Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2014年03月

BigElle船艇塗料塗り。

サァ今日は、船艇塗料塗りである。
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下津「一力」にて。女将さんとも長い付き合いである。
昔は、この下津も札束を腹に巻いた船員たちで華やかににぎわったということだが、タンカーが東京湾に直接、石油を運び入れるようになり、住友金属も撤退し、今はその名残を商店街の閉じたテンポの贅沢に作られた構えで偲ぶのみである。
この店も泊まり客以外に、ここで居酒屋を開き連日、カラオケでもにぎわったという。
今、そのカラオケ装置は数100枚のレーザーディスクと共にウチのリビングにある。

昼前まで雨が残り今日中に仕上がるか少し心配だったが、みんなで昼も摂らずに黙々と作業をした。
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タケも頑張った。感謝。
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みんなで頑張ってバッチリ綺麗になった。
後こまごまとした点検をして、長崎クルージングまでもうすぐである。

John達と夕食の約束をしていたので、いつもの海南の焼き肉屋はパスして風呂も入らずに帰阪した。
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John達と合流。予定より2時間も遅れたが、「イイよ。イイよ。」と待っていてくれた。
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エリー→Myself→モニ→Johnと風邪の伝搬が続き、Johnはまだぐずぐずといっていた。
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流石にTomとナックは疲れて夕食はパス。

彼らは、大阪に来てから10日になるが、先日は裏なんばにつれて行ったら無茶苦茶感激していた。
焼肉も初めてとのことであった。Johnは、かなり詳しく日本のことを調べているが焼肉は知らなかったらしい。しゃぶしゃぶ、すき焼きはJohnの持っていた日本ガイドに載っていたが何故か焼き肉は掲載されていなかった。
「こんな肉は食べたことがない。」と写真を撮りまくっていた。
とても気の良い二人である。

BigElle上架。メンテナンス。

3月はほとんどQEでの日々だったので、色んな予定が押しまくりである。
もう一カ月で長崎遠征である。やることは山ほどある。

まず上架洗浄、船艇化粧と、今回一番大切なことスルハルバルブの総修理である。
動作しないバルブは全て交換新調の予定である。
主だったソーラーパネルの設置、バッテリーの交換等々はAndyが済ませておいてくれたので下架後は、燃料タンクのフラッシュング他の作業である。
ヨットのメンテナンスはやりだすとそれこそ無限にある。
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南海電車で、岬公園まで行きそこからTAXIで淡輪に行った。
岬公園も、以前はTAXIが何台も客待ちで並んでいたが、この日は一台だけだった。
当然のように乗せてもらったが、駅にTAXIがいるのは最近は極めて稀なそうで、ラッキーだったことであった。この駅もさびれた、自分の給料も10万円にもならないと運転手はぼやいていた。
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先着で、Tomとナックが準備していてくれ、到着と同時に出航した。
ハーバー事務所とは、あわただしい挨拶、別れとなった。

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暫し淡輪ヨットハーバーともお別れである。
1年間世話になった。有難うございました。
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大崎着。
しばしのクルージングであったが、矢張り海は、ヨットはイイ。
加山さんじゃないけれど自分はやっぱり海とヨットがつくづく大好きなんだと思う。

大崎は強い風が吹いていた。
到着と同時に上架した。
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この4本のアームでBigElleの巨体をホールドさせる。
Tさんの職人技である。
長崎以南ではこのBigElleを上架できる設備が無い。来春の上架をどこで行うか今から悩ましいところである。

日も暮れて、おまけに雨が降ってきて最悪の条件の下、ブラスターをかけた。
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寒い中みんな頑張った。
自艇の上架で雨に降られることは非常に珍しいことである。

お疲れ様!!!!
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いつもの居酒屋で乾杯!!!
宿に帰って順番にひと風呂浴びて就寝した。ご苦労様でした。

エリーとタケは、焼酎でまた一杯やったらしい。

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QEの旅。3/9(日)ラバウル。

今回のこのクルーズを選んだ最大の目的は、ラバウル訪問であった。ホランドアメリカのラインでガダルカナルからラバウルを寄港するクルーズがあったのだけれど30日程を要するので流石に断念した。今回のラバウル訪問で、先人が駆けた大空の一部を垣間見ることが出来たことで一応の目的は果たしたので、もうガダルカナルを訪れることはないかもしれない。ただラバウルからガダルカナルへ航空機で往復してみたい。出来ることならゼロ戦を復元して自身で飛んでみたいが、それは無理というものだろう。

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早朝静寂の中、QEは滑るようにラバウルの港に向かって航く。
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鏡面の様な海面にQEの長い航跡が残る。
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漁師であろうか小舟の人が手を振っていた。
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遂に来たラバウル。この正面が旧飛行場のあったところである。

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QEクラスの船が接岸できる設備があった。
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ギリギリであるが十分な港湾施設である。
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おばちゃん達が歌を歌って出迎えてくれた。
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「ラバウルパシフィックメモリアル」tourに参加した。もう何か月も前から予約していたtourであった。

まず行ったのは日本軍が軍用船を隠しておいたという洞窟を見に行った。
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民芸品を売っていたが買うようなものはなかった。ほとんど誰も何も買っていなかった。
政府が、何か奨励してこれといった民芸特産品を作ったらいいと思うが。
これだけの港湾設備が出来、10万トン級のクルーズ船が入港して来るのだからもっと観光に力を入れたらこのラバウルももっと豊かになると思う。
日本もこの島に一時世話になったのだから、何か政府レベルで支援して欲しいものである。
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旧日本軍用船が朽ち果てていた。
この時花吹山が噴火した。船にいた乗客達はその爆音と共にその噴火を見たそうである。
残念。
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前日まで2日間大雨だったそうである。
大きな水たまりを避けて車は行き交わしていた。
左側通行である。ガイドになんで?と聞いたら知らないと答えた。
後で調べたらこのPNGは、オーストラリアの植民地だったそうである。戦後オーストラリアから独立した。日本が戦ってくれたお陰だと、現地の人は言っていた。
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中島飛行機製作所作、栄エンジン。
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魚雷。器用に上手く作ってあった。
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零戦。
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20mm機関銃。
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何時の写真か確かめられなかったが、1984噴火以前の写真。
この飛行場から多くの若者たちが飛び立ち、そして死んでいった。
このラバウルからガダルカナルまでは1000km余りある、これは大阪那覇間の距離に略等しく彼等はこの距離を2時掛けて飛びそして10数分の戦闘を行いそしてまたラバウルまで帰還したのである。搭乗員達は戦闘そのものよりも疲労と睡眠不足で帰還途中で海に墜落した者も多かったという。よくもこんなアホな作戦を漫然と最前線の若者達に強いたものである。当時の軍上層部は、出世主義に凝り固まった最劣の集団であったということである。来たくて仕方なかったラバウルであるが、いざ念願かなってこの地に立って見あげてみるとこの空を駆けた空の勇者達の悲痛な声が聞こえてくるようであった。
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スーパーマーケット前の広場も大きな池が出来ていた。
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バス停留所。
みんなバスとみると老若男女思い切り手を振って挨拶をしてくれる。みんなとてもフレンドリーだ。
ただ最近、夜の治安は悪化しているという。
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火山灰で覆われている道路のぬかるみにバスがはまり込むとかなり往生するらしい。
大きく迂回して、時には片側通行をしながら車は行き交っていた。

結局これで港まで帰っておしまい。
アレという感じで、港の近くで日本人に聞くと、「飛行場も展望台も行ったよ。とてもよかった。」とのことだったが、もう一つのそのtourの午後便はすでに出てしまった後で、さてどうしようか思案したが、港近くで客町をしていたTAXIと交渉した。怪しげな連中であった。先日の南米でのTAX運転手の強盗のこともあったので少し躊躇したが真昼間のことなのでその中の一つのTAXIに乗ることにした。なぜか一台のそのTAXIに4人の男達が乗ってきたので結構身構えながらの後半の観光となった。

まず司令部跡を見に行った。
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山本バンカーと現地でよばれていた、司令部防空壕。
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ラバウルを中心にした世界地図があると聞いていたが見ることが出来なかった。

火山爆発の後湧き出ているという温泉を見に行った。
QEのスタッフ達も大勢見物に来ていた。
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かなりの高温で70度くらいあったと思う。
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この光景を、その時彼等も見ていたであろう。
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飛行場跡近くにあった管制塔の跡?
白軍服の写真は、山本五十六である。
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飛行場跡から花吹山を見る。
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このTAXIに我々二人と運転手をいれて4人の男達が乗ってきた。
WHY?
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船に帰って暫しこの景色を目に焼き付けた。
この角度で零戦パイロットも飛行場に滑空着陸したのであろう。
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なごり惜しくも夕方QEはラバウルを出港した。たった7時間ほどの滞在であった。
9Fのこの船で一番先端のデッキに行くと、ボブ達がいた。
彼等はもう2カ月近くもこの船に乗っているのでこの場所も熟知していたのであろう。
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さらばラバウルよ。
画面キャプチャ
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QEの旅。3/8(土)SEADAY。一路ラバウルへ。

一路ラバウルへ。
今日も一日海の上である。
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昨日とうって変わり穏やかな海となった。赤道無風帯が近付いているからであろうか?
残念ながらその辺りの知識は全くない。
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楽しみにしていた峡水道の通過である。
9Fのデッキに出て1時間余りその景色の流れを楽しんだが、周りにはホンの数人しかいなかった。このレグで唯一の島の間を通る貴重な景色なのに・・・
日本人も一人もおらず、丁度この時間には日本人向けに船の雑学講座が開かれていた。
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船は速度を緩め、1時間余りその通過を愉しめた。
その頃少し天候があやしくなってきた。
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現地のモーターボートが船を見学に来ていた。

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少し雨がぱらつきだしたのでコモドアラウンジに場所を移動した。
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エリーの携帯GPSは、的確にQEの位置を示していた。
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10F最前方にあるコモドアラウンジ。この船で一番のお気に入りの場所となった。
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「戦いいまだ終わらず」読了。四国の大将と呼ばれた坪内寿夫をモデルに書かれた小説である。その実話をもとにした壮大な男のロマンの生きざまに圧倒された。「海賊と呼ばれた男」のモデル出光佐三といい、こんな人物が日本にいたということに大きな感銘を受けた。b1 (12)
船の外の気温も大分上がってきた。
プールサイドで日光浴をする人もこの頃から徐々に増えてきた。
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テラス。
刺繍をする人、本を読む人、トランプに興じる人、それぞれに時間を楽しんでいた。
お気に入りの場所があるもので大体同じような顔ぶれであった。
毎日毎日、同じ場所で二人だけでトランプをして点数をつけていた夫婦もいた。

