Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2014年05月

木津市場場外

木津市場に新しいお店ができていると聞いていたので、久し振りの何にも予定のない土曜日。ぶらりと見に行ってみた。
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一軒目。市場横なのでまずまずの美味しさかな?物足りないのでというかハナからそのつもりなのでもう一軒行く。
(蛇足だが、ハナは朝鮮語のハナ=1の由来である)
最初から気になっていた真昼間から日本酒を飲んでいる客で略満杯の店に入った。
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「だいどこ やまなか」
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この店の経営母体は酒屋で、前では造り酒屋のオーナーが飲んでいた。
このことは隣で如何にも常連の人が教えてくれたのだが、この人はかなりの日本酒マニアで
あちこちの日本酒の旨い店をよく知っていた。
彼は見た目はいかつい感じであったがしゃべると世話やきの典型的な大阪のお兄ちゃんで大阪の飲み屋ではこういった肩振りがあるのも愉しいことである。
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お店は小さいが、何と80本もの日本酒が冷蔵庫に並んでいた。
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お兄さんに自分の好みを言うと、次々とお勧めを出してくれた。
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肴セット。
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色々お豆とお魚の天ぷら。
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ほたるいかてんぷら。
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サバの燻製。
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どの酒も、料理も結講。結講。
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従業員のお兄さんたちもみんなフレンドリーでいい奴ばかりであった。
気に入った。
どんなに料理が旨くても、安くても店員の愛想の悪い店と生ビールの泡の多い店は二度と行かない。
早速来週の華金は、ここに来ることにして予約した。楽しみにしている。

時間があったので、一寸用事もあったので、帰りに知人宅に寄ることにした。
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市場の近くにイイ和菓子屋があるというのでお土産に買った。
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エリーに誘われて店内で食べたが、左党の自分にも中々旨いものだった。
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知人は先日ドバイ経由で東地中海クルーズを愉しんできていた。
ドバイでは、120㎡×2階建ていわゆるメゾネットタイプのホテルに一泊したそうだ。一泊30万円だったそうだ。
とても一泊では全ての部屋を使いきらず、出来るだけ散らかして使ったそうだ。
笑った。
クルーズ船は、クリスタルセレブリティで、彼等にとって初めてのクルーズだった。
クリスタルクルーズはラグジュアリーランクである。オールインクルーシブで、母体は日本郵船なのですしバーがあり毎日行ったそうだ。
食事時、フィリピンの大家族と出会い、その家族それぞれに自前のメイドを連れていて、壮観だったそうだ。
某国の団体はおらず、船内はセレブでとてもいい雰囲気だったそうだ。
またクルーズ船に乗りたくなってきたなァ・・・・

華の金曜日

毎週金曜日夜は「ひでぞう」が定番となった。
ここの女の子たちは明るくてきびきびとしていて気持ちが良い。
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生湯葉ウニ乗せ。
酒は、久礼である。
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たこアヒージョ
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「私の家は山の向こう」 テレサ・テン10年目の真実

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私の永遠の恋人鄧麗君の物語である。
2回目を読んだ。
矢張り彼女は素晴らしい女性である。

といっても彼女のファンになったのは、彼女が亡くなって十数年も経ってから偶々YOUTUBEで彼女が歌う「何日君再來」を目にしてからである。生前彼女の日本での活躍は知っていたがそれほど魅力ある女性だと思っていなかった。彼女の神髄は矢張りその歌う北京語の美しさである。

彼女の容姿、歌声も好きだがそれにまして伝えられるその気立てが好きである。いい子だったと未だに彼女の周りにいた人はいう。
彼女のコンサートに一度行きたかったなァ・・・行く機会はあったのに・・・

一昨年願いが叶って基隆からTAXIをチャーターし台北の北東遥か彼女の眠るお墓に参ったが、未だに熱い思い出として胸に蘇る。
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庭園のような墓地敷地の上に広がる蒼天にこの世を名残惜しむように彼女の甘美な歌声が流れ昇って行った。
いつかもう一度行こう。。。。

「特攻 最後の証言」制作委員会「特攻 最後の証言」

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海軍人間爆弾「桜花」、海軍人間魚雷「回天」、海軍水上特攻「震洋」、海軍水中特攻「伏龍」、陸軍航空特攻「九九式爆撃機」、陸軍水上特攻「マルレ」、海軍神風特攻「九七式艦上爆撃機」、海軍神風特攻「零式艦上爆撃機」。
終戦間際、絶望的な戦況の中行われた「特攻」。
それに志願し、それぞれの理由で生き残った8人の証言集。

よくぞマァ改めて若者の人命なんぞ屁とも思っていなかった軍上層部の愚かな連中が考えついた特攻の数々である。
当時日本人の中にはこんな下劣な奴らがいた。
そして現代の日本の中にも、奴らと同程度の人間がいるのかと思う。

文中よりいくつかの証言を抜粋した。

桜花特攻隊員の話し
引き裂かれた日本人
戦争が終わって骨のある人達が虚脱状態になったことですかね。そこにつけ込む形で尻尾を振る連中が、「俺は戦争に反対していた」とか「俺は戦争が嫌だった」とか等と言い出して戦争に協力した奴はけしからんと吊し上げを始めた。例えば、画家の藤田嗣治なんて従軍画家だったことを吊るし上げられて、もう日本には帰らないと宣言してパリに行っていしまった。この一つをとってもわかるように、あの時(終戦)に日本人が引き裂かれたんだな。戦争に負けて一切が嫌になった人達と、戦争に負けたんだから、ここぞとばかりに占領軍に迎合して、いい思いをしようとするオポチュニストたちとに

