Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2016年11月

with Julie。

もう20年くらいの付き合いになるかなぁ。メルボルンの友人Julie をアテンドした。
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all you can eat。何度も大阪に来ている彼女も、この食べ放題のシステムは、意外にも初めてだったようで、窓の外の展望にも併せて大満足。河岸をかえてまたウチでメンバーを加えて、瞬く間にワインを何本か空けて、みんなベロベロ。Julieは、帰路道に迷ったそうで、持たせたプレゼントも失くしたそうで、泊めてやればよかったなぁ・・・
Anyway,今度は、メルボルンでの再会かな? 

広島観音マリーナ。

昨日につづいて小ぬか雨のけぶる中、久しぶりの観音マリーナ。
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マイクの愛艇。慎太郎氏所有の元コンテッサである。
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マイクはアイデアマンだ。この輪島塗のボールペンは、先日のG7首脳会談で安倍首相から、オバマ、メルケルらにプレゼントされた。
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今度の旅行にもって行こうとビデオカメラの予行演習をした。
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46ftだがメインキャビンはとても広く、流石おフランス製でとても上品だ。
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ヨットで宮島までのお散歩の予定だったが、雨がやみそうもないのでハーバーのレストランでお昼をして帰ることにした。
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折角広島まで来たので広島城を見学して、「みっちゃん」でお好みを食べて帰ろうと思ったが、マイクが家まで送ってやるというので、車で帰ることにした。
車で、約4時間愉しい車中での会話で今回の旅も無事終了した。

廿日市へ。

 先週に続いて加山さんのコンサートへ。
 今日は、広島廿日市だ。何ぼ加山さんが好きでも、普通はこんな地方へまでは行かないが、マイクが観音マリーナに船をおいているので誘ったら
 「行く。行く」
 というので申し込んだ次第。
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まずは、新大阪駅でお気に入りのコウハクにてまずいっぱい。
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仕事も半ドンで終わったし、また加山さんのコンサートだしとルンルンの新幹線乗車だった。
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久しぶりの広島行き。何年ぶりだろう。観音マリーナに船をおいていたころだが10年以前だと思うが・・・
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在来線山陽本線に乗り換えて
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宮内串戸駅へ。
1600前到着。仕事場を出てから3時間。本をよんでいたらあっという間。
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駅からはTAXIがあったが、1kmほどなので歩くことにした。知らない街を歩くのは愉しいものだ。
会場が見えてきた。
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マイク、マリーと合流。

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 マイクたちも前から4番目の席ということで大いに愉しんでくれたようで、ホテルに帰って広島焼きを
食べに行った。
飲んで食べてしゃべって愉しい夕食だった。
だが小雨の中ホテルに到着する寸前に息せき切ってさっきの店のおねえさんが追いかけてきてくれた。
「かばん忘れてますよ」
OMG!!!!
何という失態。財布からカードから全財産入ったカバンをうっかり忘れてきてしまった。よくぞ雨の中届けてくれたものだ。
マイクが「加山さんのコンサートに行ってきた。大阪からきてそこのホテルに泊まっている」と
ペラペラしゃべっていてくれたおかげである。

