Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2011年10月

2011第一回大阪マラソンTomのチャレンジ

10月30日第一回大阪マラソンが開かれました。
ウチのメンバーから抽選の約6倍の難関を突破してTomが見事その出場権を得ました。

当日は、こちらもバイク隊を組んで応援するつもりでしたが残念ながら天気予報は雨模様。
ママチャリでもと思いましたが、朝の出発時点でパラパラ来ていましたので泣く泣く断念。
車であちこちで行われている市内の通行止めを地図で確認、回避しながら移動しての観戦、応援となりました。


2011大阪マラソン (2)

スタート10分前。白バイにもエンジンがかかり、ライトも点灯されました。


2011大阪マラソン (3)

他の白バイもスタンバイしています。
日頃はあまり見たくない白バイもこの日は凛々しく格好良く見えました。


2011大阪マラソン (4)
5分前。まず、車いすランナーがスタート。



2011大阪マラソン (6)

号砲が上がり。愈々スタート。

2011大阪マラソン (7)

招待選手らがまず先頭集団で来ました。


2011大阪マラソン (9)
後は一般ランナー達が続きます。
各個人の自己申告ですが、能力別にA~Qまでのゼッケンでスタートが細かく分かれています。

2011大阪マラソン (10)

Tomは、Pグループで出場です。スタートから約30分経っていました。
それにしてもこの大集団の中から良く見つけられたものです。


スタートを観戦した後は、なんばに向かい。応援することにしました。
なんばでは3回ランナーとミィーティングのチャンスがありました。
ものすごい人でした。特に地下街は、あふれんばかりの人人人でした。
各地から選手、選手の関係者が来ていたようですし凄い経済効果だったと思われます。

何回か行きかう人に道を聞かれました。

そうそうTomは、BigELLEのTシャツを着て走っていたのですがレース中に、徳島からのランナーに私の知り合いかと声を掛けられてそうです。

よくレース中に、見つけられたものです。
今日徳島の友人に連絡してどなたか判明しました。
お声掛け有難うございました。

嬉しいハプニングでした。

2011大阪マラソン (18)
われわれ応援の第2ポイントは、なんばの交差点でした。ものすごい人数のランナーです。
ここで約20数キロ地点です。
一寸みんな疲れてきています。




2011大阪マラソン (12)
良くこんな恰好で走れるものです。
このイベントを盛り上げてくれた仮装ランナーに、大阪市民として感謝ですね。


2011大阪マラソン (13)

流石大阪ですね。トラがらみの仮装は多かったですね。


2011大阪マラソン (14)

サザエさんでしょうか?


2011大阪マラソン (15)

ドラえもん。

2011大阪マラソン (16)
サッカーボール。
走りにくいし、暑いでしょうね。
感謝。感謝。


2011大阪マラソン (17)

太陽の塔。


2011大阪マラソン (20)

これは凝っていましたね。
マァものすごく暑いでしょうね。
アリガトね。

面白かったのが、周りのおばちゃん達は流石大阪のおばちゃんですね。

一人のおばちゃんが仮装ランナーが来るたびに
「食い倒れガンバレ~~~」
「かぼちゃがんばれ~~~」
「スパイダーマンがんばれ~~」

とか声をかけていたのですが、そのうちみんなつられてワイワイと大騒ぎで応援しました。

みんな爆笑で、周りがみんな仲間という感じとなっての応援でした。
わかる人はわかると思いますが甲子園球場の感じでしたね。

選手の方々もその声援に手を振ってこたえてくれ選手も観客と一体となってという感じが大阪的でとても良かったですね。
あちこちに出場している選手たちも大阪はすごいねと感心していたそうです。

選手たちにとってはこちらの想像以上に声援は嬉しく、励みになるとのことでした。




2011大阪マラソン (23)

やっとTomを見つけました。
余裕のようですが、この時点で大分足に来ていたとのことでした。

2011大阪マラソン (25)
高島屋の前を通って、元町から、大国町、玉出、住之江そしてゴールまであと20キロ以上走ります。

疲労困憊ながらもTomは、何と初マラソンで完走しました。記録は6時間一寸でした。
良くやったものです。

ただ後、ウチで打ち上げをしましたが、階段を上がるのも苦労するほどの消耗具合でした。

ゴール地点からウチに来るのもTAXIで来なきゃいけないほどしんどかったそうです。

こちら観戦組は、丁度Tomのゴール模様がTV生中継でバッチリ写ったこともあり、追っかけ観戦は想像をはるかに超えて楽しかったので、来年もチャレンジしろよというと、もう2度とごめんだと、痛い足を哀れげに引きずりながら帰って行きました。

Tomホントご苦労様でした。ありがとう。お疲れさまでした。


そうそうTomの情報では、来年「ツール・ド・オオサカ」が計画されているそうです。
これはぜひ出たいですね。

RubyPrincessの旅。海図。

海図は、船乗りには、絶対必需品である。GPSが発達した今も現場での最終判断は矢張り海図である。

海図はいくら見ていても飽きることはない。特にクルージング前に行く先々に思いをはせながらその航路を探ることは男の夢とロマンである。

今回RubyPrincess15Fのレストラン前には、今クルーズの全航程が示されている海図が貼ってあった。

欲しくてたまらなかったが、そうもいかんかと思いその示されている航程を全て写真に撮って帰国後この海図を手に入れて書き込むつもりであった。

がしかし、何と最後のAT SEA 時のオークションでこの海図が出品されていたのである。

気が付いた時には後の祭りで、最終日には見事にそこからはその愛しい海図は消えていたのであった。

またまた残念至極。

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今日はKUSADASI

海図線引
航路が記入されている。

ん?今気がついたが、一部進行方向を示す矢印が違っている。



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こんな情報も全て記載されていた。
(未練たっぷり・・・)


帰国後、この海図を日本で探したが水路協会他日本では発売されていないようであった。

やっとネットで探してイギリスの業者から買うことが出来た。

今日その会社から発送したとのメールを貰った。
楽しみである。。。。

余談の余談。ピタゴラスの定理について。

「ピタゴラスの定理」についてである。

定理の王様といえる

「平面幾何学において直角三角形の斜辺の二乗は他辺の二乗の和に等しい。」
 X² + Y² =Z²

という定理である。

ある一定の直角三角形がこのような性質をもつことは、ピタゴラスが現れるはるか昔バビロン、中国でも知られていたが、ピタゴラスが全ての直角三角形に普遍的にこの式が成り立つと証明して彼の名前が冠されたといわれている。

ピタゴラス自体が紀元前の人であるがそのはるか前に・・・信じられないことである。

そしてこのピタゴラスの定理は、フェルマーの定理
xn + yn = zn
において
「この式を満たす3以上の自然数nは存在しない。」

を生み2000数百年という遥かな年月をかけて1994年9月アンドリュー・ワイルズによってこの定理の全てが解き明かされた。

数学界の20世紀最大の出来事といわれている。

このフェルマーの定理についての本は数知れないほど発行されているが、
このフェルマーの定理の祖先ともいえるピタゴラスの定理の発見者が、
こんな小さなSamos島の出身とは驚きである。

Kusadasi は当時はギリシャ領で現在トルコ領、Samos島は今もギリシャ領である。

通船が出ていることは前項で述べたが、通関はどうなっているのであろうか?

