Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2015年10月

忙しかった休日。

といっても日ごろたまっていた雑用をいくつかこなし夕方には帰宅した。

まず一つ用事を済ませてウィンディと大阪城を散歩した。
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この一郭を歩くのは初めてである。
 正面に乾櫓、右手はるかに千貫櫓が見える。
 今日もいい天気だ。
 いつの間にか暦の上では秋真っただ中だが日向はまだまだ暑かった。ウィンディと木々のつくる影を選んで歩いた。日射しを浴びた葉の作る影はくっきりと形どられていて緑の色がついているようだった。
 ウィンディが足元をちょろちょろとしながらのんびりとほっこりと歩いているとけたたましいサイレンとともに消防車が何台も来て色も鮮やかなオレンジ色のウエットスーツを着た隊員が石垣を降りていった。周りの人たちにつられて、乗り出して堀を覗きこんでいると間もなく撤収を始めた。堀から上がって来た隊員に何かあったのかと訊くと、人がおぼれていると通報があったとのことだった。ただ場所が違ったらしい。
 またチャッチャとしまってウ~ウ~とサイレンを鳴らしてあわただしく移動していった。応えてくれた隊員は上司らしき人に「はよ来い!!」と怒鳴られていた。申し訳ないことをした。
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実際の場所は、大手門すぐ横の堀で、横で見ていた人がうつぶせに浮かんでいたと教えてくれた。これが1100頃だったので、何時間も前に落水したのであろう。

お昼は、エリーと母を連れて天満の奴寿司に行った。
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若大将と。板前に立つのはもう少し先である。

 この後TAXIで梅田に向かいもう一件済ませて本日の用事は終了。肥後橋の廣岡浅子展を見に行った。
TAXIで行こうかと思ったが、急ぐこともないのでぶらぶらと歩くことにした。
 学生時代、医局時代と10数年も通った道である。橋を渡る毎に川を眺めその景色は懐かしさでいっぱいだった。

20分ほど歩いて肥後橋に来た。
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大同生命本社ビル。
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威風堂々たるビルデイングである。
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展示はこの2Fで常設されていた。
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この内装は、当時建設されたビルの内装を再現してつくられたそうだ。イイ感じだ。
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浅子の一生と加島屋から大同生命につながる多くの展示があった。
 浅子のことは結構な数の関連本を読んでいるので知っていることが多かったが矢張り何度知っても浅子の生涯は面白い。
 浅子を描いた12分の自作ドラマが上映されていてよくできていた。
 一時間近くずんやり見学した。NHK朝ドラ「あさか来た」が佳境に入るとこの入場者もおそろしく増えることだろう。

 このビルのすぐ横に肥後橋駅があったが浅子の歴史を振り返りながら淀屋橋まで歩くことにした。
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途中振り返り三井住友銀行本社ビルから大同生命ビルを望む。間を割る高速道路が無粋やなァ・・・

 廣岡浅子の素晴らしさは、あの時代まだ女性の人権なんかがまともに扱われてもいない時代、男社会に自らつきすすみ何度も試練を乗り越えて事業を切り拓いていったことであるが、それにもまして尊敬するのはその事業が軌道に乗るときっぱりとそれから引退し、その残りの人生を慈善事業にそして女性教育に捧げたことである。そして日本初めての女子大学を作るにあたって彼女が頼った人脈は多彩、華麗であり、またそれも彼女がいかに多くの人に認められ愛されていたのかをうかがい知ることができる。

 土佐堀川からくるそよ風を頬に心地よく感じながら浅子の一生を反芻しつつ淀屋橋まで歩いた。いまは4車線の道路が川と建物の間を無粋に隔てているが当時は、川岸の土道を商人たちが歩き、川面がすぐ横に見えのんびりしたイイ景色だったであろう。
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家に帰る途中腹がすいたので大阪王将で餃子を食べながら大同ビルでもらった資料を読んだ。

 朝から夕方まで出かけ、気になっていた用事も済ませ、行きたかった浅子展も見て充実したとてもいい1日だった。

藤沢周平「よろずや平四郎活人剣」(下)

