Bigelle

Bigelle Capの日々の記録です。 Bigelleのホームページ: http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9542/ 

2011年09月

無事帰国しました。

みなさんへ
今日は朝0850に関西空港に無事着き来ました。今回の旅行中コメントをいただいたみなさんに改めて感謝いたします。
有難うございました。

旅の思いでの中エリーとワインを傾けながら出会った人々、訪れた街々に思いを馳せ余韻に浸っています。

今回の旅は、訪問地で選びましたが出会った人々が最高でした。

それと奇跡的な天気に恵まれたこともこの旅をもっとも人生に残るであろうものにしてくれました。

またこのブログも時間がある時に整理しますのでまた宜しくお願いします。
エリー他の写真はほぼみんなカットしますので、もしくはメンバーだけのサイトに移行しようと思っています。


改めてみなさんに感謝してこの地中海クルーズの現地からのリポートを終えます。
有難うございました。

Captain

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Amsterdamスキポール空港にて

今回の長かった旅ももう頭の中からあふれ出るほどの思い出を残してその幕を閉じようとしています。時には目の前を過ぎる光景に酔いしれ、時には興奮し、またある時にはこの旅が果てしなく続くのではないかと今まで味わったことのないような不思議な感覚に陥った旅でした。


昨日は終わりゆく旅の最後の夜をアカデミア橋の近くの小さな教会で名残りも付きはてぬままコンサートを聞きながら過ごしました。
このコンサートも高い鐘楼にエレガントなアンサンブルが響き渡りとてもレベルの高いものでした。
特にピッコロ、フルート奏者はまた調べたいと思いますが素晴らしいものでした。
Veneziaではオペラといい、コンサートといいこんな質の高い音楽が平気で歩いていけるところで開かれています。
音楽性の高さはもちろん私がより感激したのはそのハードが日本ではとてもとても味わえないことにありました。素晴らしい劇場、教会でのコンサートでした。


今朝は、出発時Rubyのバルコニーから見上げる夜空を誇らしげに威張っていた満月も日々その形を変え今や煌めく星達にとって代わられた暗闇の中、運河にかかる二つの橋を呻吟しながら重たい荷物を持って渡り、まだシンと眠るVenezia町に別れを告げ約2時間のフライトを経てAmsterdamのラウンジで書いています。6時間ほどのトランジットがあるのでAmsterdamの市内見物に行く予定でしたがエリーが、もうもう今日はゆっくりしたいというのでハイネケンビールの工場見学をあきらめて空港ラウンジで寛いでいます。

行けなかったハイネケンの工場に未練を持ちつつ
ハイネケンの生ビールを片手に、窓に行き交うKLMの飛行機見ながらこのブログを書いています。




アカデミァ2

こんなコンサートが毎晩開かれています。演目はビバルディ4曲。
モーツアルト1曲。
ヨハンシュトラウス1曲でした。

ここも素晴らしい雰囲気でした。

アカデミアコンサート

美しい装飾に彩られたチェンバロ。

アルプス声

Venice~AMSへ
途中アルプスを越えました。スキー場が見えました。リフトまで見えました。

ラウンジにてスキポール
 
AMSのKLMラウンジにて、ハイネケンドラフトビールを飲みながら。

Veneziaにて。頭の中が変になっています。。。。。

昨日Veneziaに到着。ひとしきり散策してきょう下船。
夢のように過ぎたRubyprincessの旅を終えました。

今日は半年前から今回の旅で唯一予約していたフェニーチェ劇場(Teatoro La Fenice)でドンジョバンニを見てきました。
まぁ人生で最高に良かった(と平易な言葉でしか言い表せませんが)オペラでした。

今めまぐるしく過ぎた旅の中で頭がオーバーロードでチンチラっポッポ状態でまともな文が書けない状態ですが身内の様なみなさんしか見ていないので海容をもってご覧ください。

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劇場内。もちろんVeneziaでは此処を一番楽しみにしていました。映画でしか見たことのないような画面。


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半年も前から予約していたバルコニーの一番真正面の席です。

