Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2016年08月

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙18 捨雛ノ川」。

 今巻ではそれほど大きな事件は起こらず、師範代鐘四朗が暴漢から救ったお市に惚れられて婿養子に請われることがいちばん大きな出来事かな。これが今後磐音の道場の跡目相続への話の伏線となっていくのであろう。
 それにしても小説家というのは良くもこれだけの種々にわたる面白い語を次々と生み出していくものだ。だがこの佐伯氏もデビュー当時は売れる本を書けずに、作家業をやめようと何度も思ったそうだが、この作品で花が咲いた。下世話な話だが今の時点でシリーズ累計2000万部突破しているそうだが、印税どのくらいになるのかしらん。。。

・形代=人を形どった紙細工。人形。


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まとめ買い。

 先日も、かなりまとめて本を買ったが、ぽっかり予定の空いた先の土曜日、紀伊国屋をうろうろしていたら何を思ったかまたまた本を買ってしまった。
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 丁寧にカバーを付けて緩衝材をびっしり詰めて大切に送られてきた。ウィンディも珍しそうに眺めていたので一緒にパチリ。

 いつもどんなに重たくとも手提げてかるのだが、これだけ買えば持っては帰れない。これだけの本を一度に買ったのは流石に初めてである。実は学生時代に一度だけ段ボール箱いっぱいの書籍を買って母親にびっくりされたことがあるが、もう一生二度とないだろう。

 送られてきたのは、磐音シリーズの残り29冊と、吉川英治「新書太閤記」の残り9冊。あと数冊も合わせて買ったがそれは持って帰った。そんなことで先日買った本も合わせて書斎には未読の本が100冊以上あると思う。2年間ほどは籠城しても大丈夫だ。
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 2棟ある本棚の右側は、第二次読書マイブームのきっかけとなった「永遠のゼロ」以来の本を並べている。まだまだ書棚の余裕が右だけで5年分くらいは大丈夫と計算していたがこの最近の読書のペースで行くと、2年ほどで満杯になりそうである。
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坂崎磐根シリーズを今読んでいる数冊を除いて並べてみた。これだけでもすごいスペースになるナァ・・・

吉川英治「新書太閤記」(二)。

 信長の下で藤吉郎の才気が小さなつぼみながら愈々花咲かせていく。藤吉郎の才は旧弊をうち開く工夫と冒険心を持っていたことである。それはまさに信長もが持っていた才能であり信長はそれをもって最下層の一兵卒の藤吉郎を見出す目を持っていたのである。

 こんなエピソードがある。ある時清州城の壁が百軒にわたって崩れたことがある。当番の奉行はちんたらと工事を続けなかなか捗らないでいた。それを見た藤吉郎は、俺なら三日で仕上げると信長に直談判しそして誰もができっこないと思われたその工事を三日三晩不眠不休で仕上げてしまった。のちに秀吉の出世話に語られる「三日普請」である。藤吉郎は、その工事場所を細かく分けその仕上がりを競わせたのである。もちろん早く出来上がった場所の担当には存分に褒賞を与えた。こうして誰もが不可能だと思えた普請をほんとうに三日間で仕上げてしまった。信長はこれが失敗すれば藤吉郎の才を認めながらも腹を切らせねばと案じていたが見事にやってのけたそのことと、その人使いの上手さに、遂に内の仕事から戦への役に藤吉郎を回した。禄百貫に加増し足軽30名を与え槍組、小隊頭の任を与えた。

 そして愈々桶狭間の戦い。信長公記にはその記述ははなはだ少ないがこの中では詳細に描かれている。ただこの作品が書かれたのが昭和14年から大戦中にかけて「読売新聞」に連載されたものでその後研究が進み信長軍の進軍状況、その時の天候状況等今の定説と齟齬があるが、中で描かれている誰が討ち取ったか等々は講談もののそれとははるかに史実を描いているので面白いものであった。

そして藤吉郎は、寧々と祝言をあげる。その祝言も今の研究ではほんの粗末な簡素なものであったといわれているがここでは盛大な披露が行われ犬千代が大暴れする場面が楽しく描かれていある。

・森可成(よしなり)は、濃姫の内室付として斎藤家から来た臣である。

・築山殿は元康が15歳のとき今川一族の関口家から義元の養女という形で嫁いできた。

・戦場では、寡は衆に勝てないのが原則である。

・佐脇藤八郎、前田犬千代の実弟。

・意馬心猿(いばしんえん):煩悩、欲望、妄念を抑えがたいこと。

・這般(しゃはん):また、このたび、今般。「-の情勢により」

・宇内(うだい):天下。

・弧帳寂寞(こちょうせきばく):孤独で寂しいこと。

・柴門(さいもん):柴の門、転じてわびずまい。

・浅野又右衛門(お寧の養子先、叔父にあたる)には実子がなかった。

・百千秋(ももちあき)=長い年月。永遠に。百千秋までもお添いとげなされませ。
類似の言葉に、千五百秋(ちいおあき)がある。

・水掛祝い:婚礼の日新郎の悪友が新郎に頭から水をかけて祝うふざけ。

・花嫁の「そうどう打ち」:離縁になった先妻が後妻をねたんで、親しい女たちと隊を組み、後妻の家に行って乱暴を働く風習。相当打ち。騒動打ち。


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藤沢周平「日暮れ竹河岸」。

 磐音シリーズと吉川英治「新太閤記」を中心に読んでいる中でチョコチョコ藤沢作品を読んでいる。藤沢作品も新潮版はすべて読みきって、あとは文春文庫版の何冊かと集英社版の数冊を残すのみとなった。

藤沢作品はやはり自然描写が実に素晴らしい。

この作品集は、浮世絵を背景にした19の小作品からなる。昭和56年ごろに書かれたものだが中で描かれる自然情景は今も色あせず心に沁みる。藤沢氏の描写はホント目の前にその情景が総天然色で浮かんでくるようなその巧みさにある。佐伯氏も磐音シリーズでそれをまねようとした節があるがすぐにやめてしまった。それほど藤沢氏の自然描写は他の作家にはまねることのできない巧みで繊細なものである。

ただこの作品集はあまりにもさらっと描かれたものばかりで物語の面白さには欠ける。

だが最後の作品「品川須崎の男」は、ある女が再婚し、その亭主はうだつの上がらない、貧相な男で、ある日ほとほとそんな男と所帯をもったことにそして自分自身にも嫌気がさし家を飛び出す。その時にふと知り合った男とねんごろになるが、何度か肌を合わせたあとあっさりと捨てられてしまう。お互いに遊びと割り切っていたいので彼女も根に持つこともなく忘れてしまうがあるときにその男と町ですれ違った。なんとなくその男をつけていくとその男は大店の旦那で、後添いをもらってもうすぐ子供が生まれるという。行きずりの恋で別に今さらその男に恨みなんてのはなかったが・・・という話でこれはこれでさらっと面白かった。あと少ない藤沢作品もボチボチ読んでいる。