 このところ忙しい週末が続いていていたのでこの週末は、完全休養日にあてていた。もう年である。ひと月中べったり週末遊ぶ体力はなくなったようだ。
 マッ、といっても本来はおじさんバンドのライブ直前集中練習日にあてていたがバンドメンバーの一人が急に腰のオペが入ったためライブが延期になったためにぽっかり空いたのだがもうあえて他の予定は入れなかった。
 で、ずんやり二日間本を読もうと決めていた。

 昨日上巻を読み切って、今朝は夜明けとともに目を覚まして下巻を読み始めた。
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 上巻が面白かっただけに大いに期待して読み始めたのだが残念!!大いに期待外れであった。
 事件内容がペラペラで不図思いついて書いたというような話ばかりであった。百田氏がなんかの雑誌で言っていたが作家にも流して書く作品もままにしてあるということでこの下巻の作品はその手のものだろう。連載が好評で編集者にせっつかれて書いたものだろう。
 どこかの評論家が藤沢作品は面白さの打率が高いとかいっていたがこの本に関しては12編の内面白かったのは最後の一編だけであった。だが藤沢氏独特の自然描写は健在でところどころその場面では何度も読み返した。また氏の作品で初めて声に出して笑う場面も何度かあった。この作品は氏の晩年の作で、その筆致は軽妙で明るく〆がどれもさわやかで、昼夕ご飯に抜けだした以外は一日ベッドの上で読みふけった。
 最後に平四郎が早苗と仲良く新生活に向かって歩き出す最後の場面に十分に満足して本を閉じた。早朝から読みだして2300頃だった。

「消えた娘」
攫われた娘を探し出すというそれだけの話。

「嫉妬」
道場主の秘伝の剣を受ける男を妬んだ男を退治する話。

「過去の男」
「密通」
「家出女房」
「走る男」

「逆転」
頼りない亭主が最後は女房を男から助け、しばき倒して、女房が見直すというありがちな話。

「襲う蛇」
役目がら注意した部下はそれを苦にして腹をってしまった。その弟に理不尽にも仇と狙われた上役の助けを請け負う。その手当としてその上役は6両を払うという。その余りの高報酬に
-平四郎は腕組みして天井を見上げた。もったいをつけたわけではなく、とんでもない好条件の話に、思わずにっこりしそうになった顔を相手の目から隠したのである。-

この場面には、アハハと思わず笑ってしまった。
まだ他にも笑った場面はあったが書きとめるのを忘れてしまった。

「暁の決闘」
このシリーズでは上下巻通して主人公平四郎の腹ちがいの兄監物が目付として水野忠邦の天保の改革を傘に権力をふるう鳥居耀蔵と対立する背景が一本流れている。天保の改革を一般庶民の目からからとらえていてそれも面白いものだった。
 その鳥居耀蔵の配下の剣の達人と最後の決着をつける。

「浮草の女」
男におぼれ家を去った女房。その女房の男からゆすられる大店の旦那を助ける。

「宿敵」
昔やくざだった男が更生し大店をかまえるようになったが、昔の仲間が脅しに来る。

「燃える落日」
遂に想い人早苗と結ばれる。早苗は借金のかたに無理やり結婚させられていた。平四郎はその男の正体を暴き去り状を書かせる。納得の最後。あ~~~疲れた。。。

 【流連】りゅう れん :遊郭などで何日も居続けること。
【黒文字】くろもじ:ちょっと上等の割烹などでおいてある爪楊枝。木の皮を文字に見立ててこう呼ぶという。しらんかったナァ・・・