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コモドアラウンジの対面にあるヨットクラブ。
この日は合掌の練習をしていた。
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船尾にあるリドプール。

1500に毎日開かれているアフタヌーンティに行った。QEの名物である。
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弦楽四重奏が優雅に奏でられていた。といいたいところだが激しい曲ばかりを選んでいた。
クラシック音楽には結構詳しいつもりだが知っている曲はほとんどなかった。

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シャンパンサービスがあった。(有料)
当然飲んだが、エリーに「何で?」と言われた。
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わんこそばみたいに、飲む尻から次々と注いでくれる。
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このアフタヌーンティは、人気でいつも満員であった。

夜は、楽しみにしていたベランダレストランでの「ワインディナー」であった。
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一つ一つの料理にあったワインがサーブされ、質の高いワインに美味しい料理と愉しい夕食であった。
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どの料理もとても美味しかった。
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このディナーでボブ夫妻と知り合った。
この日のテーブルメイトは、ボブ夫妻、イギリス人の男性とこのカナダからの女性。
この女性は一人参加でドバイから友人が乗ってくると言っていた。彼女はprincesuiteの乗客でこの後会うことはなかった。
ボブがテーブルを仕切って会話も弾み愉しい夕食となった。
ボブ夫妻とは、この日から毎日一緒に夕食を摂ることになった。
今回ボブと知り合いになったことはこのQEの旅をより楽しいものにしてくれた。
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料理長が挨拶に来てくれた。
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〆のチョコレート。

船旅を満喫する優雅な一日であった。
ラバウルへ

QEの旅。3/7(金)オーストラリア出国~SEADAY。

ヨーキーズノブで、海上停泊のままオーストラリアの出国手続きをした。
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税関員達を乗せた船が帰っていく。
これで船全員の出国完了である。これから2日間パプアニューギニア(PNG)まで洋上の旅である。
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この日が風が強く、QEは長く大きなピッチィングを繰り返しながら一路ラバウルを目指した。
かなりの揺れで乗客の中には、強い船酔いをする者も少なくなかった。
あげた人もかなりいたと聞いた。
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嵐である。風速は、37.7knot。秒速に換算すると20m/sで一寸した台風並みである。

そんな中でもホールではダンス教室が開かれていた。
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リドレストランでは、ムール貝のガーリック炒めがサーブされた。ビールのあてに最高だった。
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主食のジャガイモはいつもホカホカが用意されていた。
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プールの水は、大きく波を打っていた。
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フォローの風だったのでデッキは丁度のんびりするには最高の状態で、ひがな本を読んで過ごした。

あっという間に、日が暮れて今夜は2回目のフォーマルディ。
船長主催のカクテルパーティーが開かれた。
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QEはタキシードの着用率が凄く高かった。飛鳥と同じくらいだと思う。
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流石にみんな着飾って優雅に華やいだムードである。
船旅ならではの贅沢である。
このフォーマルディの雰囲気は、大好きである。
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船長から挨拶があった。
今回のクルーズの乗客の各国からの参加者の報告があった。

後で船内新聞「DAILY PROGRAMME」で記載されていたが、風邪で寝込んでいたので
下船時ドタバタし棄ててしまった。DSC05261日本人の乗員からも挨拶があった。
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シャンペンが振舞われ、ご機嫌である。
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日本人の方に誘われて一緒に食事をした。
tourで席を押さえてあるようで周りは日本人ばかりでにぎやかであった。
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愉しく会話させていただいて愉しい夕食だった。
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ブラブラと歩いて部屋まで帰った。少しでも運動不足解消にとエレベーターは使わないようにしてたが、毎日ワインを飲んでいたらなんのこっちゃか・・・

QEの旅。3/6(木)ホイットサンディ、エアリービーチ。「ベランダ」レストラン

リバークルーズの名前に釣られて船のtourに申し込んだが、これは失敗。エリーは、クロコダイルが見られて良かったと喜んでいたのでそれはそれで良かったが、折角のエアリービーチの一日だったのでシーサイドでゆっくりすれば良かった。知り合いのヨットもあったのでそれを見学に行くだけでも愉しかったろうと残念。今回も直前までバタバタしていて事前準備が十分でなかったのはいつものことである。自分のヨットでのクルージングとなると徹底的に事前準備するのに、客船クルーズとなると毎度のことながら下調べはかなりいい加減であるのは、自分でもなぜだか良く理由が分からない。
このエアリービーチ訪問も、KEIKOから前々から素晴らしいビーチだと聞いていたので楽しみにしていたのだが、tourだけで滞在時間が終わるとは思っていなかった。

Anyway
上陸である。
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いい天気であった。接岸設備はなく、テンダーでの上陸となった。
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この距離から初めて見たQE。でかい!!!
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一日遊んで帰って来た。
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可也の頭でっかちである。
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スターンでは、横流れを防ぐためにスクリューが90度で周り船位を保っていた。この構造については後に触れたい。
コスタのように経費を節約する船は、このようにせず風の吹くまま振れ回しにする様である。

さてこの日の夕食は、特別レストラン「ベランダ」を選んだ。一日外で遊んだので2030までの夕食が待てなかったので直前に予約を入れたのだがあっさりと取れた。
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QE唯一の(他にビュフェの特別レストランもあるが)有料レストランである。
フランス料理で、それは素晴らしいものであった。
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雰囲気、ウエイターのサービス、料理の質の高さ全てに大満足であった。
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デザートの後にまたチョコレートが出てきた。
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いつもは二人でそれほど会話もなく食事するのだが素晴らしい料理の数々に、色々と話も弾み愉しいディナーとなった。
他の客も少なかったので、店のみんなに、顔もしっかりと覚えてもらった。

QEの旅。その5。3/5(水)SEADAY

午前中に行われたラバウル寄港地案内に行った。
ラバウル訪問は今クルーズで私のハイライトである。

ラバウルハイライトとラバウルパシフィックメモリアルと2つのtourが組まれていたが日本人にとってはどちらも中途半端で、二つ合わせたtourが企画されていたらと思う。結局、パシフィックメモリアルに参加したのだが肝心の飛行場跡なんかはそれに組み込まれておらず結局現地の怪しげなTAXIで周ることとなった。
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この年、火山の大爆発があり旧日本軍の飛行場、旧ラバウル市街が全滅した。
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山本五十六が居た司令部。
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地元では、山本バンカーと呼ばれていた。
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がらくた市が開かれていた。
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1Fでは、何の予告も無くベランダレストランの宣伝の料理紹介が行われていた。
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このレストランは本格的なフレンチレストランでとてもグレードの高いものであったがいつもガラガラであった。

昼は、お気に入りのライオンパブで食べた。
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ここ料理は結構美味しかった。

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ワインは、キープしていてくれる。ここのウエイトレスは、とても良い子でこちらの名前も覚えてくれていつもニコニコとしていて、こちらが座るとキープしてあるワインをいつも何も言わずに用意してくれた。日本に行くのをとても楽しみにしていた。
最初、こちらのテーブルに来る前に、カウンターで日本語の挨拶の練習を一度してから来るのが見え、とても好感が持てた。いろんな日本語を教えてあげると何度も繰り返して練習していた。大柄であったがとてもかわいい女性であった。
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queen'shallではダンス教室が毎日開かれていた。
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11F最前方にあるスポーツデッキ。
出入航時には、この前の狭い通路にもなっていないスペースに、へばりつくようにここの存在を知っている数少ない乗客たちが、それを眺めていた。
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お昼、リドビュッフェにざるそばが、あった。結構美味しかった。
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曇天で少し気温も肌寒く、プールデッキは閑散としていた。

ここで、日も刺さないのでデッキチェアで、機嫌良く本を読んでいたら、日本人?のオバはんが近くに来てタバコをプカプカし始めた。灰皿があったので、いいのだろうが、時々煙が流れてくる。本人はわかっているが知らんぷり。私が外国人だったらこのオバはんはどうしたであろうか?無神経な奴である。場所を変えた。
この2014年ワールドクルーズを終えると、QEでは、部屋のバルコニーも含めシガールーム以外全面禁煙となるそうである。良いことだ。


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QEの旅。その4。3/4(火)Brisbaneの一日。

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早朝Brisbaneに着いた。
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9Fリドビュッフェで朝食をした。
アジアンコーナーがあって、ご飯、おかゆ、味噌汁、お漬物他があった。

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Brisbaneからも可也の乗客が乗船してきたようである。

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ひょうきんなCaptain?によるトークとアコーディオンの演奏がみんなを楽しませてくれた。
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実際にこの外輪で作動していた。

リバークルーズ下船後、ちょうど昼時で、長蛇の列があったので見てみると鮨のテイクアウトを売っていた。看板には「鮨Sushi」と、書いてあった。
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覗いて見るとそれは寿司らしきもので、店員は全員韓国人だった。
まがい物の文化も長く続くとそれが本物になっていく。日本食のきっちりとしたガイドを作る必要があると思う。
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QEのスタッフに聞いてシーフードレストランで昼食することにした。
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中々洒落たレストランで料理もワインも美味しかった。
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レンタル自転車と自転車専用レーンが確保されていた。


昼過ぎまで市内で遊んでシャトルバスでQEまで帰った。市内から港までは30分ほどであった。


シャワーを浴びて、本を読んで2030の夕食に出かけた。
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味はまずまず。
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最後尾にあるレストランから船中央部に続くプロムナード。
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princesstheater。バルコニー席がある。
演目によってはシャンペンとチョコレートのサービスがあって有料となる。
この日は、無料。
有料日はほとんどガラガラだった。
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多楽器奏者。演者は一人である。今回一人の演者が多かった。
結構楽しいプログラムであった。最後に、大好きな曲「ユー・レーズ・ミー・アップ」を演奏、歌ってくれた。

QEの旅。その3。3/3。SEA DAY.

