といっても日ごろたまっていた雑用をいくつかこなし夕方には帰宅した。
まず一つ用事を済ませてウィンディと大阪城を散歩した。
この一郭を歩くのは初めてである。
正面に乾櫓、右手はるかに千貫櫓が見える。
今日もいい天気だ。
いつの間にか暦の上では秋真っただ中だが日向はまだまだ暑かった。ウィンディと木々のつくる影を選んで歩いた。日射しを浴びた葉の作る影はくっきりと形どられていて緑の色がついているようだった。
ウィンディが足元をちょろちょろとしながらのんびりとほっこりと歩いているとけたたましいサイレンとともに消防車が何台も来て色も鮮やかなオレンジ色のウエットスーツを着た隊員が石垣を降りていった。周りの人たちにつられて、乗り出して堀を覗きこんでいると間もなく撤収を始めた。堀から上がって来た隊員に何かあったのかと訊くと、人がおぼれていると通報があったとのことだった。ただ場所が違ったらしい。
またチャッチャとしまってウ~ウ~とサイレンを鳴らしてあわただしく移動していった。応えてくれた隊員は上司らしき人に「はよ来い!!」と怒鳴られていた。申し訳ないことをした。
実際の場所は、大手門すぐ横の堀で、横で見ていた人がうつぶせに浮かんでいたと教えてくれた。これが1100頃だったので、何時間も前に落水したのであろう。
お昼は、エリーと母を連れて天満の奴寿司に行った。
若大将と。板前に立つのはもう少し先である。
この後TAXIで梅田に向かいもう一件済ませて本日の用事は終了。肥後橋の廣岡浅子展を見に行った。
TAXIで行こうかと思ったが、急ぐこともないのでぶらぶらと歩くことにした。
学生時代、医局時代と10数年も通った道である。橋を渡る毎に川を眺めその景色は懐かしさでいっぱいだった。
20分ほど歩いて肥後橋に来た。
大同生命本社ビル。
威風堂々たるビルデイングである。
展示はこの2Fで常設されていた。
この内装は、当時建設されたビルの内装を再現してつくられたそうだ。イイ感じだ。
浅子の一生と加島屋から大同生命につながる多くの展示があった。
浅子のことは結構な数の関連本を読んでいるので知っていることが多かったが矢張り何度知っても浅子の生涯は面白い。
浅子を描いた12分の自作ドラマが上映されていてよくできていた。
一時間近くずんやり見学した。NHK朝ドラ「あさか来た」が佳境に入るとこの入場者もおそろしく増えることだろう。
このビルのすぐ横に肥後橋駅があったが浅子の歴史を振り返りながら淀屋橋まで歩くことにした。
途中振り返り三井住友銀行本社ビルから大同生命ビルを望む。間を割る高速道路が無粋やなァ・・・
廣岡浅子の素晴らしさは、あの時代まだ女性の人権なんかがまともに扱われてもいない時代、男社会に自らつきすすみ何度も試練を乗り越えて事業を切り拓いていったことであるが、それにもまして尊敬するのはその事業が軌道に乗るときっぱりとそれから引退し、その残りの人生を慈善事業にそして女性教育に捧げたことである。そして日本初めての女子大学を作るにあたって彼女が頼った人脈は多彩、華麗であり、またそれも彼女がいかに多くの人に認められ愛されていたのかをうかがい知ることができる。
土佐堀川からくるそよ風を頬に心地よく感じながら浅子の一生を反芻しつつ淀屋橋まで歩いた。いまは4車線の道路が川と建物の間を無粋に隔てているが当時は、川岸の土道を商人たちが歩き、川面がすぐ横に見えのんびりしたイイ景色だったであろう。
家に帰る途中腹がすいたので大阪王将で餃子を食べながら大同ビルでもらった資料を読んだ。
朝から夕方まで出かけ、気になっていた用事も済ませ、行きたかった浅子展も見て充実したとてもいい1日だった。