零戦特攻隊員の話し
事故といえばね、13期の戦死者は1613人かな。そのうち特攻が450人です。ところが、そのほかに事故で死んだ人が250人もいる。今の民間飛行でそれだけの事故があったら大変なことです。我々がどれほど危険な練習をやって来たかということにも繋がる。我々がいかに未熟であったということになるかもしれんけど、事故の多さに対して無頓着だったという証左だね-

-当時のデーターを見ると、予備学生は、成績優秀なものが特攻隊員に多かった。海兵はどちらかというと、あまり成績のいい方ではなかった。要するに、予備学生は使えそうなものから特攻に使い、海兵は特攻しか使い道がなかろうという者を投入した。こういうね、選別の仕方に何ともやりきれないものを感じます


零戦直掩隊員の話し

-上層部は、13期予備学生にしても、予科練にしても、72.73期兵学校にしても、戦闘機の搭乗員は特攻隊にしか使いものにならないと考えていたふしがあるね。ところが私の場合は隊長が岡嶋清熊という人で、真珠湾依頼の日本の戦闘機乗りとして大変有名な人物です。当時、上層部から方々の戦闘機隊へ「お前ところは○人、特攻を出せ」という指令が出たようです。ところが、私たちの岡嶋隊長は一人も特攻隊員を出さなかった。「戦闘機乗りというものは最後の最後まで敵と戦い、これを撃ち落として帰ってくるのが本来の使命、敵と戦うのが戦闘機乗りの本望なのであって、爆弾抱いて突っ込むなどという戦法は邪道だ」という信念の持ち主でした。あの時分、上層部からは国賊とさえ呼ばれていたんです。でもこの人の信念は変わらなかった。最後まで戦闘機隊を、本来の目的通りに維持しようとしたのは、この岡嶋隊長と、芙蓉隊の美濃部少佐の二人ぐらいではなかったですか-


余談だが、百田氏は岡嶋隊長を、「永遠の0」に登場させている。

畠山健二「本所おけら長屋」

百田尚樹氏が推薦ということで買ったが、全く面白くなかった。
小説なんてものは所詮作り話であるが、作り話すぎる。
大阪弁でいえば「そんな奴おらんやろ!」という類の話しばかりである。

たとえば「はこいり」で出てくる大店のお嬢さんだが、いくらもの知らずといっても「風呂に火をつけてこい」といわれて、風呂を燃やすなどとは、そんな奴おらんやろ!!!
後の話も、ありえない話ばかりである。
第2部も買ってしまったので仕方なく読むつもりだが、百田さん、何でもかんでも推薦しないでね。
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原田要「最後の零戦乗り」

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百田尚樹氏推薦の一冊である。
著者の原田氏は未だにご健在で長野で一線は退かれたものの幼稚園で子供たちの育成にあたっておられる。一度お会いしたいものだ。

初戦、真珠湾攻撃に艦上空直掩隊として参加し、インド洋、ミッドウェイと転戦し、ガダナルカナルでの空戦に参加、終戦は教官職で内地で迎える。
よくぞこれだけの戦歴を経て無事生還できたものだ。
三度の九死に一生を得たと文中にあるが、奇跡以上のものであろう。

教官時代若く戦場へはやる未熟な訓練生に合格点を与えず、彼らを送りだすのを少しでも遅らせた等という逸話は宮部久蔵の一つの人物像を作っている。

原田氏も他の生き伸びた搭乗員と同様、当時の軍上層部を婉曲的にであるが、批判的に書いている。
特攻に関するところでは、上層部連中が特攻隊を帽振れで見送った後、一機でも敵艦に突っ込んだものがあると営舎で祝杯をあげているのを見た時には、強い憤りを覚えたとのことである。

組織としての帝国海軍というのは戦争する以前に、人間的に大きな問題がある組織であったといえよう。文中その上層部連中を「お偉いさん」という呼び方をしているが、とんでもない非人間的な連中が上層部にウヨウヨいたというである。

また終戦を境にたった一日でそれまでは「兵隊さん」と呼んでいた一般国民が手のひら返しで翌日からは戦争を負けたのが彼らの責任のような扱いをし、特攻隊員たちを特攻くずれ、予科練生を「与太れん」と呼んでさげすんだという。彼等の中には、そんな風潮に耐えきれず身を持ち崩す連中も多かったという。

こういう若者を漫然と死地に追いやり自分はのうのうと生き残った連中を罰することもなく、また反対にただただ国の為に散華した、また死地をからくも生き残った若者を敬うでなく、この戦後を今もあいまいにしてきたことは、この作者ならずとも、大きな憤りを覚えるものである。

