Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2013年10月

おじさんバンド特訓。

もうすぐおじさんバンドの発表会です。
津軽じょんがら節の特訓をしました。
ムツカシィ~~~
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高校時代のオリジナルメンバーです。
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練習の後は、例によってグダグダと駄弁りました。
もうすぐ発表会。何とかなるやろ。。。。

三木から黒豆の枝豆が届きました。

三木の友人から枝豆を送って頂いた。友人が自ら摘んだそうである。
丹波篠山産の黒豆の枝豆である。
早速湯がいて食べた。
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これで1/3ほど、もの凄くたくさん送って頂いた。

プリプリで市販では見られない大粒で噛むと口の中ではじけるよう。とても美味しかった。余りに美味しいのでビール片手に食べすぎてしまった。

右下に映りこんでいるのはウィンディの足である。ウィンディもパクパクとだいぶご相伴に与ったのは言うまでもない。

もうすぐ発表会。おじさんバンド練習。

もうすぐおじさんバンド発表会。練習も曲を絞っての特訓である。
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つまらなそうに映っているが、愉しんでやっているのだ。
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練習後の飲み会は、Gucciのお勧めの中華に行った。
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6名もの料理人が忙しく料理を作っていた。知る人ぞ知る名店らしい。

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ザーサイ。
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キュウリの漬物。
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中華の定番、ミル貝の前菜。
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餃子。
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八宝菜。
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小エビの空揚げ。
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トマトのマーボ豆腐。初めて食べた。
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タンメン。

初めて行ったので、Gucciが定番料理をまず勧めてくれた。
どれもあっさりしていてとても美味しかった。

もう一軒飲みに行った。
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テラスのあるBAR。川面を伝う夜風が気持ちイイ。
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道頓堀川には、何艘もの遊覧船が行き交っていた。ハロウィンが近いせいか、にぎやかに仮装した人もたくさんいた。丁度この前の橋が折り返し点らしく船長は器用に橋の下でUターンしていた。
もっともっとこの道頓堀もにぎやかに華やかになって欲しいものである。

零戦の本。

「大空のサムライ」「祖父たちの零戦」の副読本として読んでいた2冊。

一度ハワイでセスナ機を操縦させてもらってオアフ島を一周したことがあるが、操縦席から目の前一杯にに広がる大海原と大空の景色は、圧巻であった。


零戦で戦った若者たちの苦しみ、苦労は微塵も知ることもできないが闘いが終わって今日も生きて帰られると凱旋する時、彼らの目の前に広がる大空はどんなにか素晴らしいものであったろうと思う。

叶わぬことながら、一度零戦に乗ってみたいものである。
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この中での坂井三郎氏の、最後のインタビューの記事に深く感動した。
氏が亡くなるわずか4か月前に行われてたものである。

舌鋒鋭く当時の事実が語られている。そして戦後の日本のふがいなさを嘆いている。
その語り口は辛辣であるが、その故敵も多かったであろうが、その内容は当時の最前線を戦った者にしか分からない多くの真実を含んでる。

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零戦は、総生産数10430機。
零戦の開発元は三菱重工業であるが、三菱のみならず中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。

搭乗員からは、三菱製の方が信頼は厚かったようであるが当時は、整備のされた機から順に使用していたので、どれにあたるかは出撃当日にしか分からなかったそうである。

繰り返しになるが、一度零戦で大空を飛んでみたいものだが、今造るとなるといくらかかるのだろう。

神立尚紀「祖父たちの零戦」。

「大空のサムライ」と並行して読んでいた「祖父たちの零戦」を読み終えた。
海軍兵学校の同期生同士で零戦隊を代表する二人の飛行隊長、進藤三郎少佐、鈴木實中佐の人生を軸に、他の零戦搭乗員124名から得た詳細な体験談を綴ったものである。
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この中でも彼我の搭乗員たちの人命に関し、象徴的な事実が書かれている。
特攻の発信基地があった石垣島での話。
―敵の搭乗員が宮良湾に落下傘降下すると、海面で発煙筒を焚いて、他の米軍機に位置をらせる。陸軍砲台から、また海軍の搭乗員たちも壊れた零戦から取り外した7ミリ7機銃を担いで海岸まで走り敵を狙って銃撃するが中々当たらない。ほどなく米軍機が日本軍の砲撃をものともせず目の前で着水、漂流している搭乗員を救助して飛び去ってしまう。どんな危険を冒しても人命を助けようとする米軍と、飛行機もろとも死んでこいという日本軍の姿勢の差を目の当たりにした特攻隊員の胸中は複雑であった。―(以下―は本文より抜粋)