それにしても何という間抜けか・・・・

「古地図で歩く大阪 真田信繁ゆかりの真田丸跡と終焉地を訪ねる」。

先日の大阪城見学につづいての第二弾である。

今回のコースは、玉造駅集合~三光神社~真田丸跡~餌差町~軍用道路跡~契沖庵跡~熊野街道~空堀~織田作之助生家跡~四天王寺~安居神社解散

という中々タフなコースである。
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大阪に長年住んでいるが、玉造駅なんぞに降りたのは半世紀ぶりのことである。
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講師の大阪案内人西俣稔氏からまずは本日のブリーフィングあった。
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この古地図を辿りながら天王寺まで歩く。そんなにも歩けるものかと思ったが・・・
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真田丸の真相は近年研究が進み急速に明確になりつつある。
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さて出発。駅周辺の商店街は赤備えの真田丸一色に染められていた。
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大阪城方面を見る。堀になっていて、T字路になって直進できない仕組みになっていたそのままが残っている。これも説明をうけなければ、まったく気付かないことだ。
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三光神社。
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真田丸の城壁跡が残っている。大阪にもこんな見どころがあったんだ。
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この像は幸村となっているが、幸村というのは講談での名前で史実ではない。この像の姿かたちも現存する信繁の肖像画とはまったく違うように思える。
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大阪城につづくといわれる洞窟。マっこれもありえないことだが、伝ということでそれはそれでええんとちゃうと思う。
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境内の裏にものすごい数の軍人の墓があった。陸軍らしい。
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陸軍のえらいさんたちは大きな墓石だった。
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ほん最近になってその位置が特定された真田丸跡。
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我々以外のグループも見学に訪れていた。
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真田丸の中心は現在明星学院のグランドとなっている。子供たちがクラブ活動をやっているのだろう力強い掛け声があふれていた。
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餌差町。
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契沖庵跡。
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熊野街道を南下した。上町台地のちょうど尾根に当たる道である。よって左右は谷になっていた。この谷を利用して当時大阪城の堀を作っていた。
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いつの間にかハルカスがはるかに眺められるようになっていた。
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この街道沿いには戦火にあわなかった古い家屋が多く残されていた。ホンと空襲で焼けつくされ日本の文化遺産ははかり知れないことである。
この街道は大名たちが通る道でもあったので二階窓から町人が見下ろす形になるのを避けるため首を出せないように細くなっている。
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八軒家からわずか2.4Kmとある。意外と近いんや。
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注意して歩いていると、提灯屋や、蝋燭屋やら面白い商家を見つけることができた。
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生玉神社の参道とクロスした。以前はこの東の上町通りから、
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西にど~~んと生玉神社までつき抜けた参道が通っていたが、この先の谷町筋で遮られてしまっていまは見る影もない。
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生魂小学校。もともとはこの字が正しいらしい。
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四天王寺さん前で街道は右に曲がって、
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天王寺警察前を通って左に曲って、
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阿倍野ももうすぐだ。
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四天王寺さんの西門前を通って、
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天神坂にかかった。
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ここからどんと大阪湾に向かって下がる。
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安居神社裏門から境内に。
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安居神社本堂。
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昭和九年の大水害の被害者の霊を慰めるため建立された碑。昭和の和が裏文字になっている。こういった災いを払拭するために建立された碑にはこうして裏文字が使われるそうだ。
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信繁終焉の地。
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神社正門から懇親会場へ。
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一心寺を抜けて、
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今日の復習も含めて講師を囲んで懇親会。
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よく歩きました。愉しい企画だった。大阪にも知らないところがいっぱいあるんだとつくづく反省した。。。

ノートパソコンを買った。

 秋の旅行では、iPadミニ一つをもって万事を済ませていたが、そしてなんの不自由もなかったが一つだけ難点といえばキーボードがなく文章を打つのにすこし手間どったかなという感じだった。いろいろと最近は安価なノートパソコンが出ているので軽くて安価なのがあればとちらちらとネットをみていたらこれを見つけた。5年保証を付けて3万円足らず。メモリー(2GB)もストレージ(32GB)も少なめだが旅行にもって行く分には十分である。何よりiPadミニに比べて断然画面が大きいのがいい。デザインも色もいいし、台湾製なのもいいし。
 今度の旅行にもって行こう。楽しみだ。P1020707

久しぶりの加山さんのコンサートIN INAGAWA。

 加山さんが全国ツアーを一昨年日に終えて以降は、単発で地方公演を行ってくれている。
 来年で加山さんは80歳である。めちゃくちゃ元気な80歳だ。いつまでも元気でコンサートで頑張って我々加山大ファンをいつまでも楽しませてほしいものだ。
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 今回はファンクラブのメンバーがチケットをとって誘ってくれた。今日コンサートがあるのも知らなった。場所は猪名川である。自宅からグーグルマップで検索すると、車で43分、電車を乗り継いで2時間10分だった。流石に運転ぎらいの自分もその時間差に迷ったが結局電車を乗り継いでいくことにした。