おじさんバンド&同窓会

バンドは愉しい。
今日は、後で同窓会があり今回幹事であるので2時間余りで切り上げたが、中身の濃い練習となった。
11月の発表会に向けて来月からは課題曲に絞っての練習である。
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早めに切り上げすぎて時間が余ったので水掛不動さんに参った。
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還暦でみんな集まって以来1年に一度の恒例の集まりとなった。
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話題は、年金、介護、相続と・・・マァ仕方ないか・・・
自分ではまだまだ若い気であるが、周りから聞こえる会話は、この手の話ばかりである。
そうそう、明日誕生日を迎えるというマドンナが役所から前期高齢者手帳が送られてきたと言っていた。
なんだかなァ・・・
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こうして見るとみんな高校時代のママなんだけど。。。。

この後近くのカラオケボックスに行って、歌も歌わずまたよく喋りまたよく飲んだ。
お陰で翌朝は酷い二日酔いだった。

沖方丁「天地明察」下巻。

下巻は面白かった。
流石本屋大賞受賞作品である。
ただ単に面白さだけで評すると、同じく同受賞作小川洋子「博士の愛した数式」もそうだが、受賞作品より面白い作品は多くある。その点矢張り百田尚樹の「海賊とよばれた男」は断トツに面白く読後感も素晴らしいものである
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主人公春海が、幕閣保科正之の命を受けて、800年に亘り漫然と使われ今や誤謬明らかになった宣明暦の改暦に挑む。壮大な男のロマンである。
当時春海を長とする何人もの天才たちでチームを組んだとはいえその時代の測量器具、知識、技術で良くこれだけのことが出来たものだと思う。

この会津藩主でもある保科正之という人物の器量に深い感銘を受けた。戦国時代の因習を頑なに引きずり閉塞し切った幕政に大きな風穴を開けた人物である。現在会津では、この正之を主人公にした大河ドラマの制作をNHKに請願しているそうであるが、是非とも実現させて欲しいものである。
春海の天才的な測量術、誰にも好かれるその人柄にも感動したが、あの時代の幕府に保科正之という人物がいたことにも大いに感動した。
正之は、秀忠の落胤で家光の異母兄弟である。家光は、正之が自分の弟であることを長く知ることがなかったが彼の資質を純粋に高く評価し重用したという。

もう一つこの本の中で知ったことがある。
それは春分から秋分までの日数が186日余り、秋分から春分までの日数が179日足らずで、日数が違うことである。知らなかった。。。
これには、また時間をかけて考察してみようと思う。本日はこれまで・・・

続きである。

春分から秋分までの長さ(日数)と、秋分から春分までの長さが違う?

知らなかった。

実際に今年のカレンダーをくって調べてみた。

2014/3/22~9/23 9+30+31+30+31+31+23=185

9/24~2015/3/21 7+31+30+31+31+28+21=179

なるほど、確かに違った。
春分から秋分までの日数が秋分から春分までの日数より長い。

初めて知ったことである。

これは地球の公転軌道が若干楕円を描いていることから生ずるものである。
月も地球も公転軌道が楕円であることは知っていたが、地球の公転軌道が楕円であることにより春分から秋分までの日数が違うということは知らなかった。全く同じだと思っていた。

これを説明するのには、ケプラーの法則の第1、第2法則が必要である。

ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーにより1609年第1法則第2法則発表。1619年、第3法則発表されたいわゆる「ケプラーの法則」とは、以下の3法則である。

第1法則(楕円軌道の法則)

惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道を動く。

第2法則(面積速度一定の法則)

惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定)。

第3法則(調和の法則)

惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。


第1法則は、何故楕円軌道を描くのかまで踏み込むと収拾がつかなくなるのでこれは、単に楕円軌道を描くということで納得して、第2法則については少し考えてみよう。
webで見つけた『わかりやすい高校物理の部屋』 
が分かりやすく、出所明示でリンクフリーとして頂いているのでこれを使って考察したい。

以下抜粋

[ケプラーの第2法則]

惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定である。

この法則は面積速度一定の法則ともいいます。

新しい画像

周回する物体と焦点とを結ぶ線分を動径といいますが、この動径が単位時間当たりに掃く面積が一定ということです。この面積が一定ということは、惑星は太陽に近いときは速い速度で、遠いときは遅い速度で動くということです。
新しい画像 (1)

面積速度を数式で表してみます。

A点にいた惑星が v の速さで単位時間にB点に進んだとします。AB間が微小な場合はFABの面積は三角形FAB'に近似できます。動径 r と速度 とのなす角を θ とすると、三角形FAB'は底辺 r 、高さ v sinθ の三角形でありますので、その面積 S

    S = 1/2r v sinθ

と表せます。この S の値が一定なわけです。r が小さいときは v が大きく、r が大きいときは v が小さいのです。

「引用文献」

http://www.wakariyasui.sakura.ne.jp

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分かりやすく、良い文献である。


もう一つ資料として、近日点と遠日点における太陽からの距離がある。

すなわち、

地球の近日点距離:147,098,074 km

地球と太陽の間の平均距離:149,597,870 km
地球の遠日点距離:152,097,701 km



平均距離と近日点の差は2,499,796km 約250万km
平均距離と遠日点の差は2,499,831km 約250万km
近日点と遠日点との差は4,999,627km 約500万km

