・如月(きさらぎ)とは、萌揺月(きさゆらづき)、草木が萌えいづる月の意である。
・吉原では朝七つ(午前四時)時分、茶屋ではお店者の遊び客を迎える。ここで一夜遊んだ遊女との化粧っけを朝風呂で落とし朝餉を食させ、帰すのである。
・四代家綱は凡愚で、家臣の進言にいとも「そうせい」と任せきりにし、「そうせい」様と、揶揄された。
Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/
面白くない作品だった。何を思って買ったのかもちろん覚えていない。仕事場に埋もれていた本たちの一つである。いつ買ったのかさえ記憶にない。翻訳が稚拙でとても読みづらかった。なんとか半分くらいまで呻吟しながら読み進めたがついに断念した。これだから翻訳作品は嫌いだ。何で買ったんだろう・・・
家康も秀吉ほどではないがそれほど好きな武将ではない。むしろ嫌いな方だ。だが家康が心の奥底に秘めるその深謀遠慮にははかり知れない忍耐に基づく天性生まれ持った大きな才能であると敬服せざるを得ない。そして彼が幸運だったのは目の前で信長、秀吉二人の大きな失敗に学べたことである。
この作品は、家康が秀吉に関東への移封を命ぜられてから荒涼たる湿地帯にすぎなかった江戸の地を艱難辛苦のすえ世界でも屈指の大都市に変貌させていく壮大な過程を描いたものである。物を作りだす歩みを描いた物語はほんと面白い。
ただ家康が移住してからその地に江戸幕府を開くまでを描いた作品はそれが地味なだけにとても少ない、似たような作品に半村良の「江戸打ち入り」があったがそれも面白い作品だった。
物語は以下の五話からなりどれもとても興味深い物語だった。おすすめの一冊である。
第一話 流れを変える
江戸に流れ込む川をせき止め、迂回させ江戸の町から洪水を駆逐し、広大な農作地、大都会を造る。
第二話 金貨を延べる
金、銀、銭と三種の通貨を統一し金本位制へと通貨制度を安定させる。
第三話 飲み水を引く
湿地帯で、井戸水は塩分を含んでいたために上水道を山を切り拓いて江戸まで上水道で引く。
第四話 石垣を積む
江戸城を石垣で包む。
第五話 天守を起こす
江戸城に天守を造る。
・家康が関東に移封させられたのは、もう当時では隠居してもおかしくない晩年49歳のときであった。
・小田原城落城から一カ月もしない八朔の日に、家康は江戸の地に足を踏み入れた。
・聖牛(ひじりうし):丸太で組んだ三角錐の枠の中に小石をつめた竹かごを入れたもの、これを川の中に沈めて川の流れをゆるめる、若しくは変える。ゆるめた川の流れの場所にどんどん石や土砂を埋め込んでいく。ときには舟に石を満載しにして川の中で沈めたりもした。こうして川の流れを変えた。
・伊達政宗による慶長遣欧使節:政宗は家康の許可を得た上で、支倉六右衛門(常長)(はせくらつねえもん、つねなが)をスペインほか欧州に派遣した。
・下野の国葛生(しもつけのくにくずう)(今の栃木県葛生町)で産出された石灰は、水路の開発によって江戸に大量輸送されることになりそれまで八王子石灰しか手に入らなかった江戸市民の生活を劇的に変えた。大量に流れ込んだ石灰はその価格の暴落を引き起こし農民でさえたやすく手に入れられるようになり田や畑にまくことにより酸性土壌をアルカリに変えることによりその農産物の品質、生産量の向上にはかり知れない貢献をした。
・江戸城天守閣は、明暦三年(1657)の振袖火事によって全焼したあと再び建てられることはなかった。+
9/15(木)Barcelonaに朝が来た
ん~~ん今日もいい天気だ。暗いうちから起きていたが日が昇るのを待ってホテルを出た。
前日目星をつけておいた駅は、メトロのみでRenfe(スペイン国鉄)の駅とは別で少し迷った。近くを通る急ぎ足の通勤客と思われる何人にか訊いたが要領を得ず最後の人が丁寧に教えてくれた。みんなそこそこに英語がしゃべれてみんなとても親切だった。Barcelona大好き
パッセ・デ・グラシア駅。切符の自動販売機の前にはボランティアの方がいてニコニコと購入を手伝ってくれた。
Barcelona大好き
自動改札機で改札。大阪の発明だ。誇らしかった。
ボランティアの方に、列車番号を教えてもらっていたので間違えなかったが、同じ2番ホームに行先の違う列車が何本も入ってきた。