ただ中には、日本軍の捕虜となったものもいる。そんな捕虜に鈴木の部下が質問をした。
鈴木から何でもいいから聞いてみろと言われ、部下は日本の特攻隊についてどう思うかと訊ねた。
敵パイロットは
―「母艦にいる時には怖いが、空中では動きがにぶいので簡単に撃墜できる。日本は物資がないのに一度で飛行機をなくしてしまうが、われわれはそんなもったいないことはしない。」―
と答えたという。

―特攻隊を出撃させた寺岡中将、福留中将、海軍の作戦を統括する軍司令部第一部長として特攻作戦の開始に踏み切った中澤佑(たすく)中将らは、特攻については大西にいっさいの責任をかぶせたまま天寿を全うした。寺岡、福留はそれぞれ亡くなる直前まで、毎年10月25日に営まれた特攻隊の慰霊法要に参列、良心の呵責をみせたが、中澤はそのようなこともしなかった。―

中澤は、台湾の高雄で終戦を迎え、内地からの電報で大西中将の自決を知った後、
「俺は死ぬ係じゃないから」とふと漏らした本音を、傍にいた門司副官は聞き逃さなかったという。

何という男だ。


この本の中では、坂井三郎についても語られている。
戦後「坂井三郎空戦記」を出し、軍上層部の批判をした為その元上官連中はもとより、元下士官仲間からも随分嫌われていたらしい。

坂井氏が零戦を駆使し無敵を誇ったのは誰しも認めるところだが、彼が頭に重傷を負って第一線を離れてから米軍は次々と新鋭戦闘機を送り出し、零戦の圧倒的優位も逆転されて、その中で戦闘した彼等からすれば、坂井三郎の語る話しは昔がたりでしかなかったという。


先日講演を聞きに行った笠井智一氏が、素晴らしい上官であったと絶賛していた杉田庄一上飛曹とは、犬猿の仲だったらしく、言わば手柄話をいつも煙たくし、若い搭乗員たちを未熟者扱いし、時には鉄拳制裁を振るう坂井を杉田は上官ながら手厳しく批判したらしい。

杉田上飛曹は、昭和18年4月18日山本五十六連合艦隊司令長官戦死の際、護衛にあたっていた6機の零戦搭乗員の一人であった。その後戦闘で全身火傷の重傷を負って大村海軍航空隊の教員となり、その時に坂井と出会っている。

笠井氏の語る杉田氏は、部下を一度も殴ったことがなく上官からもその人柄から高い信頼を得ていた。彼が終戦間際に鹿屋基地で戦死した時には、上官自ら彼の葬儀を行い手厚く葬ったという。

余談だが、山本五十六を護衛していた他の5機の搭乗員たちは、その後懲罰のように連日出撃させられそのあと数カ月で全員戦死した。戦後まで日本軍暗号電報が解読されていることに気付かず、その責任は上層部にあるにも拘わらずここでも責任を負わされたのは第一線の搭乗員たちであった。

仲間内から批判を受けながらも坂井氏は「大空のサムライ」以降も何冊かの続編を出している。また対談集も残っているが
その中で彼が語っている、日本軍上層部への批判、特攻への強い怒り、また広島原爆公園の碑文への批判等々は全く腑に落ちる話である。歯に衣着せぬ物言いが軍上層部の反感を買ったということであろうが、十分な準備もせず無謀な戦争を起こし、敗戦に導き、且つその終戦時期を面子だけにこだわり長引かせ更に大きな人的、物的被害を日本に招いた彼らに坂井氏を批判する資格はない。

坂井氏が当時敗戦で沈みきっていた日本人に零戦という世界に誇る戦闘機があったこと、そして多くの若者が私利私欲を捨てただただお国の為にと死んでいったことを知らしめた功績はとてつもなく大きい。

