Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2016年10月

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙32「更衣ノ鷹(下)」。

  愈々家基が死ぬ。これは家基が実在の人物でその死も史実なので、知っていたが、この物語の展開は読む者には憂鬱である。そして物語は、このシリーズ二つ目の大きな山場を迎える。このあとは、老中田沼意次の失脚まで物語は面白くないことだろうと思う。今まで軽快に読んできただけに先を読むのがなんだかなぁ・・・
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・如月(きさらぎ)とは、萌揺月(きさゆらづき)、草木が萌えいづる月の意である。
・吉原では朝七つ(午前四時)時分、茶屋ではお店者の遊び客を迎える。ここで一夜遊んだ遊女との化粧っけを朝風呂で落とし朝餉を食させ、帰すのである。
・四代家綱は凡愚で、家臣の進言にいとも「そうせい」と任せきりにし、「そうせい」様と、揶揄された。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙31「更衣(きさらぎ)ノ鷹(上)」。

 磐音シリーズも31巻となり、二つ目の山場、区切りとなる。
 家基の11代将軍就任を何としても阻止しようとする田沼意次の魔の手が家基に迫りそれを護る、御側用人速水、尚武館の玲園、磐音らとの生死をかけた戦いが始まる。
 この事件は、31-32巻にまたがって 息もつかせぬ展開でアップテンポで物語は進む。この週末二日間、多くの時間をついやして一気に読みきった。
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・衣更着(きぬさらぎ):如月(きさらぎ)。二月のこと。
・蟷螂(とうろう)が斧をとりて隆車に向かう:自分の力量をかえりみずに強敵に向かうこと。はかない抵抗のたとえ。蟷螂とはカマキリのことである。

藤沢周平「暁のひかり」。

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「暁のひかり」

・江戸の町の屋根や壁が、夜の暗さから解き放たれて、それぞれが自分の形と色を取り戻す頃・・・

こんな表現は藤沢周平にしかできない。そして今まで数えきれないほど多くの作品を読んできて同じ表現が一つもないことに驚愕する。

「馬五郎焼身」
しあわせに暮らしていた馬五郎とその妻とおさない娘。あるとき妻がひょっと目をはなしたすきに娘は川に落ち込んで死んでしまう。馬五郎は、そんな妻の不注意を激しくののしった、そしてそれは何度も何度も際限無く繰り返された。殺してくれとまで謝った妻だったが、ついには耐えきれず里に帰ってしまう。馬五郎は荒れた。そんなとき近所で火事があった。燃え盛る家の中には幼い子供が残されていた、もう手遅れは誰の目にも明らかだったが馬五郎はそばの天水から水をかぶると猛然と飛び込んでいった。出てきた馬五郎は全身から火を吹くようであったがそのふところにはしっかりと女の子が抱かれていた。馬五郎は死んだ。

「おふく」

「穴熊」


「しぶとい連中」


「冬の潮」


・市助は外に出た。蒼く硬い色をした空がひろがり、寒気が市助の頬を刺した。日は山陰に隠れるところで、青白い雪と、いくぶん紅味を増した雑木林の枝に覆われた山の傾斜から、大きな束のような光が村に流れ込んできている。その中である家の壁は光り、ある家は、すでに日没の暗さをまとい始めていた。道には汚れた雪が残り、その間にところどころ乾いた地面が顔をのぞかせている。

藤沢周平「長門守の陰謀」。

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 偶々BSNHKで時代劇再放送された「風の果て」を見て、その面白さに原作本を読んだのが藤沢作品との初めての出会いであった。それまで池波正太郎や山本周五郎作品は、学生時代何度か読んだことがあるがなんか漫画本を読んでいるようで薄っぺらい(と思っていた)物語の筋立てに満足できなかった。

 そんなことがあったのでその手の時代劇小説は、読む気もなったが初めて手にとった藤沢作品の自然描写の美しさ、巧みさに魅了されて以来片っ端から読みふけり、新潮本は全てこの文春版もあと数冊を残すのみとなった。最近は磐音シリーズばかり読んでいるが、ときおり手にして読む藤沢作品はやはり素晴らしく目の前にその情景が浮かんでくる言葉の美しさはあまたの作家の誰にも描けないものと改めてその巧みさに感動する。

 この作品は5つの短編からなり。それぞれに面白く、多くの文芸評論家たちは藤沢の短編作品を絶賛するが自分はやはり藤沢作品の最大の魅力はその長編であると思う。

「夢ぞ見し」
 何の考えもなく一人の男と結婚した女。娘時代はそれなりにもてたが、嫁いだその男は、城勤めを毎日毎日淡々と務めるだけで、家に帰るとほとんど口もきかず、風采も上がらず全く面白くない男だった。あるとき、その夫がさわやかな青年武士を家に連れてきた。その青年は亭主を呼び捨てにし、毎日ぶらぶらとし女を自分の召使のように扱った。だたその青年はあくまでさわやかで女はその青年がいるだけで楽しい日々だった。夫はあくまでその青年に恭しく接し時折連れだってどこかへ出かけるようになった。そんな日々が続き女もだんだんとその青年に親しみが湧くと同時に遠慮もなくなり、朝寝している青年の布団をひっはがして起こしたり。時には肩を揉ませたりした。あるとき自宅前でその青年と多くの武士が斬りあう事件があった。そのとき間一髪で飛び込んできたのが夫であった。夫の剣技の腕は、素晴らしく一気にその襲撃者たちを斬り倒してしまった。青年によると夫は藩内でも一二の剣豪とのことだった。女の知らないことであった。そんなことがあってほどなくその青年は家を出て行った。
 ただ「世話になった。またいつか会おう」と言ってあっけなく去ってしまった。

 何年かして女が出かけたとき、殿様行列に出会った。新しい藩主が国入りしたと聞いていた。その駕籠から声がかかったその声は忘れもしないその青年の声だった。
「久しぶりじゃの」
その青年は、新しい殿様だった。女は夫の何も言わない無口にもほどがあると思った。

さわやかな読み終わってにこりとしたいい作品だった。
「春の雪」

・陰気に沈んだ家の中で、そこだけがまだ昔のまま息づいているように、仕事場でまた軽快な木槌の音がひびいた。

・瑕瑾(かきん):きず。欠点。恥。
「夕べの光」
「遠い少女」
「長門守の陰謀」

つづく。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙30「侘助ノ白」。

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磐音の剣道場の弟子が、国元土佐に父に随行して帰る。その顛末を中心に物語は進む。
まぁ作家というものはよくもこれだけ多岐にわたる物語を頭の中だけで造り出すものができるものだと思う。
・磐音が客分の剣士に新年のあいさつをする。

「小田平助どの、新珠(あらたま)の年がそなた様にも瑞兆を齎(もたら)さんことをお祈り申す」


磐音の人物がこれ以上望めないほど好人物に描かれているのがこのシリーズを読む心地よさである。磐音の生きざまを見ていると見習わなければと自分に言い聞かせることが多い。


・狷介(けんかい):固く自分の意思をまもって人と妥協しないこと。主に悪い意味に使われる。気を付けなくっちゃ・・・

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙29「冬桜ノ雀」。

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・土壇場とは、斬罪(ざんざい)を執行するために築かれた土地の壇(だん)のことである。ひらたく言えば、首切り場である。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙28「照葉ノ露」。

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佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙27「石榴ノ蠅」。

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 このシリーズには、実在の人物も多々登場する。
 磐音とあまたの経緯を含めて昵懇になる家基もその一人である。徳川10代将軍家治の庶子と生まれた家基は、暗愚といわれた父家治とは違い幕府の中興の祖になるのではとその将来が嘱望されていたが鷹狩りの帰路体調に変調をきたし急死した。18歳の若さだった。家基の英邁により失脚を恐れた田沼意次の暗殺説が有力とされる。