今日は終日航海日。キューナードでは、SEA DAYと呼んでいた。
丸一日思う存分船と海を楽しめる日である。クルーズ旅行に来て優雅なこの日がとても大好きである。

いい天気であった。1200のCaptainによる定時放送でSydneyはまだ雨とのことであった。DSC05049
11Fデッキから前方を眺める。
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何故か最高眺望の一般的には展望デッキがあるところにスポーツ施設があった。
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この特等デッキに、ローンボール、ラケットテニス場があった。
WHY?
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一番のお気に入りとなったコモドアクラブ。
10F前方にあり、上品で優雅な部屋であった。多くの時間をここで過ごした。
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2Fレストランカリンシア前中央ラウンジ。
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カリンシアレストラン。ここもお気に入りで、夕食事前は食前酒を楽しんだ。
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真昼間からブランディとシャンペンで寛いだ。
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QEの象徴ともいえるグランドフロアにあるQEの寄せ木細工パネル。
豪華である。
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1FReceptionフロア。
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2Fブックショップ。QEに関する本、雑誌、絵葉書、版画、文具類を売っていた。
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2Fライオンパブ。ここもお気に入りの場所。何度もお昼をここでした。
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3F。衣類の売店。
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3Fより、2F、1Fを見る。
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反対側より下を見る。
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9F。テラス。
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9F、パビリオンプール。
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プール横にあった。今レグの海図。
Sydney~香港までが一つの区切りのクルーズの様である。
我々が乗船したのは、そのまた一部のレグということである。
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グランドスパ。
会員制でSydney~香港の料金設定があった。(また調べておこう)
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10Fヨットクラブ。色々な一寸した集まりに利用されていた。
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写真のようなSydneyオペラハウスの絵。
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西瓜のカービング細工。

ライオンパブでお昼にした。
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愛想のいいユークライナのウエイトレスが撮ってくれた。いつも彼女がサーブしてくれて色々と話すようになった。とても良い子だったのだが、彼女の写真撮るの忘れたナァ・・・
ユークライナとは、ウクライナのことである。
ウクライナといってもまずは英語圏では通じない。いつも何故日本ではこのように言語に近いように発音しないのかと思う。
大昔だが、外人と大テーブルで話してい居て「ユーラニアムのオーストラリアから日本の輸出についてどう思うか?」と訊かれ、このキーワードが分からずに会話にならなかったことがある。
ウラニウムのことであると分かったのは部屋に帰ってからであった。

初代のQEのブリッジにあった鐘。


お昼もしっかりと食べたというのにパスタ、ピザを見つけて食べた。

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サンプリンセスの方がよほど旨かった。
本を読んでのんびりと過ごした。

何にもせずに一日を過ごした。しかし太陽はいつものように律儀に空を周り海に沈んだ。
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プールボトムに灯りがともる。
今夜はインフォーマルディである。
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今回もいつものようにセカンドシーティングを選んだ。
QEでのセカンドシーティングは2030からである。

このQEでは、Queenクラス、princessクラスの食事は別レストランで、その他にブリタニアクラスという食事だけ別のクラスが設けられている。
食事内容が随分と違うのかと思っていたら、何品か余計に出るだけで内容は変わらないとこのことであった。

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ブリタニアレストラン2Fにて。
今回は、二人だけのテーブルを用意された。折角他の人達と一緒に食事するのを楽しみにしていたのだが、後で代わって貰おうと思ったが担当の人達が良い奴ばかりだったのでしばらくそのままにしようかと思った。
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まずは、白ワインから。
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料理は、マァマァ・・・
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デザートは美味しい。
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特別レストランのワインディナーの予約を入れた。

Queen'sroomで開かれていたダンスパーティーを見に行った。
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エリーがダンスが出来ないので見るだけである。
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満席なので立って見ていたら、ここが空いているよと態々呼びに来てくれたカップル。オランダからきた二人で、世界一周の途中である。色々と話して仲良くなったがこの後なぜか一度も会うことが無かった。

princesstheaterにショウを見に行った。
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2回目のショウとなるが、いつも空いていた。
バルコニーでは、ロガーが一所懸命に記録を取っていた。
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明日は最初の寄港地Brisbaneである。続きを読む

QEの旅。その2。3/2。QE乗船。


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空港から港まで直行した。
Sydneyは何度か来たことがあるので今回観光地としては組みこんでいなかった。
途中リカーショップによって、ワインを2本買った。
今回のQEでは、パーティー用として一人1本程度のアルコールの持ち込みが許されている。
もっとも持ち込もうと思えば何本も持ち込むことは可能だが、そんな品のないことをするのは特定の国の人達だけである。
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今回Sydneyからの乗船客は、とても多かった。800人ほどが乗船したとのこと。
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小雨降るSydney。
旅先で雨に降られるのは非常に珍しいことである。
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部屋からの眺め。船の客室がいかに高い位置にあるのかが分かる。
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ウェルカムシャンペンが用意されていた。流石QE。
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6Fのポートサイドの部屋であった。直前まで部屋が決まらないことであったが、世界一周クルーズのパートクルーズなのでいろいろと船会社の方も都合があったのだと思うが、ミジップに位置して揺れも少なく快適な部屋であった。特にラバウルでは、停泊中湾全体から花吹山が見えるオーシャンビューであったのは、最高であった。

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洗面所。
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左シャワールーム。
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クロゼット。使いにくかった。
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日本人乗客が300名近くいたので、日本人向けの乗船説明会が開かれた。ほとんどの日本人客は、tourで来ていて、個人で来ていたのは我々を含め数カップルだったように思う。

早速船内見学に出かけた。
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Sydneyのピア。懐かしい桟橋である。

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霧にけぶるオペラハウス。
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10Fデッキからオペラハウスを見る。
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中央にあるパビリオンプール。小ぶりである。

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アフトデッキのリドプール。
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大ブリッジの向こうにヨットハーバーが見えた。
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ウオーターフロント。
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メインホール。
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QE最大の売り物、クーインズホール。毎夜、生オーケストラが入り、ダンスパーティーが開かれた。
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エレベーター。A,B,Cと3機あった。
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casino。結局一度もしなかった。いつも閑散としてい居てディーラー達は所在なさげにしていた。
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お気に入りとなった「ライオンパブ」(英国風pub)。昼食をここでよく食べた。
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桟橋前の「QUAY」レストラン。全面ガラス張りのとてもお洒落なレストランであった。この日は日曜日だったせいであろうか満席で、お洒落をした人達がディナーを楽しんでいた。
この光景を見ているだけで海外旅行に来たという実感が湧き、とてもリラックスした。

サァ!!!楽しい旅の始まりである。

夕食に行った。
今回の夕食はファースト、セカンドシーティングが固定されていて、随時という選択はなかった。席も固定であるが、それは幾分フレキシブルに設定されていてテーブルが空いていれば、交渉でファースト、セカンドをいとわず使うことができた。
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味付けは薄味で、塩を少し降ればGOODであった。
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最初はとても食べ切れなかった、デザートであるが、徐々に食べられるようになるのが不思議というか怖いところである。
デザートは、どの外国船でも大体全般的に美味しい。
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カプチーノ。美味しかった。
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QE2の鐘。

長いクルーズの始まり始まり。

QEの旅。その1。KIX~Sydney。

昨年からのクルーズの中でも特に楽しみにしていたQEクルーズの旅。今回このクルーズを選んだ第一の理由は、ラバウル訪問である。当初ラバウルを寄港するクルーズがあるということは知らなかった。GUSTOのブライアンに教えてもらったサイトで知ったことである。最初の計画ではガダルカナルからラバウルを寄港するクルーズがに参加しようと思っていたのだがそれは3週間を要し(マァ今回と余り変わらんといえば変わらないが・・・)断念した。
このクルーズはそんなことで1年近く前から計画していたものである。申し込んだ時には、Sydney~横浜のレグで販売されたが、後になってSydney~神戸も販売された。話は元に戻るが、訪問地で選んだこのクルーズであるが、勿論QEに乗るのも大きな目的としてこのクルーズを選んだことである。

サァ何時になく随分前から楽しみにしていた旅の始まりである。
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帰路は船なので、KIXまでJRで行った。車の接触事故か何かで延着していた。

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別に腹も減っていなかったが、しばらく日本食ともお別れなので熱燗で一杯やった。
エリーは免税店に直行である。
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この日まで、読まずに楽しみにしていた「美雪晴れ」を読んだ。
ジェットスターの機内食は食べられたものではないが、ビールで流し込んで、好きな本を読んでご機嫌である。ゴールドコーストまで9時間45分のフライトであるがあっという間である。
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早朝。ゴールドコースト着。
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いい天気であった。

定刻より随分早く着いたので一便早い便に乗れたのだが、生憎この日は日曜日で前の便は満席。仕方ないので4時間、空港で本でも読んで過ごすことにした。こんなことなら知り合いにでも連絡しておけばよかった。
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暇だったので空港の外をうろついた。
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TAXIは、プリウスであった。
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生ビールを見つけた。
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なみなみと注いでくれた。
外国の生ビールは、日本のように泡だらけということはない。。
1時間30分のフライトでSydneyへ。

高田郁「出世花」。

最後は、もう一度読もうと思って持っていった高田郁「出世花」これは途中になってしまった。
最後の2日間ほとんど寝ていたので、帰路の横浜~新大阪間もぐっすり寝ていたので、マァ上手い具合に持っていった本で間にあった。ライブラリーにも何か読むべき本もあるだろうと期待もしていたのだが、ロクな本がなかった。
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若い頃は、旅先で本を読んでいる外人を見て「なんで態々旅行に来てまで本なんか読むのだろう」と訝っていたが、こちらも年なのか、その優雅に愉しむ事に目覚めたのか、旅先で読んだ本を思い出すと読んだ場所、光景、その時の雰囲気までもが蘇る。

これも読書の大きな愉しみの一つと気が付いたことである。

五十嵐貴久「ダッシュ」。

QE1Fレセプション前のグランドピアノ上にて。
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彼得意の青春小説である。
あの高校生3部作よりは、一寸落ちるが、船のデッキで読むにはいい作品だったかな。