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お盆クルージング打ち上げ。

「中村屋」でお盆クルージングの打ち上げをした。生憎連日の暑さのせいで集合写真を撮るのを忘れてしまった。しかもメンバーの誰もがそれを撮っていなかった。
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海鮮炒め。
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砂ずりの香味炒め。
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山芋のそぼろあんかけ。
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四川風エビの炒めもの。
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やさいあんかけ。
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エビチリ炒め。
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麻婆豆腐。
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八宝菜。

 料理だけの写真となってしまったが、みんなよく食べよく飲んだ。
 そしてクルージングの思い出話に、大いに愉しんだ。
 誰かが言った。
 「結局このメンバーで飲んで騒いでどこでやっても同じじゃん・・・」
 そりゃそうだと、みんな(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
 だけどこれが愉しいんだよねぇ~~~~

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙17 紅椿ノ旅」。

前巻で奈緒が身受けされ北の国に幸せを求めて旅立ち、このシリーズの大きな背景をなすひとつの物語の区切りがつき今巻からは、いわば新章がはじまる。


気鬱(きうつ)におちいったおこんを湯治の湯に出すために磐音が付き添い、旅先でついに二人は結ばれる。この辺りは新しい物語の幕開けの出来事なのでもう少していねいに描いてほしかったかな。藤沢氏ならもう少し官能的に描いたであろう。藤沢作品のファンにはその登場人物の中で脇役の女性のファンが多いが、用心棒シリーズの佐知、「海鳴り」のおこう、そして蝉しぐれのおふくなど男心の琴線をふるわせるたまらない女性が登場する。藤沢氏が登場させるその女性たちが見せる閨でのさまは、まったく淡々と描かれるが、この女を守ってやりたいとぐっと思わせる巧みな描写がなされる。読む男性をひきつけてやまない。とにかく彼女らは可憐なのである。

このおこんも両国橋界隈で今小町とよばれるだれもが認める超美形で、気立ても下町の娘でシャキシャキとしているがその裏にある可憐さを描いてほしかったナァ・・・


―磐音はおこんの帯を解いた。磐音はひしとおこんの細身を抱きしめたー

だけでは、ちょっとナァ・・・


・頸木(くびき)=自由を束縛するもの

・板重

・江戸の旅人はおよそ一日10里を目途に道中した。女連れでも7,8里は歩いた。

三国峠=信濃、上野、越後に跨るのでこの名がある。江戸からの旅人が三国峠を越えると眼下に雄大に広がる日本海の景色を眺められたという。




華の金曜日。

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今日はいつもより張りこんで、天満宮近くの「有」に行った。
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どれも流石北新地で長年店を張っていただけに上品でおいしゅうございました。
だが、やっぱり裏難波の立ち飲みの方が、気がねのう食べられてええなぁ~~~

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙 16 螢火ノ宿」。

 何カ月か前、紀伊国屋で「いよいよ完結トータル1800万部突破!!」のテンプティブな帯に思わず引き込まれてマァそんなに人気シリーズならちょっとマァ一巻買ってみよかと手にとって早16巻目になる。爾来読書の多くの時間をこの作品に費やしている。

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いよいよこのシリーズのクライマックスである。磐音と遊女に身を落とした奈緒との別れのシーンが登場だ。このシリーズの23巻までを読んだ読者アンケートで「心に残るシーン」で第一位に選ばれた場面が描かれる。この16巻目で作者も述べているが一つの区切となる。NHKの時代劇ドラマ(主人公は、磐音は、好きな俳優山本耕史、奈緒はこれも大好きな女優笛木優子で演じられているのでDVDで借りてみたいのだがまだ見られずにいる)で映像化されたがそれもこの巻を描いて「完」となっている。


だがまだまだ面白い。あとラストの51巻まで35巻。今年中には読み終えるかしらん?


・籠かきで、前をかつぐのは、「先棒」、後ろ担当は、「後(あと)棒」といい、それぞれ「お先棒を担ぐ」「後棒を担ぐ」とことわざにもなっている。


・妓楼の主は、「忘八(ぼうはち)」と蔑(さげす)まされるが、

「孝、悌、忠、信、礼、義、廉、耻」

の八つの道徳のすべてを忘れるがゆえにそう呼ばれる。

因みに、廉=心が清らかで欲が少ないこと。

・手薬煉(てぐすね)を引く=こんな字を書くんだ。初めて知った。

吉川英治「新書太閤記」(一)。

 つい少し前まで全く読む気もしなかった秀吉の生涯だが津村陽の「夢のまた夢」が何故か買った覚えもないのに書棚の奥から出てきて読んで以来、またタイミングよく今春から放映が始まったNHK大河ドラマの「真田丸」が望外に面白く秀吉の一生もあらためて読もうかと司馬さん、山岡荘八(これはあまりにも講談ものすぎて阿保らしくて一巻でやめたが)、この吉川英治と読みつないでいる。

この「新書太閤記」シリーズは全11巻からなり、今初巻ではその誕生から義父との対立から各地を放浪した末、遂に信長に仕えて、草履持ちから台所役、そして炭薪奉行へと出世していくまでが描かれる。この辺りは全11巻の長編からなるだけあってかなり詳細に一つ一つのエピソードが描かれ、日吉とよばれでいた小僧が貧困の百姓家から必死で働き這い上がってくるストーリは彼の非凡の才覚がともに描かれつつとても面白い。


この文庫本は1990年第一刷発行で初刊は知らないが30年以上も前に書かれた故にところどころ現在の定説とは齟齬があるが、マァ合格である。

ナンでエラソウに上から目線ナン??