【小人(しょうじん)罪無し玉を懐いて罪有り】:普通のつまらない人でも持ちなれない不相応な宝を持つと罪を犯してしまうという意。

藤沢周平「よろずや平四郎活人剣」(上)。

文句なしに面白かった。
藤沢氏晩年の作品で、「オール讀物」昭和55年10月号から57年11月号に連載された作品である。
初期の頃の陰気な、そしてくらい結末はなく、物語も平四郎がもめ事をその剣の腕をもとに解決していくのだが、その内容もじめじめしておらず解決した後のしめ方も爽やかで読後感も素晴らしく良い。
平四郎に持ち込まれたもめ事は多彩で、作家というのはよくもこれほどうまく話を作るのだと当然とはいえ感心する。
「辻斬り」
「浮気妻」
「盗む子供」
一人暮らしの先の無い老人が養子をもらおうとするがその子は盗癖のある子であった。
「逃げる浪人」
故あって国元で人を斬った男が討ち手に追われるがその男はめっぽう腕が立った。討ち手の男は、平四郎に諭され本懐を断念したように見えたが約束を破って襲いかかった。
「亡霊」
「女難」
「子攫い」
「娘ごころ」
「離縁のぞみ」
「伝授の剣」
道場主の秘伝の剣を伝授されることになった男をねたんだ道場の先輩である旗本がその男を亡き者にしようとたくらむ。
「道楽息子」
道楽息子が惚れた小娘が、芯のしっかりした聡明な女性で別れさせにいったその親父がその子を気に入ってしまい逆に息子をにはもったいない子だと思う。
「一匹狼」
幼馴染の男を寡婦となった女が助けてやる。寡婦の女性が粋で男前である。
どれも面白く内容も何故か「用心棒シリーズ」に比べて結構心に残っている。
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この「よろずや平四郎活人剣」は、先に読んだ「日月抄」と共に(というか日月抄を元に製作されたドラマが好評だったので続編を作るにあたり平四郎の話も混ぜ込んだということらしいが)村上弘明主演の「腕におぼえあり」でTVドラマ化されている。ん~~んツタヤで借りてこようかなァ・・・

藤沢周平「用心棒日月抄」。

 4部からなる連作物、第一弾の作品である。10篇の物語からなる。
 藤沢氏はこの用心棒物語はこの一作で終えるつもりだったようだが、連載で発表されたこの評判が良かったので編集部にすすめられるままに後三部の続編を書いたとのことだ。
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 主人公は故あって人を斬り脱藩した浪人青江又八郎。
 生活の糧を口入屋から仕事をもらい何とかその日をしのびながら生きている。その働き口はおもに危険なときには命懸けにもなる用心棒が多いが時には侍の姿を隠して人夫仕事のときもあったが生きていくためには仕方のないことであった。
 時はちょうど元禄時代、将軍は悪名高い犬将軍綱吉の頃である。
 そんなとき浅野内匠頭による江戸城中刃傷事件が勃発、又八郎も用心棒の稼業を通じてこの事件の側面にかかわっていく。
 同時代の町人、他藩の武士から見た忠臣蔵の一面が興味深かった。
 休日を利用して朝から読み始めて一気に読み終えたが夜もう一度最初の一編を読み返すとほとんどその内容を覚えていなかった。
 愕然。。。
 よせばいいのに藤沢氏作品の非常によく似た作品「よろずや平四郎活人剣」を並行して読んでいるので余計にこんがらがってしまった。
 何もそんなによく似た作品を選んで同時に読まんでもええのにと思うが・・・あほやなァ・・・

Anyway
この本の中で描かれている忠臣蔵について一考。
浅野内匠頭はもともと潔癖すぎるきらいがあったこと、そして瞬間湯沸かし器の気性であったのは知っていたが改めて阿呆な奴だと思う。こんなバカ殿を頂いた藩士こそ哀れである。松の廊下で刃傷に及ぶなんぞとは、愚かを通り越して正気の沙汰ではない。そんなに我慢ならないのなら城外で周到な準備をして確実に仕留めるべきである。城中でやわら斬りつけておいておまけに取り逃がすとは、刀を抜いたことより以上に愚かである。
 この刃傷時に浅野内匠頭を羽交い絞めにして取り押さえた武士は後に赤穂浪士につけ狙われたという。この武士がいなかったら浅野内匠頭は吉良を打ち果し、後の吉良邸討ち入りはなかったのだが、そのときこの武士以外に浅野内匠頭と吉良との間に割って入った者はいなかったという。
 浅野内匠頭が即日畳の上ではなくて庭先で切腹させられたのに対し吉良は何のおとがめもなかったが、これは城中でのこの類いの事件では通例の沙汰であったという。ただ吉良は、その後住居の移転を命じられるがその移転先は広大で防御には甚だ不都合なものであったという。

