ、821日に亡くなった。

・兵士たちは、死ねば靖国神社で会おうと約束した。

・終戦の翌年212月に大劇場その他は返還された。

・ピノキオはイタリアの童話「ピロチオ」である。

・「ファンタスチィコ」すんばらしい。「ボナセーラ」こんばんは。

・アメリカ人はトマトソースの代わりにケチャップを使う。

・手塚治虫は御殿山に住んでいた。

・スパゲッティのマリナーラは、船乗り。ペスカトーレは漁師という意味。

・おそ松くんのイヤミのモデルはトニー谷である。

・トニー谷は、宝塚の「新芸座」で働いていた。

・岩谷時子は、越路吹雪の付け人だった。

・スペイン語とイタリア語は7割がた同じである。

・メリーゴーランドはイタリア発祥で、カロセッロで戦争という意味で、馬に乗る兵士の訓練用に作られたもの。

・エリオは昭和21年生まれ。

・「ノーキーの弾くギターの音は、中音域に快い歪がある。これがベンチャーズサウンドの肝やと思う。この歪を創り出すには、ギターの出力とアンプの受け入れ側のアンバランスなイコライジングが必要なんや」

・スパゲッティ・アマトリチャーナ。ベーコンとひき肉とトマトソースのパスタ。アマトリーチェは町の名前。

・テレフォーノは電線風という意味で。溶けたモッツアレラが溶けて糸を引いて電話のコードみたいだから。

・マルクス・アウレリウス「自省録」。

・ダウンタウンズという広島のバンドはオリジナル曲ももち、吉田拓郎というサイドギターと、ボーカルを担当していた男が人気だった。

・ニーナシモンがデューク・エリントンの曲ばかりを歌ったアルバムがある。その中にソリチュードがある。他に「アイライクサンライズ」。

・カルパッチョは中世イタリアの画家の名前。強烈な色使いが印象的で、赤身のフィレの生肉のこの料理をカルパッチョと呼ぶようになった。

魚のカルパッチョは日本で生まれた。

・胡麻はアフリカからシチリアに伝わってヨーロッパに広がった食材。

 

 


記事検索
プロフィール

Cap

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