というのも現在EU諸国の間では、「シェンゲン協定」が結ばれておりその国間では、国境検査が免除されている。

よって我々のようなEU外の外国人に於いてもBarcelonaで一度通関した後は、一国を除いてpassportcontrol(出入国審査)は免除されていた。

その一国とは、トルコである。

船内に於いてIstanbulの前後でパスポートの回収、返還が行われた。



RubyPrincessの旅。余談。

今回の旅行は、多くのヨーロッパの都市を駆け足で巡ったが、もう少し入念に下調べをおけばもっと何倍も楽しめたのになァ・・と悔やんでいる。

BarcelonaしかりFirenzeしかり、IstanbulしかりKusadasiしかりである。
考えようによっては、またじっくり再訪したい所が沢山出来たということであるが。

ただ訪れたほとんどの都市がキリスト教と綿密に関連しており、そしてどの街もキリスト教と共に歴史を重ねてきたことを強く感じたことであった。

それと同時に今はEUのお荷物となっているギリシャが西洋のoriginであることも同時に感じたことであった。

そんな中で思い出したことについて。
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KIX~AMS途中のロシア上空で見た景色。
今だにその奇景は、心に強く残っている。

ロガーはその場所を特定してくれ改めてその面白さを再認識したことである。
この写真と時間を同期させて、どの場所か正確に知ることも出来る。

さて余談は川に関する話。

この川はだだっ広い大地を這ってカラ海に注いでいるが
この川に限らず、川の直線距離と実際の川の長さにはある数学関係があるのである。

これを発見したのはケンブリッジ大学教授で地球学者のハンス・ヘンリック・ステルムである。
彼はいろいろな川の水源から河口までの直線距離と、実際の長さの比を求めその比の平均を求めた。

すると実際の長さは、直線距離の約3倍になることに気が付いたのである。



そしてそれを細かく計算すると何とその数字は、3.14であった。

そう。いうまでもなく、その比は限りなく円周率のπの値に近づいたのである。

そしてこのシベリアの様に平坦な場所を流れる川の比はほとんどπそのものの値に限りなく近いそうである。

とても不思議だし、神秘的だと思う。

これ以外にもいろいろな自然現象の中で意外な数字がひょっこり顔を出すことはまれではない。


これはさかのぼると数学者であり哲学者でもあったピタゴラスが
「あらゆる自然現象は数学規則に支配されている。」

と示したことに端を発し、それ以来多くの科学者があらゆる自然現象についてそれを支配している数学規則を探すようになった。

この他にもピタゴラスの定理で知らているピタゴラスの自然科学界、数学界に残した業績は、はかり知れないものであると言われている。

そして調べてみると、何とこのピタゴラスは、古代ギリシャの数学者でありその出身地が
Kusadasiの目の前の島Samos島出身であり、またEfesの繁栄の時代と同じ時を生きたことも分かった。

知らなかったなァ・・・

それに加えて、何と現在KusadasiからSamos島に通船がありそれは、Mykonosを経てAthensまで通じている。

今回の旅行の後調べて、今更ながらその訪問地のつながりのいろいろなことを知った。

いつかエーゲ海だけでしばらくそれらの土地をゆっくりと旅行したいものである。。。。 

それにしても、Samos島・・・初めて聞いたナァ・・・聞いたこともなかったァ・・・





2011オクトーバフェスト IN 梅田

今年もオクトーバフェストの季節になりました。
昨年は、行けなかったので2年ぶり。もう何年も10年以上通っているイベント。

大好き。

大好きが高じて1998年には、本場MÜNCHENまで行きました。

流石本場はバカでかく。公園一つが大会場となります。

日頃実直なドイツ人も羽目を外すのかその期間は、ケンカ、泥酔と街中は、夜中までパトカー、救急車が走りまくり、街中あげての大騒ぎでした。

札幌のビール祭りも今年行きましたが、あれの2倍くらいの大きさだったかナ。
違うのはどのテントにも楽団が入ること、そうそれとテントが張られ全天候型であること、大きな移動遊園地が出来る等々である。

大阪でも是非やればいいと思うのだが・・・

Anyway
今年は参加者が少なくなってしまったが、仲の良いノリの良いメンバーだったのでバカ騒ぎして、二次会まで楽しんでまたまた良い一日でした。

参加のみなさん有難うございました。



またMÜNCHENに行きたくなってきたなァ・・・


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直前に人数変更したのでテーブルを一つ下げられました。
ずっとお世話になったチーフも今年で退職だそうです。さびしいねェ・・・


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サバの丸焼き。


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今晩の仲間。

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トレインでみんな一気に大盛り上がり。

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今年はいつものバイエルンからのゲストはなく、日本人バンドでした。
でも盛り上げるの上手かったですね。


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おもちゃにされています。


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この光るリボン。
今度のBigELLEのクリスマスパーティー用にたくさん買いました。

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もうかなり酔っています。

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二次会は、北新地に。。。。

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最後は、こちらもおもちゃにされました。プンプン。。。

RubyPrincessの旅。KUSADASI。

Istanbulを出て今日は同じトルコのKUSADASI。この地は、初めて聞く地名。勿論何の知識もなく訪れた街であった。

当然Efesの遺跡も何たるか全く知らなかった。
後から調べて凄い遺跡だったのだと改めて知った。おしいことをしたものだ。


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KUSADASIの街が見えてきた。大きなヨットハーバーがあった。正面に見える。
港口が大きく開いている。これは今回訪れたどこのヨットハーバーにも共通したことで、(Monte Carlo以外であるが。)波は入って来ないのであろうか?疑問の残ることである。


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防波堤も何もない。KUSADASIの港。
島々に囲まれているからであろうか?
どなたか知っている方がいれば教えて欲しいものである。

この港、街も一時すたれ切って、存亡の危機に立たされたが、クルーズ船の立ち寄り地として
再生し、毎日のように訪れる何千人ものクルーズ客で活気あふれる街に変貌したそうである。


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イエスの母、マリアの終焉の地。
イエスの死後、迫害を逃れ、従者と共にこの地に移り住んだそうである。
全然知らなかった。
Efesの遺跡だけでよかったのだが、そのtourが満杯で仕方なくついでに来た所だが
敬虔なキリスト教徒にとっては、絶対に外せない訪問地なのであろう。

バチカンの代表者が毎年参拝するほか、歴代のローマ法王も何度か訪問する所だそうである。


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Virgin Mary’s Houseと入口に書いてあった。

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Efesの遺跡。
これは規模、街の構成等結構見ごたえがあった。

この日のガイドは男性であったが、とても英語が聞き取りにくく、というかほとんど理解できなかった。仕方ないので、日本語の案内ガイドフォンを借りて回った。

一緒のtourの人も、とても聞き取りにくいとぼやいていた。



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当時の栄華をしのばされる目抜き通り。公衆浴場、公衆便所、公会堂。教会。
売春宿まであった跡が残されている。


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手前、神殿跡。
向こう側個人住居跡。



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当時14万冊の蔵書を誇った図書館。
ギリシャのアレキサンドリア、アレキサンドリアのベルガモの図書館と共に世界三大図書館の内の一つだそうである。

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街の規模がうかがえる。

ガイドがいなかったので、一番の見どころ野外大劇場を見るのを逃してしまった。
5万人の観客を収容出来たそうである。

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この道が海岸まで続いていたそうです。

元々KUSADASIにあった街が、疫病他の理由で、山の中に移したそうである。

帰国してから色々と調べていると是非再訪したい遺跡となった。


Efesから街までは、バスで10分ほど。街で解散となったが、またまた出港までは1時間ほどしかなくブラブラ歩いて、未練たらしく港横のレストランでシシケバブ、ビールを飲んで帰船した。