 この巻でも家基と磐音の身分を越えた友情が描かれるが、家基が実在の人物だけにその先を読むのがちょっと気になるところである。 
ローマの休日よろしく家基を磐音らが苦心して江戸の一日を遊覧させ楽しませる。他が描かれる。
・新吉原は、二万余坪の中に遊女3000余りが雲集していた。

増山実「空の勇者たち」。

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 今回の旅で、帰路Barcelona、Frankfurtのラウンジ、KIXまでのジャンボ機内で読んだ一冊である。だが1/3くらいしか読めなかった。たっぷり時間はあったが、何をしていたのだろう・・・以前ならヨーロッパ~KIXで二冊くらいは読んでいたのだが、ごそごそしている時間が多くなったのかもしれない。。。

 「勇者たちへの伝言」が感動的だったので、今回の旅行で読もうと楽しみにとっておいていた作品である。
期待にたがわずこの作者の作品は、前作と同じくほのぼのとあたたかい筆致である。特にこの作者のなかで好きなのは「勇者・・」でもあったが物語の中で、たびたび登場する「手紙」である。その中で語られる内容は、物語の中の人物にというよりなにか読み手である自分の心に強く語られるような錯覚をおこさせすんなり入りこみそしてその奥底まで哀愁を帯びで切なく染み入る響きを持っている。
次の作品が待たれるところだ。
 
・陸上のトラック競技は左回りだそうだ。作者は文中でおもしろことを、語らせている。
スパゲティを食べるときに普通はフォークで右に巻いて食べてるが、たまに左に巻いて食べる人がいるという。そんな人は陸上のトラック競技に向いているという持論である。

ホンマかいな???

・「離見の見」(りけんのけん): 世阿弥の名言。 離見(客観的に見られた自分の姿)を自分自身で見ることが重要であり、自分の見る目と観客の見る目を一致させるべきという考え。

話があとさきになったが、この作品は、一人の陸上競技にかけた女性と、円谷幸吉とを絡ませた物語である。

吉川英治「新書太閤記」(四)。

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今回のクルーズ旅行にお供に連れて行ってたった1冊読みきった本。7冊、いや9冊だったかなを持って行き、それでも足りないかなと思いつつだったが結局読みきったのはこの本だけであとの一冊はほんの少しだけ読んだだけで後の本たちは、地球一周しただけに終わってしまった。往復の帰路、鉄道でのBarcelona近郊への旅、船内での時間等々たっぷり時間はあったのだが、それぞれ半分は寝ていたり、旅先の下調べや、そして今回もクルーズの部屋の照明が暗くベットでは読めず、また最大の誤算は今回のHARMONY OF THE SEASのどこにも海を見ながらデッキチェアーで優雅に読書なんてことは一切客ニーズとしては考慮のとトンでも外でプールサイドで本を広げている乗客もままいたが、こちらはとてもガチャガチャしたそんなところでは読む気にはなれなかった。大体ライブラリーの設えてない船なんて初めてである。マァライブラリーで本を読むという選択肢は自分にはないが(概ね内部にあり、海を感じないから)、にしてもこの船とというか、RCI(ロイヤルカリビアンインターナショナル)の会社のクルーズに対するコンセプトが知れようというものだ。もうRCIには乗ることはないだろう。世界一で買い船に乗ったし・・・

 ジョンとモニたちとも話したが、結局一番(彼らはほとんどの船会社の船に乗船している。今日現在もMSCで西地中海をクルーズしている)QEがよかったねという結論になった。キューナードの船は船内のイベントが他の船会社と比べて極端に少ない。主なイベントといえば、アフタヌーンティとダンスくらいなものである。そのため船内は、しっとりと落ち着いた雰囲気でみんな静かにめいめい本を読んだり、編み物をしたり、友人通しでおしゃべりをしている塔雰囲気である。乗客もそんなことで見知らぬ者同士が気楽に仲良くなれる機会が多くなる。同じ船には乗らないようにしているが、QEだけはもう一度コースを選んで乗りたいものだ。

そんなことで今回の旅行で読んだ本はこれだけだったが、ジローナに行くローカル列車のなかで、モンセラットからの帰りの通勤客であふれるカタルーニャ鉄道の中でふと気がつくとその環境とは全くかけ離れた戦国時代のその内容とのギャップに頭がおかしくなりそうに読んだことが懐かしく思い出される。
いやぁ~~旅先でする読書はホント愉しい。

さて物語。
秀吉は、金ヶ崎の虎口をしのいで命からがら京に帰還する。秀吉が信長の終生に及ぶ絶大な信頼を得たのはこの戦であったろうと思う。その意味では秀吉ののちの天下取りの最大の起点はこの殿(しんがり)を戦い抜いたこのときにあったのだと思う。信長だけではない他の織田重臣武将たちにもこのときの秀吉の働き、覚悟には一目も二目も置いたことであろう。
そしてその後も信長の信頼を得つつついには、長浜の城主となり上がっていく。

・暁起(ぎょうき):朝早く起きること。
・猖獗(しょうけつ):たけくあらあらしいこと。わるいものの勢いの盛んなこと。
つづく。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙26「紅花ノ邨」。

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 磐音がかつての許嫁奈緒が見受け先で窮地に陥っていると聞き、それを救うため山形に向かう。
紅花が、エジプト原産であること、日本に入ってきて山形jの土壌が栽培に適していてに日本の名産地になったこと、江戸時代には、口紅の原料として高価で取引されたこと。もともとの花の色は黄色いことなどを知った。
奈緒は、このシリーズでおこんに勝るとも劣らない人気の女性である。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙25「白桐ノ夢」。

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・蹌踉(そうろう):足元がふらつくこと。よろめくさま。「蹌踉たる足どり」「蹌踉と歩む」。

・暁闇(ぎょうあん):暁に月がなく、暗いこと。また、夜明け前の暗いとき。あかつきやみ。


・膾炙(かいしゃ):(膾(なます)と炙り肉とが万人にこのまれるように)広く世人に好まれ話題に上って知れわたること。「人口に膾炙する」。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙24「朧夜ノ桜」。

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・正月15日、上元。この日、小豆粥(あずきがゆ)を焚いて食べ、また粥杖(かゆづえ)と称する柳の枝で女の腰を叩くと男の子を孕むという慣わしもあった。

細腰を柳でたたく十五日

14日~16日は小正月と呼び、江戸では15.16日はお店の奉公人が待ち望んだ
「藪入り」
の日でも。あった。

・刀自(とじ):年配の女性を敬意を添えて呼ぶ語。名前の下に付けても用いる。

・柳営(りゅうえい):将軍の陣営。幕府。

・弥栄(いやさか):いよいよ栄えること。「みくにの弥栄を祈る」。繁栄を祈って叫ぶ声。ばんざい。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙23「万両ノ雪」。

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小さ刀:脇差よりも短く、登城の際に大紋の腰に携えられた。
 この夏のくっそ暑い中、バンド仲間と二条城を訪れたが、その際に徳川将軍家が外様大名を謁見する大広間があったがその際外様大名の人形が脇差し(その時は無知ゆえにそう思っていたが)を腰に設えているので近くの案内人に「将軍の前に出るのに、刀を帯びていたのは史実か}と訊いた。その案内人も確かめておきますとあやふやな言葉で濁していたが、実はその刀は、「小さ刀」だったんだと今にして納得した。

 この磐音シリーズは物語の筋立ても痛快無比に面白いが、作者の時代考証によって描かれる江戸中期の武家、町人の風俗も大変面白い。

佐伯泰英 居眠り磐音江戸双紙22「荒海ノ津」。

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今巻は、舞台を作者の創作の架空の藩関前藩にうつして描かれる。いまの大分県あたりのイメージか?
江戸の町ととはまったく違った地方を背景した物語もまた楽し。