 地下鉄~阪急電車~能勢電と乗り継いで終点日生中央駅に来た。途中能勢電は、山下駅で乗り換えてどえらい長い旅だった。ちょっとした遠足以上である。
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 そこからまたバスに乗り換えて、
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 やっと着いた。
 自宅を出てから途中寄り道して一杯やったので3時間余りの旅となった。でも道中はずっと「磐音」を読んでいたので感覚的にはあっという間だった。
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 会場では顔なじみのファンクラブの面々と久しぶりに再会した。東京、広島、三重、神戸からとみんな加山さんの大ファンたちばかりである。


 今回の席はファンクラブの方が、この会場発売だったので朝というより夜中0200からこの会館に並んで席を確保してくれた。そんなことで席は一番前のど真ん中のチケットをいただいた。まことに感謝に堪えない。ありがたいことだ。

 みんなで一緒に歌って、加山さんとも手を振りあって大満足。帰宅してエリーに話したら、60台と70台の男同士が手を振りあうなんて女子高生みたいとからかわれた。ほっといてちょうだい・・・

今回のコンサートはいつにもましてよかったナァ、好きな曲ばかりを選んでくれていたし。みんなともホントよかったねぇ~~と大満足。
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 帰路がまたまた遠かった。ファンクラブの方々と余韻に浸りながらまた2時間余りの行程を寄り道しながら久しぶりの加山さんの1時間半の歌いっぱなし、立ちっぱなしの迫力に大満足して帰った。
 それにしても加山さんは元気やなぁ~~~

今度の土曜もまた広島でコンサートだ。楽しみ、楽しみ。。。

久しぶりの裏難波「ひでぞう」。

何やかんやで忙しく、華の金曜日も自宅で食事することも多かったが、久しぶりに裏難波に出た。
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獺祭をグラス二杯、生ビールも二杯と好きな魚をしっかり食べて、ご機嫌。。。
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きのことカキの和え物。
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エビと、アボガドの生春巻き。
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海鮮グラタン。
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石鯛の炙り焼き。
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蕪のたいたん。

双葉社から連絡があった。

 磐音シリーズはほんと面白い。いま38巻だが毎晩半巻ほど読んで、また休日には2巻読みきることもあって年内には最終巻を本棚に並べることになりそうだ。

Anyway
 先日長崎に行ったおりいつものように夢彩都の紀伊国屋をぶらりと覗いた。何の気に本棚を見ているとこのシリーズの帯が一新されてこんな魅力的な切り絵になっていた。
 その素晴らしさに暫しもの欲しそうに眺めていた。全巻並べられた帯はそのど真ん中に作中何度も舞台となった両国橋が描かれたパノラマ絵図となりこのシリーズのファンなら垂涎物の仕上がりだった。新オビ画像

 帰阪後諦めきれなかったので双葉社に、別に売ってくれないかと電話した。
 暫し考えた担当者は、
 「すみませんが、そういった販売は行っていませんと」
 とのつれない回答だったが、
 「しばらくお待ちください」
 と待たされたあと
 「この件につきましては後日お返事させていただきますので、連絡先を・・・とのことだった。

 その回答が昨日来た。
 「本日、社内会議で、ご希望の件を検討し年内に特別企画としてこの帯を何らかの特典としてプレゼントしようということにになりました。決定次第ご連絡さしあげます」
 「この件につきましては、作者の佐伯さんとも相談させていただきました。貴重なご意見ありがとうございました」

 とのことだった。
 このシリーズの磐音の人柄を思わせる心あたたかな対応でとてもうれしくなった。一読者の声をとりあげて社内で稟議し作者にまで取り次いでくれ大感謝、このシリーズと共に双葉社の大ファンになってしまった。

またまた大坂城に来ました。

今日は楽しみにしていた元大阪城館長渡辺氏案内による大阪城見学である。
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ちょうどこの日ワンちゃんのイベントが開かれていたのでウィンディもつれて行った。
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渡辺氏は。この大阪城に25年間通ったそうである。