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此処で、「またガラクタを・・・」とののしなれながらもランプを買った。


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此処にもバザーがあった。

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目抜き通り。
今回で一度だけパラパラですが雨に降られた。

2週間余りでこの時だけであった。
お天気の神様に感謝。

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トルコではビールは高価。




さらばKASADASI

さらばKUSADASI

さらば親日の国トルコ。

トルコについて
面積は、日本の約2倍。(RubyPrincessの案内には、カルフォルニア州の2倍と書いてあった。RubyPrincessの案内には、訪れる国を比べるに、全て何州の何倍、何州と同じとか書かれてあった。)

人口、76,805,524人(2009年調べ)

首都:アンカラ

言語:トルコ語


またRubyPrincessの船内パンフレットにはIstanbul、Kusadsiでは、路地には入るな。一人で歩くな。夜遅くには歩くな。屋台のものは買うな、声を掛けられたら注意せよとか細かい注意が書かれていた。


RubyPrincessの旅。Istanbul

愈々Istanbul。この地も今回のクルーズを選んだ大きな理由の一つの訪問地である。

期待に違わず、西洋と東洋のはざまで文化・宗教・民族に翻弄されつつもしたたかに歴史を生き抜いてきた街であった。

今回の訪問地で唯一のイスラム文化圏の権化として今も強い印象が残っている。

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イスタンブールの街が見えてきた。
大小さまざまな船が右手の小さな橋を越えて黒海に入る。

何十m程の短い橋であるが、西洋と東洋の狭間にかかる橋。

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ブルーモスク。
イズニックタイルが何とも言えない神秘的な青色を放っていた。

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天井から細いロープを垂らし先のランプが絨毯を照らすようになっている。

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アヤソフィア。

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ビサンチィン建築の最高傑作といわれている。
537年に完成。
内部は、圧倒的な広い空間に荘厳さが満ち溢れていた。
2階にも行きたかったのだが・・・

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正面に、十字架が見える。支配者が変わる度に、何度も内装は塗り替えられ、イスラムとキリスト教の間をもてあそばれながらも今まで生き抜いた建物である。

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そして今もこの時代の中に生き続け、昨日も、この場所でコンサートが開かれたそうである。

どんなコンサートかまで知ることが出来なかったが、これも夜があれば是非来たかったところではある。










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スルタンのハーレム。
徳川家の大奥の様な場所である。

ガイドの説明によると、ハーレムに集められた女性達は身分の違いも多く、またそのあり方はその時々のスルタンの全くの意向如何であったらしい。彼女たちにとってスルタンに気に入られることが本人のみならず一族の存亡にかかる重大事であったことや、その中では女性達による陰湿なかつ壮絶な争いがあったこと等など、大奥のそれと文化、地域は違えどあまりにもよく似た話が多いことに驚くと共に、妙にさもありなむと思ったことであった。

この時のガイドは、男性であったが、英語の発音も明瞭で、綺麗でとても聞きとり易かった。
知識もとても豊富で、同行のみんなも絶賛していた。チップもみんな弾んでいた。
日本人にはなじみにくいが、こういう場合、大体の相場として5~10USというところである。

各地のtourでは何十台かのバスがRubyPrincessから出るので、いいガイドにあたるかどうかは、その日の並ぶ順番で決まる。みんな夫々正規ライセンスを得てのガイドであるが、矢張りある程度の能力の差はあるのはしかないことである。

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緑のタイルが美しい。
暖炉。

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どの部屋も内装は嗜好を凝らしたタイルで覆われつくされている。


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ハーレムに入ることが出来る男性は、スルタンと宦官のみ。

日本には宦官制度が無いのでこれは大奥と大きな違いであろう。

話は逸れるが、宦官と言えば、バロック時代にあったopera等で珍重されたカストラートがよく並び語られる。

これも美声の持つ少年が変声前に去勢されたものだが、時代は時にしてというよりその時々に時が変われば狂気にも見えるあだばなを咲かせるものである。

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中庭。

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ハーレムから、市内を望む。



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バザール。

エジプトのカイロのバザールとよく似ていた。


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正面の橋をくぐるとそこは黒海。

左手は、マルマラ海からエーゲ海に続く。

この橋では、何が釣れるのか、多くの地元の人達が釣り糸を垂れていた。

橋の中には種々雑多の店が連なっていてレストランも多々あった。此処でも立ち寄る時間が無かった。船に着いてからも未練がましく行こうかと思ったが出航時間まで1時間も無かったので、断念。

残念至極ゥ~~~




RubyPrincessの旅。Mykonos

地中海、エーゲ海を一生懸命走って今日は、Mykonosです。
この地も高校時代に此処の写真を見て油絵を書いて以来いつか来たかった島です。

じっくり街のどこかで絵も描きたかったのですが例によってとてもそんな時間はありませんでした。
風のとても強い島でしたが、その風にも負け無いほどのスピードで駆け抜けた訪問地でした。



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0600Mykonosの街が見えてきました。0700入港です。港が小さいので沖泊め、テンダーボートで上陸の予定でしたが、運良く岸壁に付けることができました。
マァテンダーボートにも一度乗ってみたかったのですが・・・

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0700岸壁より街を望む。
夜が遅い街なので、朝はまだ静まり返っています。

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個人住宅でしょうか?
何の店でしょうか?


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船の博物館に行きました。
上は、観光案内所と言うか、宿泊案内所でした。

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博物館の裏庭。

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小さな女の子が、油絵と、風車のおもちゃを売っていました。

油絵は、ARGOのお土産に買いました。

風車も買いたかったのですが、却下されました。

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街の至る所に教会がありました。
これらの教会は、そのほとんどが代々何家族かが集まって維持をしているそうです。
日本の檀家制度に似ている感じですね。

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あまりにも有名な風車。

抜けるような青空と白い風車、窓の青、地面の茶と、この配色の素晴らしさ。

しばらくここで佇んでこの景色を見ていました。

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風のとても強い日でした。
風は、Ca.10-15m/s位だったかな。

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お昼は、海辺のレストランで。

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味は、マァマァ。。。

物価は高かったですね。


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海岸で開かれていた市場。

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魚市場もありました。


物資はほとんどが、Athens等から船で運ばれてきます。
水も、電気も、海底ケーブルで運ばれてくるそうです。

街を見物している時に至る所で井戸を見かけましたが、今はそんなことで全く使われていないそうです。
鍵をしてありました。


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集合場所まで、歩いていきます。
短パンのUSのおじさん、おばちゃん達は、態々靴を脱いで水辺をバシャバシャと歩きます。

アメリカ人のこんなとこが好きですね。

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0800-1300たった5時間ほどの滞在でした。

ここも一晩過ごしたい街ですね。

明日はIstanbul。移動距離が長いのでお昼1400の出航です。


Barcelonaを出てからもう一週間です。

船に帰って、初めてプールに行きました。


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プールサイドのピザ屋さん。


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生地から作る本格的なものでした。これはとてもおいしかったですね。



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Happyhourと言わずにここではPower Hoursって言うんですね。
下の文字よく見えませんが、今日は5本で4本の値段です。

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勿論買いました。

DOS XX 。Barcelonaのビールです。
ドスエックスと読みます。DOSは2です。2Xですね。

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部屋で。此処でブログ他のことしていました。

船旅で、結構ないと不便なのが、鋏と栓抜き。ビール飲みには必携です。
後は、耳掻きと。
マーカーペン。船の情報をマークします。
電波腕時計。
それと目覚ましも船旅には無くてはならないアイテムです。