列車が左から入ってきたのにはびっくりした。ヨーロッパの鉄道は逆なんやと納得していたらおなじEU圏でもイタリアのラスペッツアで乗ったチンクエッテレ鉄道は、ホームの右から入ってきた。
ステップが出てきてこれは便利だ。
Gironaは、Barcelonaから直線距離で80数キロ北東に位置する。標高は70mほどだ。
だがGironaに近づくにつれこれだけ気温が下がってきた。ポロシャツ一枚の軽装で出かけていたので大丈夫かいなと思った。
1時間20分ほどで到着。心配したがそれほど体感温度は低くなくさわやかだった。列車内で本を読もうと決めてきていたがごそごそしていたらあっという間に着いてしまった。
駅のインフォメーションでは地図を置いていなくて街中にインフォメーションがあるというのでとりあえずその方向に歩き出したが、iPadのナビで十分だった。今回ヨーロッパ周遊対応のWi-Fiモバイルルーターを借りて行ったがものすごく役に立った。2週間レンタルで2万数千円だったがこれはホント借りて行ってよかった。
市街地を歩いて、
公園をぬけて、
大きなゴミ箱があった。これはBarcelona市内でも見かけたものだ。
旧市街にたどり着いた。抜けるような蒼天だった。
有名なGironaの風景。
石畳が続く小道をぬけて歩く。
小さなトンネルを抜けるとおお~~っつと声をあげてしまった。一目ではとらえきれないこんなのしかかってくるような大光景が迫ってきた。
教会前の人が嘘のように小さく見える。このカメラではとらえ切れなかった大迫力の壁のような大階段だった。
この光景は今回の旅で出会った多くの絶景場面でもまたいつか再見したいもののひとつである。
教会まで息を切らせて大階段を上り小さな脇道を下った。
かわいい小物屋があった。
少しのどが渇いたのでミルクセーキを飲んだ。1330にCanRocaがあるので少しだけ飲むつもりだったが美味しくて結局全部飲んでしまった。
アラブ浴場。
ジローナ博物館。
中庭。
この内部も荘厳という言葉がぴったりの空間だった。
そろそろカン・ロカの予約時間が近づいてい来た。旧市街をぬけてTAXIに乗り場に来た。振り返ると旧市街一望できた。
TAXIが来ないのでカン・ロカをiPadで調べるとここから1.2㎞ほどだったので歩くことにした。
♫プラタナスの枯れ葉舞う冬の道で~~♫なんて上機嫌で歌いながらムードたっぷりの公園を抜けて、
橋を渡って、、、
少し迷ながらもやっと着いた。「CanRoca」。半年余りも楽しみにしていたレストランである。
少し早く着いたので、庭で待たされる間、シャンパンがふるまわれた。
こちらはのどが渇いていたのでビールにした。
世界的に有名なオーナーシェフと、記念撮影。
室内はいたってモダンだった。
さてこれから世界一のコースの始まりだ。
これから始まりそれに合うワインがすべての料理に合わせてサーブされた。その数14種類。
3時間余りのすべてのコースを終えたときにはもうフラフラだった。
最後に〆のデザートでこの長くも愉しかったフルコースも終了した。ちなみに夜のコースは5時間だそうだ。
流石に帰路は疲れ果ててTAXIで駅まで帰ることにした。
もと来た道を一気に帰る。ロータリーを周って、
子供たちが騒ぐ小学校?の横を抜けて、、、
駅に到着。
パッセデ・グラシア駅までは各停で、約1時間20分ほど。ジローナからはBarcelonaのメインステーションのサンツ駅までは高速列車で帰ることもできる。約38分で着く。
Girona駅からCanRocaまで。よく歩いた。ほとんど登りである。
パッセデ・グラシア駅。会談で何を待っているのだろう???
因みにエスカレーターは、関西圏と同じく、右立ち、左通過である。
駅からホテルまでは、約5分。
カサ・バトリオが右に見えたので前だけでも見て帰ることにした。
この建物は前回の訪問時に見学したがガウディの真髄が集約されている建物だと思う。素晴らしい内装だった。
ガウディが意識したといわれる隣の建物も素晴らしいものだ。
さぁ帰ろう、、、
グラシアス通りを下って、
下って、
本屋の出店があった。
もうすぐホテルだ。
ホテル到着。
流石にこの日はくたくた。夜は本でも読んで過ごそうかと思ったが、それもできずに爆睡してしまった。
この本のほかに3冊この旅行に持参したが結局読んだのは1冊一寸だった。
Cap