まずは堀の説明から講義がはじまった。こんな大阪で一番高い上町台地に満々と水をたたえられるのかずっと不思議だったが、それが解決した。この水脈は生駒山系を発する湧き水だそうで、その他の堀は一部川からも引いてあるそうだ。よって堀の水位はそれぞれに違う。気がつかなかったなぁ〜
本願寺があった当時からこの辺りは湧き水が出ることで知られていたそうだ。こんな高台にもかかわらず湧き水が出る場所は地理学的にも非常に珍しい土地だそうだ。
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江戸大阪城の普請割。この絵図面は館長が在職中は城内で販売されていたそうだがその印刷会社が倒産していまは売られていないとのことだ。残念!!欲しい!!
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堀の説明をここでもしてくれた。
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何度もこの多門櫓の前を通過しているが正面からしか見たことのないこの巨石も近づいて横から見ると大きく波打っているのが見えた。知らなかった。。。。。
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大手門をこの角度から見るのも初めである。昭和40年ごろまではこの大手門をくぐって大型観光バスが通過していたそうだ。
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石には多くの文字が刻みこまれている。指摘されないと中々見つけることはむつかしい。
これは横に「二千・・・」と読むことができる。
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角に使われた石は、幅も大きなものが使われた。
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井戸。この標高が高いこの地で簡単に井戸が出るというのは不思議なことだ。館長の説明によると、生駒からの水脈が地殻変動でこの台地ができたときも途切れずに繋がったままになって湧き水となってこんな高台でも湧き水となったそうだ。だが今はその湧き水もほとんど涸れてしまったそうだ。
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いつもは来ることのなかった六番櫓の武者走りから堀を眺める。この景色も初めて見るものである。
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桜の季節にはこの並木道は壮観だそうだ。ここは一筋向こうにあふれていた観光客の一人も見えなかった。
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桜門。これは通いなれたいつも見る光景である。
現在外国の観光客の中で一番多いのは台湾からの人たちで、その次に中国、韓国の順だそうだ。
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蛸石。大阪城で最大の巨石。日本のみならず、世界でも有数の大きさだそうだ。
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徳川時代からある銀杏の木。
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天守閣内にも井戸がある。まさにここは奇跡の台地である。
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貴重な話ばかりであっという間の3時間だった。夕闇迫る天守閣を見返りながら極楽橋をわたって懇親会場へ向かった。
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ツインビル38階の「燦」からの眺め。ライトアップされた大阪城と、遠くにハルカスが見えた。その横にもうし分けなさそうに小さく通天閣が立っていた。ここでしか見られない貴重なワンショットだ。
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流石サントリー直営だけあって材料が吟味されていてどれも美味しかった。また来よう。
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講師の館長を囲んで大阪城の話題、立候補しそして関さんに敗(やぶ)れた市長選での裏話などなどの話しは尽きず懇親会と共に愉しい一日だった。

「Capの読書コーナー」を新設しました。

今回このブログの「読書」カテゴリーを独立させて新しい読書だけのブログを作りました。
新ブログのURLは、以下の通りです。これからもこのブログとあわせてご愛読のほど宜しくお願い申し上げます。

http://blog.livedoor.jp/elleclub-book/

Captain

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙37」一矢ノ秋。

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 やっと刺客たちとの決着がつく。
 高野山麓の雑賀衆が棲む秘境が舞台となっている。架空の土地だと思うが一度高野山にも温泉を楽しみに久しぶりに訪れてみたくなった。
 愈々次巻からは新しい展開となりそうだ。この頃鬼のようにこればかり読んでいたので気がついたら37巻まで来てしまっている。あと十数巻で完結である。

 みをつくしシリーズも完結するときにはホント寂しかったが、マァ仕方がない。しばらくこれを読むばっかりして完結を見ようと思う。年末の旅行までは持たないだろうなぁ・・・

・早乙女:植えをする女。
・内八葉外八葉田:高野山をかこむ景色のこと。

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙36」紀伊ノ変。

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 このごろ暇があればこれを読んでいる。収まりがつかないのである。
 磐音。おこん夫妻が田沼の放つ刺客を逃れての逃避行は面白くないのでザァマにフラストレーションがたまるので一刻も早くこの展開を読み終えようと走るように読んでいる。