五十嵐貴久「安政五年の大脱走」。

QE6F自室バルコニーにて。
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実話かどうかまだ検証していないが、井伊直弼の圧政から小藩の侍達が姫を命をかけて守るという話。今までの五十嵐貴久とは全く違ったタッチの時代劇である。面白かった。

松田十刻「紫電改よ永遠なれ」。

QE9Fリドプールサイドにて。
P1080073
零戦が時代に遅れとなり、日本が満を持して送りだした最新鋭戦闘機「紫電改」。だがその頃には、愚者の集団軍部上層部が特攻命令を乱発していた頃でそのパイロットに不足するという有様であった。
B29に果敢に挑んだ男たちの記録。

池井戸潤「シャイロックの子供達」。

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シャイロックとは、シェークスピア「ベニスの商人」に出てくるユダヤ人の金貸しのことである。
題は、銀行員を金貸しの徒弟だと皮肉ったものである。

落合信彦「戦いいまだ終わらず」。

QE10Fコモドアクラブにて。
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いい作品であった。実在の人物、「四国の大将」とよばれた坪内寿夫をモデルに描いた作品。こんな素晴らしい男が日本にいたのだと誇りに思えるいい作品であった。

玉岡かおる「お家さん」上下。

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玉岡かおる「お家さん」上下。QE2F~3F階段フロアにて。
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QE2F。クラウングリルランチにて。

面白い作品であった。鈴木よねの生涯を、その商店の隆盛とともに描いた玉岡さん渾身の作品である。読み終えた後エリーも時間を費やして読んでいた。

ただこの鈴木よねは、俗物である。彼女がもう少し人物であれば、いまだにどころか現在「鈴木商店」は世界に冠たる商社として日本の経済界に計り知れない貢献をしていたであろう。
惜しい人材である。
同じ実在の人物を描いた「負けんとき」に出てくる廣岡浅子の方が人物としては数段好きだなァ・・・

QEで読んだ本。高田郁「美雪晴れ」。

今回の旅行では9冊の小説を7冊の書籍、2冊の電子版で持参した。準備の段階で少し足らないかなと思ったが荷物がそれにしても多くなったので2冊減らして行った。旅行時の荷物の量は大体エリーよりヨットクルージングの時他でもかなり多い。根が小心者なのであろう。ただヨットクルージングの時に、一度連日雨に降られたことがあったが準備時に「なんでそんなに荷物が多いの?」とののしられていたが結局私の予備の服をみんなで着て「役に立つこともあるのね」と褒められもせず当たり前のように全部使われたことがあった。それ以来私の荷物が多いのに文句をつけなくなったが、今回も大きなトランクいっぱいになり、せめてもと最後に2冊そんなに量も変わらないが減らした。案の定最後は2冊足らないなァと思っていたら、大きな風邪を引き差引勘定間にあうことになった。
それにしても今回引いた風邪は酷かった。今頃QEの中ではあちこちで酷い咳をした乗客たちでいっぱいであろう。終盤知り合いになったMonikaも下船後未だに酷い風邪だそうである。Nasty coldと表現していたが彼女達とは近々会う予定である。

さて話はそれたが今回のクルーズで読んだ本である。ボチボチ感想文も加筆していこうと思う。

高田郁「美雪晴れ」。ジェットスター機内
P1070105Sidneyへの旅の中で読んでしまった。
「みをつくし料理帖」第9巻である。
御寮さんの縁談の話が中心である。今夏に出される10巻で完結だそうだが、仕舞のついていない話がいっぱいあるので次の巻で完結するのかとても心配である。野江チャンが幸せになると思うが、どう幸せになるのかとても気になるところである。


玉岡かおる「お家さん」上下。QE2F~3F階段フロアにて。
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QE2F。クラウングリルランチにて。
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面白い作品であった。鈴木よねの生涯を、その商店の隆盛とともに描いた玉岡さん渾身の作品である。
ただこの鈴木よねは、俗物である。彼女がもう少し人物であれば、いまだにどころか現在「鈴木商店」は世界に冠たる商社として日本の経済界に計り知れない貢献をしていたであろう。
惜しい人材である。
同じ実在の人物を描いた「負けんとき」に出てくる廣岡浅子の方が人物としては数段好きだなァ・・・

落合信彦「戦いいまだ終わらず」。
QE10Fコモドアラウンジにて。
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いい作品であった。実在の人物をモデルに描いた作品。こんな素晴らしい男が日本にいたのだと誇りに思えるいい作品であった。

松田十刻「紫電改よ永遠なれ」。
QE9Fリドプールサイドにて。
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零戦が時代に遅れとなり、日本が満を持して送りだした最新鋭戦闘機「紫電改」。だがその頃には、愚者の集団軍部上層部が特攻命令を乱発していた頃でそのパイロットに不足するという有様であった。
B29に果敢に挑んだ男たちの記録。

五十嵐貴久「安政五年の大脱走」。
QE6F自室バルコニーにて。
P1070987
実話かどうかまだ検証していないが、井伊直弼の圧政から小藩の侍達が姫を命をかけて守るという話。今までの五十嵐貴久とは全く違ったタッチの時代劇である。面白かった。

池井戸潤「シャイロックの子供たち」。
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ある大手銀行の支店で次々と起こる怪事件。
銀行の内部を少しでも知るものであれば現実ではこれほどのことは起こらないが、悪条件が重なりあえばこんな事件もありうると思わせる話である。

五十嵐貴久「ダッシュ」。
QE1Fレセプション前のグランドピアノ上にて。
P1080054
彼得意の青春小説である。
あの高校生3部作よりは、一寸落ちるが、船のデッキで読むにはいい作品だったかな。


最後は、もう一度読もうと思って持っていった高田郁「出世花」これは途中になってしまった。
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若い頃は、旅先で本を読んでいる外人を見て「なんで態々旅行に来てまで本なんか読むのだろう」と訝っていたがこちらも年なのか、その面白さに目覚めたのか旅先で読んだ本を思い出すとその時読んんだ場所、光景が蘇る。これも読書の一つの楽しみであろうか・・・

おじさんバンド

こちらの都合で延び延びになっていたおじさんバンド練習。一寸しんどかったが、そう身勝手ばかりはいっていられない。
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矢張り日本食は、最高である。
親子どんぶりとてんぷらそばをかき込んでいざ練習へ。

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昨日朝金沢に行って、弥助~加山さんコンサート~イタリアン~金沢泊~今朝早朝便で金沢から帰り午前中仕事して、この練習である。
病み上がりだというのに、エエ歳だというのに、マァ元気なことである。

ドラムを叩いてご機嫌である。耳の白いものは、イヤープラグ(耳栓である)を忘れて不細工にもティッシュで代用しているものである。学生時代はもっぱらこのテイッシュで栓をしていた。耳がかなり遠くなっても、力任せにしばき上げるシンバルの音は矢張りうるさいものである。

QE の乗客について

今回のQEは、1月末にサウザンプトンを出港後、NYを経てパナマ運河を抜け、ハワイ、NZそしてシドニーからラバウルに寄り太平洋を北上、日本に初寄港し、釜山、上海、香港、シンガポール、スリランカ、インド、ドバイ、シャルムエルシェイク、スエズ運河を通り、カイロ、ナポリ、リスボン、そして再び大西洋に出て5/9にサウザンプトン帰る世界一周クルーズである。
流石に世界一周の乗客だけでは全室埋めることはできず区間の切り売りを 行った。
我々の乗ったのは、その一部であった。 日本人乗客の世界一周乗客も20数名いたそうである。
日本寄港がサウザンプトンを出てから時間的にも、地理的にも丁度半分になり、横浜が折り返し点となる。

乗客の年齢層は、70歳オーバーがほぼ100%で、ほとんどがカップルで、あとは女性グループが少し男性2人というのもチラホラで、一人参加は非常に少なかったように思う。

世界一周の乗客たちは、もう流石に浮世離れしていて丁度この横浜が区切りになるのか「もう半分終わったわ。後半分焦るわね。」とか話しているらしい。

船の中の雰囲気も、今までのクルーズのように「バカンスめいっぱい楽しむぞー」といったウキウキと華やいだ、また賑やかな雰囲気ではなく、みんなそれぞれ落ち着いて静かに時間を愉しむといった感じで、船全体にたおやかな時間がながれているといったものであった。
子供がほとんどいなかったのも特徴だった。子供どころか若い人はほとんどおらず逆に若い人は非常に目立つ存在であった。
老人の乗客に若いクルーがサーブするという景色であった。
 

金沢。小松弥助。加山さんコンサート。

太平洋上で外人から罹患した最悪の風邪もまだまだ完治しないまま金沢への旅行となった。

2週間以上もぼさっと海の上で遊んでいたので、後のスケジュールが押しまくりである。

さて楽しみにしてた金沢行き。弥助の親父さんに会うのと、加山さんコンサートと二つの楽しみをコラボした贅沢な一日となった。

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親父さん、お久しぶり!!でもないか?3カ月ぶりである。
今日も元気。そして今日は一緒にコンサートに行くのを親父さんもとても楽しみにしていてくれた。
「まだか、まだかと日めくりを破くたびに、楽しみにしていたよ。」と言ってくれた。

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まだ弥助に着いた時には、若干の寒気がして、折角の親父さんの鮨を十分に堪能できないかと思っていたが親父さんとしゃべっている内、連れのIさん夫妻と愉しく飲み食べている内に、すっかり元気になってきた。

ねぎとろを、追加注文して久し振りに大満腹。But、風邪の副産物として折角減量できたのに、元に戻らないようにしなければ・・・
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一旦ホテルに帰って休憩して加山さんのコンサートに備えた。
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富山県とを隔てる連峰は、まだ雪で化粧されていた。この日は、ものすごく寒かった。

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金沢歌劇座。
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親父さんとこうしてプライベートに遊べるなんて思ってもみなかった。
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親父さんもものすごく愉しかったと喜んでくれた。右はいつも世話になっている加山さんファンクラブのHさんと、Kさん。

もう元気いっぱい。夕食にイタリアンに行った。

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このイタリアンは、数ある美味しい金沢イタリアンの中でも私の一番のお勧めである。


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明朝早朝破鏡の月に見送られて、愉しかった金沢の街を後にした。