 浅野内匠頭の家紋は、実はウチの家紋と同じでウチの先祖も岡山を祖とする。マァどこにでもある家紋なので可能性は薄いがどこかで縁がつながっているかもしれない・・・

ルーさん来阪歓迎大パーティー。

今日は、ルーさんを迎えて先日の小浜クルージングのスライド&ビデオ大会です。
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またまたルーさんこんなバカでかい伊勢エビをそれも3尾も送ってくれました。
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妹が送ってくれた信州の地鶏もこの日ローストして提供しました。
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これで本日のメインのBBQまでの前菜です。右下はこれもルーさんが送ってくれたひおうぎ貝です。
当然ムチャクチャお肉余りましたが深夜近くにもう一度BBQをしました。


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歴史読本「廣岡浅子」。

 久しぶりにNHKの朝ドラを毎朝見ている。
 大ファンの廣岡浅子をモデルにしたものである。

 ヒロインの女性は、なぜか東京出身の女優で今のところ無難に関西弁をこなしているが、以前「あすか」で竹内結子の余りの関西弁のひどさにぷっつりと見るのをやめたことがあるので、いささか心配である。
 ヒロインが廣岡浅子なので最後まで視聴するするつもりだが、背中がむづかゆくなる関西弁だけは使わないように願いたいものだ。
 ただ心配なのは、もうすでに、これも大ファンの五代才助役の男優の薩摩弁が酷い。宮崎あおいの京都弁も時々おかしいところがあるし、画面に向かって一人いいなおしたりしている。
 宮崎あおいは好きな女優なのでもう少し関西弁を頑張って欲しい。
 物語は史実にある程度基づいているので彼女が演じるはるのモデルは27歳で若く亡くなるので多分彼女も消えるのであろうが残念である。

 このドラマの原案本「土佐堀川」は、態々取り寄せて読んだが、今書店では朝ドラ化に伴い、廣岡浅子のコーナーができている。
 これはそこで見つけた本である。
 この本は、彼女の半生をざっと追ったものになっていて、彼女を知るうえでは「土佐堀川」の方が数段面白い。
 ただ付箋があるように幕末から維新の移り変わりについて面白く得た知識も多い。

付箋をはがしながらまた書きとめていきたい。
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・伊勢の武士であった三井高俊が武士に見切りをつけて京都で酒や味噌をあつかう商人に転進。武士だったころの官職が越後守だったので屋号を「越後屋」と名乗った。その息子高利が1673年江戸に進出して呉服屋に奉公した経験を活かして越後屋呉服店を開業した。そのやり方は「よろず現金、掛け値なし」の看板をあげた店頭売りであった。
 それまで江戸の呉服商の商売のやり方は、大名屋敷や大店にでかけて注文を受け品物を届ける、また品物を持参して気にいったものを買ってもらいその代金は盆暮れの支払い、残りの品物は持ち帰るというものであった。それを店頭で誰にでも正札による今ならごく普通のやり方の販売を始めたのである。
 最初は上方の商売だと馬鹿にしていた呉服商も顧客を奪われるに従って陰湿な始業妨害をしたという。余りの妨害に一時は店も傾きかけたがそのときに願をかけたのが近くにあった三囲神社であったという。
 これは伏見稲荷の分社であったがその名前が三井を囲むという縁起をかついで参ったのであったが、その後越後屋の身代が大きく回復したことから稲荷神社の効用が全国に広がったという。越後屋はその後呉服以外も扱う三越百貨店へと発展していく。

 この辺りのストーリーは実話だけにそれにまつわるいろいろな文献を何度読んでも面白い。近々に大同生命の史料館にも足を運ぶつもりである。

 話を元に戻すとこの始祖高俊が商売に熱心な男でなくその商売を支えたのは妻の殊法(しゅほう)であった。この二人の関係は浅子と信五郎の関係と驚くほどよく似ている。浅子は小さいころから殊法の再来であろうといわれたそうである。
 その息子高利は10男5女の子をなしそれが分家して「三井十一家」という一族集団を作った。いわゆる財閥の前身のようなものであった。その連携はかたく質素を旨とし三井財閥へと発展していく。

・旧幕府領だった大坂は明治に元号が変わったころ大阪府となった。大坂から大阪に字も改められた。

・幻の大坂遷都。
1868年大久保利通により「大阪遷都建白書」が提出された。だがこれに公家たちが猛反発した。まだ旧幕府相手の内戦が続いていたこの時点で内輪もめはまずかった。結局この大阪遷都計画はとん挫してしまった。