余談だが、歴史のIFを想像するのは楽しいが、もし日吉の実父が長生きしていれば、おなか(秀吉の実母)は再婚することもなかったであろうし、もし再婚した義父(竹阿弥という)が秀吉と仲が良ければ秀吉は、家を飛び出すこともなかった。そうだとすればのちの秀吉はいなかったはずで光秀は討たれることもなかったし、そもそも謀反を起こしていなかったであろうし、そうなれは家康の出番もなく徳川200数十年の世もなかった。尾張の田舎の名もないたった一人の百姓の早死にが今の日本の歴史に壮大に影響している。日本の歴史どころか世界の歴史はたった一人の人間のちょっとした表裏でその後の歴史が激変するものである。 

                                                                                     

もう一つ余談だが、並行して司馬さんの「新史 太閤記」(下)を読んでいる。いま高松城で信長の横死の報を受け中国大返しの真っ最中である。なにも態々ややこしいのに同時に読まなくてもいいと思われるだろうがこれがまたザァ~マ楽しいものである。 

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16歳の信長には、内室が決まっていた。道三の娘、濃姫である。

・美濃尾張の国境にある正徳寺で信長と道三は初の対面をした。

・秀吉と、清正は尾張中村同村の出身者だった。 

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙15 驟雨ノ町」。

今回クルージングに持って行った3冊目の本。一週間の旅程だったのでまさか3冊もいらないとは思ったが最後この本の1/4ほど読み残しただけで全部読んでしまった。クルージング中にこんなに本を読んだのは初めてである。今クルージングはほんと海が穏やかでデッキでの読書は最高だった。

 

 それにしてもこのシリーズは面白い。読みだしたら止まらない。これを書いている時点で、17巻まで読み終えたが今巻では、大きな事件は起こらず磐音のまわりでの小さな事件が描かれる。磐音と奈緒の愈々の別れは次巻である。51巻にも及ぶシリーズ累計2000万部を突破した超ベストセラーだが、その中で読者に選ばれたナンバーワンのシーンが次巻で描かれる。

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・木々の葉叢(はむら)が、稲荷神社に木下闇(こしたやみ)を作っていた。

・腥い(なまぐさい)

増山実「勇者たちへの伝言」。。。

 久々に大感動した作品。最後は何故かそんな感動的な場面でもないのにウルウル来てしまった。その原因のひとつは話を語る作者の筆致のやさしさにもあるのかもしれない。

 


物語は昭和30年代西宮北口にあった阪急ブレーブスのホームグラウンド西宮球場を背景に亡父とある少女の淡く、哀しい恋つながりが全編に流れ、時を経たその少女からの手紙がやわらかいやさしさで物語全体を包む。だが在日だったその少女がその中で淡々と語る北朝鮮での生活は想像を絶する悲惨きわまりないものだった。これを読んでいたそのときは、平島の港に舫うBigElleのデッキでの雲ひとつない蒼天の下だったがページをめくるたびに行間から北の荒涼とした大地を吹きすさぶ寒風が心の中に染み入ってくるようだった。

みんなに読んでほしいのでネタバレは書かないが心に響く素晴らしい小説だった。すぐさまもう一度読みなおしかけたが、なぜかどうにも心がこばむのか頭に入ってこなくて、坂崎磐根に切り替えた。時をおかずに静かに読みなおそうと思う。


 

・明治時代石川県の人は貧しく。故郷を捨て新天地を求めた。北海道が主な移民先であった。屯田兵の出身地で全国一多かったのは石川県だった。稚内に移り住んだ5割の人が石川出身であったという。礼文、利尻へも石川県民の多くが渡った。礼文島の浜中村は能登町とよばれるほど能登出身者が多いという。

・関西の「豆腐屋」「風呂屋」の出身者の78割は石川県出身である。

豆腐屋というのは水を使う仕事で特に冬は手を切るような冷たさで辛いものである。都会育ちの者にはできない仕事だが石川県民はその我慢強さと粘りがある。そして元手があまりかからない商売である。豆腐屋で成功したものが貯めた金で風呂屋をする。「豆腐屋から風呂屋」これが石川県民の出世コースだった。

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五島平島港にて。上五島とは目と鼻の先だが行政的には西海市である。

 この港でまったりとビール片手にゆったりとながれる島の時間にまかせて読みふけったたまゆらは物語の中で安子から届いた手紙の中を吹き抜ける荒涼とした北の大地からからの風をともなって今も思い出されてくる。


有川浩「ストーリー・セラー」。

今回の長崎旅行に持って行った本。これと「勇者たちへの伝言」「坂崎磐根15」を加えて3冊あれば今回のクルージングでの読書は賄えるだろうと用意した。船にも2冊置いてあるし・・・

今クルージングは、航程がかなりゆっくり組んであり訪問した各島での滞在時間が長かったこと、加えて海が一度も荒れることがなく(記憶では長い夏のクルージングの歴史のなかでは何十年ぶりのことだと思う)海の上でもラットは仲間にまかせてデッキで何時間も読書ができたことでほぼ3冊まったりと愉しむことができた。

オーナーズルームは、船の一番後ろに位置するのでエンジンをかけているとその音と振動が気持ち良い読書をいささかならず邪魔をする。それに比べるとデッキでの読書は周りに広がる大海原に開放感があふれ快適この上ない。

 

さて物語は、とても不思議な組み立てであった。ある新進の女流作家が不治の病におかされ余命いくばくともないこととなる。(これがside A

夫は懸命に付き添うが・・・最後死ぬ前に女流作家の夫が先に死ぬという正反対のストーリーの小説を書いてほしいとたのむ。そして彼女が残したその小説がside B

 

というside ABふたつの話で構成されている。

読んでいて、もちろんこの小説の中でだが、どっちがほんとうの話なのか、その女流作家が書いた話なのかこんがらがって訳の分からないままに本を閉じた。だがふんわりとしたいい小説だと思う。また女性にしか書けないユニークなストーリーだと思う。またいつか読みなおしたい作品である。
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長崎空港から長崎新地への空港バス内にて。

2016お盆クルージング。総集編。八日目。8/17帰阪。

一週間瞬く間に過ぎた五島列島お盆クルージング。今回も多くのバカな土産話がてんこ盛りできた。次回BigElleのイベントは2週間後の打ち上げだ。
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シャワールームのスノコが汚れていたのでわたしがたわしできれいにした。ヨットのメンテは無限である。
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今回未使用で船にストックして帰った衣類。これを写真に撮っておかないとまた次回にダブって持ってきてしまう。
かなり以前から己の記憶力はまったく信用していない。

2016お盆クルージング。総集編。七日目。8/16黒島~出島へ。

8/16黒島0430~出島40M1000
晴れ時々曇り。波高0m。風なし。

まだ夜も明けやらぬ中、GPSを頼りに出航。
一路出島に向かった。途中池島の西を通過の予定だったが前を走る本船がその東を通過し長崎港への最短コースをとったのでそれをなぞってついて走った。

1000出島無事到着。みんなで後片付けをして新地で中華で打ち上げの予定だったが。炎天下で作業したのでみんなバテバテで船で残り物の整理をして昼食を済ませ、夜みんなで食べに行くことにして暫時昼寝。

だが結局夜も船で食べようということになりまたワイワイと飲み食べた。
今晩の夜行で二人帰阪である。一人は明日から仕事だそうで目いっぱい段取りして今回のクルージングに参加してくれた。感謝。感謝。
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二人を見送ったあと川船が夢彩都に出ていたので見に行った。