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パウゼ(Salzburgではそういいますがイタリア語ではちょっと似ていますが言葉が少し違うようです)で劇場の前で。

正面入り口の柱の間からは黄金のフェニーチェが劇場の前を行きかう人々を睥睨しています。


またまた妹に叱られそうですがスーツが乱れていますね。
ドレスアップした日本人の方が撮ってくれました。


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finale


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席よりフラスコ画が描かれた天井を仰ぐ。この劇場は何度も火災にあいその存続を危ぶまれましたが不死鳥のようによみがえり不死鳥と愛称で呼ばれています。
フェニーチェは英語のフェニックスの意です。



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AT SEAでのフォーマルパーティーにて。
彼らととても仲好くなって二日間一緒に食事しました。

前列から我々から時計回りに、NZAucklandからのふたり。小学校の先生だそうです。
奥さんの名前はんん~~ん忘れました。ジニーだったかな?

後列はオハイオからの4人組。ふたりはおばさんと姪の関係。このおばさんの年幾つだと思いますか?
こちらの耳を疑い何回も聞きなおしました。みんなで会ったときに教えますね。

右のふたりはパートナーです。彼の家でしょっちゅう互いの家族を集めて大パーティーを開くそうです。
プールは25m×10mほどの卵型だそうです。

今度ぜひオハイオに来てくれと言われ握手して別れました。
今回の船旅をより楽しいものにしてくれた素晴らしい仲間でした。






もう今はVenezia時間で深夜。フェニーチェのオペラでいまだ興奮冷めやらずローマ広場近くの小さなホテルの3階で窓からそよぐ心地よい夜風に頬を冷やしながらワイン片手に書いています。

AT SEA

Veneziaへ AT SEA

久しぶりに船でのんびり。エリーは、船の厨房見学(COOKING SHOW)へ行ったり、ふたりでショウの楽屋裏見学(BACKSTAGE TOUR)に行ったりとゆったりと過ごしました。夜は、いつものお気に入りのWheelhouseでいつもの最前列の椅子にどっぷりと腰を沈め窓から見えるイタリアに沈む夕日にいつものバーボンの水割り、クラシュアイスで乾杯しながら今やなじみとなったOrphea Quartetのムードたっぷりの演奏にしばし浸りました。昨日約束したメンバーとの食事時間2000がきたので彼らに手を振って席をたつとかれらも演奏中にも拘わらず手を振ってあいさつを返してくれました。

かれらはいつも演奏が終わると真っ先にきっちりと拍手をするわれわれにいつもにこりとうなづいて笑みを返してくれました。このBARは、調度品も、いかにも高価そうな動かすにも腰を入れないと動かないほどの重たい椅子、入口では帆船模型が二つの入り口どちらにも二つずつガラスケースに飾られて迎えてくれたりと船内最高の部屋です。にも拘らずいつもほとんど乗船客はおらず演奏中でさえもひとは探すのに苦労するくらいまばらでしかも演奏を聞かずに話しています。我々にとっては一番寛げ、生演奏、それもかなり上質なジャズを楽しめる船旅の最高のおもてなし場所なのですが、なぜか吹き抜けドーム横のオープンな、それも調度品なんかなくて背もたれもないような椅子しかないExplorers Loungには結構人が集まっています。ここでもアメリカ人はようわからんという感じです。

今宵は、フォーマルナイト。二人並んでプロのスタッフに色々と日本では見られないポーズの注文に戸惑いながら記念撮影をしてもらってみんなと待ち合わせのダビンチレストランに行きました。先に来ていたメンバーが昨晩予約していたにもかかわらず30分ほど待ってくださいと呼び出しベルをもらっていたがほどなく赤ランプが回りレストランに。

今晩のハッピーディナーを共にするメンバーは昨日の8人であったが、一人はCaptainに招かれていたVIPトップラウンジでの集まりに参加していたため暫し彼女の到着を待ち乾杯から始まった。みんなで写真を撮るために何回も日本語で乾杯をした。ワイワイと騒ぐ我々を周りのテーブルもみんな笑顔でこちらを見ていた。