まず一つ用事を済ませてウィンディと大阪城を散歩した。
この一郭を歩くのは初めてである。
正面に乾櫓、右手はるかに千貫櫓が見える。
今日もいい天気だ。
いつの間にか暦の上では秋真っただ中だが日向はまだまだ暑かった。ウィンディと木々のつくる影を選んで歩いた。日射しを浴びた葉の作る影はくっきりと形どられていて緑の色がついているようだった。
ウィンディが足元をちょろちょろとしながらのんびりとほっこりと歩いているとけたたましいサイレンとともに消防車が何台も来て色も鮮やかなオレンジ色のウエットスーツを着た隊員が石垣を降りていった。周りの人たちにつられて、乗り出して堀を覗きこんでいると間もなく撤収を始めた。堀から上がって来た隊員に何かあったのかと訊くと、人がおぼれていると通報があったとのことだった。ただ場所が違ったらしい。
またチャッチャとしまってウ~ウ~とサイレンを鳴らしてあわただしく移動していった。応えてくれた隊員は上司らしき人に「はよ来い!!」と怒鳴られていた。申し訳ないことをした。
実際の場所は、大手門すぐ横の堀で、横で見ていた人がうつぶせに浮かんでいたと教えてくれた。これが1100頃だったので、何時間も前に落水したのであろう。
お昼は、エリーと母を連れて天満の奴寿司に行った。
若大将と。板前に立つのはもう少し先である。
この後TAXIで梅田に向かいもう一件済ませて本日の用事は終了。肥後橋の廣岡浅子展を見に行った。
TAXIで行こうかと思ったが、急ぐこともないのでぶらぶらと歩くことにした。
学生時代、医局時代と10数年も通った道である。橋を渡る毎に川を眺めその景色は懐かしさでいっぱいだった。
20分ほど歩いて肥後橋に来た。
大同生命本社ビル。
威風堂々たるビルデイングである。
展示はこの2Fで常設されていた。
この内装は、当時建設されたビルの内装を再現してつくられたそうだ。イイ感じだ。
浅子の一生と加島屋から大同生命につながる多くの展示があった。
浅子のことは結構な数の関連本を読んでいるので知っていることが多かったが矢張り何度知っても浅子の生涯は面白い。
浅子を描いた12分の自作ドラマが上映されていてよくできていた。
一時間近くずんやり見学した。NHK朝ドラ「あさか来た」が佳境に入るとこの入場者もおそろしく増えることだろう。
このビルのすぐ横に肥後橋駅があったが浅子の歴史を振り返りながら淀屋橋まで歩くことにした。
途中振り返り三井住友銀行本社ビルから大同生命ビルを望む。間を割る高速道路が無粋やなァ・・・
廣岡浅子の素晴らしさは、あの時代まだ女性の人権なんかがまともに扱われてもいない時代、男社会に自らつきすすみ何度も試練を乗り越えて事業を切り拓いていったことであるが、それにもまして尊敬するのはその事業が軌道に乗るときっぱりとそれから引退し、その残りの人生を慈善事業にそして女性教育に捧げたことである。そして日本初めての女子大学を作るにあたって彼女が頼った人脈は多彩、華麗であり、またそれも彼女がいかに多くの人に認められ愛されていたのかをうかがい知ることができる。
土佐堀川からくるそよ風を頬に心地よく感じながら浅子の一生を反芻しつつ淀屋橋まで歩いた。いまは4車線の道路が川と建物の間を無粋に隔てているが当時は、川岸の土道を商人たちが歩き、川面がすぐ横に見えのんびりしたイイ景色だったであろう。
家に帰る途中腹がすいたので大阪王将で餃子を食べながら大同ビルでもらった資料を読んだ。
朝から夕方まで出かけ、気になっていた用事も済ませ、行きたかった浅子展も見て充実したとてもいい1日だった。