2016お盆クルージング。総集編。六日目。8/15平島~黒島へ。

8/15平島1015~黒島18M1300
今日は、終戦記念日。先の戦争で亡くなった350万、400万といわれる方々に深い哀悼の意を捧げたい。

おそい朝食後、世話になった平島をあとに、黒島へ。同行していたN号は、平島が気に入ったとかでもう一泊平島するそうでここでお別れ。愉しい同行だった。

平島の辻さんには「何もないですが、また来てくださいね」と温かい言葉で送られた。また来よう。。。
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炎天下スターンで魚を捌くゴンさん。今回随分と魚の差し入れをいただいたがゴンさんがほとんど捌いてくれた。感謝感謝。。。
ビーチパラソルをセットして日陰をつくったが、このあと洋上をわたる一陣の風に、あっという間に飛ばされてしまった。しなだれきった日の丸を見てもわかるように無風(正確には追い風だが)を過信し飛び防止を怠った私の責任である。

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3時間ほどで黒島到着。
黒島での繋留の写真は、なぜかみんな撮っていなくてこれのみである。
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フェリー黒島が入港してきた。
ゴンさんは、所用で本日で下船した。魚の捌きほかいろいろとこまごまとした雑用をてきぱきこなしてくれて有難うございました。

島の顔役Yさんに自家用車をお借りして島内見物に出かけた。Yさんは青方の和ちゃんからのつながりである。
人のつながりほどありがたくまた素晴らしいものはない。人間の値打ちはどれだけ多くの友をもっているかで決まる。
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黒島天主堂。
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わらべと読む。
写真では分かりにくいが水平線の上に中通島が見えた。
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曹洞宗興禅寺。
教会巡りばかりもなんなので
仏寺も訪ねた。
黒島でのキリスト教徒の割合は聴き洩らしたが、五島列島でその割合は約3割で全国では数パーセントということだ。だが一部のキリスト教徒はここでもみられるように仏教徒を装っていた。平戸の教会は海からみると仏教寺のように見えるが島の中から見ると教会に見えるという巧妙なカモフラージュを工夫したものもある。

昨日ターボが連れて行ってくれた入り江の奥には、海からしか行けないしかも海からも見えないキリスト教徒の集落が今もある。
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寺の庭から望むはるかにはなつかしい平戸の海がひろがっていた。
BigElleのマストがちらりと見える。
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アコウの巨木。これでめぼしい島内の見どころはすべて制覇。車を貸してくれたYさんに感謝。電動自転車の予約を入れていたがとてもこのくっそ暑い中ではほぼ死んでしまっていたことだろう。ナックは10分ほど車を借りる前にウロウロとしたらしく、教会近くの売店の女の子が「カワイイ」というのでわざわざ寄ったがそれほどでもなかった。Tomも同意。ナックとは趣味が合わない。
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黒島地図。

日本の教会はあまり好きではないといいながら
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これだけの教会を訪問した。
野崎島の野首教会、Sさんが案内してくれた旧五輪教会がよかったかな。
日本の教会は、歴史が浅くその規模も外国のそれに比べると格段に規模が小さい。それになぜか写真撮らせてくれないし。



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Yさんに感謝を込めてガソリンを満タンにしてお返しした。ほんとありがたかった。感謝。感謝。。。
夜は、まだみなさんからいただいた海の幸があふれるほどあったのでそれで船でワイワイと宴会した。
明日は、なんと早いものでクルージング最終日。あと片づけもあるので早朝0400起床、0430出航とし早々に解散しそれぞれのボンクに潜り込んだ。

殺人的な猛暑の中を京都へ。

高校時代の同級生でもありバンド仲間のN、S君と京都へ。
先日のライブ写真を撮っていただいた津村さんの個展をお礼がてら観に行くためだ。
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阪急梅田駅から京都線で大宮へ。阪急電車で京都に行くなんて10年ぶりのことである。

ついでにといっては何だが、個展に行く前に二条城、二條陣屋の見学のコースを入れた。
S君が、京都ミニツアーを組んでくれた。

まずは二条城。学生時代かなり頻繁に京都には来たがなぜか二条城は今回初めてである。それだけに最近の「お城マイブーム」もあり今回の京都行きはとても楽しみにしていた。
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残念大手門は修復中で写真が撮れなかった。
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唐門前。
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二の丸御殿。なぜか今日はほとんど中国人を見かけなかった。日ごろ団体が来た日には大変なことになるそうで、中でものを食べるのでホント困っているとのことだった。
約半刻御殿内を、案内説明のテープを聞きながら見て回った。そのスピーカーから流れる説明はざっとしたもので次回はボラんティアガイドかだれかにもう少し詳しく教えてもらいながら巡りたいものだ。

少し気になったのだが将軍が外様大名と謁見する大広間で人形の大名が脇差を帯びていたが、それは史実なのであろうか?浅学だが将軍謁見の際は両刀は控えの間に預けて置くのがしきたりだと思うが、どうなんなんだろうと近くの別の団体を説明しているガイドさんに訊いたが、そんな質問を受けたのは初めてらしく要領を得なかった。ナンデダス?
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こんなモーレツな炎天下であった。
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二の丸庭園をぬけて
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本丸へ。
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本丸屋敷群。
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天主閣跡から本丸を臨む。
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西の橋をぬけて
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城を一周した。
もうめちゃくちゃ死ぬほど暑かった。
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二条城は、1603年(慶長8年)家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営したものだ。

二条城から10分ほどテクテクと二條陣屋へ。これが軒下の影を選んで歩いたがまたくっそ暑かった。
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ここではたっぷり半刻、ガイドのおっちゃんから1000円分懇切丁寧に説明を受けた。当然ここでも室内撮影一切禁止。ナンデダス????