 この後新政府が江戸を占領すると旧幕臣前島密から「江戸遷都建白書」が大久保に提出された。江戸は無血開城で戦火から逃れ無傷であったし、武家屋敷が多くしかもその主たちは国元に帰り多くの空き家があり都市整備を行い政府の諸建物を建設するに好都合であった。ことを急いだ新政府は天王の東京行幸を決行しそのままなし崩し的に江戸城を皇居としてしまった。そして今も京都人は「天皇はいまだに東京に行幸にされたままになっている」というがそれは理論的に正しいことである。

・廃藩置県がおこなわれ大都市や要地は「県」ではなくて「府」が使われた。当初奈良府、神奈川府など全国には10の府があったがのちの太政官布告により京都、東京、大阪の三府に限定された。大坂が府に残されたのはかつて首都の候補地であったからであろうか?

・明治新政府はそれまでの東の金本位制西の銀本位制を統一し全国に金本位制を敷いた。日本の一円金貨はアメリカの一ドル金貨と交換が可能になり海外との貿易は飛躍的に発展していった。だが金貨は重く量(かさ)がはり大きな取引には間に合わなくなってきたそこで発行されたのが額面と同等の金と交換出来る兌換紙幣である。この価値は金と同様のものであったので贋金ができると政府は大損害を受ける。そこで当時まだ日本の印刷技術では高度の紙幣が作れなかったためこの紙幣はドイツの印刷会社に依頼して製造した。その為ゲルマン紙幣とよばれた。

・維新後財をなした者たちの多くは、貧しい家の出身者が多かった。
古河市兵衛は、三井とともに新政府に加担した京の豪商小野家の使用人だった。小野家が破綻した後鉱山事業に参画して財をなし古河財閥の礎を築いた。

薩摩の貧しい商家に生まれた川崎正義は造船業で成功し、のちに製鉄業に手を広げた。

浅野総一郎は北陸の村医者の息子だったが上京して行商人として働いていたがいつもご苦労様です。維新後新しい健在として着目されていたセメントに全財産をつぎ込んで事業化した。

時代を先取りした男たちがまた時代を引っ張ったのである。
そして浅子も石炭事業にへと邁進していくのである。

 この辺りの激変の時代を乗り越えていく男たち、そして浅子の伝説はムチャクチャ面白い。明治維新のことをもっと知りたくなってきたなァ・・・

ルーさん来阪2日目。

ルーさん来阪2日目。
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午前中は、グッチとタケがアテンドしてあべのハルカス~新世界へ案内しました。
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通天閣は、この頃えらい人出で、この日も展望台に上がるのは約1時間待ちだったそうで断念。この近くで串カツを食べたそうです。
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お昼は、梅田のフレンチで歓談。
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夕方からは千日前の道具屋筋に案内して、裏難波「ひでぞう」に寄って帰りました。

ルーさん来阪。。。。

上五島のルーさんがみんなに会いに態々遠路はるばる来てくれた。
いつもクルージング先の五島ではわれわれメンバーをまとめて一生懸命面倒見てくれているので、今回思いっきり恩返しに接待したい。
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まずは串の坊で歓迎パーティー。
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さて明日から二日間ルーさんと一緒にみんなで楽しみたい。

西成ジャズ。

おじさんバンドの連中と西成にジャズを聴きに行った。

この西成でも釜ヶ崎界隈は近くに遊郭もあり一昔前なら一般女性はもちろん、おじさんも結構覚悟を決めて且つ気合を入れて歩かないと行けないような物騒なところだったが今や様変わりしている。
夜でも若い女性もなんのためらいもなく平気で歩いているし、おじさんももちろん普通に居酒屋でおだをあげているし、街の雰囲気も物騒な感じはない。
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そのジャズセッションは難波屋であると聞いて、その名前は頭の片隅になんか行ったことがあるナァと残っていたが来てみると矢張り何年か前にMちゃん(おっさんである)と来たことがあった。
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店内。
そのときはこの向こうに一寸としたライブハウスがあると聞いていたが、
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マァ立派とはいえないが、アングラなイイ雰囲気のスタジオがあった。
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何組かの演奏を愉しんだがマァマァだったかな。
 先日出島で聞いたジャズバンドがかなり程度の高いものだったのでそう感じたのかもしれない。