ロガーが電池をたくさん消費するので今回充電電池を持って行きました。これは正解でしたね。

BBQ

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今日はBigELLE仲間でBBQです。みんな今後の予定について相談しました。
昨日まで降っていた雨もやみ、暑くもなく、寒くもなく、ベランダでのBBQの最適な季節です。

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友人から生ハムや、パン等、薄切りから厚切りまで出来る凄いスライサーが送られてきました。かなり高級な本格的なスライサーです。

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今日の前菜は先日Barcelonaで買った生ハムとサラミ。早速スライサーを使ってみました。

流石本格的なスライサー。メチャメチャよく切れます。包丁で切っていた時とは労力の違いはもとより、味が全然違いました。

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お肉を食べた後は中津川の栗きんとん。これもスライサーを送ってきてくれた友人が送ってきてくれました。


何と13軒のお店の栗きんとんの食べ比べが出来るセット。
皆で一口ずつ食べて、ここの方が甘みが強いとかあっさりしているとか、栗の味がしっかりしているとか、つぶつぶの大きさがどうだとか、皆でワイワイ言いながら食べていましたが、流石に13種類食べるとどこのがどうだったか段々分らなくなってきました。
でもやっぱり有名店の川上屋と一休は美味しかったかな?でも他のお店も甲乙付けがたいですね。


by elly

10月月例おじさんバンド

月例おじさんバンド。今月はみんな忙しくてこのメンバーとYUKIだけの4人になりました。
ただこのメンバーはYUKIを除いて高校時代のオリジナルメンバー。何か昔に返った感じがして音を合わせているととても懐かしかったですね。

おじさんバンド201110 1
早く、とりあえず発表会をしたいですね。

201110おじさんバンド
気の置けない付き合いで、グダグダ飲んでいい気持。。。。

RubyPrincessの旅。イタリア~ギリシャへ AT SEA

大阪を出てから早、1週間。目まぐるしく激変する環境に翻弄されながらその日々にすがるようについてきた7日間でした。

この日はひねもす海の上。オーバーロード気味の頭と疲れた体にとてもいい休養になりました。

AT SEA1

東に向かって丸一日航海します。
時差が出るほど地球のまるい海の上をなぞりながら太陽に向かって走ります。

時計の針を1時間夜の間に進めます。
これは重要なことで、船の行事、出航時間全てこの時間で動くことになります。

AT SEA2

イタリア半島南端をまわり時速39km/hで真東に、快走しています。
約21Knot 。ほぼこの船の最高速度です。

いつもより飛ばしています。

113000トンの巨船が爆走です。一度ヨットから見てみたいものです。迫力あるでしょうねェ~~


ただ写真からも判るようにほとんど引き波が立ちません。勿論バカでかいスタビライザーもついています。不思議なことに速度を上げるに従ってエンジン音はほとんど消えてしまします。

ただこの船は低速域が少し震動しましたね。

写真右前方がバウです。

因みにわが「戦艦大和」は、総トン数69000トン、最大速力27KNOTである。

時代が違うとはいえこのRubyPrincessが戦艦並みの船体能力を有していることには論を俟たないことでしょう。


AT SEA3

tourが無いのでゆっくりと起きて、のんびりと遅い朝食です。15Fのビュッフェにて。

AT SEA3 (1)
こちらは部屋でゴロゴロしている間に、エリーはcooking tourに参加してきました。

AT SEA3 (3)
野菜や果物で色んなものを作ります。


この日は、終日乗客を楽しませる為に色んな催し物が船内のあちこちで開かれています。

AT SEA3 (4)
ほぼ満杯の乗客3000人余とクルー1000人余の約4000名余りが船にいることになります。

このメインホールも、人がいっぱいです。

AT SEA3 (2)

ガラクタ市も開かれています。
tour用に腕時計を、10で買いました。船内は、US$が通貨です。

エリーは、パーティー用バッグを買いました。

AT SEA3 (6)
ワインセミナーもありました。

AT SEA3 (7)
1)シャンペン:ウーブクリコ(フランス)
2)白ワイン:ピュイィフュイッセ(フランス)
3)白ワイン:Cuvaison Chardonnay(Napa valley-USA)
4)赤ワイン:Nikiara(USA)
5)赤ワイン:ルーチェ モンテプルチアーノ(イタリア)
6)赤ワイン:ロバートモンダビ カベルネ・ソービニオン(USA)

AT SEA3 (8)

面白かったのは、このTableもみんなイイ人ばかりでしたが、アメリカ人の年配の方が多くて余りワインに慣れていないのか、ソムリエの「赤ワインは、少し回して香りを楽しんで・・・」の説明に、全員フムフムと頷いたのはいいのですが、何人かのUSおばちゃんは、グラスを回し切れずに横に振ったものだから、グラスのワインが津波のように揺れてこぼれそうになりました。

これには思わず噴き出しそうになりました。

こちらがテーブルに付けてくるくる回していると、それをみんなまねてウチのテーブルはみんなテーブルの上でワインを回していました。

これには声をあげて大笑いしそうになりましたが、何とか足をつねって堪えました。

津波と言えば、何回かのテーブルで、「フクシマは、大丈夫か?」「あなたの所は、フクシマからどのくらい離れているのか?」等々質問されました。

また多くの人から「日本人は素晴らしい。あんな状況でみんな助け合えるなんて。」「略奪など一件も起きていない。」「素晴らしい民族だ。」との称賛を得ました。

日本人としてとても嬉しかったですね。と言うより誇らしかったですね。


AT SEA3 (9)
今晩のドレスコードはフォーマル。

CHAMPAGNE・WATER FALLがありました。

フォーマルパーティ1

勿論並んで、写真撮ってもらいました。

AT SEA3 (10)
各セクションのチーフ達から挨拶です。

AT SEA3 (11)

今晩は、有料のレストラン「クラウングリル」を予約。
まずは前菜 ホタテガイ。
AT SEA3 (12)
カニ身のコロッケみたいなもの

AT SEA3 (13)
スープ


AT SEA3 (14)
メインはロブスター。

AT SEA3 (15)
ステーキ。

AT SEA3 (16)

AT SEA3 (17)

これらのお肉から選びます。
ソースなしの方が良かったなァ・・・



AT SEA3 (18)
食事の帰りに、tourdeskを覗くと、満杯のtourが結構ありました。人気tourは、すぐに一杯になります。
今回は、多くの人が、船のtourで市内見物をしていました。


さてこの日はゆっくりしたのでしょうが、瞬く間に一日が過ぎたような気がします。

明日は、また異国ギリシャ。これも行きたかったミコノス島です。

Mainetheaterで少しshowを見て早い就寝です。

RubyPrincess旅の思い出。NAPOLI出航。

さらばNapoli。

ナポリ出航

深い思い出を残して、Napoli港出航である。左手にVesuvio火山。正面にSorrento半島を望む。
この裏側がAmalfi coastです。

今改めてロガーを確認すると、この後2100RubyPrincessは、Capriとこの半島の間を通過したようである。
これは残念なことをしたと改めて思う。

双眼鏡も持って行っていたのでCapriの夜景、Amalfi coastのそれも見ることが出来たであろうに・・・

残念至極。。。

船に乗っている人は気がつくと思うが、港口灯台の色が日本と逆である。

世界には二つの航路標識設定があり、赤灯台と、緑灯台もしくは白灯台の位置が、逆である。
統一した方がいいと思うが・・・



P1020169

その夜は、流石に疲れて予約dining roomsharetableをやめて二人だけで今日一日を振り返りながら静かに夕食をした。

ナポリの夕食

ナポリの夕食2

前菜2種。

ナポリの夕食3
スープ。

P1020167

前菜にパスタ。イタリアでは常識のようです。

P1020159

何故か今晩は、クルー達は、Veneziaのゴンドーレの衣装。


P1020165

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メイン2種。


RubyPrincess旅の思い出。NAPOLI編

今回数ある訪問地で何と言っても一番思い出深い訪問地となったNAPOLIである。
ブログを書く為に写真を整理しているとその何百枚の写真からまたその時の事が思い出されることである。