で、地球の公転軌道は楕円形といっても限りなく真円に近いものであることが分かる。

ただ、その少しの楕円軌道の為に太陽に近いところではその公転速度は速くなり、遠いところでは遅くなる。

たとえば、ひもの付いた何かを指で回して巻き付けた場合、糸が巻き付けられて短くなるにつれその回転が速くなるのは誰しも知っていることであるがそれと同じ原理である。

近日点は、1月の半ば、遠日点は7月の初めである。因って近日点を含む秋分から春分までの日数が、遠日点を含む春分から秋分までの日数より短くなるのである。

ここで一つ小さな疑問が沸くかも知れない。
それは南半球は、近日点が1月で夏であり。遠日点が7月で冬で、太陽の遠い近いでその季節が、理解できるが、北半球の場合、太陽より遠い7月が近い1月より暑いのは何故かということである。これは先に述べた公転軌道は限りなく真円に近く、その太陽への僅かな遠近より日照時間、日照角度に因る気温変化の方がはるかに大きい為である。

因みに冬至、夏至における日照時間は、
冬至:約10時間
夏至:約14時間

である。

春分から秋分までの長さ(日数)は、秋分から春分までの長さより短い。

このことを知っただけで、この本を読んだ価値は十分ある。


天文学は面白い。大空の彼方は、男のロマンである。
 

梅田グランフロント

この1年数か月読んだ本が余りにも多く本棚に納められなくなったので新しい本棚を買うことにした。梅田グランフロントにあった家具屋を思い出して見に行ってきた。
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ん~~イイ感じだが、すぐに満杯になりそう。
今回の本棚選びは、妥協しないで徹底的に気に入った物を探そう。
そして読んだ本をまた綺麗に並べて、悦に入ろう。ウン楽しみだ。

グランフロントの8Fでお昼を食べた。
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ついこの前迄駅舎、プラットホーム、線路があったが綺麗になくなっていた。
中々ノスタルジックで良い眺めだったのに・・・
この広大な敷地に何を作るつもり何だろう。
たかじんが生前に、この土地をマンハッタンのような公園を作って、その中に世界に誇れる音楽堂を作ったらと当時の橋下知事に提案していたが、大賛成である。
大阪には、これだけの大都市でありながらまともなコンサートホールがない。ホント大阪は日本の中で可也の文化後進国である。恥ずべきことである。
大阪城ホールにしても、大阪ドームにしても所詮は、多目的ホールであり、野球場である。まともなコンサートを聴く場所では断然ない。

この空間は大阪に残された最後の一等地のまとまった土地である。
木々が生い茂り緑あふれる小道の横には小川が流れそこを抜けるとベニスのフェニーチェのようなコンサートホールが威容をもって現れる。そんなん無理かなァ・・・
無味乾燥なビル街だけにはしてほしくないが・・・

沖方丁「天地明察」上巻。

QEの旅の最終日前、風邪をこじらせて伏せって以来、本を読むペースが愕然と落ちている。読み出しても根気が続かないのである。原因が、読む本が面白くないのか、自身の気持ちにあるのか不明である。
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この作品も本屋大賞第7回において第1位の栄冠を得た作品である。

徳川四代将軍家綱の時代、当時使われていた暦は800年の時を経て何の修正をも加えられず実際の日々とずれを生じてきていた。
その改編に当たったのが碁打ちの春海であった。この上巻はその春海の若き日を描いたものである。

物語は、算術(今でいう数学)、暦、天体観測による測量と、大好きな題材のオンパレードである。

ただ初めて読んだ作家であるが、言い回しがくどく難解で読み辛い。また時々態と時系列をずらせて書いている為、漫然と読んでいると迷うこともあった。

下巻に期待である。

この上巻で一つ得た知識がある。
神道により拍手(かしわで)について意味が解釈されている行がある。

ー左手は火足(ひたり)すなわち陽にして霊。
右手は水極(みぎ)すなわち陰にして身。
拍手とは、陰陽の調和、太陽と月の交錯、霊と肉体の一体化を意味し、火と水が交わり火水(かみ)となる。拍手は身たる右手を下げ、霊たる左手へと打つ。この時火水は神に通じ、神性開顕(しんしょうかいけん)となって神意が降りる。ー

一寸こじつけがましいが、なるほど
今度神社参拝の折には、このことを心して拍手を打とう。

「長崎へクルージング」打ち上げ。

素晴らしく愉しかった長崎へのクルージングの打ち上げをした。
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エリーが丹精込めたベランダの花も満開。一年で一番いい季節。
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金目鯛のアクアパッツァ。
delicious&gorgeous
プロの仕上がりである。

7月の天草クルージング。
8月の五島列島クルージングの打ち合わせをした。もうすぐである。
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イーチャン直伝の小芋のゴルゴンゾーラ。エリーの得意デッシュである。
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シャンパン。生ビール、ワインと結婚式の様。
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イカスミパエリア。これも美味かった。

この後クルージングのビデオをみんなで見た。今回はモニ、タケがまめに撮ってくれたので全2時間近い大作となった。みんなで腹を抱えて笑った。いい記録である。
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後は、またベランダに出てキャンドルをつけてまた一杯やったそうだ。寝ててシランケド・・・

今日もみんなでよく食べ。よく飲み。よく笑った。仲間に感謝。乾杯。続きを読む

華の金曜日。

今日も来た。ひでぞう。P1010036
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1週間御苦労さまでした。自分へのささやかな褒美である。