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙21鯖雲ノ城」。

このごろはこのシリーズばかり読んでいる感じ。読みだすととまらない面白さがあるのでどうしても日をまたいで読んでしまう。
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・打裂羽織(ぶっさきはおり):刀を差したときに邪魔にならないように真ん中に切り込みを細工した羽織。
・虫が集く(すだく):虫が鳴く表現。
・一幅の絵
・畳紙(たとうがみ):和服などを畳んでしまっておくための、渋やうるしを塗り折り目をつけた厚い包み紙。
・恬淡(てんたん):あっさりとしていて、名誉・利益などに執着(しゅうじゃく)しないさま



サイモン・シン「フェルマーの最終定理」。

 「永遠の0」に出会う前の空白の読書期間に、いつも読んでいた本である。
 3回ほど読み直している。何度読み返しても新鮮で面白い。マァ忘れたころにまた読み直すので前に読んだ内容を忘れているということだろうが・・・

 数字、数学は無限の奥深さをもっている。自然は数字によって支配されている。以前5年ほどの前のこのブログでも書いたことだが、また今回のクルーズ旅行の初日ジャンボジェットから見えたロシア北部の荒涼とした大地に描かれた川の流れの幾何学模様も数字によって支配されている。(水源から河口までの直線距離と、川の総延長距離の比率は、限りなく3.14に近い)

 今でも数学は好きだし、数字にもいささかならずボケた今の頭でも一番まともに近い形で残っている部分であると自分では思っている。若いときの自慢だが、大学受験時の数学の模擬試験では、最難関の東大理Ⅲに余裕で合格レベルであった。
 マァ昔自慢をするようになればおしまいだといわれるが・・・
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ブライアン・フリーマントル、新庄哲夫訳「バウンティン号の反乱」×

 面白くない作品だった。何を思って買ったのかもちろん覚えていない。仕事場に埋もれていた本たちの一つである。いつ買ったのかさえ記憶にない。翻訳が稚拙でとても読みづらかった。なんとか半分くらいまで呻吟しながら読み進めたがついに断念した。これだから翻訳作品は嫌いだ。何で買ったんだろう・・・
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司馬遼太郎「太閤記」(下)

 これも旅行前の9月ごろに読んだ一冊。
 もう年である。字が小さくて読みづらかった。
 本能寺の変から、秀吉が柴田勝家を滅ぼしたところで物語は終わっている。
 司馬さんが描く秀吉は、時代の中に生きる彼を描いたもので、またこれも大変面白かった。
司馬さんの、「余談だが」は、歴史の解説をしながらその物語をすすめるので、ちょうどガイドさんに説明を拝聴しながら歴史物語を読むかのようでホント心地よいものである。
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門井慶喜「家康江戸を建てる」。

家康も秀吉ほどではないがそれほど好きな武将ではない。むしろ嫌いな方だ。だが家康が心の奥底に秘めるその深謀遠慮にははかり知れない忍耐に基づく天性生まれ持った大きな才能であると敬服せざるを得ない。そして彼が幸運だったのは目の前で信長、秀吉二人の大きな失敗に学べたことである。
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この作品は、家康が秀吉に関東への移封を命ぜられてから荒涼たる湿地帯にすぎなかった江戸の地を艱難辛苦のすえ世界でも屈指の大都市に変貌させていく壮大な過程を描いたものである。物を作りだす歩みを描いた物語はほんと面白い。

ただ家康が移住してからその地に江戸幕府を開くまでを描いた作品はそれが地味なだけにとても少ない、似たような作品に半村良の「江戸打ち入り」があったがそれも面白い作品だった。

物語は以下の五話からなりどれもとても興味深い物語だった。おすすめの一冊である。

第一話 流れを変える

江戸に流れ込む川をせき止め、迂回させ江戸の町から洪水を駆逐し、広大な農作地、大都会を造る。

第二話 金貨を延べる

金、銀、銭と三種の通貨を統一し金本位制へと通貨制度を安定させる。

第三話 飲み水を引く

湿地帯で、井戸水は塩分を含んでいたために上水道を山を切り拓いて江戸まで上水道で引く。

第四話 石垣を積む

江戸城を石垣で包む。

第五話 天守を起こす

江戸城に天守を造る。

 

・家康が関東に移封させられたのは、もう当時では隠居してもおかしくない晩年49歳のときであった。

・小田原城落城から一カ月もしない八朔の日に、家康は江戸の地に足を踏み入れた。

・聖牛(ひじりうし):丸太で組んだ三角錐の枠の中に小石をつめた竹かごを入れたもの、これを川の中に沈めて川の流れをゆるめる、若しくは変える。ゆるめた川の流れの場所にどんどん石や土砂を埋め込んでいく。ときには舟に石を満載しにして川の中で沈めたりもした。こうして川の流れを変えた。

・伊達政宗による慶長遣欧使節:政宗は家康の許可を得た上で、支倉六右衛門(常長)(はせくらつねえもん、つねなが)をスペインほか欧州に派遣した。

・下野の国葛生(しもつけのくにくずう)(今の栃木県葛生町)で産出された石灰は、水路の開発によって江戸に大量輸送されることになりそれまで八王子石灰しか手に入らなかった江戸市民の生活を劇的に変えた。大量に流れ込んだ石灰はその価格の暴落を引き起こし農民でさえたやすく手に入れられるようになり田や畑にまくことにより酸性土壌をアルカリに変えることによりその農産物の品質、生産量の向上にはかり知れない貢献をした。

・江戸城天守閣は、明暦三年(1657)の振袖火事によって全焼したあと再び建てられることはなかった。+

吉川英治「新書太閤記」(三)。

 このところなにかと忙しくこのブログを整理する暇がない。先のクルーズ旅行のレポートも写真はUPしたもののその説明は、まだ乗船したところで止まっている。自分の日記でもあるので早く完成させたいものだ。

 それがあるために日々のこのブログ更新はまったくできないでいる。クルーズのブログの完成はボチボチとやっていき、日ごろのブログもUPしていこう。
 時間ののある方は、暇なときにでも見てやってください。

 さて、Barcelonaから帰って、もう一月を過ぎるが、まだ時差ボケが100%回復したとはいえない。年のせいもあるだろうがよせばいいのに時差ボケが治ってもいないのに調子がいいと徹夜でまた本を読んでしまって、また睡眠のリズムを壊してしまっている。アホなことである。

 その読む本はほとんどが「磐音シリーズ」で、今31巻を読んでいる。寝なくてはと思いつつあと一時間、あと区切りのいいところまでとダラダラ未練たらしく未明まで読んでしまう。そんなことを続けているの居直ってこうなったらもう一気に最終巻51巻までこれに集中して読もうかしらとも思っている。それほどこのシリーズは面白い。普段は、何度も書いているように5~6冊多いときには10冊ほどを並行読みしているが最近はこのシリーズと吉川英治のこの「新書太閤記」ばかりで、ほんのたまに、残りの「藤沢周平作品」で、現代小説は買ってくるばかりで寝室と、書斎に山と積まれている。


 さてさて、この吉川英治「新書太閤記」も、面白い。秀吉も天下をとるまでは、さらに言えば北条を滅ぼして天下統一するまでは天下無双の素晴らしい漢(おとこ)であったと思う。だがその晩年に気がふれたように残虐非道な支配者に突如変貌するが、その説明を明確に分析した作品にはまだお目にかかっていない。彼の晩年の無軌道ぶりは、不幸にもそれが強大かつ日本唯一無二の絶対支配者であったために、その為した罪の大きさははかり知れないことである。その晩節を地に貶めた数々の仕業は何からきているのであろうか。心と頭の大きな疾患があったとしか説明がつかないのではないか?
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 桶狭間の勝利で信長の武名は、全国に知れ渡った。だが織田はいまだ小国の成り上がりの一大名でしかなかった。信長は次なる拡大を目指す。美濃の攻略である。信長の天下統一への歩みとともに秀吉もまた正比例するようにその力を拡大していく。
 今ではその歴史事実とされていた「墨俣の一夜城」は、講談ものだとその史実の存在が否定されつつあるが、また当時からは格段に進んだ現在の研究とは齟齬がある話がまま書かれているが、秀吉の成り上がり人生は、痛快無比である。