中々趣のある屋敷で秀吉にも仕えた大名小川家の血を引く商人が諸大名の京での宿泊のために陣屋として建てたものである。各部屋に隠し扉、忍び返し等々金沢で見学した妙立寺を思わせる造りで(当然書院造り)、愉しく屋敷の3/4の見学を終えた。1/4には、小川家の末裔が現在も実際に生活している。

よくこんな歴史ある見学施設を見つけてきたものだ。S君に感謝。
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偶々プロモーションのための撮影に来ていた祇園の舞妓さん「雛佑(ひなゆう)」さんと一緒に部屋を巡らせてもらい玄関でそのお付きのプロカメラマンに厚かましくもパチリとってもらった。
雛佑さんも気さくな女性で、出身を訊くと大阪の子だった。それも相まって邸内も結構暑かったが愉しい陣屋見学となった。

二條陣屋からはTAXIで5分ほどのはし長(なが)へ。やっとここで昼食にした。
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浴びるように生ビールをぐいぐい飲んでやっと一息。スンでのところで死ぬところだった。
生ビールの泡の量合格である。

横でおばちゃんグループが7.8名ワイワイやっていたので
「どちらから?」
と声がけすると
「地元嵯峨です」
と応えたので
先日読んだ「京都ぎらい」の話をすると、彼女らの何人かはその本を知っていたらしく、大爆笑。
「洛外、洛内でそんな差別ホントにあるの?」
と訊くと
「うんぬん」
とまたまた大笑いだった。
それを横で聞いていた上品そうな女将さんは、バリバリの洛内の人らしく、ほほをゆがめて苦笑いをしていた。

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調子に乗って冷酒もたしなんだ。祝蔵舞(いわいくらぶ)と読むらしい。美味い酒だった。


飲んで食べてご機嫌をとりもどし今日の本来の目的地、津村さんの写真展へ。
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津村氏はアマチュアカメラマンでミュージシャンの写真を中心に活躍されている。
ここの写真をFBにUPしたら、即、佐世保のサンデイトリップのあゆみさんから京都のライブハウスの写真があると指摘された。流石。。。

この日はあとで聞くと日中38度まで上がったらしいくっそ(何度も失礼)暑い中での京都行きだったがS君が充実した京都ミニツアーを組んでくれていつもとひと味違ったとても愉しい一日となった。
感謝、感謝である。
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ヨドバシカメラに寄って、先日のライブ時に津村さんが撮ってくれたメディアをポスター大にしたのを受け取った。

流石に顔の中心のサングラスにピントがばっちりあっていてこのサイズにしても切れるようなシャープな出来である。これも感謝。。。

2016お盆クルージング。総集編。五日目。8/14青方~平島へ。

8/14青方0930~平島26M1330
快晴。波高0m。
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くつろぐみんな。
青い車とルーさんの車2台2日間貸していただきました。ホント感謝。。。。
朝ごはんは、またまたセリ他でとんでもなく忙しいのに、ルーさんがウチの6人分だけでなく、Nさん夫妻のまでどっさり作って船まで届けてくれた。船で米を炊くのは大変なので(もちろん家でも同様だが)朝食の差し入れはありがたいし感謝だが、いつも朝の貴重な時間を使わせて申し訳ない気持ちでいっぱいである。ホント感謝。感謝。
昨晩和ちゃんがもたせてくれた味噌汁とで贅沢な朝食となり、みんなおなかいっぱいになったあと
いつものようにセリを見に行った。
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続々と青方のみならず近辺の島々の漁師さんたちもここに水揚げにくる。
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セリをしているときのルーさんはいつもにもまして男前だ。
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この中のトロ箱いっぱいのサザエをターボのお母さんからプレゼントしていただいた。昨秋、島原小浜でお孫さんたちを船で接待といっても招いてビールを飲んでもらっただけだったがそれのお礼だと言って・・・
ホントこちらこそ感謝。
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0930出航。後ろはN号。今日は平島まで同行だ。
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途中いい風が吹いてきたのでセーリングした。Nさんが撮ってくれた写真。セーリング中の写真は中々撮れないので貴重なショットである。もう少し近づいて大きなサイズで撮ってほしかったかな・・・
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風がほとんど止み、4KTほどでセーリングしながらお昼にした。
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並走するN号。
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ええ感じやなぁ~~~
読んでいるのは「勇者たちへの伝言」。
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1330平島到着。
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入港時、前に見える島の右側を通過しようとして島のTさんがちょうど自宅から見ていてくれて電話をしてくれた。
「そこヨットだと座礁しますよ!!!」
急遽転針してことなきをえたが、ホント危ないところだった。海図には水深10mとあったのだが・・・これだから初めての海域は怖い。
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手の握りこぶしほどの大きさもあるサザエ。Nさんに半分わけて、暇にまかせて大量に捌いたがまだこれだけある。
これだけのしかも新鮮なサザエを刺身、つぼ焼き、アヒージョ、酢の物にして毎食食べた。
みんな「ぜいたくきわまりないなぁ~~~」
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ルーさん差し入れのカツオを捌くゴンさん。

今夜は、Nさん、ゆかさんをこちらに招いて合同夕食会。。。
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サザエのアヒージョ。絶品だった。
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Nさんから差し入れのマグロ。ゆかさんの捌きである。ゆかさんの包丁さばきはプロ並みいやプロ以上である。
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アジ、メダイ、カツオの三店豪華刺身盛り。

今回誠に世話になったTさんが来てくれてなんと南極の氷をプレゼントしてくれた。
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人生で初めて見た、触れた「南極の氷」

流石にNさんは知っていて、だが彼も25年ぶりとかでみんなのテンションはUPUP‼!!
船内は一気に大盛りあがった。
よくぞこんな貴重なものを提供してくれたものだ。
Tさんに大感謝。。。。。。
ウヰスキーを入れると「パチパチ。パチパチ」と何とも神秘的な太古の音が聞こえた。
数万年前に閉じ込められた空気がはじける音だそうで、なんか聞いていると思わず涙ぐんでしまった。

自然か奏でる旋律に感動したのか、こんな大切なものを惜しげもなくプレゼントしてくれたTさんへの感謝のどちらに感動したのかは不明だが・・・

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大いに今宵も盛り上がり平島の夜は更けていった。Tさんの南極の氷のおかげでとても想い出深い夜となった。

2016お盆クルージング。総集編。8/13青方にて。

8/13青方
快晴。

Nさんが思い立ってこちらと合流したいというので奈良尾まで迎えに行った。
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奈良尾港に入港してくるN号。
「バオン、バオン」とものすごい迫力だった。
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Tomとゴンさんに見送りを受けて出港した。二人はそのまま青方までUターンした。片道車で30分の距離である。ご苦労様。。。
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エンジンをふかせるとその爆音は、耳をつんざくほど。
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Nさん愛犬の「モモ」ちゃん。なれたもので航海中もあちこち歩き回っていた。

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無事青方到着。仲良くお尻あわせに舫った。

お昼はルーさん、和ちゃんからいただいたいっぱいの海の幸でいろいろと作って食べた。
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今回は訪問する先々でつぎからつぎへと海の幸をいただいたのでほとんど買い物をすることがなかった。


1300からはターボの船で海水浴に行った。
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夜は、N艇でまたまた大宴会。
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Nさん提供のイベリコ豚の原木。
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このあとBigElleに帰って二次会をしたが、昼に海で遊んでいるので早々に各自部屋にて就寝した。