愉しかったクルージングも今日でお仕舞い。出島退船。

暫く出島ともお別れである。
最終手仕舞いをして退船した。

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Johnとモニも最後まできっちりと指示に従って手伝ってくれた。
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出島ワーフ係留。当初五島列島、天草諸島への足場としか考えていなかったが良い人達に囲まれて楽しい一年となりそうである。時々ここだけにでも遊びに来ようと思う。
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彼等とも1年間のお別れである。
空港でちゃんぽんを食べた。
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固くハグをして別れた。See you again next GW>>>>>
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彼らの旅はまだまだ続く。彼等は我々の今後の人生観に一つのヒントをくれた。
いい二人だった。

BigElleの次回の旅は、7月の天草クルージングの予定である。
一年間みんなとの長崎の海のクルージングを楽しみにしている。

「瀬戸内海をこえて長崎出島へクルージング」
14/261358-1511JR海南駅集合→買い物→大崎前夜祭 
24/27大崎0430~鳴門海峡27M0730~瀬戸大橋1320~白石58M152085M
34/28白石  
44/29●白石1000~上蒲刈島45M160048.2M
54/30上蒲刈島0645~大畠瀬戸35M1120~徳山35.2M160570.2M
65/1徳山0700~門司48.6M144548.6M
75/2門司0826~大島30.7M131030.7M
85/3大島0915~呼子1400=1505平戸58.3M174058.3M
95/4平戸1120~有川35M154535M
105/5有川1040~出島43M1640 43M
115/6大掃除 
125/7長崎-大阪 
419M
全航程419M。無事終了。。。。。
参加してくれた仲間のみんな、旅先で出会った素晴らしき人々に感謝&感謝しつつこの項を終えたい。

出島の一日。

朝0900みなさんに集まっていただき外のバースから一番内のバースに移動した。
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隣のNさん、セレブ奥様も手伝ってくださった。
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ハーバーの方、隣のクルーザーの方他総勢10名の方々が手伝ってくれて移動した。
感謝。感謝。。。

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大変お騒がせいたしました。謝。謝。
出島 (11)
出島 (10)
無事移動も終わり、舫いをきめた。これから1年間の滞留である。
このハーバーはいわば第2候補として選んだ係留地であるが、ハーバーの方々の温かい対応、お隣のNさん他良い人達に囲まれて楽しい一年となりそうである。
出島に来て良かった。。。。
これも矢張り一期一会である。

定番であるので中華街で打ち上げをした。
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GucciとTomは、本日帰阪である、
一人づつ集まったメンバーが一人づつまた去っていく。
旅の終わりはいつも寂しいものである。

長崎は何度も来ているのに、初めてこの「出島和蘭商館跡」に来た。
出島 (13)

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どの部屋の天井もとても高かった。
当時日本人の平均身長が、男性157cm、女性147cmだったというから、彼らには見上げるような天井であったろう。
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瀬戸内、玄界灘、東シナ海のしぶきを浴び、潮まみれになったデッキを綺麗に水洗いした。

長期係留となるので、ジブセールの増し締めをした。
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ポートサイドクルールームのハッチがリーキングするのでコーキングをやり直した。

John達が日本でシャブシャブを食べたことがないというので、今回の旅の締めはこの献立で祝うことにした。
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横のクルーザーのオーナーが沢山の野菜を差し入れしてくださった。
流石にミシュラン三ツ星レストランのオーナーである。どれも新鮮でとても美味しかった。
大好きな島らっきょうもあった。中々こんな大きな、綺麗な島らっきょうはない。

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最終日の夜も終わりである。あ〜〜ァおしまいカァ・・・

有川~今回の最終目的地出島。

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今日の朝ご飯。

Rちゃんに見送られて出航。
Rちゃんは、車で岬まで追いかけてBigElleが見えなくなるまで見送ってくれたそうだ。
後で聞いて、ジ~ンと来た。感謝。

有川1040~出島43M1640
出島へ (1)
ア・ビームの風をいっぱいに受け、BigELLEは、今日も快走した。
出島へ (2)



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ふざけるモニと、グッチ。
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長崎市街が見えてきた。旅も愈々終りである。。。。
出島へ (3)
出島へ (4)
John、モニと共に全航程参加してくれたTom。感謝。感謝。
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出島へ (5)
出島ワーフが見えて来た。
出島へ (7)
全航程無事終了。出島ワーフに舫う。みなさんご苦労様でした。
有川~出島
有川~出島速度

総走破マイル数は、419Mであった。
出島へ (6)
新調したピカピカのテーブル。みんなで何度この上で食事を愉しんだろう。
出島へ (8)
片付けは明日にして、みんなでまずは祝杯である。
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出島へ (10)
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打ち上げは中華街でやる予定であったがワーフ前のイタリアンレストランに変更し行った。
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John、モニは、可也の勢いで食べていた。日本食大好きと言っていたが、やはり連日の魚料理は、こたえていたようだ。
出島へ (11)
出島へ (12)
このハーバーのロケーションは最高である。
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船に帰って当然もう一杯。
セルフィーで撮影。
セルフィーとは、最近オーストラリアの辞書に加えられた新語で自分撮りのことだそうだ。続きを読む

平戸~有川

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ふぐアラが山のように入っている豪華雑炊で朝食。
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昨日刺身で食べ、残ったサザエは、ボイルしてビールのアテである。
絶品の美味さ。港で買ったサザエほど美味いものはない。