・四更:五更のひとつ、現在の01~03時に当たる。丑の刻。

フランス料理。

たまにはつきあってとエリーに言われてしぶしぶフレンチに付き合った。
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上六にある店で、その道では人気店だそうだ。
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いかにも料理人ぶったシェフが気難しそうに一つ一つの皿が出てくるたびに説明してくれた。
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メインディッシュ。油いっぱいのローストポーク。油臭くて食べられなかった。食べたけど。。。
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デザートで締め。
流石にこれでしばらくフレンチには付き合わなくていいだろう。Barcelona、クルーズで食べたフレンチは愉しめたのに・・・

口なおしにそばを食べに行った。
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ざるそばに、獺祭を飲んでやっと今晩夕食食べた気がした。満足して帰った。

2016SW西地中海の旅。十三、十四日目「帰国」。

やっと写真UP終了しました。あと簡単な説明を入れていきます。時間のある方は覗いてください。
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早朝ホテル発。ホテルが呼んでくれたTAXIは、コーチタイプでドライバーもまたまた親切だった。
高速道路をぶっ飛ばして空港へ。
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Barcelona空港ラウンジ。
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静かな雰囲気で中々よかった。Drink、フードもまずまず。
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アルプス越えでFrankfurtへ。
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山の標高が高いので頂の様子まではっきりと見えた。
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軽食が出た。
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Frankfurtの町なみが見えてきた。
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Frankfurtのラウンジ。ちょっと雑多な感じだったかな。やはりフードはお粗末だった。
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帰路は、一階席。両方乗り比べてジャンボのビジネスは二階席の方が高級感がるかな?
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やはりこれもドイツの料理はいまいちだった。

二週間にわたる旅もこれで無事終了。Barcelonaでの前後泊延べ6日間のウロウロがとても愉しかった。船は、RCIでもう騒がしいだけの感じで、もう乗ることはないかな?

やはりたびは、それも異国への旅はザァ~マニ愉しいものである。

2016SW西地中海の旅。十二日目「下船。Barcelonaの一日」。

もう少しでUP完了です。写真UPしたら簡単な説明を書いていきますので何かの参考にしてくだされば幸いです。
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2016SW西地中海の旅。十一日目「AT SEA」。

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2016SW西地中海の旅。十日目「ナポリ」。

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2016SW西地中海の旅。九日目「チビタベッキア」。

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次の日もまたまた中華。

昨日中華を食べたばかりなのに、何を思ったかまたみんなで中華を食べに行った。
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でどんだけ~~というほど食べた。
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そしてGucciが最後にまた焼きそばを注文した。ナンデダス??

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それから帰ってまたこんだけワインを飲んだ。ナンデダス~~~

飛燕を見に行った。

飛燕が、整備を終えて展示されるというので見に行った。
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岐阜の川崎の工場で整備修理されて神戸で展示された。

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飛燕の技術がこのバイク製造に生かされている。
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飛燕は、液冷式エンジンだそうでこのために零戦他の空冷式エンジン搭載の戦闘機と違って機首を流線形にできるメリットがある。
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ただこの飛燕は戦闘機としてはまだまだ未完成で旋回性能も悪くアメリカ軍パイロットからはなめられていたという。
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操縦席を再現したもの。ちょっとちゃちだったかな?

見学後みんなで山手に中華を食べに行った。
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タケはラインで案内したら「飛燕」を「飛鳥」と勘違いしたらしく喜んで参加してきたが「飛燕」てなんですかのレベルだったが帰りに中華に行くと誘ったら参加してきた。
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流石に「東天閣」の料理は洗練されていて美味かった。

帰りにもう一軒、餃子専門店に寄り道して帰った。(ナンデヤネン。。。)
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2016SW西地中海の旅。その八「ラスペッツア」。

9/21(水)。
旅行八日目。
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ラスペッツア到着。
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典型的なイタリアの港。今日も快晴楽しい一日となりそうだ。
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一番に下船して歩いて西にある旧港へ向かった。約15分ほどの朝の散歩。
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今日の一日は下調べをばっちりしてあった。チンクエテッレの回遊見物だ。
チンクエテッレは五つの村という意だ。
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HARMONYが見えた。
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大きなヨットハーバーがあった。
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ものすごい轟音でバカでかいクルーザーがそばを通り抜けて行った。くれるといってもこんな船はいらない。
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それに比べるとやはりヨットはいいなぁ~~
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ラスペッツアから一つ目の港で突然船内アナウンスが流れ、みんなが一斉に立ち上がった。
イタリア語と英語だったが聞き取れなかったので横のおばさんに訊くと、自分もよくわかなないけど乗り換えろと言ってるみたいよ。と教えてくれた。
通りすがりのおっさんと目があうと
「イタリアン、オーガナイズダヨ」と肩をすぼめていた。

結局船の不具合だったらしいが、乗客には最後まで詳しい説明はなされなかった。
マァこれがおっさんがいうようにイタリアということか・・・
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この村は、上陸せずに通過したが、この景色を見れば上陸すべきだったと思う。
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絶壁迫る海岸を次の村に向かった。
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結構な波の中を巧みにみんなを誘導して上陸させていく。
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いまだに多くの村民が絶壁にへばりつくように住んでいる。収入の多くは観光と、オリーブ、ワインだ。
この村にかぎらず出会った村民たちはみんなフレンドリーで明るくそして親切だった。
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愛の小路とよばれる村をつなぐ道。
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港が見えた。いい景色だ。
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後付けでガス管が家々を駆け巡っていた。やっつけ仕事もいいとこだった。これもイタリアか。。。
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愛の小径の入り口。何年か前の台風で破壊され修復にはあと何年かかかるそうだ。
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私有のインフレータブル。水がきれいだった。

次の村に移動した。船チケットは一日乗り放題券を買っていた。
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ウインドラス。ウチの船と同じようなことをしてあった。
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一番混んでいる海岸ぶちのレストランでお昼にした。
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一緒に並んでいたグループと隣り合わせの席になった。呼び出しのときにケンとよばれていたので「ケン、隣り合わせになったね。よろしく」と声をかけると「俺たちはアメリカから68人のグループでイタリア観光に来ているんだ。その一部がチンクエテッレ観光を選んでここに来たんだ」と楽しそうに話してくれた。
写真を撮ろうとするとこのように割り込んできた。
アメリカ人は陽気で好きだ。
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ケンとワイワイやりながら食べたので予定よりながいお昼となった。
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この村は5つのうちで一番大きな村で見るところも多くまた高低差も少なぶらぶらく村内を見学した。
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帰路は船でまた帰るつもりだったが、時間も押してきたので鉄道で帰ることにした。
村を抜けると、
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海岸に出た。
ぶらぶら駅に向かっているとケンたち一行とまたであった。
「またどこかで会おう。愉しかったよ」と別れた。
彼らも鉄道で帰るとのことだった。
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さっき村で会ったブライトアンドグルームにまた出会った。
「congratulation!」
「thank you」
と応えてくれた。
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船で2時間半ほどかかる航程は、鉄路で約30分でラスペッツアに帰ってきた。
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街を抜けて、
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心地よいそよ風の吹く、並木道をくぐって、
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海岸に出た。もうすぐHARMONYである。
このころはケンたちと飲んだので結構ふらふらの30分ほどの歩きだった。
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海を渡ってくる潮風が心地よかった。
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帰ってきた。早朝に出発して夕方まで今日もいい一日だった。
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ビールの特売をしていたので買った。

夕食。
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毎日やっていたJazzバー。
Jazz好きだが、このバンドのジャンルとは合わなかった。いちどしか行かなかった。

RCI名物アイスショウ。
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グレードの高いショウだった。日本人が席をとっていてくれてど真ん中の正面で堪能した。