QEの旅を終えて。

長いクルーズだったが、何事もそうであるように終わってみるとあっという間であった。

今までのクルーズとは、日数の長さにおいても、その内容においても全く別物というクルーズであった。
そして将来、計画している世界一周クルーズのトライアルとしては非常に有意義な17日間であった。

3/16(日)
鹿児島を、昨夕急かされるように出航した。急ぐ理由があった。

ただ何度も訪問している鹿児島だがもう少しゆっくりしたかった。特に夜は、知人と一献傾けたかった。

鹿児島を出港して、佐多岬を回航してからは横浜まで一路一直線に航路を引いた。
黒潮に乗っているせいもあるが、船室のTV(シャープ製であった)に映し出される船速は、常時22knotオーバーを示していた。QEの最高速度である。

横浜到着をその干潮時に合わせる為である。
QEは、レインボーブリッジ下を干潮時しかくぐれない為であった。

QEは、喫水(draft)が、8m、水面からの高さ(Air draft)が、26.5mである。
レインボーブリッジの海面からの高さは、最高部で25mで数字上は通過できないが、この25mというのは最大満潮時の数字であるので、干潮時を狙えば通過できる。
満潮にも、最大満潮と最少満潮があるが、これの説明は略。

このレインボウブリッジ通過に関することは、泊地情報説明会、船内新聞、船長の定時船内放送(毎日1200に行われた)等で何度も繰り返しアナウンスされていた。

こちらにも、橋げたの下から、「30cmしかない」「いや50cmだ」「いや1.5mだ」とかの情報があちこちから入ってきていたが実際は、1.5mほどあったのだと思う。

これまでの大型客船は、安全を優先してブリッジの外の岸壁に係留していたのだが今回のQEは、世界的にもクルーズ船の代名詞みたいなものなので横浜市が威信をかけて大桟橋への係留を決めたのだという。

橋をくぐる時は、16日の0000前だったので普通なら絶対に船のトップで見学していただろうがこの時には熱が出始め船室で唸っていた時であったのは誠に残念至極である。ボブ達は、見に行っていて大桟橋のものすごい人出に感激したそうだ。

Ph
PHOTO BY BOB
Bobの撮った写真である。
大桟橋着岸。0030頃であろうと思われる。
報道によると2000人の人達がこのQEを見学にこの時間に集まっていたそうだ。 

鹿児島の正確な出迎え人数は、承知していないが、7~8百人であったろうと思う。

そして昨日水曜日の神戸の出迎えた人数は4000人を越えたそうである。
車でボブを迎えに行ったエリーは桟橋に近づくことも出来なかったそうである。

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3/17(月)朝0700。大桟橋。

昨日は終日キャビンで寝ていた。今クルーズのラストナイトに楽しみに予約していたベランダレストランのシャンペンディナーもキャンセルして、QEでの最後の食事はビュッフェのリドで寿司と、鮪の刺身をすこしとさびしいものとなった。
情けない幕切れとなった。

最後の一日はそんなことであったが、Sydney~横浜5600M太平洋を縦断走破した今回のクルーズは素晴らしい17日間の日々であった。
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ありがとう&さようならQueen Elizabeth!!!

コースは丁度メルボルンー大阪ダブルハンドヨットレースのそれをなぞっていたのもよりこのクルーズを思い出深いものにしてくれた。

これから時間を見つけて旅先では書けなかった詳細を、綴っていこうと思う。
面白話満載で行こう。請うご期待!!!

無事帰国しました。

皆さま昨日無事帰国いたしました。旅行中は、とんでもないPVがありみなさんがこのブログを見ていてくれるのを実感していました。

無事帰国と書きましたが、実はあの風邪がまずエリーを発病させ、彼女は鹿屋への訪問中ずっとレンタカーの中でうずくまったままでした。そして私はその時はまだまだ元気だったのですが、日曜日の昼過ぎから熱が出だしてその夜は動けないようなひどい状態になりました。
月曜日の下船の日は雲の上を歩いているような状態でした。大桟橋でSATOさんと待ち合わせていたのですが、彼等の来る30分が待てず、そのまま帰阪することにしました。新幹線の中でもずっと寝ていました。SATOさんには呼び出しておきながら不義理極まりないことでした。誠に申し訳ありませんでした。

また旅の記録は、落ち着いたらUPしますので読んでいただけたら幸いです。

まずは皆さま、お礼と報告まで・・・

日本に帰ってきた。

5日間ひたすら北に向けて正確にはNNWに走り今朝早朝錦江湾に入った。
着岸すると日本初寄港ということで頭上にはヘリが飛び、岸壁では歓迎セレモニーの準備がされ特産品、ぜんざい、焼酎などの試飲ブースも準備されている。乗客たちも初めて日本に来る人がとても多く、ギャングウェイに並ぶ人たちも期待に目を輝かせている。

素早く手続きを終え何千人といる乗客クルーたちの中で一番先に上陸した。鹿屋に行く為だ。7e135354.jpg
早朝鹿児島着。
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夕方、中高生たちのジャズバンドに見送られて出航。
このバンドが無茶苦茶上手くてスターボードサイドの乗客はほとんどデッキに出てみていた。そして多くの市民がずっと手を振ってくれて、素晴らしい見送りであった。日本人を誇らしく思った。

乗客たちも、国旗を振ったり、ハンカチを振ったり、たまにはバスタオルを振ったりと彼らに応えていた。
出航時には、汽笛が長音7回岸壁に響き渡った。Captainの感謝の気持ちである。今クルーズ出航時にこんな汽笛は初めてのことであった。

SEA DAY

メールが不調なのでこれで代用です。

Guys 今日は3・13。木曜日の朝0525日本時間0415です。ラバウルを出てから4日目のSEA DAYです。つれづれ日記です。買った通信時間がもうほとんどないので、思いつくままにブログ報告も兼ねます。いつもクルーズでは、後半になるともうあと何日かしかないと、強迫観念にかられながらいとおしむように一日一日過ごすのですが、今回は旅程が新婚旅行より長く船内イベントが少ないこともあり流石に飽きてきていますが逆に考えれば全く贅沢なことであるとこの暇を楽しもうと思っています。持ってきた本は、書籍版7冊と電子版2冊ですが、後1,5冊しかありません。今日一冊読んで明日もう一冊読んで全読了のです。早く読んでしまえば今日にも枯渇しますのでどうしようか思案ちう(友人のブログのパクリです)。読みたい本はないようでしたが図書館で何か借りてもいいかと思っています。 今日は何もすることがありません。プールに入っていないのでこれは絶対に行こうと思っています。赤道直下の灼熱の夏の日差しも弱くなり、だんだん寒くなってきています。 そうそう赤道での夜、今までとても見たことのない満月の上1/4ほどが欠けたお月さんを見ました。写真に撮りましたが帰国後大画面で見てみたいです。 船内では、300名近くの日本人が乗っていますが、少し年齢が違うのとほとんどパック旅行できていてまとまって行動しているようで、親しくなった方はいません。 外国人は、ツアーで知り合った方と一緒に食事したりしています。一組は、北アイルランドからの二人で、とても感じの良いご夫妻です。旦那さんは私より5歳上、奥さんは私と同じ年です。一緒に夕食もしました。ただなまっているというか、日本人としゃべり慣れていないというかものすごく英語が分かりにくいです。それでも誠実な方なので会話も面白く、その夕食では2時間以上愉しくご一緒させてもらいました。もう一組知り合ったご夫妻はこれも二人とも5歳年上で二人は外国では非常に多い同級生同士のお二人です。 unitedステイツからの方で、ボストンから100Kmほど内陸に入った街に住んでいるそうです。ご主人のボブはUSnavyの潜水艦乗りで、ペンタゴンに務めた後1991に退役して、今は年金生活だそうです。奥さんも働いていたそうで「結婚前の話ですか?」と問うと「何いってんのよ。1994まで働いたのよ。」と英語で答えてくれました。そりゃそうだ。ワシントンDCにも5年ほど住んだこともあり、またボストンに住んでいた頃には34ftのヨットも持っていたそうで、ヨットの話で暫し盛り上がりました。 この夫妻とは大変仲良くなり、丁度こちらが下船後の水曜日に神戸他を案内することにしました。その日は徳島まで(ブログにも載せますので匿名ですが、Mさんとこにウィンディを預けています)行きますので、ついて来るかと訊いたら貴重な経験になるので是非連れて行ってくれとのことでした。 Mさんそんなことですので、徳島まで彼らを連れて行きますので宜しくお願い致します。 QEの神戸停泊は、幸いなことに長く、出航は2330なのでゆっくり彼らを案内できそうです。日本食が大好きなので楽しみにしていると言っていました。日本は二人とも初めてだそうです。ボブに潜水艦に乗っている時も来なかったのかと訊いたら太平洋の国々には随分と行ったが日本はないとのことでした。彼の乗っていたのは勿論原子力潜水艦なのでそんなことでの事情かもしれないと勝手に思っています。 昨日一緒に食事したのはボブ夫妻とオーストラリアから参加の女性でした。前夜夕食一緒だったイギリスからの女性3人組、BrisbaneからのOG二人はファーストシーティングに回って、この夜は5人での食事となりました。オーストラリアから一人の参加の女性はボブが「あんたのパスポートはドイツだったが・・・」と訊いていたので口を挟むとディッセェルドルフの出身だそうで兼松合商(漢字あっているかな?)に働いていたとかで発音も綺麗でものすごく分かりやすい英語でした。前日のBrisbaneからの二人の英語もとても分かりやすくてOG英語は私にとって矢張り聞き慣れているようです。ボブの米語は早口でこちらが日本人なのは全く無視で食事の間途切れることなく喋りまくっています。話題もころころと変わりながら果てしなく続くのですが、面白い話も多くて、流石にその早い会話にも少し慣れてきて昨日は愉しかったです。セントヘレナに行った時の話、南アフリカに行った時の話はとても興味深く、一度行ってみたくなりました。禁酒法時代の話もでてきて丁度旅行前にアルカポネの特番を見ていたのでよけいに面白かったです。その特番でも語られなかった抜け道があって、クルーズで領海の外に出ると酒が飲めたそうで、初めて聞いた知識でした。これは帰国後にゆっくり調べようと思っています。 食事後北アイルランドの夫妻とバッタリ会うと東京のことを教えて欲しいと問われましたが、こっちもあまりよく知らなので明日改めて会って話すことにしました。 昨日船内ツアーに行きましたが説明はほとんど理解できませんでした。ナチュラルスピードで話すので、この手説明会では、最近の難聴も相まってホンの所々しか理解できない状態です。(昨日の日本語の説明会でも半分くらい聞き取れない状態でした。私より5~10歳くらい年長者ばかりでしたが、聞き取りにくそうにしているのは私くらいでした。愈々補聴器を買わんとアカンかな?)でもそのツアーは、舞台裏、印刷物製作場、写真製作場、調理場裏、セキュリティ裏、医務室見学、機関室見学、ブリッジ見学他を回り、船長との、撮影。最後にシャンペンで打ち上げととても愉しかったです。コモドアクラブで行われた打ち上げではCaptainが話しかけてきてくれ、色々と話しました。QEが日本初寄港なのでこれからも日本のお客が増えたらと願っていると熱くしゃべっていました。 この船内ツアーは有料で120$でした。いままでこの類のツアーで有料だったことはありませんが値打のあるものでした。3時間近くかかりました。昨日の日中はこれだけで終わった感じです。 そうそうその前に行ったお昼のビュッフェでお寿司が出ました、マグロの刺身も出て中々美味しかったです。長蛇の列が出来ていました。 何日か前のワイディナーで一緒だったカナダから来たprincessクラスのおねえちゃんが「お寿司も、ツナの刺身も出たよ」と言っていましたが、流石に上級クラスの食事は違うと感心していましたが、その下のブリタニアクラスの乗客とも話を聞くと食事内容はほとんど変わらないということでした。ハード的には最上階の専用ラウンジ、専用レストランがあるのが特典で、そのように分けているのはタイタニック時代は勿論でしたが、今はキューナードラインだけのようですが、それも廃止が検討されているようです。 船はスタビライザーが装備されていますが、性能はとても悪いです。今まで乗った船の中では最下位部類に入ります。船尾にあるレストランも昨日は結構な揺れと、振動を感じました。  新造船であったボイジャー、ヴァーゴなんかはコップのビールの表面さえ全く揺れず出航したのも分からないほどでした。20年も前のことですが、当時と比べて造りが安価に、雑になってきたのでしょうか。この船は昨日初めて知りましたがイタリア製造だそうで、変に納得してしまいました。 さて今0630朝食は、どこで食べようかしらん。。。。