楽しい会話をしながらでの食事であった。会話の内容はほんとたわいもない自分の家自慢から、家族の話、曜日の話、道路のNZ、日本、アメリカとの混合パーティーなので右側通行と左側通行の違いとかから経済の話までまぁ今晩も一番賑やかなテーブルであった。オハイオの男性の家はプール付きで3000坪ほどの敷地だそうである。(こんなものじゃないかもしれない。エタールという言葉が何回か出たが、これがヘクタールと気がつくまでに何回か聞き返した。ので坪換算に誤りがあるかも知れない。多分間違っているだろう・・・)パートナーの女性とは夫婦でないとかのことでありいきさつを話してくれていたが一部聞き取りにくい所があったがこれは流石に聞きなおしし難く詳しい関係はよくわからないままである。

まぁそんなことでひとつふたつと周りのテーブルが席を立ち、一番遅くまで周りのスタッフが所在無さげに見つめる中そんなの関係ねぇとばかりに賑やかにやり、今晩も3時間足らず。いつかの再会を約束してみんなと厚くハグをして別れた。おかげで酒と英語でくたくた。何とか、お昼楽屋裏を見せてもらったMainetheaterでもうほとんど終わりかけているショウを少しだけ見て部屋に帰った。崩れるようになりながらも何とか一張羅だけはきっちりとクロゼットにしまい轟沈した。



9/24朝

もうすぐVenezia。今日も海は波一つなく海はその名を変えアドリア海。NEに航海している。1130スターボードサイドにSTマルコ広場を見ながら入港の予定。今回一つミスったのは船室で日本を発つ寸前に折角船側から与えられた船室をスターボードサイドから追加金まで払ってポートサイドに変更した。ポートサイドのほうが航程から陸が見えるからと思ったわけであるが直前に空きが出てポートサイドに変わった。今回のクルーズでは断然スターボードのほうが景色が良かったですね。でもいつもトップデッキまで大好きな出入港を見に行っていたし、バルコニーがでかかったのでマァええか。



先ほどVeneziaに到着。水路を分けて幅いっぱいに入る光景は素晴らしいものでした。ほぼ最上階からエリーと1時間もずっと15階の最前列に陣取り見ていました。もう一度最高でした。今から支度をしてVeneziaの街を探索してきます。


 


Athens

Gucci
久しぶりですね。コメント有り難うございます。船内ではGUCCIも小さく見えるであろうおっちゃんばかりです。平均年齢も非常に高いです。今日は一日AT SEA。のんびりしようと思っています。


yuko

聖母マリアの社はものすごい人でした。社に入るのに1時間もかかりました。別に異教徒の私には興味がなかったのですがこれしかエフェソス行き込みのtourが空いていなかったので仕方なく行きました。もう少し下調べを良くしておけばもっと効率よく楽しめたのにと思っています。でもまぁいいか・・・

エフェソスは良かったですね。こんな所へは二度と来る機会はもうないと思いながら見て回りました。ここでは日本語のガイドフォンを借りて見学しました。この日のツアーガイドはおっちゃんでトルコ訛りがひどくてほとんど説明が理解できませんでした。

靖国ねぇ・・・一寸違うかなぁ・・・いや全然違うなぁ・・・

今めまぐるしく変わる日々に着いていけず頭の中がチンチラポッポ状態です。帰ってからまた考えますね。

唯一今回料理が恵まれていませんね。くいしんぼの二人はもっともっといろんな地の物を食べたかったのですが寄港地で時間がとにかくありません。


みなさんへ

いつも読んでくれていてくれて有り難うございます。

今は朝0400です。日本時間でお昼ごろですね。

今日は一日ベニスまでAT SEAです。

昨日はホント夢のように過ぎた日々を思い巡らしながら今回最後となった出航でした。最上デッキの上から名残りも尽きないままゆっくりと壮大な
panoramaの様な去りゆくAthensの街を遠く眺めていました。