本編でその日の出来事は書いたので、その後の事を書きたいと思う。

何とか時間ぎりぎり15分前に間に合ったが、船によって違うが今回のRubyPrincessの場合、乗船は、出航の30分前と決められている。
そしてRubyPrincessに於いては、乗客の場合は、事前連絡、事情にもよるであろうが大体30分は待つそうである。

ただそれを過ぎるとどんなVIPも待ってくれない。今回も実際にBCNで乗り遅れて、Monte Carloまで自力で来た船客がいたとのことである。 

さてしかしクルーの場合はどうか?
出航30分前に帰らないと。それは即、fire‼ クビだそうである。

彼らにも勿論休暇、休憩時間があって泊地各地で自由行動が許されている。どこかの美術館でもかのピアニストに会って挨拶を交わしたこともある。

これはどうにか間に合って、出港時NAPOLIに別れを告げた後、プールサイドのBARでホッと一杯やりながらクルーから聞いた話である。。。。


Naples軌跡地図


NAPOLIでの軌跡。
右側の軌跡でもう高速道路寸前のところで引き返したのが良くわかる。
この図では見にくいが、原寸では引き返したロータリーまで確認できることである。

ナポリ海に出たところ
この後Amalfiまで引き返して山を越えて帰ったのであるが、この山道が一番スリリングであった。
つづら折りの山道を帰ったのが良くわかる。この時には体は左右にブンブン振られ、タイヤは「キキキーッツ」と軋み悲鳴を上げていた。


Naples海に出たところ

これは、お昼前、エメラルド洞窟の見物後、間違ってAmalfi行きの通船に乗ってしまった軌跡。

これを見ると結構沖まで行っていたんだと思う。乗船券回収が後だったらAmalfiまで行ってしまっていたかもしれない。

こういう時に携帯があればなんてことはないが、無いのは、矢張り不便である。

しかしこのロガー面白いなァ・・・


ポジターノ2

Positano。 正面に見えるのが教会。

なぜかアメリカ国旗が・・・今気が付きました。

此処からCapri島行きの通船も出ていた。

P1020031
Positanoから Amalfi

アマルフィー街
Amalfi。 海岸から山を望む。

11月から3月末まで風が吹き、海が荒れる冬には、ほとんどのこの辺りの住人達はここを離れ
トルコ等の温かい土地でバカンスを楽しむという。

そしてその多くの従業員たちは、その冬を別の他の仕事に就くのだという。

このcoastには、個人の別荘もそしてレンタル別荘も無数にあるというが、そのほとんどの所有者はAmericanだそうだ。

びわこ~余呉湖バイクライド

地中海編は、まだまだ続きますが今日は、びわこバイクライドの日記です。


このバイクライドも何カ月も前から企画していて大変楽しみにしていたイベントである。

いつもの仲間に加えて徳島から友人を迎えて総勢10名のバイクライドとなりました。

琵琶湖 007
BigELLEのユニフォームで。。。
まずは何をさておき宴会です。

琵琶湖 009
いい仲間たちです。
このメンバーは、ホントみんな優しい。

琵琶湖 011


さて明けて翌朝。みんなで揃えたユニフォームで記念撮影。



琵琶湖 016

バイクライドの始まりです。

みんなは、初心者の我々を挟んで隊列を組んで走ってくれます。

いつもしんがりを努めてくれるてっちゃんは、少し車道に出て後ろから来る車からチームを護るように走ってくれます。


琵琶湖 018

余呉湖に着きました。35KM走りました。
余呉湖をバックにしたので逆光しか撮れませんでした。修正してこの写真です。

ベテランメンバーは、この後余呉湖一周してきました。

琵琶湖 038

帰路。途中休憩でまたまた一枚。こちららが初心者なのでみんな時々休憩してくれます。
ホント優しい仲間です。

琵琶湖 046
70KMオーバー走破しました。心地よいお尻の痛みと共に達成感でいっぱいでした。

暮れなずむ琵琶湖をバックに。

びわこバイクライド1日目軌跡
ロガーが取ってくれた軌跡です。


琵琶湖バイクライド速度・高度
速度は、MAX 30km/hしか出ていませんね。
もっと練習しないといけません。
余呉湖が、結構標高高いのが分かります。余呉湖から琵琶湖に出るまで下りで楽でした。

琵琶湖 049
夜は、またまた愉しい宴会です。

窓に映える琵琶湖の夕焼けが綺麗でした。


今回を含めていつもこの中のみんなにはなんやかんやとお世話になっています。

感謝。感謝。。。。



2日目は、バイク組とへたれ組と2班に分かれて醒ヶ井で待ち合わせました。
こちらは勿論へたれ組みです。

琵琶湖 087
醒ヶ井にて。

中山道の宿場町として栄えたところだそうで、湧水がとても美味しかったです。
日本にもいいところがいっぱいありますね。
でも観光客はとても少なかったですね。

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「醒ヶ井の湧水で入れたコーヒー」の文字に誘われて途中で寄った「久保田呉服店」

呉服屋さんの店先でコーヒーを出してくれるのですが、おじさんに「コーヒー100円なんですが栗きんとん付けて200円でやってるのですがどうしますか?」と言われて迷わずお願いする事に。

この栗きんとんの美味しかった事!
今まで食べた中で一番おいしかったかも。
しかも栗の渋皮煮に、お菓子までついてこれで200円?
渋皮煮作るのってメチャ大変なのに本当にこれで良いんでしょうか?

きっと、醒ヶ井に来てくださった方に喜んでもらおうという、おもてなしの心で営業されているんでしょうね。
あまりにも美味しい栗きんとんだったのでお土産用に持って帰れるかと聞くと、「家に2本ある栗の木から作っているので数が無いので。」と言う事で流石に駄目でした。

琵琶湖バイクライド軌跡2日目

みんな初心者のエリーの為に、早朝から一度コースを下調べに行ってくれていて走り易い安全なコースを選んでくれていました。あちこち違う所に行きたかったと思うのですが2回同じコースを走ってくれました。

泣けてくるほどいい連中です。


琵琶湖 105


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彦根城下街ある近江牛で有名なお店「せんなり亭」でランチ。

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ステーキ重

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すき焼き膳



次回のバイクライドは。徳島の友人が企画してくれることになりました。

また楽しみが出来ました。


みんなと大いに飲み、食べ、笑い、走り、そしてみんなに感謝した3日間の旅でした。

RubyPrincess旅の思い出。Romaの休日

今回のRubyPrincessクルーズを選んだ理由は本文でも書いたが長年私の行きたかった都市をほとんど全て網羅してくれていたからであった。

今回の旅で行きたくて唯一行けなかったところはクロアチアのドブロニクである。
そして以前来たことのある唯一の都市は、Romaであった。

英語では、Rome(発音はロウム)であるが、英語は人の都市の名前を平気で変えていますね。

FirenzeFlorenceNapoliNaples(これもネイプルスとなります。)
アテネをAthens、今回の旅行とは関係ありませんがMünchenが、Munich
そしてVeneziaVeniceとアレッこれは日本語も一緒か?
人の事言えませんが、勝手に変えないでもらいたいですね。