 Captain

佐藤さんへブログ見てくれていますか?17日に横浜にQEは着岸しますが、時間取れないですか?もし取れたらメールか。このブログにコメントください。アメリカの潜水艦乗り紹介したいと思います。

SEA DAY

SEA DAY

感動のラバウル訪問から一夜明けてQEは、一路鹿児島に向けて走っている。今日は3月10日月曜日。今1235。先ほど1時間前1125に赤道を通過。ドルドラムス、赤道無風地帯を航海ちう。べた凪である。所々にパフが作るまだら模様が見える。その模様は地上22mからはかなり先まで見え鏡面の大海原に吹く風の位置を知らせてくれている。

赤道越えの時には何かアナウンスがあると思っていいたが何もなく。ロガーの緯度0000の表示を楽しみにしていたのだがミスってしまった。何事も万事この船に限らずイベントは自分で管理しなくてはいけない。外国人は日本人が持つ細かく親切丁寧なもてなし神経を持っていない。良くいえばまことにおおらかである。


 ANYWAY
、今日のお昼1430から行われる赤道通過祭で暫く船の大きなイベントは鹿児島までお休みである。土曜日の鹿児島到着まで5日間海の上である。流石にクルーズのベテランを自認している自分も流石に飽きてきた。船の中もそんな雰囲気である。大概みんな暇を持て余しているようだが、今回は会う人会う人がほとんど70歳オーバーでリタイアした人たちばかりである。よって日常でもそんな生活をしているであろう人たちばかりなのでみんな慣れたものであろう。今現役で働いている人には今回出会っていない。

 今回日本人も300名近くが乗船しているがほとんど70歳オーバーである。先日このシドニーから横浜までのレグでの国別の乗船客数の発表がCaptainからあったがオーストラリア、イギリス、次いで日本であった。この乗船客の国別割合は船の雰囲気に大いに影響する。正確な国別人数は帰国後報告したい。

 今回は大騒ぎする国の人が乗っていないので非常に静かである。大概の人は目が会えばみんなニコッツとするし、あいさつもする。それに引き換え日本人は、こちらが挨拶をすれば返してくれるが、自分からはあまりしない。目をそらす人も非常に多い。

 いまべた凪の中、2Fのお気に入りのパブレストランでこれを書いているが、1週間遊び呆け、昼間のビールの酔いもまわりもう頭の中はチンチラポッポである。今のブログは、人様に公表出来るものでもないが、取り敢えず帰国までは恥をさらし後は、このまま校正せずにプライベートで残そうと思う。

 この5日間はつれずれなるままに書き残して行こう。

ラバウルでは前日まで2日間雨が降り続き訪問日はそれが嘘のように晴れたとのことであった。道はそれを示すように大きな水たまりがあちこちに残っていた。後から日本人の方に聞いた話である。

宮部さんが晴れさせてくれたのであろうと感謝している。宮部さんは勿論百田氏が描いた架空の人物であるが今は自分の中に大切な人である。このクルーズでも読了した「戦いいまだ終わらず」「紫電改よ永遠なれ」も含め、「永遠の0」以来読んだ本を通じて宮部さんはその中で描かれている多くの素晴らしい下士官の人物像の権化であろうとつくづく思う。   

昨日もラバウルを訪れて、1年前、「永遠の0」を読んで以来、数多くのあの時代の小説を読む前であれば感じた気持ちと、その後の今の自分とではかなり違うと思う。山本五十六が戦死する直前までいた現地の山本バンカーとよばれる防空壕も訪れたがそれほどの感激はなかった。ましてこの中にあの宇垣がいたのかと思うと無性に腹が立った。

だが入り口で2$の見学料を払ったが、この地でこの施設が現地の貴重な現金収入の糧になっていることは嬉しいことである。ラバウル訪問の詳細は、写真を加えながらまた書きたい。


さていよいよ海は凪いできた。今から赤道通過祭に行こう。英語でどういうか分からないのでまんまクロスエクエイターフェステイバルと言ったら勿論通じたが、この船の案内では。クロスラインセレモニーと書いてあった。


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赤道通過祭が終わって部屋に帰って来た。プールデッキで行われたこのイベントは、乗客をネプチューンに生け贄にして赤道通過の許しをもらいこれからの安全航海を祈るものである。

 最後はCaptainまで生け贄にされてプールに放り込まれてしまった。船で赤道を通過するのは初めての経験でこの儀式もクルーズに乗って初めて経験のイベントである。みんなそれぞれに演技もしてバカ騒ぎの大変面白いイベントであった。


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雑記

この太平洋のど真ん中でなぜか時々エリーのlineだけが通じる。なんでだろう。

5日間洋上である。今までもイベントを何回かミスったので、手作りのカレンダーを作った。日本語の船内新聞も配られるが、あくまで抜粋であるので英語版の方を必ず読むようにしてる。

それにしても揺れのある船である。このべた凪の中を航くにも大きくはないが長いピッチングがある。

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ラバウル

遂に来た。ラバウルへ
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念願のラバウルに遂に来た。昨日までの曇天は、この日だけは晴れてくれの願いが通じ、まさに「雲外蒼天」。素晴らしい天候の下、ラバウルの地を訪問することができた。飛行場跡地に立った時には、若い勇者たちの乗る零戦の爆音が聞こえるようであった。

そしてしばし佇み、飛び立つ宮部機に別れの手を振ってそこを後にした。

感動で落涙しそうであった。

この地で散った多くの英霊たちに深い哀悼と感謝をささげたい。

サァこの感動ともうもうと今も吹き上げる花咲山の景色をしっかりと胸に抱きに日本に帰ろう。

 

ラバウルへSEA DAY

ラバウルへ

SEADAY

朝からコモドアラウンジで過ごす。今回は世界一周旅行中の乗客も多く、のんびりと船上での生活を楽しんでいるようだ。船全体にゆっくりとした時間が流れている。

0900過ぎから日本人の為の船の知識の講座が開かれたが初級講座という感じで、船の各部分の名前とか構造とかで、乗客の方が良く知っているという感じの講師でクイーンメリーの添乗員だったが、良い感じの女性だったが知識はないようだ。乗客から船は何で横に動くのかと質問に答えられず誰か知っているかたいますかの問いに、代って説明をした。

海峡の通過時間が来たので、そこを出てデッキに行った。

QEでの展望デッキは非常に狭く、フィットネスクラブが一番前の絶景ポイントに設えてあり、このコンセプトは理解できない。

わずかにある一郭で海峡の通過を愉しんだ。でも同じようにここの通過を愉しむ他の乗客は非常に少なかった。230人といったところであろうか。

海は凪いでいて天気も良くその通過を愉しんだ。海の上には漁業をしているのである小舟が見えた。海峡通過後コモドアラウンジの一番前で目の前に開けゆく景色を楽しみながら本を読んで過ごした。読んでいたのは「戦いいまだ終わらず」で、半分くらいまで読んだ。1530くらいまでのんびりと過ごし、アフタヌーンティに行った。QEでの名物でデッキ2のクイーンズルームで毎日開かれている茶会である。フロアでは弦楽4重奏が優雅な音楽(でもないのが不満。結構激しい曲を選んでいる。)を奏で、居る人達もおしゃれをして出てきている。でも矢張り短パン、Tシャツは禁止なのだが着てきている奴がいる。雰囲気を壊す奴らである。事前案内がきっちりなされており日本人にはいなかったのは幸い。

ゆっくりと1時間紅茶を愉しんで、今夜は1900にワインディナーを予約しているので部屋に帰って準備した。今夜のドレスコードはインフォーマルであるが特別レストランであるのでアルマーニのスーツにお気に入りのネクタイをして出かけた。普段のクルーズではフォーマルディに着る服装である。