―坂井氏は、平成12年9月22日在日米海軍西太平洋艦隊航空司令部の50周年祝賀夕食会で突然、気分の不調を訴えそのまま帰らぬ人となった。享年84。―

後日10月14日青山斎場で行われた「お別れ会」には、多くのファンが集まったが、すぐほど近い東郷神社で行われていた元零戦搭乗員の会には約30人が集まっていたにも拘わらずそのお別れ会に列席したのは5名だけだったという。


雨の休日。

今日は、朝から台風の余波であろうか雨がシトシトふっていた。
ダラダラとベッドで本を読んでいたら、無性に鮨が食べたくなってきた。

天満のやっこ寿司に行った。
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造りを頼んだら、サザエの壺焼きをつけてくれた。
ここの壺焼きは、出汁が旨い。
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シラス、ウニ。
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親父さんとも長い付き合いである。
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とりがい、カンパチ。
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焼きアナゴ。
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カニ。
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カニ味噌。

皿の数と、写真と一致しないが、親父さんと駄弁りながらパクパク食べたので、随分撮り忘れた。

帰りにヨドバシカメラに寄った。
P1040484雨の梅田。

エリーが買い物の間、ガード下の立ち飲みでまた一杯やった。
いつも行く立飲み屋だが、店の子が中国人に代わっていた。
無愛想この上ない。イヤイヤ仕事をしている。何を扱うにも乱暴だ。
注文の品を投げるように皿に入れた。気分が悪くなり出た。


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グランフロント梅田。
やしきたかじんがここに世界に誇れるコンサートホールを造れと橋下知事(当時)に進言していた。
その気があるなら、自費で世界のコンサートホールを回って調べてくると言っていたが、この話しは全く立ち消えになってしまったようだ。

大阪には、世界にどころか、日本にさえ誇れるコンサートホールが無い。
大阪城ホール、大阪ドームの音響設備はすこぶる劣悪である。
コンサートホールとして唯一その名に値するのは新装したフェスティバルホールぐらいなものだ。
大阪は、文化後進地域である。

「山口花」犬から聞いた素敵な話。

購入前から予想していた通り、14話の中のほとんどの話でウルウル来てしまった。
犬好きには、たまらない素敵な本。
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その中でも一番ぐっときたのが、いつもご主人の家の前で短い紐でつながれていたもふもふの話。

要約すると、
目の前の小さな食器には、いつも雨水が溜まっていた、それにご主人は、残飯を入れてくれる。

楽しみは通学路になっている前の道を小さな子どもたちが朝夕通るのを眺めることだった。子供たちは時々頭を撫ででくれる。でも手入れもされず年老いて来て若いころ綺麗だった白い毛は、だんだん茶色くなりてテカテカになり所々固まってきた。そのうちにだれも手も出さなくなってきた。

そんな頃、隣の家に女の子が生まれたらしい。その女の子が少しずつ大きくなっていくのを見るのが楽しみだった。その女の子が小学校に通うようになった頃、思いもかけずに近づいて来た。その女の子は、もふもふを怖がらせないようにだろうか後ろ向きに近づいてきた。もふもふも同じように背中を向けて迎えた。背中が触れるととても温かかった。

それからもふもふはもう前のように誰も頭もなでてくれなくなった今、この女の子が学校から帰ってくるのが唯一の楽しみとなった。そして時々その女の子は「ごめんね耳で。でも私この耳固くて好きじゃないんだ。」といって小さなパンの耳をくれた。でももふもふにはいつも食べている塩っ辛い残飯に比べるととても美味しかった。なんでこんなに美味しいものが嫌いなんだろうと思った。


しばらくしてその女の子のお母さんは、その女の子が汚いもふもふを撫でているのが気になるらしく。「もう遊んではダメよ。」と言っているのが聞こえた。

もふもふは、そうだ僕なんかと遊んではいけないんだ思ってもう来ないでと決心して次の日女の子が撫ででくれた時に「ワン!」と吠えた。

その時ご主人が飛んで来て「なんてことをするんだと。」もふもふを蹴飛ばした。
思い切り蹴飛ばされてとても痛かったけど、これで良かったんだともふもふは痛むおなかを抱えて思った・・・