昨日深夜まで働くので「起きれるかなァ・・・」と言っていたが車で時間通り迎えに来てくれた。
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彼女とは、小学校以来50年の付き合いになる。半世紀カァ・・・
平戸~有川

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狸はラクーン ドッグ( raccoon dog)というそうだ。なんでドッグって言うの?
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筵(むしろ)網機。中々の発明品だと思う。
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天守閣。
昭和になって再建されたそうだ。
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晴れ渡った穹天の下、紺碧の海に絶妙に浮かぶ新緑の島々。絶景を前に、天守閣を吹き抜ける風が頬を冷やしなんとも爽やかな気持ちであった。
何日もかけてよくぞここまで来たもんだ。
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BigELLEが見える。
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何度か停めたことのある白浜港。
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あの鞍掛山まで連れて行ってやろうかと言ってくれたが距離があり時間が押すのでまたの機会にした。

もう一か所、近場の松浦資料博物館の見学に行った。ここも初めてである。
平戸~有川 (2)
平戸~有川 (1)
平戸~有川 (3)
平戸~有川 (4)

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二隻六曲の屏風。狩野探幽の作とされる。近すぎて全体が撮れなかった。
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兜の試着ができた。
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John&モニもご満悦。
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後、庭を見て回った。抹茶のサービスもあったのだが、時間がなかった。
エリーにもう少しゆっくりの航程を計画するように文句を言われた。
そうだなァ、今回は全航程が長かったが、走らない日も設けることもできた。ただそうすると一日の航程が長くなるというジレンマがあったが、一考しようと思う。
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海保から検査を受けた。
海保には知り合いも多く、いつも感謝している。日本の海の安全の為に体を張って頑張ってくれている。感謝である。
職員の方と記念撮影をした。
この海域の担当は、第7管区である。

平戸~有川 (5)
出航前に、綺麗に片づけて・・・
平戸~有川 (6)
だが、チャートテーブルの上はこの通りである。
何人もの電子機器の充電器具でベリーメッシーである。
これは仕方ない。
各バースででも充電できるが、これは禁止し、この一か所にまとめてある。
不測のバッテリーの過放電を防ぐためである。

平戸1120~有川35M1545
予定より20分遅れて平戸出航。
平戸~有川 (7)
彼女と、思いがけずここで再会した長崎のKさんが見送ってくれた。
Kさんは偶々この平戸に自艇で来ていたのだという。
ヨットの世界は狭い。
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さらば平戸。しばしの別れである。
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平戸大橋をくぐる。
平戸~有川 (8)
Johnが撮ってくれた珍しい写真。
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有川港が見えてきた。
Rちゃんに電話すると「待ってま~~す」の返事があった。
平戸~有川 (9)
いつも青方に停めるので、有川は初めての寄港である。
平戸~有川
平戸~有川速度

着岸後、宴会迄暫し、港周りを散策した。
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五島うどんの店。1100~1400までの開店である。短すぎない?
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有川港からは、2社から佐世保行きのフェリー、高速船が出ている。

ミュージアムがあったので見に行った。
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この手の施設は時間があれば必ず訪れるようにしている。寄付の意味もある。
文化伝承施設は残さなくてはいけない。
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今日の宴会場は、Kちゃんの前田旅館である。
ビールしかないというので焼酎、シャンパンを買って行った。
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前田旅館。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yana_world/home.html
青方港からTAXIで5分。有川港からTAXIで15分である。
上五島来島の際は、是非どうぞ。気遣いの女将さんKちゃんが出迎えてくれます。

いつかここで大宴会をしようとKちゃんとRちゃんと約束していた。
何年振りに約束が果たせたのだろう。
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忙しいGWの真っただ中、こんな準備をして、部屋を用意して、待っていてくれた。
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Mさん夫妻と、我々。Tom behind of camera。
とても良い写真である。
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超豪華。
クジラのコロ。郷土料理の煮物。ちらし寿司。全部お祝い事の席で出される料理だとのこと。
感謝感激。
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伊勢海老が中心の舟盛り。
Mさんの差し入れである。感謝。

平戸~有川 (12)
珍しいクジラのおばけ。亡くなった親父が好きだったことを思い出した。
平戸~有川 (13)
その昔五島では砂糖が貴重品で、この料理は大根の甘みと、アゴ(トビウオのこと)とで砂糖の代用としている。上品な甘みでとても美味しかった。
平戸~有川 (14)
一つ一つの容器に銘が入れてあった。
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シャンペンでまず乾杯。
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二人の為に、お手製のパンを用意してくれたKちゃん。
モニは、感激のあまり泣き出してしまった。
それにつられて、Johnも、エリーもMYSELFもみんなもらい泣き出した。
Tomに「もらい泣き」って英語でなんて言うの?と聞いたら「知らん!」と言われた。
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ざーまに、よかポロシャツばい!!!
(ざーまに=五島の方言「もの凄く」)
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Kちゃんに五島うどんが食べたいというと「よっしゃ」と作ってきてくれた。
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五島釜揚げうどん。
卵と醤油で食べた。ざーまにうまかったばい。
港前のうどん屋が閉まっていて食べたかったのにと冗談で言ったら、忙しいのに、即作ってきてくれたKちゃん。感謝。感謝。。。。。
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みんなでLサインで記念撮影。
この後2台の車で有川のBigElleまで送ってもらった。そしてまた一宴会やった。
因みにMさん夫妻は下戸である。