ワインディナーは、カバーチャージ85$の豪華版である。4種類のワインにそれに合う料理がサーブされる。値打あるものだった。ワイン料理共に大満足のものであった。

参加者は、少なく、ベランダレストランの一郭に設けられたその席は全員で20名ほどであった。同席者は、アメリカ人夫婦、ボブとZOEでボストン近くの街から来たそうで、退役軍人で現役時代は原子力サブマリンに乗っていたそうで、陸に上がってからはペンタゴンで働きリタイアしたそうである。NYからこの船に乗ってサウザンプトンまで乗ってそれからまたそこからQMⅡで大西洋を渡りNYまでいきそこからレンタカーで家まで帰るということであった。日本は潜水艦に乗っていた時も来たことがなく初来日で楽しみにしていた。

あとマーガレットはイギリス人でNYからサウザンプトンとのボブと同じ日程であった。一人で参加であるが、ドバイで友人が乗ってくるとかの話だった。ボブが遠慮もなくどこから乗ったのかはともかく、「一人か?」とか細かいことを聞いていた。アメリカ人である。もう一人はBrisbaneからの乗船オージーで横浜までの日程で一人での参加だと思うが詳細は不明。ボブはよくしゃべり、潜水艦時代のエピソード何か他を食事の間中喋りまくっていたが(奥さんはZOEはニコニコしながらもあんたいい加減にしなさいとう感じであった)だがそんな話を聞くのは大好きなのであるが早口でしゃべるので、分かりやすいい米英語であるにもかかわらず何に付いてしゃべっているのかは分かるのだが、細かい内容は理解できなかった。面白い内容だったので残念である。定時の夕食が二人だけなので、この円卓での夕食は賑やかでとても楽しいものだった。そうそう最初みんなで自己紹介をして名前を呼び合って会話していたのだがボブが最後はだいぶ酔いも回ってきてこちらのことをピーター、ピーターというので苦笑いをしていたらマーガレットが、違うよと訂正してくれた。

マーガレットは、最上級のprincessクラスの乗客で夕食時にマグロの刺身とか、寿司が出たと言っていた。そんなに上等の服も着ていなかったが見かけによらいものである。

彼らは寄港地でのツアーにはほとんども申し込んでおらず寄港地ではノープランで過ごしているとのことであった。そうであろう、世界一周で寄港地ごとにツアーに参加していたらその費用は結構なものになるだろう。

美味しい料理とワインと会話で愉しい夕食であった。あすは愈々ラバウルである。食事後部屋に直帰して寝た。

SEA DAY


SEA DAY(今まで乗船した他船の終日航海日は「AT SEA」とよばれていたが、このQEではこうよぶ)昼前に、ロイヤルコートシアターで鹿児島の訪問の説明会があった。Bigelleが鹿児島に舫っていたことがあるので鹿児島には何度も訪問しているがQEがどんな説明をするのか興味があったので見に行った。少し遅れて行ったのだがものすごい人で立ち見を入れてもシアターに入りきらず、場外のモニターが見える小部屋まで満杯であった。しかないので一番後ろでごめんやっしゃと割り込ませてもらって説明を拝聴した。こんな時でもみんなにこっと笑って詰めてくれる。

説明では、「市」がシティの意味する漢字であるとか、これが島津藩の家紋であるとかかなりマニアックな解説、紹介を、していた。日本人でも島津藩の家紋なんかは知る人は少ないであろうが、良い説明である。

知覧のツアーも組まれていて、特攻記念館(今は平和何とかに名称変更になっているが)の紹介と、特攻隊員のことや富や食堂のことまでもかなり詳しく説明がなされていた。富や食堂も訪れるのであろうか?そして日本人でも理解しがたいこの特攻をどう訪問した彼らは感じるのであろうか?

説明者が、特攻に散華した若者たちの記念館なので中では礼節を持って行動するようにと求めていた。とても胸が熱くなるくらいにいい紹介である。

続いて市内での行動について種々の説明があったが、面白かったのは、トイレの使用法について態々説明があった。「ウォシュレットとよばれる便器があり、とても便利なものであるが、あくまでもこれはおしりを洗うもので座らずに操作すると顔にかかるので注意するようにだとか、間違っても顔を洗わないように」とかを説明していた。会場はもちろん大爆笑であった。あと分別ごみが徹底されているので英語表示もされているのでそれに従ってごみを棄てるようにとかの説明があった。流石日本に敬意を払った素晴らしい案内である。みんなQEの乗客たちは礼儀正しく日本を楽しんでくれるであろう。

そして説明を聞きながら日本がそんな清潔な国であることをとても誇りに思った。


午後に入って又海が荒れてきた、と言っても波高5mくらいであるが、とにかくこのQEはピッチング、ローリングがきつい。今まで乗船した中では一番運航性能は悪い。スタビライザーの性能が悪いのであろう。1年前の年末年始にGUAMクルーズした時の飛鳥Ⅱもかなりの荒天の中を走ったが5万トン少しの船体で今より高い波の中をそれほど揺れもせずに航ったことを思えば倍ほどの9万トンの巨体でこの揺れはどうしたことだろう。

今夜は、2回目のフォーマルパーティーである。船長主催のカクテルパーティーがあり船長と記念撮影である。

今船内時計1740(日本時間1640)、南緯1415分。西経14716分、ラバウルまで773マイルである。


 

 

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オーストラリア出国

今日オーストラリアを出国する。いまイミグレ、税関が乗り込んできて乗客全員の手続きを行っている。場所はヨーキーズノブである。このブログは船の衛星回線か寄港地で通じるエリーのスマホのテザリングを使ってUPしている。よって、非常に短時間で行わないといけない。いいわけであるがその為に誤字、脱字が多いがいちいち修正をかけるのは無理である。ほとんど知り合いしか見ていないので申し訳ないがご容赦である。

すみません、そういうことなので宜しくお願い致します。

この後多分エリーのスマホが通じるのは1週間後になるので、ラバウルだけは報告するがあとは一寸無理だと思いますので、帰国してからみんなで集まった時にまとめて報告です。ではラバウルで・・・

エアリービーチ

昨日一日海を走って、今日エアリービーチに来た。当初予定のエアリービーチでの一日が、波が高いので中止になり、余り陸のイベントは好きじゃないのだけど宗旨替えしてクロコダイルツアーに参加した。

QEからは今回初めてテンダーで上陸した。テンダーは、現地の大型のボートを使った。ここにはBrianのヨットがあるのでBrianに連絡するとすぐに返事を呉れ、ヨットの名前と、ハルの特徴を教えてくれた。彼は今コロラドでスキーの真っ最中で「雪がメチャクチャ多いよ」とはしゃいだメールであった。今回のクルーズではBrisbaneの友人にも連絡しようと思っていたがなんやかんやで連絡できずにいたがもう少し前準備をするべきだったなァ・・・暇あれば本ばっかり読んでたもんなァ・・・

Anyway このツアーは時間がとてもタイトで海岸も、ヨットも全然見る事が出来なかった。残念至極である。

テンダーで上陸するなりバスに乗って、30分ほど内陸めがけて走り川の横のテントを張ってあるツアーの出発地に着いた。そこから二手に、川のクロコダイルツアー、平原のツアーとに分かれた。あとで交代というシステムである。

どちらも日本では見られない光景で大自然を感じるツアーであった。例によってガイドの説明は早口で半分以上分からず、ダブってもかまわずに聞きたいことを一杯質問したがめんどくさがらずに丁寧、親切に答えてくれた。オーストラリア英語は、得意なはずであるが、頭がぼけてきたのと耳が遠くなってきたのとでヒアリングの能力はかなり低下したのを感じた。

夕方、1600まえにテンダーの発着場に帰り最終便が1630だったのでお土産屋を少しのぞいただけでまたテンダーに乗って帰った。以前ケイコが「エアリービーチは、最高に綺麗な海岸だよ」教えてくれていたのに、海岸は全く行くことが出来なかったが、エリーは「こんなツアー、他では経験できないよと」と喜んでいたからマァいいか。

夕食は、一日動いたのでとても腹が減って、2030の食事まで待てなかったのでこの船の唯一(正確にはもう一つ小さなのがあるが)の有料レストランにいった。フランス料理でQE代々続く名店である。ただ今回は世界一周の乗客もかなり多く、このレストランはいつも空いている。案の定予約もなしに行ったのだがすぐに入ることが出来た。ウェイターウェイトレスは最初気取っていてにこりともしない感じだったがなんやかんや話すうちにニコニコとして、何かと気を使ってくれ軽口も買わすようにあり良い気分で食事が出来た。誤解を恐れずにいえばこちらは客である。こちらにサーブするのが彼らの役目である。この場所では、身分はこちらの方が上なのである。日本人はおうおうにして彼らに対して変に逆に気を使って卑屈な態度さえ見せる事がままあるがそれは相手にバカにされるだけである。

食事は流石に通常のレストランとは全く別物で本格的なフランス料理でとても美味しかった。

アラカルトとセットメニューがあるが、セットメニューの方が断然いいと勧められ今回はそれにした。シャンペンと、ワインを頼んで一日外で遊んだこともあり酔いも回り今回のクルーズで一番楽しい夕食となった。

船のちいさな揺れも合わせて軽く千鳥足で部屋まで他のイベントは全部パスして直帰した。

お家さん上巻


雑感:

●結構このQEは揺れる。今日初めてテンダーボートに乗って、QEの全体を眺めたが、可也トップヘビーの様に感じる。

●施設の配置も、ゲートボール場や、ローンボール場が最上階の一番前にある。この場所は、船の最高の展望場所であり他の船の場合、寄港地の入港時にはそれを見ようと満杯になる場所である。何を考えてこんなところにこんな運動施設を作ったのか不思議である。Princessクルーズではベニス入港時には空中散歩の様に景色をかき分けるその光景を愉しんだ場所であるというのに・・・

●世界一周の乗客がとても多い。(偶然かもしれないが、ツアーで会った人たちはほとんどそうであったし、定時レストランの隣の二人もそうである)



●そんなこともあるのか、船内のイベントが極端に少ない。あっても何とかのトリビアとかいうクイズの小さなイベントだったり、一人のピアノの弾き語りであったり、夜のショウもほとんどが一人のショウである。することもないので毎日本を読んで寛いでいるが、そんなコンセプトの船であろうと思う。イベントは少ないが、テラスでお茶をしたり、BARで飲んだり、英国式パブでまたまた飲んだり、いつも文庫本を片手に優雅に愉しんでいる。