というお話。

これだけでもウルウル来てしまうが・・・
ある日・・・



涙があふれる作品であった。

お勧めの一冊。 続きを読む

広島観音マリーナへ

マイクが、ヨットを見に行くので付き合ってくれないかのことで広島まで出かけた。
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新大阪駅で待ち合わせた。
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弁当を用意してくれた。温かくてとても美味しかった。
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約70分で広島着。
700系のぞみであったが、結構揺れた、東海道線ではこんなに揺れなかった気がしたが・・・
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駅まで迎えに来てもらった。今日は、ハーバー横のアウトレットでイベントがあるとのことで
ハーバーまで普通なら30分で着くところ、1時間近く掛ってしまった。


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ハーバー横のイタリアンを予約してくれていたのでまずお昼とした。

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おにぎりで結構腹いっぱいだったので、ピザのsmallを頼んでマイクと半分ずつに分けた。
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ハーバー主催の釣り大会があったようで続々と太公望達が獲物を持って帰港していた。

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海側からハーバー事務所を見る。久し振りだ。日記をひも解くと4年振りである。
このハーバーも、BigELLEで何度も来航したことがある。

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太刀魚。いささか小ぶりである。
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中々良形の鯛。一番旨い大きさである。
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大畠で獲ったそうである。
潮の流れが速いので、さぞ旨い鯛であろう。
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う~~~旨そう。大好きなメジロ。ルアーで釣りあげたそうだ。
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写真を撮っていたら、一緒に入ってきた。
広島の若者もノリが良い。

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46FT。
発電機がついていて冷暖房完備である。
マイクは、BigELLEに乗り慣れているので、絶対にエアコン付きのヨットをと探していたそうだ。


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流石フランス艇である。
とてもセンスが良い。

そして前オーナーがよほどメンテナンスをしていたのだろう。細かいところまで手入れが行き届いていた。

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バースには、4年前と同じく多くの空きバースがあった。
何故もっと営業努力をしないのかと思う。
係留費が高すぎるように思う。
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1時間ほどセーリングに出た。
この艇はクラブレース等に出ていつも上位入賞の常連だったとかで、帆走性能も素晴らしいものだった。


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宮島をバックに。
こんな形でこの広島湾を遊ぶのは初めてである。気持ち良かったなぁ・・・

船内での契約に付き合ってくれというので立ち会った。
マイクは、晴れて契約を済ませ、新オーナーになってとても嬉しそうであった。
気持ちはほぼ固まっていたが、最終的に細かい確認をして欲しいということで今日の誘いとなったそうだ。

感謝されたが、頼りにされてこちらもとても光栄である。

良いヨットであった。これでマイクは、3代目オーナーとなるが初代オーナーは、某超有名人である。


さて広島に来たからには、お好み焼きを食べて帰らないと。
特に知っている店はないとのことで、お気に入りの「みっちゃん」に連れて行った。
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豚玉。
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ネギ焼き。
美味しかった。新幹線の予約を飛ばして、自由席で帰ることにしてゆっくり広島焼きを堪能しながら歓談した。

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今日も、愉しい一日であった。

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またも来ました裏なんば。

またも来ました。立ち飲み居酒屋「ひでぞう」。
TVで何度も取り上げられて、いつも金曜日は大賑わいである。
今日は、少し小雨模様であった為か、待たずに入れた。
立って食べるので連れは嫌がるが、マァここの魚は新鮮でとても美味しい。
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一流店に勝るとも劣らない新鮮で美味しい造り盛り合わせ。
お供は、純米大吟醸酒獺祭(だっさい)である。
一週間の自分へのご褒美である。

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カキがあったが、これは日生の方が美味しいかな?
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シイタケとレンコンのはさみ揚げ。
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シシャモ。

河岸を変えてイタリアンに行ったが、今度は違う店に行こう。
兎に角裏なんばに来たら、まずは「ひでぞう」である。

坂井三郎「大空のサムライ」。

ちょこちょこと読んでいた「大空のサムライ」坂井三郎著を読み終えた。
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この作品は元々坂井氏が自身の出撃記録として手帳に認めておいたものをまとめて空戦記録として世に出したものである。