感動的な、宴会であった。

五島は、やっぱりざーまによかとこばい!!!続きを読む

大島~平戸& a brief stop at 呼子。

お世話になった若い漁師さん。頑張ってね。
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魚を貰った。それも、鯛、グレ、カワハギと3匹も頂いた。とても美味しかった。お礼にワインを差し上げたら逆に恐縮されてしまった。
とても感謝。感謝。
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子供を乗せて出て行った。今日は家族サービスだそうだ。
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タケがここで下船。一日延長して頑張ってくれた。感謝。

大島0915~呼子1400=1505~平戸58.3M1740
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さらば大島。人情あふれ、ここも良い島だった。
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大島を出てから3時間は、まだ昨日の波、風が残っていて海は荒れていたが、みんな元気元気であった。
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波もやっと落ち着いてきた。
長い航海でデッキも潮まみれ。

海流の為であろう。0.7ノットもアゲインストをくらった。
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呼子通過まであと10Mである。この頃には、予報通りにすっかりと海は落ち着いてきた。
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モニに、ヘルムを代わってもらった。モニは、楽しそうに一生懸命にスキッパーをこなしてくれた。頭の良い子である。
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遠くに呼子が見えてきた。右に見える加部島を回って航く予定だったが・・・
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海も落ち着き、航程に余裕ができたので急遽呼子に寄ることにした。
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ここの事前調査は、かなり詳しくしていたので初めて来たが自信を持って入港することができた。

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呼子着。P1000750
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みんなフレンドリーでワイワイと海からきた我々を歓迎してくれた。
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一番大きいのを選んで捌いてもらった。
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呼子のイカは、新鮮で絶品である。
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当初の予定では、一泊してここの湯を楽しむ予定であったが、マッ海のことだから予定変更は仕方がない。また今度である。
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何故かハーネスを外すのを忘れていた。
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予定時間をオーバーしての呼子滞在となったが、みんな大満足であった。
Johnが、Captainの今回のチェンジマインドは最高だと誉めてくれた。
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呼子大橋をくぐる。

懐かしい平戸が見えてきた。
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平戸無事到着。呼子に寄ったので夕方になってしまった。
大島~平戸
大島~平戸速度

宴会の時間を1時間ずらせたが風呂は、大忙しとなった。
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平戸の友人が手配してくれていた「平戸脇川ホテル」。
いつも彼女には感謝している。
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初めての露天風呂にJohnは大感激していた。ほとんどの時間を露天風呂に浸かり前に広がる平戸城をあしらった雄大な海の景色を愉しんでいた。生涯残る感激だと言っていた。
確かに素晴らしいロケーションであった。手配してくれた朋に感謝。

夜の宴会は、これも楽しみにしていた「やきにく鈴」である。
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ここの平戸牛は、とても美味しい。
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部屋にあった「一期一会」の掛け軸。
いうまでもないが元々は茶道の言葉だが今は色々な意味に使われているようだ。
良い言葉だ。
私は、この言葉を「一生に一度の出会いはどれも奇跡的なことで、その一つ一つの出会いを大切にしよう」という意味にとっている。
Johnとモニに説明すると、二人とも大きくうなずいていた。
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美味しかった。大満足で店を後にした。

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台湾台南市の「鄭成功祖廟」を訪れた時に、彼が平戸の出身であることを知った。この記念館は訪れたいと思っていた。
今度平戸訪問時には、彼の資料館を訪れよう。台湾の父と呼ばれる彼は、台湾の人が教科書で一番に学ぶ英雄である。

昭和の匂いのする趣のある裏通りを抜けて「夜の窓」に行った。
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彼女いわくいわゆる商売用の衣装だとのことである。
長い付き合いになるがこれだけはいまだになじめないでいる。
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みんな乗りまくりであった。
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バーテンダーの彼は、小学校の頃、平戸に入港したBigELLEを、見に行ったことがあるそうだ。
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「夜の窓」。
平戸訪問時には、必ず立ち寄って頂きたい。
http://www.navitime.co.jp/poi?spt=00011.080332197
リーゾナブルな料金で平戸の夜と彼女の奇抜な衣装を愉しめます。

ぶらぶらと夜風に吹かれながら船まで帰った。
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彼女に送らなくていいといったのに港まで送ってくれた。感謝。

今日もまた長いビッグディだった。

門司~筑前大島。

門司0826~大島30.7M1310
門司出航。
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世話になった久美丸が見送りに来てくれた。
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久美丸から撮ってもらった写真。
またいい出会いがあった。
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連れ潮に乗って9ノットオーバーで関門海峡を抜けた。
玄界灘も連れ潮で今日も一日良いクルージングになる予定であったが・・・

海峡を抜けると大荒れ今クルージング一番の荒天走行となってしまった。

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この海域は浅い。水深は、20mを切る。波長の短い、のこぎりの歯のようなチョッピーな波に厳しい航海となった。
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呼子まではこの状態で走れないと判断し。緊急停泊地と予定していた大島に逃げ込んだ。
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exhausted~~~~
門司~大島
門司~大島速度

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エリー特製のパスタで昼食をした。
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宗像神社に詣でた。
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銀杏の御神木。
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湧水があった。
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天気晴朗なれど、風強し。
シンとした中、暫し石畳に胡坐をかき、風が梢を大きく扇ぐのを仰ぎ見ていた。