 ウィキペディア等で田沼意次についていろいろと調べてもいるが、どこでも相当評判が悪い。ただ彼のやったことはそれほど間違ったことをやったようには思えない。非常にかいつまんで言うと彼は、農民からの年貢のみによる武士社会制度に風穴を開け広く税を庶民に掛けようとしたのである。

 昨日、AuにiPadミニの契約更新に行った。これはいつもおかしく思うことだが、2年契約を終えると、更新せずにいったん解約し、新契約した方が料金が断然と安くなる。ほんとおかしな話である。しかも今まで使っていたiPadミニはくれるという。Wi-Fiは切れるのでそれ単独では使えなくなるが自宅等Wi-Fi環境が整っていれば何の問題もなく使える。ますますおなしなことだ。。。

 その帰りにすぐ横に今ではすっかり町では見かけなくなった古本屋があったのでのぞいて見た。今では廃刊となった興味深い本がいろいろとあったがそのなかで田沼意次に関する本を見つけた。もちろん買った。またこれついては報告したい。

桜井進「夢中になる江戸の数学」。再掲。。。

再掲です。
最後の問題解けますか?

以下再掲。。。

この頃ちょっと読む方に忙しい。磐音シリーズが面白くそれに結構な時間をとられるので感想文を書く暇がない。感想文の続きはボチボチ完成させていこうと思う。
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江戸時代の世界に誇る和算家たちが挑んだ数学の真髄に迫る姿を描いた一冊である。
改めて日本人は素晴らしい民族であると思う。ただし政治、外交以外は・・・

・円周率(π):いまだにこれがどうしてはじき出されているのか自分には明確にはわからない.
この摩訶不思議な乱数列は無限である。例えば、誰かが何十年もかかって作った乱数表は必ずこの円周率に含まれる。いや一兆人の人が一兆桁の乱数表を作ってもその数字列は円周率に含まれるのである。πとは無限に続く数字の乱数表なのである。

・葛飾北斎も江戸で算術を習っていた。
・岩手県一関出身の和算家、千葉胤秀(1775-1849年)は、江戸末期一関地方を全国有数の和算の中心地に発展させた。現在でも一関市では和算が売り物の一つで一関市博物館には和算コーナーがある。
・太陰暦最後の日は学制発布と同じ明治5年12月3日である。この日が、太陽暦の初日。明治6年1月1日となった。

さてみなさんに問題です。
「絹盗人算」
金の反物を盗んできた盗人たちが、盗んだ反物を何反ずつ分けるか相談しています。
最初に8反ずつ分けたところ、
全員に分けるには7反足りませんでした。
そこで7反ずつ分けたところ、今度は8反余ります。
盗人たちは何人で、盗んだ反物は何反でしょうか?

出典「塵劫記」

もちろん代数は使わないで考えてみてください。

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙35」姨捨ノ郷。

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 磐音とおこんは、尾張の庇護の下をさり高野山近くの隠れ里に身を寄せる。そこでおこんは出産する。

 高野山、紀ノ川流域とこの巻の背景が馴染みのある場所なのでこの物語をなぞって久しぶりに訪れようかと思う。やはり小説は土地勘のある場所が背景だとより一層楽しめるものだ。

 紀ノ川が、吉野川の下流で名前を変えたものだと初めて知った。

 水銀が、当時丹とよばれ、高野山界隈がその産地であったことも初めて知った。
 世のなかで意外なことをまだまだ知らんなぁと思った。

   そうそう先日長崎に行った折、例によってワーフすぐ近くにある夢サイトの紀伊国屋に寄ったが、愕然とした。とまで大げさにいうこともないがこの無粋な「遂に完結、000万部!!」の帯が両国橋を中心とした浮世絵に変わっていて、またそれが全巻並べるとパノラマ写真のごとくでそれはそれは見事なもので思わず全巻それ欲しさに買い替えて本棚に並び替えたくなるようなものだった。何で出版社、扶桑社だが、おっちゃんの心を乱すようなそんなことするんかなぁ〜〜