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難波屋を出て、大通りに出て上り坂になっている天王寺までの道をみんなとそぞろ歩いて居酒屋で一杯やった。
 この居酒屋「魚市」の親父は、かなり以前何度か通ったことがあって知っていたので、注文を取りに来たおばちゃんに「K大将は?」と訊くと、もう半ば引退して孫の世話を楽しんでいて今は時々店に出てくるだけだという。

 時代はもう変わったなァ~~とこの頃つくづく思う。。。
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 もう一軒いこかァ~~と、shotbarに来た。
 昨日も遅くまで後輩たちと呑んで御前様寸前の帰宅だったが、なんでかこの日とても元気だった。
 「もう一軒、カラオケに行こうやァ」と誘ったが、みんなはもうエエと付き合ってくれなかった。

9年振りの大学同窓会。

少し用があって大学研究室の同門会に行った。
受付で9年ぶりですといわれて、同門会費たまっていますと9年分の年会費を払わされた。
9年もためると結構な額である。
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知った顔は少なかったが、久しぶりに同じ教室の後輩たちと講演会にも出て愉しい時間だった。
後輩たちの面々が流石にみんな賢そうな顔をしているなァと感じ、なんとも嬉しくなった。

 このあと二次会にも出てみんなの近況、この日出席していなかった先輩たちの様子を知って当時の何年も前にタイムスリップし懐かしい時間をもてた。

 また来年も来よう。。。会費も払ったし。。。

おくんち。

おくんちの季節である。
昨年見たおくんちが感動的だったので今年も来た。小学校以来の友人におくんちの魅力を熱く語ったところ彼も行きたいというので夫婦二家族での長崎旅行となった。宿は船に泊まったらと誘ったが奥さんが船酔いするとのことで彼らは思案橋に宿をとった。このホテル「ドーミーイン」は地下に天然温泉を掘っていていつか泊まりたいホテルである。

10/7(水)長崎へ
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瀬戸内海の上をなぞるように飛ぶ。この海には多くの島々になつかしい思い出がある。いつ見ても見飽きることはない。

この一望だけでもElle~BigElleの舫った港は、
児島、大畠、与島、本島、多度津、粟島、伊吹島、真鍋島、北木島・・・あちこち航ったものだ。。。
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普賢岳が見えてきた。この裏が小浜温泉だ。この後目を凝らしてその辺りを見たが丁度機が右旋回してしまいその温泉街の湯けむりを見ることはできなかった。残念至極。。。

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到着後友人夫妻の希望で中華街にでかけた。
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今日のBigElle。

暫し休憩して船のこまごましたメンテをこなして1600からのおくんち見物に出かけた。
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諏訪神社。
平日だというのにものすごい人出だった。
この三日間は、長崎市内の学校は休校だそうだ。
右手に見えるツアーの旗はパシフィックビーナスのもので、多くの乗船客たちが胸にそれとわかるワッペンを付けて来場していた。もう一隻どのクルーズ船か確かめなかったが大型客船が港に係留していたが中国人はここには来ていなかった。
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諏訪町傘鉾・龍踊(じゃおどり)

おくんちには持ち回りで毎年7つの町から出し物が出る。これを踊り町といってこの準備には何年もかけ、その年に入ると春ごろから本格的な準備体制に入る。大小はあるもののざっと3000万円ほどがその出し物の修理、衣装代、人件費他にかかるということでその一部は各町からの寄付を集めることによって賄う。

今年の出し物は、踊りが多くて残念ながらかつぎ神輿は一つもなかった。これは7つの町の構成のあやで昨年は、二つのかつぎ神輿がでて勇壮だった。
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榎津町傘鉾・川船(かわふね)

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賑町傘鉾・大漁万祝恵美須船
傘鉾。
踊町のいわば名刺代わりの舞である。簡単そうに見えるが百キロ以上もするこの鉾をくるくると回すには結構な熟練を要し多くの町ではプロを雇うそうだ。
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ここからが船のだしものの本領である。
「エイヤッ!!」の掛け声とともに勇壮な船回しが始まる。
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まわれ~~まわれ~~
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何度もこの祭り独特の「もってこ~~い」のアンコールに応えて引き返し演技をしてくれた。
お疲れさまでした。曳き綱に守られながら神社の階段をゴトゴトと一段ずつ降りていく。