坂井氏は、当初一戦闘機乗りの空戦の記録を本にすることにためらいがあったそうだが出版社社長の強い勧めがあり、坂井氏も正確な空戦の記録を後世に残すのが生き残った戦闘機乗りの、そして大空に散って行った仲間への責務であると思い出版したものである。

昭和2810月に「坂井三郎空戦記録」として出版されたこの本は当時の世に大きな反響を呼んだ。この本を通じて海軍戦闘機隊や名機零戦の偉大さを知った人もあれば、闘いの空しさや非情さを痛感したもあった。この中に出てくる実名の搭乗員の肉親がその最後のことを知る為にこの本を買った人も多いという。


(解説・秋本實より抜粋)
多くの人を感動させた「坂井三郎空戦記録」は昭和41年絶版となったが、翌昭和42年加筆修正されて「大空のサムライ」として再登場した。この本は「SAMURAI」というタイトルでアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、フィンランド、イタリ他世界で出版され各国の人々に感動を与えた。かつて敵国の軍人の記した戦記が、これほど広く読まれた例はないという。



本書の中にある多くの出来事の中で二つ紹介したい。

一つは、坂井氏が敵戦闘基地上空で行った、有名な「三機編隊宙返り」である。

ラバウルから飛び立った坂井氏は空戦後、西澤、太田両一飛曹の三機で集合しモレスビー敵基地上空で一度目は4千メートルで3回、二度目は何と敵高射砲の射程範囲である2千メートルまで高度を下げまた3回。編隊宙返りを打ったそうである。その間敵からの地上砲火は一発も打って来なかったそうである。それどころか、数日後一通の果たし状がラバウル基地に空から投げ込まれたそうである。その横文字の手紙には、「先日の宙返り飛行士は、大いに我々の気に入った。今度やってくるときは緑色のマフラーをつけて来られたい。我々は、こぞってその英雄たちを歓迎するであろう。」との文面であったという。しかし上官はその手紙を握りつぶしてしまったとのことである。

坂井氏も、もしこれが逆であったなら、日本の軍人によく見受ける狭量な指揮官なら「こいつ帰すな、撃てっ!」と命令したかもしれないと婉曲に書いているが、これを見て地上からやんやの喝采を送っていいたであろうアメリカ軍人上層部のおおらかさは、うらやましい限りである。


坂井氏とこの編隊宙返りをした二人は基地で上官からこっぴどく叱られながらも「気持ち良かった。いつ死んでもいい。」と言ったそうであるが、その言葉の通り終戦までに、二人はそれぞれソロモン、フィリピン上空で散っていった。

もう一つは、硫黄島航空部隊指揮官三浦鑑三大佐が命令を下した。とんでもない作戦というか暴挙である。彼は、自分のちっぽけな名誉を守る為、腹だたしさを紛らわせるだけの為に特攻を命じたのである。昭和197月。フィリピンにおける神風特攻隊に先立つこと4カ月前のことであった。

(本文より)
―堂々たる体格の三浦大佐が出撃前に壇上で訓示を行った。
「いまから山口大尉の率いる戦闘機9機と天山艦攻8機を以て、敵58機動部隊に対する白昼強襲をかける。特に戦闘機隊に対して注意を与えるが、本日は絶対に空中戦を行ってはならない。雷撃機も、魚雷を落としてはいけない。戦闘機、雷撃機うって一丸となって全機、敵航空母艦の舷側に体当たりせよ。」―

白昼に敵の大部隊にしかけたこのとんでもない作戦は成功するはずもなく迎撃した敵戦闘機に天山雷撃機は7機が撃墜され戦闘機は坂井他4機が敵機動隊を発見出来ずに帰還した。


(本文より)

―「伝統ある横空の面目にかけて・・・」指揮官三浦大佐の言葉を、もう一度噛みしめてみる。その横空の面目の為に、僅か17機で敵の大機動部隊に対して、白昼強襲を駆けさせた常識はずれの戦法―そして、私たち三人と武藤飛曹長戸を除いたすべての戦友は、次々と私の目の前で散って行った。
私と同じ人間であるはずの一人の人間が、指揮官という立場に立つと、まるで将棋の駒をうごかすように、他の人間の生命を無造作に死に投げ込むことができる―