Anyway
私のRomaの休日です。

Roma
Civitavecchia。この街にも城塞がある。

今回のクルーズで訪れた土地、場所の観光はそのほとんどがそれぞれの戦争の歴史、隆盛の移り変わりを残す城跡、宗教施設であった。

そしてその悲劇、惨劇を持って移り変わったであろう歴史に今残されているのは全て勝者のそれである。

「00は0000年にこの地に礎を築き・・」との歴史にはその一つの勝者に葬られてしまった何百、何千の敗者が語られることは無い。

モナコしかり、モナコもその軍事が最終的にその長い苦難の歴史に幕を打ち安定したのは、わずか数年前の2005年とのことであるし、Romaは、かつて世界最強の軍事都市でもあったし、Napoliもしかり、Istanbulはその権力者の目まぐるしい変遷に彩られた街であるし、Athensもローマと同じく、水の都Veneziaもその昔は、宗教権威と共に強大な共和国であったとのこと等など、全て陸続きのヨーロッパの歴史には、日本人には想像もつかない、民族、文化、宗教の大きな戦いがあったのだと、改めて歴史とは勝者の歴史であると思い至ったことであった。

Romaの休日に戻ろう。

Roma (3)
Civitavecchia駅から700mも手前の売店で買ったチケット。

どうもにも納得がいかないので改めて調べてみると

これはmetrebusチケットといい、鉄道とバスの共有チケットでBIRGはこの日一日、この上に書いてある区間の乗り放題のチケットであった。

売り場の窓口でSTピエトロ駅までと言ったらこれを渡され、またRubyの他の乗客もみんなこれを買っていた。

「急行列車は今出たよ。」と「普通列車は後40分後だよ。」とは教えてくれたのですがこのチケットの内容については一切教えてくれませんでしたね。

Roma (1)

海沿いの道をブラブラ15分程歩いて、Civitavecchia駅。
鉄道駅は、何となく哀愁が漂いますね。

ソフィアローレンの「ひまわり」の一シーンが思い出されました。
そうそうソフィアローレンと言えば、ソレントで大きな別荘がありGGがあれがソフィアローレンの別荘だと言って教えてくれたのを思い出しました。

今から本文に(注)を書きこんでおきましょう。


ただここまで歩いた早朝の海岸通りは、公園も綺麗で、海の香りがしてすがすがしくとても楽しい思い出となりました。
旅は歩いてこそ値打ちがありますね。。


Roma (2)

ここに限らず今回の訪問地には、どこもかしこも警官がいっぱいいました。
治安がそれほど良くないことがうかがえました。

そしてRomaAthensも歴史建造物にさえ落書きだらけでした。
これにはアメリカ人もびっくりしていました。


Roma (4)
列車は、真新しくはないが中々快適。STピエトロ駅まで約40分。
Romaの調べ物をしているとあっという間でした。



Roma (5)

徒歩と、TAXIで回るつもりでしたが、市内周遊バスで見物することにしました。

Roma (6)
STピエトロ寺院前から5つの周遊バス会社が運行しています。
全てに?日本語の案内モニターが付いています。


Roma (7)

一歩通行の関係でしょう。スタートしてから時計回りに一周してからSTピエトロ寺院を正面に見て左折してローマ市内に向かいます。


Roma (8)

30年前に訪れたところです。

Roma (9)


Roma (10)

なぜかトレビの泉だけは、今回もう一度行こうと思っていました。
ここも大混雑。

Roma (11)

トレビの泉の横の、焼き栗を売っていたおじさん。
流石老いてもイタリアンですね。一緒に撮らせてもらうとこのポーズでした。


Roma (12)

Colosseumが見えてきました。
30年前に見たので車窓っていうか車上から見てパス。


Roma (13)


Roma (14)


この日も、大変暑く、観光客はあちこちの日陰で休んでいます。
地べたにもずらっと並んで座っていました。
観光も体力勝負です。


Roma (16)

広場横の、トラットリアでお昼にしました。


Roma (17)
ピザ マルゲリータ


Roma (18)
ジャガイモのニョッキ

ピザもニョッキも中々の味でした。

Roma (24)

ビールも旨かった。
左にチラと見えるのは多分ドイツ人あるいはデニッシュの若者。悪ガキでしたね。


Roma (26)

此処に来たかった市場。バスの降りる停留所を間違えて、着いた時にはほぼ終わりかけていました。


Roma (27)

Roma (28)

市場横の日本の旅行雑誌Rに載っていたトラットリアを見つけて入る。
上の写真の雑誌Rに載っていたカッペリーニ(パスタの太さで一番細いソーメンくらいの太さのパスタをカッペリーニって言うのですが)を注文したのですが、カッペリーニって言っただけでこれが出てきました。普通はトマトソースのカッペリーニとか、冷たいカッペリーニとかどんな料理方法にするのか聞くと思うのに何も聞かないのにこれが出てきたという事はよほど日本人が雑誌Rを見てこの料理を頼んでいるかがわかります。これはまるでコンソメスープに入れたソーメンです。一口食べてやめました。

今回のヨーロッパ旅行で雑誌Rを見て失敗したレストランは3回。
以後、この雑誌Rの情報は一切信用しないことにした。
プンプン。

Roma (29)
市場から少し歩いてTevere川に出て川沿いを歩く。途中道路に泊めてある車の窓ガラスが割られているのを見た。NAPOLIでもほとんどの道路の電話機が壊されていた。街中にあふれる落書きやこういったことを見ているとイタリアは治安が悪いと思う。
暫し歩いてTAXIでSTピエトロ駅へ。

Roma (30)
駅では、RubyPrincessの乗客らが沢山いた。
暑かった。

Roma (31)
ドアは、自動閉め。手動開き。トイレもありました。

大きないかにも船旅をしそうな荷物を持ったおばさん達が乗ってきたので同じRubyPrincessの乗客かと思ったらBarcelonaから今日RomaについてCivitavecchiaから地中海クルーズに出るのだという。何とブラジルから来ていて、「とても長い旅だったわ。」とぼやいていた。
「楽しんでね。」と言うと「あんたもね。」とにっこり笑ってウインクしてくれた。

Roma (32)
Civitavecchia出航。

RubyPrincess旅の思い出。Firenze

自分の中ではノーマークで、ほとんど何も事前に調べていなかったFirenze。ホントもったいないことをした。

街全体が、街そのものが美術館という感じであった。

Barcelonaと共に、必ずじっくりと再訪したい街となった。

Firenze2

Firenze


こんな彫刻が街の至る所に。
ミケランジェロを輩出した街である。

Firenze3

Firenze4
通りよりポンテ・ベキオを見る。
ここもものすごい人人人。

エリーが、「お正月のお伊勢さんの橋みたい。」と言っていたが・・・
一寸たとえがナァ・・・と思ったけど、マァそんなもんか。
それにしても、街中がこんな混雑にもかかわらず、人をかき分けて車が走りまわっていた。

街中は、車両乗り入れ禁止にしたらいいのにと思ったが、どうなのかしらん?