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ワインバー。
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カードでワンshotづつワインが飲める。
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こんな感じで、安もんの空港ラウンジのような雰囲気である。
ここもゆっくりできるムードではなかったかな。結局この船では居心地のいい空間を見つけることができなかった。

2016SW西地中海の旅。その七「Marseilles」。

七日目。マルセイユ到着。今日もいい天気だ。
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一番先に下船してシャトルバスで旧港に向かった。
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心斎橋「和っか」。

 先月の人間ドックでいろいろひっかった。そのうちの一つ眼科の精密検査に行った。
 眼科の知り合いは二人いるが心斎橋で開業している友人に診てもらうことにした。だが残念、彼は休診で代診の先生に診てもらった。

 自分でも最近本の読みすぎか目がかすむことが多かったので少し心配して行ったものである。
診てもらった女医さんは、親切で診たてもよく少しの白内障があるが今即手術の必要はないのではないかとことだった。とりあえずは今のままで引退したらしようかなと思う。

さてと、晩飯はと久しぶりに「和っか」に行った。
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獺祭はやはりうまい。特に磨き三割九分は絶品。
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風呂吹き大根のてんぷら。
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わさびの細巻き。

2016SW西地中海の旅。その六「パル・デ・マヨルカ」。

9/20(火)マヨルカ入港。

いつもなら必ず出入港は最上階で飽きもせずずっと眺めるのだが今回は何故かその数は極端に少なかった。
それに会ういいdeckがなかったのである。この船会社は、クルーズ客になるべく海にいることを感じずに、都会の中にずっといる感覚を味あわせたいのかと思う。
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少し陰ってきた満月がぽっかりうかぶ払暁の中マヨルカ入港。

つづく
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Barcelona帰朝報告会。

今回の旅行の帰朝報告会をした。
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Barcelona仕込みの料理をまねてみんなにふるまった。どれもみんな好評だった。
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ナポリで仕入れた食材もみんなで食べた。
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どれもみんなとても美味くて最高。
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今日もよく飲みました。

みんなにお土産を渡すの忘れたなぁ・・・

2016SW西地中海の旅。五日目「カサ・ミラ~乗船」。

9/18(日)。愈々乗船日である。四泊のBarcelonaの日々は日程びっしりに組んでいたがホント愉しかった。
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ほぼ満月がぽっかりと西の空に浮かんでいた。グラシアス通りにはまだ人通りが絶えていなかった。

朝0700から開いているビアホールに行くことにした。
ホテルから地下鉄二駅ほどなので散歩がてら歩いていくことにした。
今回の旅行はホントよく歩いたものだ。IMG_2881
道路にはあちこちに徹夜で遊んでいたのだろう多くの若者たちがあちこちにたむろしていた。女の子たちだけのグループもいてBarcelonaは治安のいい街だなぁ~~と感じた。
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丁度この時はラッキーなことにBarcelonaでは年中行事最大のお祭りの週間にあたっており様々なイベントが催されていた。昨日のみんなで
ヨガもそうだし今日は市民マラソンが開催予定されていた。朝から道路規制が行われていた。

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30分ほど歩いたかな、GPSを頼りにビアブロイMORITZに到着。
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開店したばかりで、ウエイトレスはこの子一人で、対応していた。愛想が良くてメチャクチャ別嬪さんだった。
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この旅行中パンは食べないように気をつけていたがこの時だけは他に食べ物がなく腹も減っていたので、ままよと食べた。海外旅行中、特にクルーズの旅では、パンを食べないようにするだけでほとんど体重は増えない。QEで出会ったボブに教えてもらった有意義なチップである。

ニコニコとカワイイセニョリータと生ビールとで朝からすっかりいい気持ち。そこからまた30分ほどゆるく登っている道を歩いてカサ・ミラへ。予約しようかとも思ったが朝一に行けば並ぶこともないかと考えて行ったが、思惑通り到着時にはいちばんのりだったが、忽ち後ろに10数人の列ができた。すぐ後ろのおばちゃん二人にどこから来たのと聞くと、果たしてアメリカンだった。だいたいヨーロッパでせっかちな行動をしているのは、日本人とそしてアメリカ人である。
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ここも今回の旅で絶対来ようと決めていた場所だ。
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2016SW西地中海の旅。その四「サグラダファミリア他Barcelona市内見物」。

9/17(土)。
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今日もいい天気になりそうだ。
予定は、Barcelona半日観光付きサクラダファミリア見学である。

見学ツアー集合は、0920。それまで前回来たことのあるボルケーノ市場で朝食をとることにした。DSCF7338
0700ごろ。ランブラス通りを南に下る。ゆるい下り坂なので歩きやすい。
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前回二回も通ったお気に入りのお店は本日休店。空いていたこの店を選んだが0800開店とかで暫し待った。
偏屈そうな親父で、座って待ってもいいかと身ぶりで訊くと
ダメ!といわれた。
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食材をを指さして頼んだ料理はどれもとても美味かった。そしてとても安価だった。
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この愛想のいいおっちゃんから生ハムを買った。

朝っぱらから美味い料理にビールを飲んでご機嫌。微醺(びくん)を帯びてTAXIで集合場所の凱旋門に向かった。
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凱旋門では、ヨガの大会が開けれていた。後で知ったことだがこの週はBarcelona最大の年中行事週間で多くのイベントが行われていた。特に週末は様々な催しが街中で繰り広げられていた。

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参加者たちの長い列が続く。
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ツアーの始まりはモンジュイックの丘から。といっても半日間とは名ばかりでここから眺めて終了。サクラダファミリアに向かった。今回ここで初めて中国人団体に出会った。あいかわらず道いっぱいに傍若無人に広がって騒ぎながら歩き、こちらはそれをよけて歩いた。
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Barcelonaの街を支配するようにどうどうとど真ん中に突き出ているサクラダファミリアの巨大建造物が見える。
中央黒い建物のすぐ左に見える。

またみんなでバス乗ってサクラダ・ファミリアまで移動した。
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サクラダ・ファミリアの威容。
前回Barcelona来訪時は、ガウディのガの字も知らずこの歴史建造物もTAXIでその時やっと偉大な建物だと聞かされ徒歩で一周しただけだった。その時もあふれんばかりの見学者が並んでいたが、尚も並んでまで見る気はしないと愚かにも思ったものだ。無知とは本当に怖い・・・
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今回はじっくり下調べもして見学ツアーにも申し込んで万全にして楽しみにして来た。
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青年期のキリスト。養父の仕事を手伝う様が描かれている。
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世界各国の建築家たちがこの建造プロジェクトにかかわっているが、このガラス細工は日本人によるものである。
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内部は、ステンドグラスを抜けた七色の光で満たされていた。
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絶命寸前のキリスト。体重を支え切れなくなって膝が大きく曲がっている。悲惨な姿である。日本人からすればこんな残酷な像を造ること自体信じられないことだと思う。
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精密に掘られた正面のファザードに比べてこの裏門にあたるファザードは結構大雑把な造りである。
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キリストにキスをするユダ。ユダはこれによって大勢いた門徒の中でキリストが誰であるかをローマ兵に教えたという。
横の文字盤は縦横斜めどの列を足してもキリストの没年齢33になる。

エレベーターで塔の最上階へ。
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整然と区画されたBarcelonaの街が一望できた。
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ものすごい人人が、豆粒のよう。
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下りはこのらせん階段を使って降りる。ものすごく急坂で普通なら足がすくむところだがこの手すりに手をかけるとしっかり手を引かれているように全く安定して降りることができる。ガウディの人間工学力おそるべしである。
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途中から外を見ると多くの工員が作業をしていた。

地下の博物館を見学した。
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ありし日のアントニオ・ガウディ。
サクラダ。ファミリアに寝泊まりしその完成を目指したが、市電にひかれてそれが元でその完成を見ることなく生涯を終えた。
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逆さ吊り糸が描く放物線に基づくガウディの理念をあらわした模型。下には鏡がはってありその形はサクラダ・ファミリアそのもとといっていいほどそっくりである。