そして仰ぎ見る頭上に広がる一部茜色に染まりつつあるその空は船全体を大きく包むドームのようでした。

Athensでは大きなヨットハーバーも Rubyが停泊したピレウス港の周りにあり歩いて行きたかったのですが、昨日から突然に交通機関のストライキが始まり、TAXI他全ての交通機関がストップしているために行けませんでした。今回いろんなところに行けませんでした。今度さらに加えて下調べをして行けばもっともっと何倍も楽しめることと思います。毎日ブログを書くのは確かに時間がかかり、また下世話な話になりますがネット代も結構なものになりますが、みなさんが呉れるコメントを毎朝見て楽しむのが日課となっています。また書いているとその日楽しかった一日のことが頭の中を駆け巡り、思い出の焼き直しをしっかりとしてくれます。

旅行に来てから不整脈も一発も起こらないのが不思議です。血圧も多分大いに下がっていることでしょう。

アメリカ人の平均リタイア年齢は
62歳もしくは65歳だそうですが(アメリカも近年の不景気で段々リタイア年齢が上がっているそうです)、また帰ったら一生懸命働いてこの旅行を頂いたKrに恩返しをしようと思っています。ありがたいことです。


順序一部前後しますが、フォト日記です。


Athens (2)
Athens

アクロポリスの丘よりAthens市街を望む。壮大なパノラマ景色でした。今日も天空に広がる青空がこの旅に極上の恵みを与えてくれます。


Athens出港
さらば
Athens

近くにヨットハーバーが二つ。
遠くにアクロポリスの丘が見えます。

船上ではその去りゆく港に別れを告げるようにだれが選ぶのか、いやがおうにも船出の高揚感を高めるさよならの曲がデッキを包み込むように流れます。

今クルーズ last Leg AthensVeniceの出航です。

Athensチンダル現象

チンダル現象の日の光が目の前に広がるパノラマを演出してくれています。


Athens (3)

アクロポリスの丘の麓の売店のおじさん。とても気のいいおじさんで、ビールを買って写真を撮らせてもらうと、ビールを注ぐしぐさをしてくれました。ギリシャ人もフレンドリーですね。


クサダシ1

このおっちゃんは、マリアの社前の売店のおっちゃん。

トルコのKusadasiです。
このおじさんもとても人懐っこく応対してくれました。売っている日本語の看板の文字(写真真中の白いやつです)が正しいか、日本ではこの売っているオレンジはいくらくらいするのかなど聞いてきました。
後でエリーにお土産だとひとつおまけに果物をくれました。(後でエリーに聞くとザクロだそうです。)

クサダシ2
ビールとチキンシシケバブを買いました。(右のおじさんが切ってくれています。)

ただ千人以上いたであろう船の客は誰一人買っていませんでした。(この日はこの狭いKusadasiの港に5杯のクルーズ船がひしめいていました。)何か西洋人はトルコの食べ物に警戒しているようでした。

ビールもケバブもとても美味しかったです。バスに乗ってビールを飲みながらほおばっているといるとみんな買ったのかという顔で見ていました。


トルコ人もギリシャ人も笑顔で話しかけるとみんなニコニコととても親切に対応してくれました。

特にトルコ人は親日的でした。教科書で日本人がいかに素晴らしいか教えています。台湾、ドイツ、オーストラリアなどなど世界には親日的な国がいっぱいあります。これらの国々これらの人々ともっともっと仲良くそして大切にしたいものですね。


Athensからの船内にて

その日の夕食。Athenstourで一緒になった夫婦とラウンジでバッタリ会って一緒に夕食を取ることにしました。ツアー中もエリーが寝ていると起こしてくれました。右の夫婦です。

ケイコへ、この夫婦はなんとオークランドから来ていました。そして左の
4人は最初の夜にtableshare
した人たちでした。

こちらは例によって酔っぱらってほとんど覚えていませんでしたが、こっちの名前も覚えていてくれ、エリーには髪を切ったのかとも言われ大いに又盛り上がりました。他のテーブルのみんなが次々と去る中最後まで盛り上がり、明日のフォーマルナイトも一緒に食事しようということになりました。