PFirenze

Firenze

Firenze6
ほんの2時間ほどの自由時間でした。
美術館は、団体で満杯でとても個人で入れず、断念。
時間ぎりぎりに集合場所へ。何と全員集合していて、みんなに冷やかされた。
写真では見にくいが、正面の白い教会の右横の日陰でみんな待っていてくれました。

Firenze7
今日の30人ほどのメンバー。みんなホントいい人ばかりでしたね。

この後お昼を兼ねてトスカーナ地方に、ワインを楽しみに・・・

Sabatini's イタリアンレストラン(Monte Carlo~)


Monte Carloを歩き疲れたので、夜の2000から予約のレストランまで待てずに15FのHorizon Courtで一寸腹ごしらえ。
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クラムチャウダー。RubyPrincessではこれが一番おいしかったかもしれない。
貝が好きなこともありますがとても美味しかったですね。

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生ハム。

少し休憩して着替えして、この夜は、特別レストラン。イタリアンのサバティーニ。

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coverchargeのレストランでは珍しい外の席がありました。
外国の方は外での食事が大好きですね。

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先に期待が持てそうな感じです。

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waiterはみんなフレンドリー。
この晩は赤ワインでした。

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私のchoiceですが。分厚いステーキ。
これはソースが無い方が良かったですね。

RubyPrincessについて その1

今回の旅を素晴らしいものにしてくれたRubyPrincessについて少し書いておきたいと思う。

まず何より船旅で一番重要な位置を占めるのは人にもよるが我々にとっては矢張り食事である。
今回のRubyPrincessの食事はまずまずというところか・・・

RubyPrincessには、
まず大きな3つのDining Room がある。
Michelangelo,Botticelli,Da Vinciである。この3つでEarly SeatingとLateSeating とAnytime で好きな時間に食事を取ることが出来る。

後coverchargeがいるが有料diningroomとして、イタリアンのSabatini's とステーキハウスのCrown Grillがある。

このほかに、深夜を除いてほぼ24時間営業のHorizon Court他、プールサイドのピザ屋さん。これは生地から現場で作っています。美味しいです。
ホットドック&ハンバーグ屋さん、メインホール横のスナック屋さん(エリーはここでよくシュリンプカクテルを食べていました。)等々どこでも飲み食いし放題です。

このほかに5つのBAR,CLUB,LOUNGEがあり、それぞれに工夫が凝らしてあった。

その中でも今回いつも通っていたWheelhouse Barがその雰囲気そしてそのライブの質の高さで秀逸であったのは本編で書いたとおりである。

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プロムナードデッキ。RubyPrincessでは一周は出来る設計ではなったが、U字型に歩いて約1マイルの表示があった。

この写真はMonte Carloからリボルノに航く時のもので、速度17KTほど。ゆっくり航行しています。

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パターゴルフもできます。誰もやっていませんが・・・
マァ早朝ですけど・・・

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最上階の最バウ側。最リラクセージョンエリアです。頭の先から足の先までケアしてくれます。
此処は行きたかったのですが、結局時間が無くていけませんでした。

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beautysalonです。エリーもここでCUTしてもらいました。

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サウナもあります。ただ外国で気をつけなくていけないのはその手の人が多いです。

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今回のクルーズで一番良く通った部屋。WHEELHOUSE BARです。
雰囲気最高。それに増してとても質の高かったJazzbandの演奏は今でも心地よく思い出されます。

彼らの演奏もまたいつか聞きたいですね。連絡先等を当然聞くつもりでしたが最後のVeniceで到着後降りたらしく、最終日の演奏には違うバンドが演奏していました。ものすごく残念に思っています。バンマスのピアノ、drumsが特に良かったですね。
これもquartetでしたが、前のバンドとは申し訳ないけど雲泥の差でした。

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ふたつの帆船模型が入り口で出迎えてくれます。
ただ不思議なのはいつもほとんどガラガラでした。

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それにひきかえなぜか人がいつもいっぱいだったホール横のBAR
アメリカ人の気持ち分かりません。

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ここも結構いつも混んでいたVines。ワインが飲めます。

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メインホール横のケーキ屋さん。
ここはなんでも美味しかったそうです。
全部無料ですが、アイスクリームだけは何故か、有料でした。



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MainetheaterのPrincesstheater。
救助訓練時のものです。このRubyPrincessは約12万トンですがその中でも大きなスペースをさいてこのtheaterを作っています。ただ規模、雰囲気他そのハードと演目のソフトは、両方共にもう一つというところでした。



RubyPrincess旅の思い出。Monte Carlo。

Monaco公国。人口は現在4万人ほどだそうだ。
煌めく様な国であった。

そして恐ろしく物価の高い国であった。

モンテカルロ一望
Monte Carloは、モナコの一つの地域の名前。
湾の向こうに、カジノ、王宮が見える。

Monte Carloもう一つのハーバー

Monte Carloの西のハーバー。少し小さいボートが並んでいた。

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バルコニーより入港を眺む。こんな狭いところを入港します。

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下船時、船から湾内を望む。思わず二人で「ウワ~~」と声をあげてしまった光景。

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僥倖にも見つけた湾口とシャトルする海上バス。
対岸までTAXIでぐるっと回って行こうかと思案していると偶然にも前に停まり乗ることが出来た。エリーがひつこく木造船の写真を取っていたお陰。今回ラッキーの内の一つ。
このバス船内で出会ったルビーの客に「この船の事は知っていたのか?」と聞くと彼もさっきガイドに聞いて知ったとのことであった。

BATEAU BUS 平底船という意味かな。一人5€。


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対岸に渡り、ここから歩いてこのトンネルを抜けてCasinoへ。
GPではこの方向に爆音を響かせながらF-1が突き抜ける。

この上のアパートの一室を今名前を思い出した、ディーク更家が持っていたとTVで見たことがある。


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Casino前の公園のテラスにて。
ビール1本とペリエを飲む。
北新地と同じくらいの値段であった。

それでもものすごい人人人。万博並みである。ってたとえが古すぎるか・・・


Casinoは、意外なことにMonaco国民が遊ぶことも、入場さえも禁止されている。
19世紀には、Casinoは国の収入のほぼ全体を担っていたが、今は2-3%に過ぎず、現在ではその収入は、ほとんどが観光だとのことである。

どぎついフランス語訛り英語でのガイドさんからの知識であるが、このガイさんドの説明も判り易かった。

書き出すといくらでも話題が出てくるが、グレースケリーは、随分の日本びいきだったらしく、あちこちの公園で松の木他日本の植物を見ることが出来た。日本から直接仕入れたそうである。
彼女のお墓も行ったが、その上の花は今も絶えることが無い。

Monte Carloの松
グレースケリーが造った公園。日本の松が懐かしい。
垣間見えるのは、レース中のクラシックヨット。

グレースケリーの眠る教会
ケリーの眠る教会。

グレースケリーの墓
ケリーの墓。ケリーの名前は無くprincessの称号で名を刻まれている。
誰かが献花したのであろう訪れた時にも花が持ちこまれていたが墓の上を土足で平気で歩いていた。文化の違いであろう。

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左の船は、イギリス。右の赤白の国旗は、モナコのものである。
手前60ft。右70ftくらいか?