ガウディワールドを堪能してツアーは1200すぎ現場解散となった。その後いろいろと見学して出たのが1300すぎ。さてお昼はどうしようと・・・不図気がついて、地元民にも人気で開店前から客が並ぶというるるぶか何かで紹介されていた「カル・ペップ」に行ってみることにした。
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1330少し前に現場到着。1330開店である。
大阪では絶対に並んで・・ということはしないが、エリーがやめようというのを「イイや、並ぶ!!」と強引に多分一クール目では座れないナァと思いながら待った。
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案の定というか、一組前で満席。奥にもテーブル席があるらしく、どやどやと何人か予約客であろうか入っていった。
暫し待つこと約四半時(30分)、ようやく席が空いた。
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一度に4席空いて後ろに並んでいたカップルと同席になった。
彼らはメキシコシティから来たとのことで新婚旅行に日本を選んだほどの親日家で、ひらがなも書けるとコースターに披露してくれた。感じのいい二人だった。
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るるぶ他外国のグルメ雑誌にも紹介されているらしくほとんどが観光客のようであった。日本人の姿も見えたがここでも何故か中国人の観光客はまったく見なかった。
料理は、朝ボッケリア市場で食べたメニューとほとんど変わらないものだった。みんな美味かった。それにもまして店員接客がみんなフレンドリーで明るくそれだけで楽しいランチだった。
第二外国語の彼女たちともお互い英語で分かりやすくいろいろとおしゃべりしながらそれも愉しいことだった。
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外に出ると真夏のようなまぶしくつよい日の光が狭い小道の真上から降りそそぎ短い影を作っていた。
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日陰の路地を選んで抜けてホテルまで帰った。
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途中より寄り道して教会を見て帰ろうと歩いていたら後ろから名前を呼ばれた。
振り向くとさっきのふたりだった。またどこかで会おうと「アディオス」と別れた。

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教会を見学して、ホテルに帰り、暫し一刻ほど休憩した。

今夜の予定は、カタルーニャ劇場での「ピーターと狼」の観賞である。
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ホテルからはTAXIでものの5分で到着。
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今夜は昨日と違って随分と余裕をもって到着。
劇場横のレストランでひと時を過ごした。
セルフサービス方式で大衆食堂といった風情だった。

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劇場正面。
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もうすぐ開演。この日の出し物は、オペラではなかったので観客の服装もくだけたものだった。
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演目は、たいしたものでなく、劇場の雰囲気を愉しんだ。

閉演後はTAXIでまっすぐに帰った。
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この日は土曜日で、市内の公共交通機関は終夜営業である。
部屋から見えるグラシアス通りには真っ昼間のように人通りが絶えず往来の車の流れは昼よりもむしろ多い感じだった。
深夜かすかに聞こえるサイレンの音に目が覚めてグラシアス通りを見ると人が交差点に倒れていた。傍を行く若者たちも特に気にする風もなく。救急隊員たちもすぐに収納するでもなかった。双眼鏡でのぞいて見ても道路に寝かされたまままででしばらくしてやっとストレッチャーに乗せられて救急車に収納された。横に停まっているワゴンがはねたのだろうか?それにしてもみんなの無関心には驚いた。
グラシアス通りの賑わいは未明まで続いたようだった。

2016シルバーウィーク西地中海の旅。その参「グエル教会~モンセラット~リセウ劇場」

9/16(金)。今日も元気溌剌。日中は、ガイドツアーでグエル教会~モンセラット。夜は、楽しみにしていた「リセウ劇場」でのオペラ(Mozart魔笛)鑑賞とびっしりの日程である。

まだ日が明けやらぬ中ホテルを出発した。このホテルの一角には何本もの地下鉄路線、国鉄の駅が集中している。すぐ前からはタクシーも拾え移動にはほんと便利だ。IMG_2785
写真ではすこし軽く修正しているが、実際ではまだまだ暗かった。何をこの時間から並んでいるのかと警備員らしき男に尋ねたら、iPhoneの発売日だとのことだった。
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0700から販売されるそうだ。
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地下鉄で集合場所へ。大阪と同じ右立ち左通過であった。結構急ぎ足で多くの仕事に行くあろう人がどんどん上っていく。スペインではシエスタがあって・・・というのはウソである。みんな一日中一生懸命働いている。
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赤字で書かれているのが当駅、カタルーニャで4つ西のエスパーニャ駅まで行った。見て分かるようにカタルーニャには五つの路線が乗り入れていてとてもどこに行くにも便利だった。
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エスパーニャ駅を出るとそこはスペイン広場。時間があったので広場を一周した。
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昔闘牛場だった建物は、ショッピングモールとなっていた。Barcelonaでは、スペイン全土に先駆けて闘牛を廃止したそうだ。
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待ち合わせ場所近くのコーヒーショップで朝食をとった。
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0845ツアーガイドと合流後グエル教会へ。
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小さな駅で降り立ったのはわれわれ4人だけだった。
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道路にペイントされたこのステップを辿っていけば、インフォメーションに行ける仕組みだ。
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グエルさんの工場。繊維業で莫大な資産を築いたグエルでしたが、業界の衰退ととともに彼も破産した。
当時はここに工場コロニーができその膨大な職人たち家族のために教会が造られその設計依頼されtらのがガウディだった。だが1898年に取り掛かったその建築の設計に10年を費やした。逆さ吊り模型の制作が難航したためである。そして1908年に着工されたが、6年後にサクラダ・ファミリアの建築に重点をおき、またグエルの資金面でも支障をきたしだしたためこの教会は未完成のままとなった。この逆さ吊りの基本理念はサクラダ・ファミリアの建築に大いに生かされることになった。

教会がオープンする前に街中を見学した。
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こんなうすい煉瓦でつくられている。
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グエルさんの石像。ガウディの偉大なるパトロンだった。
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今も実際人が住んでいる。
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学校。
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1800年代からずっと人が住んでいるそうだ。
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医者宅。一階が診療所となっている。
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レストラン?だったかな?
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コロニアル・グエル教会。
斜面を利用して造られていて教会部分は半地下となっている。
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窓の形は、松ぼっくりをシンボライズしている。
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ガウディが造る家具は人間工学に基づいて作られておりこの椅子も体にすっぽりとなじみ座りごごち満点だった。
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このごちゃごちゃした石で巧みに意匠されたアルファベット、絵柄は全て意味があるもので、ガウディは無駄な意味のないものは一切作らなかった。
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ガウディワールドに満足して駅にもどり、次の目的地モンセラットに向かった。
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途中乗り換えで20分ほど駅で待った。そのあいだにFBの更新、エルの仲間にラインで旅の報告をした。今回みんなにできるだけライブでレポートすると約束してきたので頑張って報告したがみんなとても喜んでくれた。

前に座った女の子たちがこちらを見てニコニコするのでスペインの子はかわいいなぁと思っているとよく彼女らの会話を聞いているとドイツ語だったので話しかけてみた。はたして彼女らはドイツ人でしかもミュンヘンからの子たちだった。
「日本と、ドイツは先の戦争一緒に戦ったんだよ」と言ったら
「知ってる、知ってる」と返してくれた。
日本の女の子たちははたして知っているのかしらんと思った。
彼女らは駅からモンセラットの修道院まで歩いて上るのだという。横にいたガイドさんが女性の足で2時間近くかかるとのこと教えてくれた。
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みんなとてもかわいい子たちだった。真ん中の子が一番かわいかったかな・・・
高校生だそうで夏休みを利用して2週間ほどBarcelonaにいるとのことだった。暫し楽しい会話だった。
ドイツ人は、やっぱり親日的でいいなぁ~~~
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そうこうしているうちにモンセラット到着。
ケーブルカーに乗る観光客と歩きのそれとはここで下車。
ロープウェイで上る人は一つ前の駅で下車である。
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ケーブルカーとは正確にはまちがいで登山列車である。
電車で、今では日本にあるのかしらん「アプト式」で中央の歯車に電車のそれをかませてグイグイと上る。
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中腹にも修道院があった。
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途中も絶景。
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駅について見上げた光景はまさに圧巻。エリーもわたしも思わず「オオ~~っつ!!」
今回の旅の中で最も印象にのこった光景かもしれない。
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入場門。
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広場からは、ピレネー山脈が遠望できた。
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教会入り口。
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後ろを振り返るとこの絶景。
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中庭にて。
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少年合唱隊の讃美歌斉唱があった。
二曲目は、みんなで起立して合唱する。

