下津「一力」にて。女将さんとも長い付き合いである。
昔は、この下津も札束を腹に巻いた船員たちで華やかににぎわったということだが、タンカーが東京湾に直接、石油を運び入れるようになり、住友金属も撤退し、今はその名残を商店街の閉じたテンポの贅沢に作られた構えで偲ぶのみである。
この店も泊まり客以外に、ここで居酒屋を開き連日、カラオケでもにぎわったという。
今、そのカラオケ装置は数100枚のレーザーディスクと共にウチのリビングにある。
昼前まで雨が残り今日中に仕上がるか少し心配だったが、みんなで昼も摂らずに黙々と作業をした。
タケも頑張った。感謝。
みんなで頑張ってバッチリ綺麗になった。
後こまごまとした点検をして、長崎クルージングまでもうすぐである。
John達と夕食の約束をしていたので、いつもの海南の焼き肉屋はパスして風呂も入らずに帰阪した。
John達と合流。予定より2時間も遅れたが、「イイよ。イイよ。」と待っていてくれた。
エリー→Myself→モニ→Johnと風邪の伝搬が続き、Johnはまだぐずぐずといっていた。
流石にTomとナックは疲れて夕食はパス。
彼らは、大阪に来てから10日になるが、先日は裏なんばにつれて行ったら無茶苦茶感激していた。
焼肉も初めてとのことであった。Johnは、かなり詳しく日本のことを調べているが焼肉は知らなかったらしい。しゃぶしゃぶ、すき焼きはJohnの持っていた日本ガイドに載っていたが何故か焼き肉は掲載されていなかった。
「こんな肉は食べたことがない。」と写真を撮りまくっていた。
とても気の良い二人である。