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こちらのポンツーンでは100ftオーバークラスが舷を並べてハーバー狭しとギシギシに舫われていて壮観。

みんなバカでかく垂涎であったが、この後Veniceでこれらがスモールボートの様に見えるおったまげるほどのヨットを見ることになる。

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おりしもMonaco Classic Weekと称して、ヨーロッパ中のクラシックボートが集まっていた。
そして湾全体がその前夜祭の準備で慌ただしく大忙しであった。




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流石にこの夜は、Monte Carloに居たかったなァ・・・
本文でも書いたが、クルーズの最大の欠点は、その街のナイトライフを楽しめないことである。
この夜は返す返すも残念至極。。。。


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これは日本と一緒であるナァ・・・と見ていた。
土足厳禁。。。


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主催者のYacht Club De Monaco
時間があればヨットクラブの名刺も持って行っていたのでクラブ事務所も訪ねるのであったが断念。

もっとも、行っても「それがどないしてん。」と言われたかもしれないが・・・

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クラブハウス内部の一部。

RubyPrincessの旅の思い出。Barcelona。

単にクルーズの出発地点としか考えていなかったBarcelona。よってたった一日足らずの滞在であったが、通りには緑の木々があふれ、どの食べ物もおいしく、人々はみんな親切でこんなに素晴らしい街とは思いもよらないことであった。

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早朝に行ったサン・ジョセップ市場の中にある「キオスコ・ウニベルサル(Kiosko Universal)。バルセロナで一番大きい市場で仕入れて直ぐに料理するので何を食べてもおいしかった。

黒板に書いてあるメニューは勿論全てスペイン語。
エビとアサリ、イカ以外ほとんど不明であるので、物を指差して料理を頼む。


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地元、市場の人、観光客が入り混じって朝ごはんを食べていた。
右上の写真はスパニッシュオムレツ。

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この棚には、魚介類が並んでいた。上には沢山のキノコ。

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アサリのBarcelona風酒蒸し。ビールに旨かった。
今思えばこの旅行でここの料理が一番おいしかったかも・・・

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まさにBarcelonaの台所。

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バルセロナの富豪の依頼を受けてガウディが設計した邸宅「カサ・バトリョ」。
ガウディの作品群の一つ。世界遺産。

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吹き抜けから家全体に、各階に光を取り入れるように工夫してある。窓も上階は小さく下に行くに連れ大きく設計してある。


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持つ手の形に作られた取っ手。
一つづつ鋳込んで作られたそうである。
手になじむというか、持った感じがしなかった。

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階段を上る主人に寄り添うように作られている手すり。
階段も一つ一つ形が違い、途中休憩の為か大きくなっている。


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このままでも温かさが伝わってきそうな暖炉。


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居間。
海の底をイメージして造られています。


建物全体どこもほとんどが曲線で彩られています。


この建物全てに言えることは室内全体が人間の体と同化するようにとても細かく作られているということである。

昨今の著名な建築家が作った見栄えはイイがとても住むのには、という設計とはちょっと違う造りである。


ガウディという建築家がこんな素晴らしい芸術家とは全く知らなかった。



KIX~AMS

Amsterdamへ
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機内食。和食。マァこんなもんでしょう。昔は良かった。。。

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洋食。

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夕食。

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機内から今まで見たことのない奇景。
大蛇が地を這った様。
碧い川筋に白い砂州がアクセントをつけ周りを河跡湖が点々と広がる。
写真が稚拙でこれで精いっぱいだが、窓から見るこの光景は神秘的であった。

ずっと1時間くらいこの景色を見ていた。

全く人工物のない中延々とこのような荒涼とした景色が続く。


後でロガーで調べるとロシアのはるか北のカラ海に注ぐ川であった。
機内のモニターでは西シベリアと表示されていた。


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西行きなのでただ今時速808km。帰りのロガーは常時900kmをオーバーしていた。
ジェット気流恐るべし。。。

ロシア上空
ロガーがきっちりどこを飛んだか記録してくれていた。優れものです。

RubyPrincessの旅。思い出その1

旅行中は、ネット環境が悪く色々なことで不便であった。最初要領を得ず時間もかかりまた編集もままならない中でのUPであった。時にはツアーの集合時間ぎりぎりまでかかったことや、時間制なので買った時間が写真をUPロードしているとまたたくまに無くなったりコメントをまとめて書いたりと苦労した。ただ今自身見直してみるとその時のやりくりしたことががまた思い出され楽しいものである。記事の再編集も出来るだけ少なくして当時の記事をそのまま残しておきたいと思う。

徒然なるままに旅の思い出を噛み締めながら振り返ってみたい。


ラウンジでの時間も旅の大きな楽しみである。
これからの旅に思いを馳せ、、また過ぎ去った旅の日々を反芻するのに貴重な空間である。

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KIXのラウンジ。今回過ごしたラウンジ中では秀逸。
茶蕎麦、冷茶わん蒸し、サーモン、太刀魚、ウナギの押しずしとどれもとても美味しい。

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飲んでいれば1時間くらいすぐに過ぎてしまう。

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生ビールは、アサヒスーパードライ。

KIX
豪華な朝ごはんです。今日からバカンス。ビールもはずんで、気持ちもはずんで旅の始まりはいつも最高。。。



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帰路。早朝。ベニスのマルコポーロ空港の小さなラウンジ。
市内とは正反対のシャープな内装。


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Amsterdamスキポール空港のKLMラウンジ。
広大。。。
ここで5時間すごしましたがあっという間です。

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ビールは勿論ハイネケン。
今回この工場に行けなかったのが残念。






RubyPrincessの旅。後日談

深夜というか、明け方にごそごそとブログ整理をしてます。現地からのリポートは自分の為にも書いたのだけど望外にもみなさんに喜んでもらえて感謝。感謝。

後日談も含めてまた写真も整理してUPしますので暇な時に見てくださいませ。

一番面白かったNapoliの後日談ですが、あの後も暫く鎮火せず最近やっと道路も封鎖が解かれたそうです。

当日には、道路横でも燃えていて、オバさんたちが火を消しているのを見ました。

またヘリコプターが水を山肌すれすれに飛んで運んで行くのも見ましたし、赤く塗られたセスナも慌ただしげに飛んでいました。ホント今思い出してもスリリングな一日でした。ただ不思議なことに船に帰ってクルーにもtableshareした人他にも片っ端からこのことを聞きましたが誰一人としてこの山火事のことを知りませんでした。おかしいですね。

そうそうところで山火事って英語でなんて言うか知っていますか?
私は、当然mountain fireだとばかり思っていました。バカですねぇ。
正解はforest fireで、Napoliにはちょうどベスビオス火山があるので最初このことを説明するのにmountain fireがあってどうのこうのの話は相手には火山爆発でもあったのかとの誤解をされました。

先日NapoliのAgentから連絡があり、GGはもっとラベッロの近くで警察が誘導していれば余裕だったのに・・・とイタリア人の彼が「全くイタリアだよ。」とぼやいていたそうです。面白いですね。。。。

ホント奴に会う為だけにNapoliに又行きたいです。

Kennyに教えてもらったロガーの記録に鮮明にこの面白いNapoliの一日が記録されていますのでまたUPします。

このロガーはホント面白いです。

これはAthensの一日です。
Athensの一日地図
紫が往き。ピンクが帰路です。
(ここをクリックするとこの画面大きくなります。)



画面キャプチャ

この高度速度計記録は往きのものです。アクロポリスの丘が結構高いことがわかりますね。

P1020476

市内のどこからでも見えるこの丘は異様なほど圧倒的な存在感を持ってそそり立っていました。
車内から撮ったものです。


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