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙34」尾張ノ夏。

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 田沼意次が放つ刺客を逃れて磐音、おこんのいつはれるとも知れないつらい逃避行がつづく。今巻では東海道を西進し尾張藩にたどり着く。
 この物語の時代背景は、10代将軍家治の時代でその下で権勢をふるった田沼意次と磐音らの戦いが描かれる。磐音は作者が描く架空に人物だが、家治、意次、家基は実在の人物である。

 8代将軍に吉宗が就くあたっては、尾張藩と吉宗の出身藩である紀伊和歌山藩とで壮絶な争いがあった。結局吉宗がそれを勝ち抜きその座に就くが、尾張藩としては大きな不満が残った。しかも吉宗のあとを愚鈍きわまりない吉宗の実子家重が継ぎそしてそのあとを孫の家治と紀伊家が三代続いた。しかもその実務は能力のない将軍にかわって紀伊閥の意次が実権を握りしかも、家治の子家基が不可解な死を遂げたあとあろうことかその不審死に関与が疑われる意次がその後継者を選ぶ任に就いた。それを任じたのは勿論家治である。家治は何を考えとったんやろう。
 この江戸で起こった理解しがたい人事について尾張藩ではいよいよもって幕府に憤りを感じることであった。
 尾張藩と意次の反目も史実で、話の内容がこのシリーズの底辺に流れるほのぼのとしたものがないのでこの不愉快な展開が終わるまでフラストレーションが溜まってしまって連日に亘って猛烈にこのシリーズばかり読んでいる。

 この尾張藩と和歌山藩との確執の史実は、複雑怪奇でこれを小説の題材に書けば面白いと思うが、いまだにその小説は見当たらないことだ。

 余談だが、徳川15代将軍のうち正室から生まれているのは、家康、家光、慶喜のみで他はすべて側室の腹からである。そして家のつく名前の徳川家の子の中で将軍に就けなかったのは家基のみである。

池井戸潤「BT’63」。

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 久しぶりに読む現代もの。船に長く置いてあったものだ。先日持参した本を読んでしまったので、何かのときにとおいてあったこれを読んだ。やはり池井戸作品は面白い。
 まだ上巻だけしか読んでいないので、物語の前振りのようなところで終わっている。時間があるときにズンやりと読もうと思っている。

 BTとは、ボンネットトラックの意で、主人公が昭和30年代の自分の父親に移りかわってタイムスリップする。いまからの展開が楽しみなことである。

吉川英治「新書太閤記」(五)。

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秀吉がついに長浜の城主となり、一国一城の主となる。どこの馬の骨とも知れない一百姓からの目のくらむような出世である。史実では、長浜で城持ち大名となったのが秀吉の人生第二のターニングポイントであると思うが、この作品では墨俣城が秀吉の最初の城であったとなっている。これは現代の研究では否定されている。墨俣城自体が虚構であったといわれている。


・秀吉は信長の第四子をもらい養子にした。羽柴秀勝である。だが秀勝は18歳の若さでこの世をさった。

・長篠(設楽が原)の戦い(天正3年5月21日)、3万8千の織田・徳川連合軍と、1万5千の武田勝頼の軍勢が戦った合戦。武田の重臣らは信長の出陣により撤退を強く進言したが勝頼はこれを聞き入れず開戦を強行した。この決定に重臣らは敗戦を覚悟し水杯で別れをしたという。この戦が終わったとき、武田の軍勢はほとんどの重臣を失い、落ちのびた兵数は、3千に足らなかったという。

・この前哨戦となった長篠城の籠城では、徳川側についた貞昌の家臣である鳥居強右衛門(すねえもん)の件(くだり)が心を打つ。強右衛門は長篠城主貞昌の命を受け、城は兵糧がつきもう幾日も持たないことを家康に伝えるために決死の城外への敵前通過を敢行する。見事に敵中を抜けそれを伝えた強右衛門は、信長、家康から労いの言葉をかけてもらい陣中での休養を命じられるが強右衛門は一刻もそれを長篠城にこもる仲間に伝えんとそのまま引き返す。だが疲れ果てていた強右衛門は途中で敵に捕らえられる。勝頼はその武勇をたたえ長篠城中に援軍が来ないと伝えれば命は助けると持ちかけるが強右衛門は磔にされながらも援軍が来ることを大声で城に向かって叫び死ぬ。城では強右衛門の言葉に大いに意気が上がりその後数日持ちこたえて援軍とともに武田軍を打ち破った。この話は、信長公記に明記されていて、後々も長く講談等で語り継がれた。