ちなみに今夜の夕食時間はサン!!!サン!!
3時間でした。


 


 


 


 




 

クサダシ

エフェソス
今日は、クサダシに来ました。聖母マリアが晩年を過ごしたところだそうです。こんなところに終の棲家を構えたのですね。知りませんでした。

この写真はエフェソスの遺跡です。

クサダシ

クサダシの港から。ルビーを見る。今回の旅行で初めて雨がぱらつきました。
Istanbulでは4月以来初めての雨だったそうです。

明日は、楽しみにしているAthensです。

とんでIstanbul

今日は、Istanbul。西洋と東洋に挟まれ、異文化をかき混ぜてポンとでたような街でした。支配者がそれも全く宗教の違う権力がめまぐるしく変わった世界でも珍しい特殊な街です。トルコ料理も堪能したかったが風のように廻った一日でした。また来たいィ~~~・・・・


モスク中で


モスクの中で。エリーは半そでを着ていたのでスカーフを入り口で巻かれました。

 Istanbul市内


スルタンのハーレムから
Istanbul新市街を望む。


Istanbulバザール

バザールにて。まさに異国に紛れ込んだ感じ。ごった返していて、流石の私もにしっかりと荷物をホールドしながらの見物でした。

買い物も交渉しながら楽しみたかったですがバザールでもいたのはたった40分でした。

とにかく各訪問地は駆け足で、どころか必死で走り去るような感じの観光です。

毎日全く違う街を訪れるので頭が変になりそうです。

今は、エーゲ海を南下中、いつもよりRubyPrincessは飛ばしています。22ノットです。速い。ロガーも必至で記録してくれています。

明日はAthensです。

みなさんコメント有り難うございます。

いもうとよ

いつもコメントありがとね。今回このクルーズは、行きたい所ばかりだったので長期休暇を取って来ましたが、期待に違わず素晴らしい所ばかりです。その他望外にもBarcelonaFirenzeは今回の旅を数倍楽しいものにしてくれました。

Monte Carloは、小さい町なのでもう全部見たという感じです。

Romeは一度来ているのでもういいかな。

Napoli は、また絶対に再訪した場所となったのは承知の通り。GGとはまた連絡を取って彼に会うために来るつもりです。Napoli 市内も全然見ていないしね。まぁホント面白かったです。

Mykonosはギリシャの大富豪が集まるところで此処もまたゆっくり来たいところです。ここからいろんな島に船が出ています。ただべらぼうに物価が高いです。

Istanbulも絶対に来たかったところで船のツアーで行きましたが、ガイドの英語が分かりやすくその見学をより楽しいものにしてくれました。東洋と西洋のはざまで宗教、民族が年代ごとに戦争、悲劇を伴ってめまぐるしく入れ替わった街です。何個か教会、スルタンの居城他を回りましたが此処はまたじっくり見直したいところとなりました。グランドバザールはごった返していてイスラム文化を違うところから垣間見ることができたような気がします。ただほとんどの乗客がここではツアーに降りたので下船に時間がかかり、ただでさえ少ない上陸時間だったのでホント駆け足で市内を巡りました。

明日は、KUSADASIという訪問地ですが何にも調べていないのでこれから予習します。

明後日は、これも来たかったところAthensです。

その次の日が終日AT SEAでフォーマルナイトなのでかっこよく決めてきますね。肩を抱いたのは伏線があってまたこれは報告します。

 

Kenny

いつも読んでいてくれているようで有り難うございます。

BMW250kmオーバーですか?もちろんまた乗せてくださいね。

Kennyとはいつか一緒に来たいねとエリーと話しています。

ロガーのUPの仕方有り難うございます。もちろんUPします。Kennyが教えてくれたロガーもこの旅をより楽しいものにしてくれました。飛行機の中でも記録していますので見るだけで楽しいです。ただ船内のネットの状態が遅いのでとてもグーグルと連動して記録するまでにはいたっていません。