マァ何とも当時の日本軍は上層部のこんなとんでもない男たちによって指揮されていたのである。この男は、いよいよ硫黄島が敵軍に落ちるという時、真っ先に救援機に乗り込んだそうである。そして乗り際に放った言葉が「後を頼む」だったそうである。
救援機は、数が限られ、それに乗りきれず残された兵士たちが辿った悲惨な運命は映画他で知られている通りである。

この三浦大佐の後のことは調べたが調べきれなかったが、何という男かと思う。坂井氏も戦後の講演では、この三浦については口を極めて非難したそうである。

Julieと。

メルボルンから寒さを避けて来日しているJulieが瀬戸内海rallyを終えて大阪に帰って来た。
来週帰るので会って、仲間も集めて飲もうとなった。

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マサと、Rallyに参加していたTonyとShelleyも来てくれた。
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Hawaiiサインをしたら、Shelleyに指を噛まれてしまった。
Shelleyは、ホント明るくてイイ子である。彼女がいると場が明るくなる。
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みんなで夕食を食べに行った。
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エイジの親父さんのお店。「しゃり番」
もう亡くなられたが店名から判るように親父さんは元力士である。
名大関「北葉山」である。
実は子供の時、現役の北葉山関に会ってサインをもらったことがある。実家にあるはずだ探してみよう。
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またブラブラ歩いて、ARGASまで帰った。
P1040377カマンベールチーズのブランディ焼き。

総勢8人。みんなでワイワイと愉しい夜であった。

池井戸潤「ロスジェネの逆襲」。

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何とも消化不良で最終回を終えてしまったTV「半沢直樹」。
続編の原作本があるとのことで早速書店に買いに行った。その時はTV放映が終わってすぐだったので2軒回ったがどちらも売り切れであった。ただ電子版はあったので、一度試してみようかと思ったのだが早晩入荷するとのことで、それを待って買った。

ちょこちょこ読んでいた坂井三郎著「大空のサムライ」を読み終えたので、今日未明から読みだした。

内容は、半沢直樹が銀行の子会社の証券会社に出向し、親会社の銀行からの理不尽な妨害にもめげず不可解な融資に敢然と立ち向かうがそれがまた銀行上層部の不興を買いまたまた再出向の危機にさらされるというストーリーである。

ネタばれになるが、読後やっとフラストレーション解消であった。
お勧めの作品である。とても面白かった。

必ずまた、TVドラマ化されるだろう。

洲本一泊クルージング

この連休はゆっくりしたかったのだが、Gucciがどうしてもクルージングに航きたいと言うので
当初の予定伊島は遠すぎるので変更して、近場の洲本に妥協し一泊クルージングに航った。

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早速ワインである。
Captainは、到着まで我慢である。
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Captain特製。焼きうどん。旨い!!!
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寛ぎ切る。Tom。
流しているケンケンは、今回も釣果0であった。

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商店街では、洲本祭が行われていた。
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ニューウエイブの阿波踊り。
苔作連には、中々及ばないがまずまずの上手さ。

いつも寄る公設市場で買い出しをした。
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ペット禁止とは書いていなかったが、ウィンディは店外で待った。
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小畑肉店。
ここのお肉は新鮮で美味しい。
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ひと風呂浴びで船で焼肉宴会をした。
七輪で炭を熾し焼いた小畑の肉は、とても旨かった。気の置けないメンバーで愉しいBBQナイトであった。

ただなぜか写真は一枚も無い。

翌朝。
ウィンディを連れて散歩に行った。
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洲本城を仰ぎ見る。
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この日はいつになく多くのヨットが舫っていた。泉佐野からみんなで来たとのこと。

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朝からチャンチャン焼きをした。
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今晩も帰って焼肉をしようということになり、仕入れに行った。

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淡輪YHはとても静かで良いハーバーである。
さて家に帰って、ナック、タケも合流して連日のBBQ。
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フィレとミスジ肉。
バーナーでさっと炙って食べた。最高に旨かった。

またまたチームBigELLE全員集合の愉しいBBQであった。
それにしてもよく肉を食うメンバーである。
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スジ肉。安価であるが、歯ごたえがあってCaptainのお気に入り。
みんなはそんなもん食べないと言っていたが、焼けたとたんパクパクと食べられてしまった。