10/8(木)おくんち中日。
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町中では4か所の踊り場があり3日間で計9回の円舞をする。
ものすごい重労働である。最終日にはみんな足腰が立たないくらいにへとへとに疲れきるという。
昨年も諏訪神社で、最終日の最終演技を見たが、終わった後みんなで抱き合って泣いていた。思わず感受性の強い私はつられてエモーションが湧きあがったものだ。
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踊り場以外にもこの中央公園のように一般無料の円舞もおこなう。
これは丁度阿波踊りとよく似たシステムである。

友人夫妻を案内して丸山に見物に来たら丁度踊り町が祝儀をもらいに来ていた。
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花月前にて。

さて今夜の夕食は、「堂山」。
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一寸時間があったので横の崇福寺を見学した。
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いつも元気なエルビスとキャサリン。この日は友人夫妻と一緒で他に常連客がいたので余り大将と馬鹿話に騒げなかったが、他にお客がいないときには、食べるより忙しいほどのおしゃべり空間となる。ただ大将が本気でしゃべりだすと長崎弁の早口になって内容が半分ほどしか理解できなくなるのが悩みである。

今日は無理をいって刺身の他に肉を用意してもらった。
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愉しい会話と食事に友人夫妻も大満足。

 このあとそぞろ歩いて思案橋を抜けて出島まで帰り、船でもう一杯。この時期昼はまだまだ暑いが日暮れてからは日本で一番いい季節であろう。夜風に吹かれながら友人夫妻と愉しい会話が尽きなかった。

藤沢周平「海鳴り」(下)。

新兵衛とおこうのひそかな愛は、いよいよ深く静かに燃えていく。
 藤沢氏のこの辺りの読者を物語に引き込んでいく筆致は流石である。
 藤沢ファンの中でこの作品を氏の最高峰だとあげる読者も多いというが、大いにうなづけるところである。
 最後は、氏は心中で終わらせるつもりでだったというが書いているうちに新兵衛、おこうの二人に情が移ってしまい手に手を取って江戸を落ちていくという段に変えたそうだ
 下巻に進み物語は佳境に入り夜夕食は晩酌もほどほどにちゃっちゃとすませ時間を作って頁をめくるものもどかしく一気に読み終えた。結末はある程度のハッピーエンドになるとは知っていたもののその場面が気になり走るように読んで最後の数行を読み終えやっとふぅ~っと息がついた。余韻を残した終わり方で納得。。。
 ひさびさに長編だけに藤沢周平らしい重厚な作品だった。

 それにしても氏の描く女性はみんなみんな気立てよく美しくしとやかでそして可憐である。
 このおこうも禁断の実ながらこんな女性が若しいたなら男なら誰でも魅入られたようにのめりこんでしまうであろう。
 クワバラ、クワバラ・・・
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藤沢周平「海鳴り」(上)。

一寸今まで読んだ藤沢作品とは、一線を画した題材である。

 紙問屋の大店の主人新兵衛は、店を大きくすることを生きがいとして身を粉にしてがむしゃらに働いてきた。不図気がつくと40も越え頭には白いものが目立つようになってきた。悋気の強い妻とは、数年前に囲ったがとっくに別れた妾のことで以来口もまともにきかない仲だし、一人息子はボンクラで放蕩者であった。
 そんなとき新兵衛は、紙問屋の寄り合いで同業者の主人の代わりに来ていたおこうと出会う。会合のあとの帰り道、慣れない酒を飲まされて町の男たちに絡まれていたおこうを偶然に救う。だがおこうを待合で介抱したことを同業者にみとがめられてその男に脅迫されてしまう。
 そしてふたりでその対策を相談するうちにお互い惹かれていく。
 
 世話物で、その内容もやや艶っぽいものだがやはり藤沢作品である。物語の展開にテンポがあり、おこうに惚れていく主人公についつい自分もつられて惚れていってしまう。
  
 気がついたら岐阜からの帰路の電車で読みきってしまった。
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 下巻にはいり愈々二人はのっぴきならないところまで深入りしていくのであろうが、読みだしたらとまらないことは目に見えているのでどうしようかナァ・・・
 あさってからまた長崎やし・・・
 寝不足になるのはかなわんシィ・・・