そうそうドイツの女の子たちがもう上がってきたのか、横の地べたに座っていた。
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昼食は、山頂駅のすぐ横にあるレストランで食べた。
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夜、リセウのオペラがあるので黒いマリア像見物は断念し、ここでガイドと別れて自力でBarcelonaまで帰った。
あの山脈の向こうはフランスである。
モンセラットヘ
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モンセラット~Barcelonaエスパーニャ駅~カタルーニャ駅と乗り継いで帰ってきた。
ガイドさんに教えてもらったBALで一息ついた。ここは地元民にも人気店でどの料理もみんな美味かった。
後日、ジョンとモニカを連れてくることになる。
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ホテルで少し、30分ほど休憩してTAXIでリセウ劇場へ。
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オペラ鑑賞は、開幕までの華やかな雰囲気がまたいいのだが劇場に到着したのは開宴ホンの20分ほど前でその楽しみは満足することができなかった。
この夜の演目は、Mozartの「魔笛」。

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PAUSE。休憩時間。幕間(まくあい)にいつものように劇場全体を見学して歩いた。

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われわれの席はこのすぐ左前の二階最前列。ランクでいえば、第二ランクの席である。何カ月も前から予約して選んでいた席である。円形劇場では、二階席の最前列がお気に入りである。劇場全体が見渡せてそこにいるという存在感を堪能できる。
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ここが最上級の座席。個室になっていて4~6人定員である。
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この時間も、大好きな時間。着飾った老若男女が華やかに集い、それぞれのお気に入りの飲み物を片手にわいわいとにぎやかである。
飲み物は、シャンペン、ワイン、ビールどれも一律5€だった。
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小さなホールは観客であふれて雑多な言語飛び交い華やいでいた。
座ったカウチの横が少し空いていたので詰めて前のご婦人を座らせてあげたら
「ダンケ」
と礼を言われたので
「ビッテシェーン」と応えると、ニコリとほほえんでくれた。
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だれに撮ってもらったか覚えていない。
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チェンバロ。
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オーケストラブース。
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フィナーレ。
演目としては、演出が前衛過ぎて今一だったかな?Salzburgなら多くの観客が席を立っていたかもしれないと思いながら見ていた。
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終演後、劇場から着飾った観客が吐き出されるようにランブラス通りにあふれ出る。ほとんど人が歩いて帰路につく。一時ランブラス通りが華やいだ雰囲気で飾られた。
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10数分歩いてホテルに帰還。この時間は2330ごろである。若者たちはこれからまだまだ遊ぶのだろうか?Barcelonaの町は余程裏の路地に迷い込まない限りとても安全な町である。

長いBUT今日も充実した愉しい一日だった。

2016シルバーウィーク西地中海の旅。その弐「Girona。Can Rocaへ」。」。

9/15(木)Barcelonaに朝が来た
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ん~~ん今日もいい天気だ。暗いうちから起きていたが日が昇るのを待ってホテルを出た。
前日目星をつけておいた駅は、メトロのみでRenfe(スペイン国鉄)の駅とは別で少し迷った。近くを通る急ぎ足の通勤客と思われる何人にか訊いたが要領を得ず最後の人が丁寧に教えてくれた。みんなそこそこに英語がしゃべれてみんなとても親切だった。Barcelona大好き
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パッセ・デ・グラシア駅。切符の自動販売機の前にはボランティアの方がいてニコニコと購入を手伝ってくれた。
Barcelona大好き
自動改札機で改札。大阪の発明だ。誇らしかった。
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ボランティアの方に、列車番号を教えてもらっていたので間違えなかったが、同じ2番ホームに行先の違う列車が何本も入ってきた。
列車が左から入ってきたのにはびっくりした。ヨーロッパの鉄道は逆なんやと納得していたらおなじEU圏でもイタリアのラスペッツアで乗ったチンクエッテレ鉄道は、ホームの右から入ってきた。
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ステップが出てきてこれは便利だ。
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Gironaは、Barcelonaから直線距離で80数キロ北東に位置する。標高は70mほどだ。
だがGironaに近づくにつれこれだけ気温が下がってきた。ポロシャツ一枚の軽装で出かけていたので大丈夫かいなと思った。
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1時間20分ほどで到着。心配したがそれほど体感温度は低くなくさわやかだった。列車内で本を読もうと決めてきていたがごそごそしていたらあっという間に着いてしまった。

駅のインフォメーションでは地図を置いていなくて街中にインフォメーションがあるというのでとりあえずその方向に歩き出したが、iPadのナビで十分だった。今回ヨーロッパ周遊対応のWi-Fiモバイルルーターを借りて行ったがものすごく役に立った。2週間レンタルで2万数千円だったがこれはホント借りて行ってよかった。
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市街地を歩いて、
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公園をぬけて、
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大きなゴミ箱があった。これはBarcelona市内でも見かけたものだ。
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旧市街にたどり着いた。抜けるような蒼天だった。
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有名なGironaの風景。
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石畳が続く小道をぬけて歩く。
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小さなトンネルを抜けるとおお~~っつと声をあげてしまった。一目ではとらえきれないこんなのしかかってくるような大光景が迫ってきた。
教会前の人が嘘のように小さく見える。このカメラではとらえ切れなかった大迫力の壁のような大階段だった。
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この光景は今回の旅で出会った多くの絶景場面でもまたいつか再見したいもののひとつである。
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教会まで息を切らせて大階段を上り小さな脇道を下った。
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かわいい小物屋があった。
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少しのどが渇いたのでミルクセーキを飲んだ。1330にCanRocaがあるので少しだけ飲むつもりだったが美味しくて結局全部飲んでしまった。


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アラブ浴場。
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ジローナ博物館。
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中庭。
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この内部も荘厳という言葉がぴったりの空間だった。
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そろそろカン・ロカの予約時間が近づいてい来た。旧市街をぬけてTAXIに乗り場に来た。振り返ると旧市街一望できた。
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TAXIが来ないのでカン・ロカをiPadで調べるとここから1.2㎞ほどだったので歩くことにした。
♫プラタナスの枯れ葉舞う冬の道で~~♫なんて上機嫌で歌いながらムードたっぷりの公園を抜けて、
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橋を渡って、、、
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少し迷ながらもやっと着いた。「CanRoca」。半年余りも楽しみにしていたレストランである。
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少し早く着いたので、庭で待たされる間、シャンパンがふるまわれた。
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こちらはのどが渇いていたのでビールにした。
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世界的に有名なオーナーシェフと、記念撮影。
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室内はいたってモダンだった。
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さてこれから世界一のコースの始まりだ。
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これから始まりそれに合うワインがすべての料理に合わせてサーブされた。その数14種類。
3時間余りのすべてのコースを終えたときにはもうフラフラだった。
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最後に〆のデザートでこの長くも愉しかったフルコースも終了した。ちなみに夜のコースは5時間だそうだ。
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流石に帰路は疲れ果ててTAXIで駅まで帰ることにした。
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もと来た道を一気に帰る。ロータリーを周って、
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子供たちが騒ぐ小学校?の横を抜けて、、、
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駅に到着。
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パッセデ・グラシア駅までは各停で、約1時間20分ほど。ジローナからはBarcelonaのメインステーションのサンツ駅までは高速列車で帰ることもできる。約38分で着く。
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Girona駅からCanRocaまで。よく歩いた。ほとんど登りである。
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パッセデ・グラシア駅。会談で何を待っているのだろう???
因みにエスカレーターは、関西圏と同じく、右立ち、左通過である。