2016お盆クルージング。総集編。8/12奈留島~青方へ。

8/12奈留島1250~久賀島1310=1330~青方20M1630
快晴、波高0m、風なし。
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奈留島港に舫うBigElle。
奈留島訪問で、五島列島の五つの島を制覇。この島は今回のクルージングの一番の目的地であった。
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レンタカー2台を借りて午前中島内観光をした。まず漁協に寄った。めぼしいものはなく次にキリスト教徒でもないが江上天主堂へ。
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Tomが撮ってくれた写真。オーシャンファイブだそうです。

この教会の内部見学には事前許可が必要だそうで、別に見たくもなかったがたまたま一組予約したカップルがいて便乗させてもらった。
鍵をもって現れてたおばさんは、何か上から目線で
「説明聞きたいの?」
「ハイ」
「じゃぁ座って。。。」
「・・・」
「断っておきますけど、内部の写真は撮らないでね。んで中からも撮らないでね」
「・・・・」

それから先生口調で説明があったが、別に聞きたくもなかったので事前に送ってもらっていた島のパンフレットを見ながら次の予定を立てていた。
キリスト教徒の高位の人かもしれないがなにもそんなに偉そうにされる覚えはないが・・・
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次に氷の補給。ここの漁協ではキュービックは無く、このかたまりで売ってくれた。これで今日一日船の旅はご機嫌である。
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氷が大量に手に入ったので生ビールをガンガンに冷やしなおした。船で飲む生ビールほどうまいものはない。
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城岳展望台にて。
うだるような暑さであった。
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眼下には久賀島。いつも世話になっているSさんのいる蕨の里が見えた。左には旧五輪協会が見えた。

山を下って宮の浜海水浴場へ。
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ここでひと泳ぎと船からみんな水着着用であったが今一の雰囲気に、またこの警官が島の南のもう一つの海水浴場があると勧めてくれたのでそうしようかと移動した。
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今回借りたレンタカー左EV車、右ガソリン車。EV車は、クーラーガンガンにつけたまま3時間走ったらバッテリーが上がってしまった。最後は負担を減らすためにクーラーを止めて運転手をのこしてみんなガソリン車に移って移動した。
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千畳敷。
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この透明度だったが、このころには気温は殺人的なまでに上がりとてもこの炎天下に海に入る気もしなかった。
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奈留島島内地図。

さて出発の時間である。今日のレグは、ルーさん、ターボ、和ちゃんが待つ青方まで20M。約3時間の航程だ。
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1250奈留島出航。
奈留から南回りで若松瀬戸を抜けて航く予定であったが、明日Nさんのクルーザーを奈良尾まで迎えに行ってそこから若松瀬戸を通る予定だったのでナックが同じ航路を二度通るのもと提案したので
「そやな」と
北回りで航くことにした。

前島の前で急遽Uターン。
そうなると久賀島蕨の横を通ることになるので、あいさつがわりにSさんに電話した。Sさんは「いま稲刈りの途中だが来てください」とのことで蕨にむかった。
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蕨港の前でSさんの小舟が迎えに来てくれたのを見て思わず「WOW~~~」
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Sさん夫妻とは去年の夏。旧五輪教会を巡っていらい1年ぶりである。Sさんともながいつきあいだ。
「来年は久賀に来ますね」と別れた。
自分の畑で収穫したばかりの新米をいただいた。
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シイラがダブルでヒットした。今回もケンケンでひっかけたのはシイラばかりだった。
今回は短いレグばかりなのでかなりエンジン回転数を落として(2000rpm)運航したがそれでもBigElleは8KT程の速度がでるのでシイラ以外カツオ等のヒットはなかった。
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みんな水着を着たままだったのでスターンで交代で水浴びをした。
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青方が見えてきた。
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岩場をかすめて、
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さらに狭水道をぬけて航く。ターボにおしえてもらった道だが、それでないとこのルートはとれない。
奈留島から最短距離で青方に入った。
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「前田旅館」で和ちゃんの接待で大宴会をした。
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食材の多くは、ルーさんが提供してくれたとのこと。
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感謝。感謝。大感謝である。
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〆は和ちゃん特製の「ぜいたくサザエごはん」。
ザァ~マニうまかったバイ。

ジローナ。

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五島列島クルージング。

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前夜祭。                                                              
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シイラが釣れました。即リリース。
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もうすぐ奈留島です。
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奈留島の港が見えて来ました。
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もうすぐ着岸です。
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奥居旅館。いい宿でした。
今回は珍しくクルージング中一度だけの外泊となりました。
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宴会場。天井が思い切り高く、ふすま絵もマァ素晴らしく信長が描かせた安土城の狩野永徳のそれもかくありなんと思わせる(シランケド)雰囲気最高の部屋でした。いままでの宴会場でもんくなしに一番タイ。

佐伯泰英「居眠り磐音江戸双紙 14夏燕ノ道」。

  このところこのシリーズのお陰で少し寝不足だったが、昨夜は読書を早めに切り上げて朝までぐっすりよく寝た。

今朝は、寝室に日が差しはじめるころ閉め切ったガラス戸をものともせず突き破ってくるうるさいほどの蝉の声で目覚めた。


 今日の予定は何もなし、一つだけ先日緊急入院した母の見舞いだけである。

 顔を洗って、歯を磨いてさっそくこれを読みだした。

 

 今巻は、10代将軍徳川家治の日光社参に磐音が随行するという話5章である。家康関連本は山岡荘八「徳川家康」全26巻を読んでいるので自分ではいっぱしに家康のこと知っているつもりだったがそれを読んだのが30数年も前のことで今巻で描かれている「日光社参」を全く知らんかったナァ~~覚えてないナァ・・・と自分の老いに愕然としていると、よく考えるとこの社参は家康死後に、三代将軍が祖父を偲んで挙行したもので山岡本では描かれているはずないもので、ほっとするやら今気がつくか?やらでホンマ、どっちにしてもボケた話である。 
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  ここで描かれている安永5年(1776)卯月13日に家治が江戸城を出立した日光社参は、もちろん史実で、その共として御三家、大名諸侯、直参旗本その家臣たちと述べなんと400万人、馬30万匹が日光と江戸を往復したという。当然莫大な出費がかかり、幕府のみならず諸侯の負担はただならざるものであったという。しかも幕藩体制はすでに崩壊の兆しのなかでその費用は商人への寄付押しつけの負担で賄ったという。

 封建制度の矛盾の中でフランスと同じように、そのほとんどが何もせずふんぞり返っている膨大な数の支配階級という無駄口を汗水たらして働く農民、町人が養う制度が破綻をきたすのは当たり前のことだ。フランスではまさにこのころ1789年遂に流血を伴う革命が勃発したが、日本でその維新という革命が起こるのはアメリカの軍艦の来航という大きな外圧がもたらせれるさらに100年後を待たなければならなかった。日本人というのは大きな社会の変革を自らの意思でなしえる能力を持たない民族かと思う。