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ハンバーグ。まず普段は食べないが、これまた絶品の旨さであった。
私は食べないと、人数分しか買っていなかったが、大分食べてやった。スジ肉のリベンジである。続きを読む

横山秀夫「第三の時効」。「半落ち」。

百田尚樹さんの「永遠の0」を読んで以来、ホント久々に読書魂に火がついてしまった。
最近暇があれば、本を読んでいる。まるで遠い昔の学生時代に戻ったようだ。

「第三の時効」。
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朋に教えてもらったこの作品。
面白かったが、「漫画本と変わらんね。暇つぶしにしかならんね。」と毒づいたら
「小説なんてそんなもんや。」と、返された。

マッそう言われりゃそうだ。
ただ、百田作品のように、たとえば「海賊と呼ばれた男」なんぞは読後このようにありたい。
男はこうでなくちゃと思わせてくれた。

青白くいえば為になる本。
そんな本を、読みたいものだ。


で、オムニバス形式で書かれたこの短編集。夫々みんな面白い。



次は、これも朋から聞いていた
横山秀夫「半落ち」。

先日乗った「にっぽん丸」のライブラリーに見つけた。

部屋番号とサインで簡単に借りることが出来た。読み終えるとまたライブラリーの返却棚に返しておけばいい。

下船直前までひつこく読んでいたが、読み終える前に下船してしまった。

神戸港下船後、友人と食事の待ち合わせ時間までを潰す為、元町のジュンク堂まで買いに行った。

途中商店街を歩いているとAuショップがあったのでipadの充電を待つ間、不図以前から一度利用しようと思っていたネットの電子書籍にトライした。
アプリは、紀伊国屋のダサいネーミングの「キノッピー」を使った。

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ショップの椅子にどっかと座り、やってみるとあっけなくあっという間にダウンロードされた。
フォントもさまざまに好みに合わせて変えることが出来、便利至極。

ただ又眼が悪くなりそうだ。

待ち合わせの迄の2時間なんぞあっという間に残りを読み終えた作品は、中々の面白さ。
ただ、読後
「読んだよ。面白かったけど後に何にも残らんね。」と朋に電話したら
横山ファンの彼は
「行間を読まんといかんぞ。」とのたまうので
「サスペンス作品に、行間なんかあるのか?」とまたまた毒づいたら
「もう紹介しないぞ。」と怒られた。

にっぽん丸瀬戸内海ワンナイトクルーズ

にっぽん丸に乗ったことが無かったので、一度乗りたいと思っていたが神戸発着のワンナイトクルーズがあると知り行って来た。
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今回は、無寄港なので船全体の写真は撮れなかった。
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荷物は、部屋までクルーが運んでくれた。
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ウオシュレットがあるのは、日本船ならでは。
重宝である。
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早速プールサイドのレストランに軽食を食べに行った。
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BAR。
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例によって出航前に避難訓練が行われた。
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テープを投げて岸壁を離れた。クルーズでは初めての経験。
とても良いイベントであった。
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バンド演奏があり、シャンペンがふるまわれた。
気分が高まった。
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プール。
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レインボーブリッジが見えてきた。

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今回のクルーズは200数十名の乗船客だとのこと。
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サイドブリッジ。
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カードルーム。
全自動マージャン卓があった。

図書室。
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流石に充実していた。
百田作品は、「夢を売る男」「海賊と呼ばれた男」「影法師」の3作品があった。
「永遠の0}は無かった。
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ランドリーは、ワンナイトと言うことでセルフのみであった。
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日本船の最大の魅力は、矢張り大浴場である。
湯船に浸かって、流れ行く海を眺めるのは船旅で一番幸せを感じる時である。
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この手のレザーは、普通切れ味が悪いものだが、素晴らしい切れ味であった。

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明石海峡を越え、播磨灘を航く。
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寄港地のプレート。
基隆、San Francisco等々があった。
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これも日本船ならではのもの。給湯室があった。
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Reception。
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備讃瀬戸を航く。
とてもリラックスしたイイ気分であった。
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船首部にあった、和室とサロン。
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夕食は、今回1回制であった。1800からととても早かった。
食事前に、ちょいと一杯。
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メインレストラン。
略満員であった。
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何度も乗っている方から聞いていたが、どれもとても美味しかった。
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コーヒーもとても美味しかった。
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あちこちに生花がいけられていた。
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すしbarに寄った。
シャリが暖かく、好みではなかったが、マァマァの味。