このブログもこの船内環境に少し慣れてきていて、工夫して写真UP他短時間でできるようになりました。10年前の環境に戻ったようです。もたもたしているとすぐに買った時間をオーバーしてしまいます。その料金は、帰ったら教えますね。ワインは買っていませんがBarcelonaKenny用においしい生ハムを少しですが買っていますのでたのしみにね。

 

yuko

いつもコメントありがとう。yukoが誉めてくれるものだからより一生懸命に書いて報告しています。

英語は、いつもきれいな英語ですねと褒められることが多いのに今回一つも誉められていませんね。耳が遠くなったこともあって食事中の喧騒の中では特に聞き取りにくく聞き返すことも多いですが楽しくワイワイ食事と会話を楽しんでいます。イギリス人で初めて愉快な人たちとも仲良くなりました。

そうそう今日のIstanbul観光では、同じグループの夫婦から私の持っていいたMelbourneのヨットクラブのバッグの文字を見て声を掛けられました。なんとMelbourneから来たそうで仲良くなってその後今日は連れ持ってまわりました。AustralianEnglishは矢張り慣れているので分かりやすい。。。

 

 

まとめて報告その2

ミコノスでアルゴ
ミコノスでARGOというBARを見つけました。

ミコノスの街を望む
島の一番高い丘から北にミコノスの街を望む。人口は9000人だそうです。
テーマパークみたいな島でした。
一年を通じて強い北風が吹き、町はその風を避けるように南に広がっています。


シェアテーブルで夕食
その夜のシェアテーブルにて。
みんなフランクでいい人たちばかりで、楽しく夕食です。
今夜のパートナーたちは全員アメリカンでした。

まとめて報告

fo-marunaito
第一回目のフォーマルナイト。この後シャンペンウオーターホールで写真を撮ってもらいました。

船内で一番お気に入りのコーナーrichさが漂う

船内で一番のお気に入りの部屋です。

NAPOLI出航
NAPOLI出航。さらば思い出のNAPOLI



爆走NAPOLI
NAPOLIに帰るところ。
前に見えるのはベスビオス火山。この頃はまだ必死の時でした。
150km以上出ています。

電車道を爆走

電車道を爆走。


GGと

やっと無事に帰れました。GGと。

港MYKONOS
その次の次の日。
ミコノス港。風が強かったです。

MYKONOS

DSC01265

昨日は一週間ぶりにゆっくりしました。

きょうは元気はつらつ。ミコノス島です。

島の建物は白で統一されています。

此処も絶対来たかったところです。

とても風が強い島です。
指差しているところがルビープリンセスです。

みなさんへ

電波状態が悪く。みんなのコメントに対応できなかったり、写真が途中で切れたり、苦労しています。
みなさん見てますか?コメントもきっちり読ませてもらっていますのでくださいね。
きょうはギリシャミコノス島です。

AT SEA

ひねもす海の上。のんびりしています。今回出会う人は船上でもいい人たちばかりです。 今回の乗客は2000ほどがFROM USA 後1000人ほどがヨーロッパほか世界各地から、ブラジル人にもたくさん出会いました。ただ日本人には一人も会っていません。 今日はフォーマルナイトおしゃれをして出かけてきます。

NAPOLIその2

その2
さてそこから15分ほど走ってメインイベントのAmalfiである。
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Amalfiの海水浴場

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Amalfiで会った。婦人警官。写真撮っていいかと聞くと「Si」とにっこり答えてくれた。




そこはPositanoからさらに観光化されていていた。町中も時間をかけて楽しみたかったが次の目的地RavelloがAmalfiに比べ落ち着いた静かないい町だと聞いておりまた昼に時間をかけすぎたこともあり30分ほどできりあげる。
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街中。


聞いていた通りRavelloは観光客も少なく、山肌を吹きあげて来る風に静かにたたずむ大人の町であった。

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Ravelloより眼下に広がる海を愉しむ。今日も海は鏡のよう。。。。



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Ravelloの町。向こうに見えるのはお城を改造した博物館か美術館。