 

昼過ぎ母を入院先の病院に見舞った。院内はエアコンが程よく効き快適だったが外は猛烈な暑さで楽しみにしているクルージングだがとても日中は外では遊べないことかもしれないと弱気になった。五島列島の夏は、大阪にくらべるといつも程よい風が海をわたって吹き抜け余程大阪より過ごしやすいがさて今年はどうかしらん。

 

今巻では、江戸の中期の歴史をすこし学ぶことができた。

 

・努々(ゆめゆめ)疑ってなんかいませんよ・・・:よく使う「ゆめゆめ」だが、こんな字を書くんだ。

 

・家康は元和2年(1616417日駿府で身罷(みまか)った。その遺言により、久能山に葬られ、社殿が建てられたが、同時に日光山に新たな社殿を造営して家康神格化の道がはじまった。

 

  これは前にも書いたことだが家康は、隠居場所を、生まれ故郷であり、その出世の緒となった岡崎でなく、人質として幼いころ過ごした駿府を選んでいる。これには諸事情もあろうがとても興味深いことである。また今読んでいる秀吉本を読み終えたら家康関連の本を読もうかと思う。

 

・畏友=尊敬する親友。

・献酬=盃をやりとりすること。

・茶を淹(い)れる。

・莞爾=にっこりとほほえむさま。「莞爾と笑う」

久しぶりの何も予定の無い週末。

 もうすぐ指折りかぞえ楽しみにしているお盆クルージングだ。3夏続けて五島の海への旅である。今回は、五島の中で唯一BigElleを舫っていない奈留島訪問が大きな目的だ。もう4日後には 海の上だ。いやホンま楽しみ。
 
 そんなことで今週末は、休養も兼ねて何週間ぶりで何も予定を入れていない。 ずんやり本を読んでダラダラと二日間過ごそうと思っている。

 午後梅田に出て、ヨドバシカメラで先日のライブの時にプロに撮ってもらったメディアをプリントに出した。ポスターサイズにしても十分な容量をもっているというのでA4サイズにしたが、もう少し大きくしてもよかったか。
 そのあとお盆クルージング用に、昨年末の大つごもりにNZBay of Islandsで川の藻くずと消えたビデオカメラのを代品を買おうかさんざん迷って結局買うのをやめて、iPad用のUSBメモリーを買って、本屋を二軒回ってあとの紀伊国屋で結構あちこちまわって疲れていたのに何を血迷ったか思いっきり本を買ってしまった。二日間べったりと読書できると、またもうすぐ夏休みだとテンションがあがっていたのだろう。

 最近は、買う方が読むより断然多いように思う。
 ので、暇にまかせてゴソゴソ積んで写真を撮ってみた。
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 今日買ってきた本。久しぶりに単行本も2冊買った。
 一万数千円の支払いだった。 いつもその気になって買えば結構な額にはなるが一万円を超えたのは初めてじゃないかな。
  レジの女の子に
 「いつもありがとうございます」と言われた。
 「知ってるの?」と自分を指差ししながら訊くと
 「いつもよくお顔拝見しています」とニコッと応えてくれた。
  エエ子やぁ。。。
  それほどべっぴんさんじゃないがとても可愛く見えた。
  おっちゃんはこういうのに弱いなぁ・・・
  お世辞抜きにこういう子はどこで何をさせても一つ抜きん出て仕事ができる子である。
 
 紀伊国屋では、五千円以上の購入には、宅配サービスがあるがこれを利用したことはない。重かろうがなんだろうが必ず手にさげて帰る。
 それにしても今日は雑誌が3冊入っていたので特別ザァ~マに重かった。
 だがいつも本を買ったときは絶対TAXIに乗らない。
  地下鉄で帰り、その車中で何を買ったか確かめるようにパラパラと一冊づつニヤニヤとちら読みするのがまた楽しい。記憶の焼き増しで買った本をしっかり覚えるのにもイイ。このお陰で、同じ本を買ったことは一度しかない(アルンカイ!)。
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 寝室のベッドサイドにある寝ていて手が届く本たち。これをよく読む本、たまに読む本とに二つに分けて積んであり気分で手にとる。ということで、いつも大体10冊くらいは並行して読んでいる。

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 書斎に積んである本たち。
 ベッドサイドの本が少なくなればここからピックアップしてベッドサイドに移動という仕組みである。
 それに加えて仕事場で昼休み用に10数冊あるので”読みたい本”予備軍がどれだけあるのかと思う。トータルすると一年分はゆうにあるだろう。
 左端の数冊は次回の海外旅行のときに、機中、クルーズ船デッキで読もうと選んで楽しみに取り置いてある本だ。
 
 海外旅行の往路機中で読む本は、何故か高田郁さんの作品が多い。 旅行も楽しみだが読みたいのを我慢してキープしてある高田さんの小説を空の上でシャンパン片手に読めると思うのも旅行への大きな楽しみのひとつである。
 旅行用に本を選ぶたびに、残念ながら2年前に亡くなったがいつでも何処でもなにかしらの音楽を聴いていたダイビング仲間の親友大竹さんが、「旅行前に、旅のスケジュールに合わせてどこでどの曲を聴こうかなと選ぶのはホント最高ダよなァ・・・」と如何にも楽しそうに語っていたことがなつかしく思い出される。

佐伯泰英「居眠り磐音江戸双紙 読本」。

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 最近ハマりきっている居眠り磐音の副読本。磐音の住む長屋、磐音の良き理解者「今津屋」の店内、江戸下町「深川」の略地図等々とこのシリーズの読者にはたまらない情報が絵図で示されている。

 大坂を舞台の時代小説は、そのおおよその地理的関係がつかめるのでそれは読みながらとても楽しいことだが東京の地理に疎いと江戸を舞台とするその楽しさは半減する。
 
 江戸古地図をベッドサイドに貼ってあるので知らない地名が出てくるとその都度確かめているが、最近は流石に大体の位置関係がつかめるようになってきた。暇ができたら東京下町辺りをゆっくり歩きたいものだ。

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙13 残花ノ庭」。

 アカン。最近これにハマってからザァ~マニ寝不足である。今日も夜中に目が覚めてそのまま明け方まで読んでしまった。
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梅田の紀伊国屋で買ったので2000万部突破となっている。持って帰るには重いと思ったが20巻まで贖(あがな)った。「贖う」は文中でよく出てくる言葉である。