岐阜へ。

楽しみにしていた長良川の鵜飼を見に岐阜に向かった。
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途中下車して一度来たかった清州城に寄った。
「下天は夢か」では上巻は信長が清洲から桶狭間の戦いからいくつもの戦いを経て小牧城から岐阜にのぼるまでが描かれている。この他にも寄りたい城、史跡は数え切れない。

 これで行きたい場所一つ制覇である。矢張りその地に来てみないと歴史小説を読んだだけではその地理的な細かいことは分からない。出来ることなら徒歩でといいたいところだが車ででもあちこち回りたいものである。
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城門前で「柴田勝家」に会って、記念撮影。
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天守閣からは、遠くに岐阜城が見えた。
近くには東海道新幹線と在来線がクロスして間近を通っていた。
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清洲駅方面を望む。
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サラバ清州城。

在来線で岐阜に来た。
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何度も岐阜には来ているが、この像の前に立つのは初めてである。
この男一人で日本の歴史を変えた。
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像の横から長良川行きのバスが出ていたので乗った。
いつもKennyに車で案内してもらっているのでまったくどこをどう走っているのか分からないことだがバスでゆっくり長良川まで向かい町の配置がすこし理解できた。
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長良川到着。
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見上げると遥かに山頂には、岐阜城が燦然と輝いていた。
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長良川の夕焼け。和さんの影響で夕焼けがこの頃気になる。
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さて乗り込み。
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エンジンは使わずに川に竿をさし航く。
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まずはここの砂州で船を停めて夕食である。
金華山のてっぺんにライトアップされた岐阜城が燦然と輝いていた。
中々いい写真だ。
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小舟で鮎を焼いて舟に横付けして提供してくれる。
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このアユはホント旨かった。
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食後場所を移動して愈々鵜飼を本番を愉しんだ。
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Kennyの顔で何と一番端っこに舟をつけて存分にその情緒を堪能できた。
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大満足で下船。みんな海の仲間である。
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もう一軒。いつものワインバーで二次会。
愉しい一日だった。

藤沢周平「夜の橋」。

 久しぶりに自分の好きな藤沢作品らしい短編集だった。
 昭和50年から53年に発表された武家物、世話物とりまぜ短編9編をおさめたもの。
 この作品集は一次文庫として中央文庫から刊行されたものを2011年に文春文庫から再版されたものである。
 既述のよう藤沢作品は、この文春文庫に再度まとめられたものの方が新潮のそれより質がたかく面白いと思う。
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 どれもマァマァ腑に落ちる終わりかたで読後感がいい。
 
「鬼気」
 武家物。若い腕にある若者たちが昔剣豪とよばれたが今はいかにも風さいの上がらない上司にその腕を確かめるのにいたずらで襲いかかる。が、その上司のいざとなった時のその顔は鬼気迫るものであった。
「夜の橋」
 世話物。姑とそりが合わずに別れた女房が、ひつこく言い寄られる男に難儀していると元の亭主に泣きついてくる。ほのぼのとした話。
「裏切り」
「一夢の敗北」
「冬の足音」
「梅薫る」
「孫十の逆襲」
 関ヶ原の大戦が終わったがその爪痕は勝者敗者双方ともに各地方に深くのこっていた。そんな未だ治安も未だ回復しない混乱の中近くの村に野伏りが出た。村で唯一戦に出たことのあるじじい孫十が村防衛のために立ち上がる。「七人の侍」を彷彿とさせる内容でとても面白かった。野伏りと村人の斬り合いの接近戦場面は藤沢氏の本領発揮で迫力があった。
「泣くな、けい」
 武家物。手をつけてしまった女中けいに、藩での失敗を助けてもらう。それは下手をすれば切腹ものの過失であった。けいの健気さがいい。終わりも納得。
「暗い鏡」
 世話物。薄倖な姪のために鏡研ぎ師の伯父が仇を打つ。納得の最後。

 どれも面白かった。もう一度パラパラと読みなおそうと思う。

「梅薫る」より
 -蕾は大きくふくらんでいる。はち切れんばかりだった。だが丹念にのぞきこんでも、ほころびはじめたのは見あたらなかった。花は、そこまで来ている春を敏感に感じ取りながら、まだ残る冬の気配を警戒しているようにみえた-
 藤沢節全開!!!この辺が藤沢作品のとても好きなところである。
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