駅からホテルまでは、約5分。
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カサ・バトリオが右に見えたので前だけでも見て帰ることにした。
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この建物は前回の訪問時に見学したがガウディの真髄が集約されている建物だと思う。素晴らしい内装だった。
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ガウディが意識したといわれる隣の建物も素晴らしいものだ。
さぁ帰ろう、、、
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グラシアス通りを下って、
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下って、
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本屋の出店があった。
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もうすぐホテルだ。
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ホテル到着。
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流石にこの日はくたくた。夜は本でも読んで過ごそうかと思ったが、それもできずに爆睡してしまった。
この本のほかに3冊この旅行に持参したが結局読んだのは1冊一寸だった。

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2016シルバーウィーク西地中海の旅。その壱「出発~バルセロナの夜」。

 これを読んでいただいているみなさまお久しぶりです。
 旅のレポートが尻切れトンボになってしまっていて申し訳ない限りです。
 今回の旅は、これ以上は望めないほどの好天に各訪問地でめぐまれそれはホント奇跡的なことでありました。
 このわが生涯にのこるであろう愉しかりし旅を思い出なるがまま綴ってまいりますので、時間があればおつきあいいただければ幸いです。

 さて、その壱「出発~バルセロナの夜」。
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 久しぶりのジャンボ。ルフトハンザの日本~フランクフルト便は、成田からの機材は最新鋭のエアバスを使用しているようだが、関西便はこのジャンボジェットである。ジャンボはでかくて好きな機材であるが中々今となってはこの機材に乗機できる機会はとても少ない。台北に旅した時に乗って以来である。その時にはエコノミーであったので、今回まさかもう乗れるとは思っていなかったジャンボのビジネス席を何カ月も前から楽しみにしていた。
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 現在このジャンボ機にはファーストクラスの設定はなくなった。
 往路は、この元ファーストクラスの二階席を選んだ。
 操縦席が、見えた。
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 座席は、ビジネス仕様に変えられて一階席のビジネスと同じである。エリーはシャンパンですっかりくつろぎかんばせが赤くなっているのでモザイクをかけた。
 この二階席の欠点は、部屋高が低く少し窮屈なことであるがその隔離された特別空間はザァマ心地よいものである。
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 まずはシャンペンサービスのあと、ミュンヘンのエルディンガービールでドイツムードがいっぱいである。
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 食事は、洋食、和食から選べ、二人とも和食を選んだ。
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 内容はこの程度である。ドイツだから仕方がないか。
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 ロシア北部のカラ海辺りのこの景色。いつ見てもあきない雄大な光景である。一時間余りずっと窓の外のこの幾何学的な模様を眺めていた。
 余談ながら、この景色については、2011年のヨーロッパ旅行のブログでも書いたが、このクネクネと蛇行しときには、ほとんど円のような模様を描いて海にまで流れ込むこの川の水源から河口までの直線距離と川の総延長の比率は、限りなく3・141526すなわち円周率に限りなく近いという。
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 夕食。
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 あっという間の十数時間。いよいよドイツの街が見えてきた。茶色の屋根に白い壁で統一された町並みは上空から見るとさらにその統一感が素晴らしい。フランクフルトの街だ。
 ライン川が見える。懐かしい川だ。このフランクフルトから出発しレンタカーでドイツ各地をライン川沿いに旅したことがある。もう20年ほども前になる。母がまだ元気なころで、その旅が母の最期の海外旅行となった。
画面キャプチャ
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 フランクフルト到着。
 ジャンボ君と記念撮影。もう少しましな写真を撮りたかったナァ・・・

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 ここから国内線に乗り換えてBarcelonaへ。乗機ゲートが直前に変更になっていてそれを知らず広大な空港を走り回った。もちろんそれは場内放送はされていたろうし案内掲示板でも示されていたろうがさっきKIXで聞いたばかりのゲートナンバーの変更案内を聞き、見逃すなという方が無理なことだ。だが、今冷静に考えれば、以前のスキポール空港でのトランジットでもそうであったし、今回の帰路でも変更されていたし巨大空港ではそんなことは当たり前のことで、確認を怠ったこちらがぬかったことだと反省である。
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 Frankfurt~Barcelonaへの機中にて。
 この軽食は、ビールのアテにまずまず美味かった。
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 はるかに白い連峰が見えた。アルプス山脈である。これを越えて地中海に出て右に進路をとるとBarcelonaだ。

 バルセロナ空港からTAXIでホテルへ。空港では雲霞のごとくTAXIが並んでいたが、無数の耳をつんざくクラクションの音に何事かとドライバーに訊いたら列に並ばずに横入りして客をひろう不届きドライバーがいるらしくそれへの抗議のクラクションだそうだ。
 前回訪問時には、二度しかTAXIに乗らなかったが不愉快なことに二度ともぼられたのでこの地のTAXIにはいい思い出はなかったが今回は十数度TAXIに乗ったが一度も(実は一度だけ遠回りされかけたが)不愉快な目には合わなかった。正規TAXI(黄色と黒のツートンカラーに塗られている)にはメーターが必ず設置されており明瞭会計でチップもいらない。ただし空港利用時にはその加算と、大きな荷物一つづつにつきその加算はされる。ただその料金は安く市内ではほとんど日本円換算で1500円以内で回ることができる。

 空港から30分足らずで今回の前泊ホテル「ホテルグランビア」到着。
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 エリーのチョイスだがどこへ行くにも立地条件が素晴らしく、内装もクラシックで重厚で清潔でいいホテルだった。
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 旅装を解いて、さっそく夜の街へ出かけた。日本時間ではもう深夜であったが機中で結構寝たので二人とも元気溌剌であった。
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 まず最初はここと決めていた「タパス24」。夜の9時を過ぎたというのにこの賑わい。超人気店である。
 この店の外にも多くの他の店がそうであるようにテラス席があった。若いウエイターがそこへサーブするついでにニコニコとビールはいるかとグラスでくれた。前に並んでいた若い男性他と自分にくれたが、おたがい「これfreeかいな?」と訝ったがどうも並んでいるお客へのサービスらしくこうした気遣いも人気店にあげられている理由のひとつであろう。後述するがナポリのネクタイの世界的名店Marinellaでも同じような気遣いがあるとのことで人気店が人気店であり続けるにはそれにおごることなくそれなりの理由があるのだと改めて思う。
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 中は、想像以上に在が深く人人で溢れかえっていた。東洋人も多く見られ(多分ほとんどが韓国人だったと思う)、観光客が半数近くを占めていたように思う。
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 店の中まで並んでいた。だが意外と早く20分ほど待っただけで席に座れた。
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 ビールとワインとシャンパンで旅の始まりの乾杯をした。
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 どれもみんな流石に美味かった。
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 大満足してそこからの帰り道、何やらにぎわっている路地があったのでのぞいてみた。
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 路地の先にあったそこは、間口は狭いもののなかはこのように広大なものでものすごい人の喧騒で沸き返っていた。
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 ちょうどフードコートのようなものでいろいろな店舗の集合体で、どの店も趣向を凝らしたものだった。
 あふれかえる客たちもちょっとみんなおしゃれをしていて広大なホール全体がとてもいい雰囲気だった。
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 ん~~んホントみんないいカンジ。残念ながら今日は腹いっぱい。後日必ず再訪しようと思った。
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 ホテルに帰る道すがらまだまだ人通りでにぎわう街の上に浮かんでいた満月。今日から2週間のバカンスの始まりだと余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で仰ぎ見た。
 旅の始まる初日の夜、やっと思い馳せていた彼の地に来たんだと気持ちの晴れやかさを感じるときほど人生で素晴らしいときはない。
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