ショウに先立ち、Captainからクルーの紹介があった。
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ショウは。「村上ゆき」のスペシャルナイトであった。
積水ハウスのCMソングをつくったシンガーソングライターだそうだ。

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casino。
日本船なので、お遊びであるが、結構な人気であった。
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香川県の仁尾の沖辺りで描泊した。

夜食が出た。
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岡山県産のマスカット。
とても美味しかった。

今迄乗った中で一番小ぶりな船だが、クルーのレベルも高く、料理も美味しく優雅な時間が持てた。


翌朝。
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四国が見える。

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ここから北上して水島灘を抜けて東進した。
この後辺りはどの島々も全て知っている。

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朝食も美味しかった。
焼き魚を、もうひとつ注文してビールを飲んだ。
他に誰もビールを飲んでいる乗客はいなかった。

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P1040238Before 。
山野愛ビューティサロンとあったので、散髪に行った。
海を見ながら(小豆島の南を通過して播磨灘に抜けた)の散髪は、とても優雅な時間であった。
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中々良い景品が用意されていたが、残念!!どれも獲得できなかった。

アフターヌーンティ。
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明石海峡が見えてきた。
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「GODIVA」のクリーム。上品な美味しさであった。

前回のクルーズが余りにもひどかったので、船は小さかったがクルーの質、料理、設備。どれもとても満足できた。
愉しいワンナイトクルーズであった。


下船後、友人夫妻と会った。
元町の創作割烹を予約してくれていた。
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流石ミシュラン3つ星レストランであった。
ハイレベルな料理に愉しい会話。

充実した2日間であった。
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大崎~淡輪へ。釣りをしながら・・・

大崎までBigELLEを取りに行った。
淡輪までの回航である。
ついでに途中魚釣りをすることにした。
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天王寺から和歌山で乗り継いで加茂郷へ。
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いつも特急で行き海南で下車しそこからTAXIで行くので、加茂郷は何年か振りの下車である。
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釣具店に寄って支度をした。
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真剣に仕掛けを物色するゴンとTom。
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大崎の海は綺麗だ。
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今回の修理を終えて待っていてくれたBigELLE。
すこぶる手のかかる奴だが、いとしい奴である。

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アオリイカの子供。
引っかけて獲ろうと思ったが、スミを吐かれて逃げられてしまった。
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みんな頑張ったが、結局全員ボウズであった。

夕方1800前淡輪YH着。仕舞をして、淡輪駅まで歩き
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南海電車で帰った。

いいとこバードのGucciを呼び出して
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アポロビルの「はや」で乾杯。
飲み放題、食べ放題コースを注文。
Gucciがいるとお得感がある。
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本日朝0130から起きている。。とても夜は付き合えないと思っていたが・・・
何の何の、食べた。そして飲んだ飲んだ。。。。
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バカ話の中で、ナックだけが知らなかった話があり、ナック大いに吃驚し、そしてショックを受けたことであった。

みなさんお疲れさまでした。

親友との飲み会。「さえ喜」にて。

友との飲み会。
最近体調が悪いと相談したら随分と世話をしてくれた。
優しい奴らである。

今日の飲み会は、以前金沢の寿司屋で会ったハイヒールのモモコさんが勧めてくれた「さえ喜」を選んだ。
初めてである。
期待して行った。

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最初に出てきたのはカツオ。
後の期待を持たせる旨さであった。
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初めての酒」大信州」。キリッとして旨かった。
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ハタと鯛。
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アンコウの肝。
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うちわエビ。
大阪では珍しい。
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天然まいたけ。
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鰤の酢〆。
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大将は、まだ若いが、中々の包丁であった。
とても美味しかった。
冒頭の話をすると「弥助」でしょうとズバリ当てられた。

料理については一々説明してくれたが飲みながら聞いていたので当然ほとんど頭に残っていない。今度行った時にはメモをしよう。

兎に角全体的にレベルの高いものであった。旨かった。

また来よう。


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もう一軒。蕎麦屋で〆た。
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