 今巻の出来事は、
 桜子が、磐音に未練を残しつつ国瑞との交際を始める。
 阿蘭陀商館長フェイト、将軍拝謁のため外科医で植物学者のツュンペリーを伴って参府する。
 おそめ縫箔職人になりたいと言う。
 磐音の父正睦江戸に出府、磐音おこんを引き合わせる。

 等々だがそれにしても磐音は市中で刀を振り回しすぎだ。マァ小説なので仕方ないが、これだけ市中で刀を振り回し悪人といえども人を殺しては、普通はただではすまないことである。
 磐音とおこんの距離が愈々と近くなり、磐音の想い人、奈緒は花魁としてその名をあげているがその距離は大きく離れていく。ふたりの(今生の?)別れが描かれるまではまだ寝不足が続いてしまいそう・・・

 長崎出島の商館長が参府する場面があるが、彼らは毎年年の初めのころ江戸まで呼び出されたとのこと。江戸での滞在約20日間ほどとその往復に費やす日数でほぼ3ヵ月の期間をそれにとられたという。

・瓦を載せる屋根は武家屋敷、寺社、大店と限られ、江戸の長屋の屋根は杉の薄板を貼り付けたもので、たたき屋根と称した。

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙12 探梅ノ家」。

 夜中にごそごそ起きだして昼くらいまでズンやりと読んだ。ホントこのシリーズは面白い。
 ただこれも5章からなるがところどころ「これはないわ」の場面が出てきだした。作者も12巻となって物語の構成にだれが出て来たのかと思う。マァそれは些細なことで全体的には物語のながれがホント速くて読む時間を忘れる。そのため他の書斎、ベッド横に山と積んである他の小説はほとんど読めないでいる。

 以下にも書き留めてあるが、一つ一つの章で起こる事件にからめて当時の社会制度のルールを織り込んであるので当時の武家、町人の暮らしの仕組みを垣間見ることができるもの時代小説を読む大きな楽しみのひとつである。
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・サンマは、明和(17641772)ごろまでは、見向きもされない魚だった。

・江戸時代、渡し舟の渡し賃は10文ほどだったがこれは町人だけで武家は無料だった。

・勧請(かんじょう)=神仏の来臨を請うこと。

・偕老同穴(かいろうどうけつ)=生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られるという意味で、夫婦が仲睦まじく連れ添うこと。

・大つごもり=おおみそかのこと。

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙 11無月ノ橋」。

先日買ったばかりの8.9.10巻を旅行前のリラックスでまたたく間に読んでしまったので長崎の紀伊国屋で2巻買い足した。帯では1800万部突破となっているが梅田の紀伊国屋の帯ではすでに2000万部突破となっている。
2016読んだ本 (31)
  今巻は、磐音の愛刀「備前包平」が名工鵜飼の手によって研ぎ澄まされて帰って来る。そこでの小さな事件がもとで旗本の金貸しの話にすすみ南町奉行所与力笹塚孫一の辻斬りで瀕死の重傷を負う事件へとすすむ。一連の話は全てつながっておりその流れは恐ろしく早い。息もつかせぬ展開である。今回は鳥取藩の重臣の姫様織田桜子が華やかに再登場して来る。5章では、奈緒こと白鶴が得体のしれないご大尽に秋の紅葉を見に屋形船で荒川の流れに竿をさし吉原の外に連れ出される。そのご大尽に反感を持つする勢力からの襲撃に磐音はなんとか白鶴を護るが、運命の流れは磐音と奈緒の間にさらに大きな渦となって二人を切り裂いていこうとしていた。

磐音と奈緒が結ばれないのは残念ながらネットで知ってしまったが、その巻まではフラストレーションがたまって一気に読まざるを得ない。

今日は梅田の紀伊国屋でチマチマ買わんとこのシリーズ持てるだけ買って帰って明日は、このシリーズに特化して読もうかしらん。 

原田マハ「本日はお日柄もよく」×

帯の「何度も泣きました‼」につられて買った。久しぶりに読んだ現代もの。

出だしはものすごく面白かった。確かにすこしウルっときた場面もあった。だが主人公が言葉、スピーチのもつ大きな力に目覚めてスピーチライターとなり政治の世界に入りこんでいくあたりから筋立ては明らかにおかしくなってくる。進展党とか民衆党とかの名を使っているが明らかに既存政党のパロディであるし、「政権交代」「マニフェスト」などの言葉がでてくる。この作品が書かれたのが2010年であることからもこの物語があの悪夢のような民主党政権の誕生時代をバックに描かれていることは確かで、始末の悪いことにその誕生を称賛する基調で描かれている。そんなことで不愉快きわまりないことで途中からは走るように読み終えた。特に許しがたいのはこの作者が女性であるにもかかわらず、最後のクライマックスで描いている、主人公の親友が流産の危機に近隣の病院をたらいまわしにされる場面だ。


『その親友の夫は、進展党の新人代議士衆議院立候補者で、それを対抗馬の民衆党の候補の根回しで妨害もあり6時間も病院をたらい回しにされた末流産してしまう』


というストーリーだがあまりにも酷すぎるというか作為的すぎる。

いくら自民党の厚生大臣の経験者の政治家といえども現場にそんな介入はできないし、現場の医師もそんな人命を無視するような医師の倫理にもとるようないや人間として失格の医師はまずいない。現場の医師はみんな毎日必死で命を救うために働いているものだ。

もう一つ。たらい回しにされたというがこの親友にはかかりつけの産婦人科医はいなかったのであろうか?それだけ地元でも著名な家族であればしっかりしたかかりつけの産婦人科医がいたはずだし定期健診にもいっていたであろう。その主治医に行けばどんな夜中でもそのかかりつけの産婦人科医は必死の対応をしたであろう。

現実でも新聞等マスコミは、こういったことには何より敏感で面白く飛びつく。『弱者の妊婦が病院をたらいまわしされたあげく・・・』ということを不謹慎な言い方だがあたかも眉をひそめてきわめてさも社会の不幸のように正義の味方のように装って記事にする。

産婦人科医というのは、多くの専門分野に分かれている医科の中でもかなりリスクの高い科である。胎児を死なせてしまう、また母となるべくの妊婦も、またその両方とも死なせてしまうことは少なくないとはいえない。医者側で何の経過データーをもっていない初めて診る妊婦、まして緊急事態が起こっている妊婦を診たがらないというか診られないのは当然である。たらい回しというかそれまでろくに一度も定期健診に行っていない妊婦の怠慢を責めるべきで病院、医師をなじるというのはまったく見当違いもはなはだしい。


この作者は、勉強不足というか物事を薄っぺらにしか見られない軽薄な人間である。物を書くにはもうすこし入念かつ公平な下調べをしなくちゃいかんと思う。

ということでとても不愉快な一冊であった。
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