・時代を観る。とは難しいものである。「魚に河を観ろという」が如しである。
・秀吉と勝家は、もともと仲が悪かった。あるときには、北陸攻めのおり勝家が総大将であったが、秀吉は勝家とけんかして長浜に軍団とともに帰ってしまった。敵前逃亡である。軍規で通常ならそれは直ちに死刑である。信長はなぜか寛大にも謹慎を言い渡したが秀吉は長浜に帰ると謹慎どころか飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしたという。
ここが秀吉の常人と遥かに超えた賢明なところである。秀吉はこのまま長浜で鬱々と謹慎していたら信長に、それを恨んでいると思われ、そして信長の疑心を引き起こすと賢孝したのである。秀吉の非凡さが見えるエピソードである。

・官兵衛は秀吉より9歳年下。
・細川藤孝(幽斎)は歌人としても勝れ、文化人として光秀と並び称された。
・中川清秀は、もともと荒木村重の片腕であった。

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙33」弧愁ノ春。

家基が死に、佐々木玲園夫妻もそれに殉死するように世を去り、物語は憂鬱な展開となっている。
それだけに早くこれらのことに決着がつくまでこのシリーズからはなれられないことだ。今回の長崎行きでも一気に読んでしまって。もう一冊次の巻を持ってきたらと後悔したが、船にずっと置いてあった池井戸潤の作品をひさしぶりに読むことにした。
 今回の長崎行きでは、船の掃除以外は、食べに出るだけで長崎市内の見物等は一切しなかった。
 だがおっさん二人の旅は意外と愉しいものだった。
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・両番とよばれる将軍直属の軍団は御書院番、御小姓組からなり、幕府最強の武闘組織であった。御小姓組は通称、花畑番ともよばれたが番士の詰め所前に花畑があったことからである。
・家康の生母於大(おだい)は岡崎城主の松平広忠に嫁ぎ、のち離縁されて刈谷に戻った。


長崎二日目。

船のメンテナンス、大掃除を終えて、お昼に行きました。
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ワーフ前のレストランは数ヶ月前に火事の被害にあいました。

夢サイトで少しカビ臭かった洗濯物を出して、持って来た本を読んでしまったので紀伊国屋で買いたして中華屋さんで遅い昼食をとりました。
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お腹いっぱいになったので、夕食に備えてお昼寝。
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今日も雲ひとつないいい天気でした。船内もぴかぴかになりました。


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ふくよかなお顔の大将。
板場もいい雰囲気です。料理にも期待できそうです。
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このほか數貫。どれもみんな最高タイ。
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シメは、長崎名物カステラで。いやぁ〜〜大満足のお寿司屋さんでした。

ワーフに帰って、マスターの歌が聞こえたので火事見舞いもかねて会いに行きました。
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火事の被害にあいましたが、このテラスは類焼をまぬがれました。
真ん中に見えるのは世界遺産に指定された三菱造船所のカンチレバーです。最近ライトアップされたようです。

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おいしいお寿司に大満足したはずなのに、シメにリンガハッットで皿うどん。
ナンデダスー。
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長い1日が終わりました。長崎は、何回ば来てもヤッパリザァマニよかぁ〜〜

久しぶりの長崎。

船のメンテナンスに、久しぶりの長崎。
今回は参加者が少なくおっさん2人での道中となりました。
お掃除も2人で頑張りましたが、またよく食べました。
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まずは、一軒目。手羽先専門店へ。
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二軒目。割烹「のさ庵」。
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三軒目。かに屋。
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四軒目。三八ラーメン。
ヨォ食べました。あほでスネ。
 
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