●旅行前に、船を手配してもらった人からQEのクルーは愛想が悪いと聞いていたがそれは全く杞憂であった。みんなとてもフレンドリーで最高にいい奴ばかりである。

●出会う乗客たちもみんな上品で空間を譲り合って気分良く愉しめている。どの場所でも短パンは昼間見かけるがTシャツ姿は非常に少ない。大きな声でしゃべっている乗客もこれは全くいない。ぼそぼそとつぶやくようにしゃべっている。船全体がとても気分の良い社交場のような雰囲気である。



さて今日は何日目かだんだんわからんようになってきて、曜日で日にちをカウントしているが今日は金曜日。大阪を出てから1週間である。何かとても長いような気がする。

バルコニーに出てみると可也暖かくなってきている。部屋のエアコンもクーラーを効かせないといけなくなってきた。

今日も一日海の上である。流れる雲の下で本を読んでのんびりしよう。持ってきた本が足らんようになってきた。図書館も当てにしていたのであるが、日本語の本は一冊もない。
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クロコダイルリバークルーズ

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ビーチに行きたかったのだが、このツアーに行っ全くじかんがなくなってしまった。折角ブライアンから、彼のヨットがちょうどここにあると聞いていたのに。残念。

今日はエアリービーチです。

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可也うねりがあった海も収まりQEは、静かにホイットサンディの港に着きました。
海が荒れているとの予想だったのでゾヂァックのツアーはt 

AT SEA

AT SEA

今日も日がな海の上である。

洋上を眺めているとどうしてもメルボルン‐大阪ダブルハンドヨットレース中のヨットを海に描いてしまう。

未明からごそごそ起き出して「お家さん」を読んだ。暫くして眠たくなったので一時寝て、0900遅い朝食をビュフェ「Lido」で摂った。Lidoはスターンに位置するが結構上下動を感じる。

食後、土曜日のラバウル訪問の説明会があるので、「ロイヤル・コート・シアター」に行った。楽しみにしている。旅行前に調べた限りでは現地にTAXIの類はなかったが船の日本人コーディネーターは、あるんじゃないかといった。あればツアーの後で交渉してみよう。

お昼はお気に入りの「パブ」でワインを飲みながら「お家さん」を読んで過ごした。
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話が佳境に入り止まらなくなった。いつまでいてもいいのだが少し寒くなって来たので場所を変えて10階のガーデンデッキで陽光の下読み続けた。昼過、完読。壮大で読み応えのある素晴らしい作品であった。この主人公「鈴木よね」は全く知らなかった。玉岡かおる自身も知らなかったそうであるが徹底的に彼女のことを調べ上げ「鈴木商店」の女性社長「お家さん」とよばれた「よねと鈴木商店」の栄光と没落を、壮大に描いている。映画化の話もあるようだが、大河ドラマにしたら素晴らしい作品になるだろうと思う。映画ではこの長編は描ききれないであろう。

この「お家さん」の感想はまた日本に帰ってからじっくり書こうと思う。

「負けんとき」と共にみんなにぜひ勧めたい作品である。

今夜は、フォーマルナイトである。西洋人が多いので華やかな夜となるだろう。楽しみだ。

Brisbane半日観光。

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Brisbaneriver cruise。
とてもいい天気。ここは丁度日本の秋で最高の季節。
ドイツ人の夫妻と友達になった。世界一周しているそうだ。
自己紹介でドイツ人だと分かったので思わず友達だと握手をしたら隣のイギリス人に何で私にしてくれないの?と言われてあわてて握手した。
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リバーサイドのシーフードレストランで昼食をした。
良い雰囲気で、シーフードを愉しんだ。

今回のこの旅行のブログが始まってものすごいPVがカウントされている。
みんな見てくれているんだ。頑張ってUPしよう。

「お家さん」上巻を読んだ。
8冊持って来たんだけど、足るかなぁ・・・・

ブリスベンリバークルーズ

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AT SEA 午後

AT SEA

食事までの暫し、2階であった弦楽四重奏を、ブランディを片手に聞いて過ごした。ブランディはクルバジェのVSOPにクラッシュアイスをたっぷりぶち込んで、チェイサーがお供である。ウェイターは黒人の男性でとても気を使ってくれて気分が良い。

今夜のドレスコードはフォーマルの予定であったがインフォーマルに変更となった。理由は不明である。音楽を楽しみながらプロムナードを往くおしゃれをした人々を見るのも愉しいものである。みんな昨日よりワンランクのおしゃれをしているようだ。



今回のこのクルーズではアルコールの価格が他船に比べて吃驚するほどリーズナブルである。このブランディも行きつけのショットバーARGOと同じくらいである。生ビールもどのBARにも用意されていてスモールサイズといっても日本サイズの中生くらいはあるのだが300円ほどである。

BARは、船内のいたるところにあり。BAR巡りだけでも半日は十分に楽しめる。今回このQEでのお気に入りBARは、10階のコモドアズラウンジと1階の英国パブである。

今回のこのクルーズでは船内イベントはかなり少ない。コンセプトとしてはゆっくり自分の時間を楽しんでくれということであろう。



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流石に今回のクルーズの乗客たちはみんな品のいい人たちばかりである。このレグはほとんどフルの乗客で2000数百人である。乗客のマジョリティはオーストラリア人で、その他のヨーロッパからの人達(最初の出航地がイギリスのサウザンプトン)で次に日本人という構成である。すれ違うとみんなにこりとあいさつを呉れるし、エレベーター等でも譲り合って乗り降りする。どこのBAR、レストランでもみんな静かにそれぞれの時間を愉しんでいる。最近は、どの船に乗ってもマナーの悪いマァとても騒がしく品の無い大勢の人達がいるのでクルーズ自体がつまらないことになったこともあるが、今回は優雅な本来のクルーズを愉しめている。矢張りQEに乗ってよかったと船に乗り込んでいる日本人コーディネーターと話していたら、彼女は最近までクイーンメリーⅡに乗っていたそうだが前回のクルーズで800人ほどある国の団体客が乗ってきて、それはそれは騒がしくて、流石に他の乗客からクレームが起こり彼らは食事ではレストランの一郭に集められてドアを閉めて他の乗客から隔離されたそうである。

夕食は、この船では固定席制度で、大テーブルでいろんな人と一緒に食事をしたかったのだが、指定されたのはふたりだけのテーブルである。代えてもらうのも出来るがウェイター達がみんないい奴なのでこのまましばらくいこうかと思う。となりのテーブルは女性二人で、スペイン人で世界一周中であった。今回の我々と日本人の300人ほどとオーストラリア人のほとんどはその一部の切り取りクルーズ(シドニー~横浜)である。

QEの内部はほとんど全部が木もしくは木目調で造られておりとても落ち着いた雰囲気である。調度品の数々も奇をてらわずオーソドックスで古いヨーロッパの建物の中にいる感じだ。

ただ船自体の性能は、少し落ちるようだ。この海域はこの季節風が強く波も高いのだが、ピッチングが結構あり、バウで歩いていると体が少し浮くこともしばしばである。

昼間、夏の日差しを感じながらほとんどを過ごしたスターンのテラスでも(ものすごく広い)水平線が上下に始終揺れていた。



さて今日はブリスベンのリバークルーズである。この地を訪れるのも20数年ぶりである。楽しみにしている。


 


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AT SEA

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シドニーからブリスベンに北上中。今回のクルーズはメルボルンー大阪ダブルハンドヨットレースのコースにあたり感慨もひとしおである。レースを通じて多くの知己を得たヨットマンたちがかつてそのヨットで昼夜を費やし大阪を目指して駆けてきた海である。

今日は一日航海日である。玉岡かおるの「お家さん」上巻を読んで日がなデッキで過ごした。

シドニーは今日も雨だそうだが、洋上は、こんなに良い天気。汗ばむほどだ。何日か後の赤道通過が楽しみである。そして今回の最大の私にとってのイベント、今回その日を楽しみにこのクルーズを選んだ、ラバウル訪問である。ホンの60数年前大空を駆けた勇士たちに会いに行こう。DSC05062

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ただ今シドニー

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昨夜大阪を出てゴールドコースト経由でシドニーに来た。機内でこの日の為に楽しみに取っておいた「みをつくし料理帖」を愛しむように読んだ。仕事もなく、飲んで食べて好きな本を読んで機内の旅は最高である。TAXIの運ちゃんはバングラディッシュの出身のそうだ。途中リカーショップに寄ってワイン2本を買った。店にいた客が、どれにしようか迷っているとカウンターで飲んでいた人のよさそうな赤ら顔のおっさんがこれが良いよと選んでくれた。オーストラリア人は親切だ。そのおっちゃんに礼を言うとウインクして親指を立てて良い旅をと言ってくれた。ワインを抱えて出るとハーバー近くのその店からシドニー名所の大橋が見えた。そしてその横にちらりと黒の船体のバカでかい船がチラリと見えた。QEだ。胸が高鳴った。旅行ではめったに雨に降られることはないのだが少し雨が降り出した。この季節のこの地域の天候は不順である。

QEは流石に海の女王とよばれる船である。船内は、木をふんだんに使い木目を生かしたデザインが上品さを醸し出している。ざっと船内を見学して回ったが船の中央部にあるダンスホールがこの船の自慢の空間である。


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並行読み。

何冊か並行して読むのが好きである。普通は、34点なのだが、今、結構多いかなと思い、書きだしてみたら
「ペトロス伯父とゴールドバッハの予想」
「博士の愛した数式」
「テレサ・テンの見た夢」
「特攻」
「零戦」
「紫電改よ永遠なれ」
「恋歌」
「続大空のサムライ」
と、8点もあった。「ペトロス」と「博士の」は、「数学」という似たような題材を扱った作品なので流石に頭がこんがらがってしまう。どちらもこの間本棚で見つけたハードカバーである。

しかしこれらは、途中まで読んでいるので暫しお休みして、今日からは全く読んでいないさらの本を読むことになる。そして一点集中読みである。

まずは楽しみにとっておいた「みをつくし料理帖第9巻」それから「お家さん」の予定。

楽しみ。楽しみ。

そうそう玉岡かおるさんがコメントくれるって聞いていたけど、「お家さん」の感想を書いたらくれるかもしれないと楽しみにしている。

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