とてもいい時間だった。
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もう都会では見られないツバメの巣があった。
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出光佐三は偉大な尊敬すべき男である。
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タケが近くの漁師さんからミカンを貰って来た。とても美味しかった。
大島の人はみんなみんなとても親切だった。
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夕日が山にシルエットを作っていた。
筑前大島の一日が終わる。

海は大しけだったが、今日も楽しいクルージングの一日であった。
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徳山~門司

徳山0700~門司48.6M1445
今日もいい天気。
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舫わせて頂いた船が0730に出港するので0700にその舫いを解いた。
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一晩世話になりました。有り難う。徳山よさらば。
そうそう徳山市は、合併によりその名が消失して今は周南市となった。
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ベタ凪。大津島を回る前に朝食とした。
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今朝の朝食担当は、エリーとモニ。
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霧がかかっていたのでレーダーレフレクターを増し設置した。
今は亡きコリンがくれたものである。

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関門海峡大橋が見えて来た。
この頃可也きつい向かい風が吹いていたが、キャビンでは、大音量でBGMを流し、みんなでワイワイ踊りまくって大騒ぎしていた。

この時の様子はビデオ撮影しているのでYoutubeでその映像を張り付けられるのだと思うがまだそのやり方を知らない。とても面白いので近々にUPしたいと思っている。
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行き交う本船でこの海峡はいつも混み合っている。
流れも速いので気を遣う海峡である。もじ1 (3)
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予定通り1400前に門司到着。以前は此処に一時係留させてもらえた。
徳山~門司
徳山~門司速度


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しかし、舫い終わったのは、1500前になってしまった。
以前は、ヨットも一晩くらいなら大目に見てくれて泊めてくれたのだが、何か1ヶ月くらい居座って港湾局とおおもめしたヨットがいたらしい。それ以来ヨットの係留は全面禁止となったようだ。そんな非常識なヨット乗りが多くいることは確かでありそんな連中がヨット全体の評判を下げる。
ただ、だからといってそれを盾に全面禁止にする役所の対応は許せないことだ。
いわゆる役所仕事の「前例主義」である。

折角予定通りに来たのに、ごたごたで時間が遅くなってしまった。
下関のカモワーフが閉まってしまう。みんな全速で通船乗り場に駆けた。
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走った。
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駆けた。
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なんとか間にあった。
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みんなと遊べば何でも愉しい。
モニは、クレージーピープルだと笑っていた。
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この3日間は、今回のクルージングで最多の7名のクルーで遊んだ。
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必死で行ったが、結局1400でほとんどの店は閉店していた。
何とか冷凍のフグを仕入れた。
門司に戻り、今日は作るのがしんどいという女性陣の希望で外食にした。
市場で聞いたお兄さんに教えられた居酒屋に行った。
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リーゾナブルな値段で美味しかった。
なんかみんなハイテンションで、もの凄くうるさいことで店の人に謝ったが、国際色豊かでイイですよと、店の人も、店の常連さんたちも笑って言ってくれた。九州の人はみんな温かい。

食事の後、船から歩いて15分程の所に銭湯があるというのでみんなで行った。
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途中、関門トンネルの出入口の前の陸橋を通った。
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スーパー銭湯もイイが、矢張り地元の昔ながらの銭湯が好きだ。
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きく湯。
港の近くにこんな銭湯があるのは知らなかった。
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ほっこりして一旦船に戻って、銭湯で会った人に門司に来たら「三宜楼」を絶対に見て行ってくれと教えてもらっていたのでまたみんなで行くことにした。

途中門司港駅に寄った。
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生憎外装は改装中で見ることが出来なかったが、中のムードはレトロの感じがいっぱいでとてもいい感じ。

ただ自動改札機がそのムードを可也ブチ壊していた。
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こりゃあかんやろ。
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完成予想図。
改装前に来たことがあるが、一見の価値のあるものだった。

駅から少し迷いながら歩いて三宜楼に来た。
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出光佐三がここをこよなく愛したといわれている。

近年この建物も老朽化が進み取り壊しの危機にあったが、門司の篤志家が集まり保存委員会を作り寄付を募り再建させ、この4月26日に新装オープンさせたばかりであった。

実際に宴会場として使われているが、見学者も受け入れており、この時間はその時間外であったが、オーナーの息子さんが特別にと見せてくれた。感謝。

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木造総三階建のこの建築物は、その古き良き時代を、はるかに彷彿とさせ私が今まで見たこの手の建築物としては壮大さ、雰囲気共にナンバーワンである。
見に来てホント良かった。

予約して一度ここで大宴会をしたいものだ。

小腹がすいたので、ほとんど閉店している商店街の中一軒だけ開いている店があった。
チェックして入った。
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みんな渋々付き合った風だったが、この通り爆食、爆飲みであった。
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焼きラーメン。初めて食べた。
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居酒屋の旨いまずいを見る目は確かだった。どれも美味しく、店員の対応もフレンドリーで愉しい食事であった。
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カモンワーフに先に行った為に今回行きそびれた出光美術館。
Tomがだから先に行こうと言ってたのに・・・とつぶやいた。

ウチのメンバーは全員「海賊と呼ばれた男」を読んでいる。
ウン、今度絶対に行こうね。
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