さぁもう1600である。Napoliまで約40km。さぁ名残は尽きぬが帰らなくては・・・

帰りは、半島の中を通り一路ナポリに帰る道である。

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こんな道が山肌にへばりついて続く。まだ道路封鎖を知らずに走る・・・

15分ほど北に走り。崖を切り開いた山道から離れてロータリーを回り半島を突き抜けるとNapoliである。


と、そこにはポリスが二人立っていてパトカーで道をふさいでいる。GG(紹介が遅れたが今回のドライバーである。)が何やら早口で話している。事情を問うと何やら山火事が起こり道を通行止めにしているとのこと。えらいことである。帰りに元来た道を通ると大渋滞の中を帰ることになる。船の出航時間まで3時間である。そして悪いことに明日はイタリアを離れ終日航海して次の目的地は異国ギリシャである。遅れるとどうなるか想像もしたくないことであった。

GGもさすがに焦っている。さてそれから時間との追いかけっこである。

狭い崖の道を強引に追い越しを掛け猛スピードで崖道を半島の上まで上りそして下る。何というタイトルの映画か忘れたがャールスブロンソン主演で山道を銃で撃たれたギャングの親分を乗せて猛スピードで山を下るスリリングな場面を思い出していた。

この頃には流石に後ろで寝ていたエリーも起き上がり左右に振りまくられる座席に必死にしがみつきながら前を見ていた。

別に乗れなくてもかまやしないと腹をくくっていいたが、GGは後の仕事にかかわる一大事である。途中無理な追い越しを掛けてバイクと正面衝突しそうになり、その若者は血相変えて猛スピードで取って返してこちらの車の前に立ちはだかりすごい形相でわめいている。警察に行こうと目は怒りに満ち口角は泡を飛ばし震えていた。

これはとんでもないことになるかもしれないと思った。そのうちに道の横にいたおやじが中に入り、とにかくこちらにあやまれと手を合わせのゼスチャーをしている。GGはそれでも言い返していたが、こちらはそれどころではない。その若者にごめんごめんと謝りまくった。おやじの仲裁もあり何とかその若者は悪態をつきながら車を離れてくれた。おやじは気をつけて行けと言葉を掛けてくれた。


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二人乗りのバイクもカッ飛ばしている。バイクに限らずイタリア人は絶対に道を譲りませんね。

流石にGGはそのあとはそんな無謀な追い越しはしなくなったが、高速道に入っては150kmの猛スピードでガンガン追い越しを掛けて走った。

助手席からベスビオ火山が右手前方にずっと見え気が気ではなかった。Napoliの街はベスビオ火山のはるか向こうである。時にもう時間は1740。手に持つGPSは出発点である船がまだ20数キロ先であることをを示していた。

GGはしきりにあと何キロかと問うてくる。高速道でも前の車とほとんど車間距離を取らないまま突っ走る。こちらの車はそんなにあおられても絶対の道を譲らないのに驚いた。

1800を過ぎ高速道路を下り市内に入る。まだ船までは距離はある。混んでいればアウトである。幸いGGと話していた通り本日は土曜日でさほど混んでおらず、それでも市内を走る路面電車の道を爆走して、そしてむりやりU ターンして港まで突っ走った。ほかのツアーバスも同行程を取ったであろうバスも先ほど今着いたばかりであったらしかった。ただこちらほど飛ばしたとは考えにくく事前に早く帰ったことと思われる。

私もRavello を発つときに通行止め注意の看板を見たような気がするが・・・まぁしかし人生でもいままで経験したことないほど面白かった。GGの運転技術は確かなものでそんな爆走ともいえる運転でも安心して乗っていることができた。最高にexcitingしたものであった。

GGは途中イタリア訛りでこちらにしきりに「リラ~~ックス。」を連発し。また「心配するのは仕事の俺だけでいいから。お前たちはバカンスなのだから安心して乗っていろといっていた。いい奴である。ただ流石に山道爆走中は一言も口を気かなったが・・・ 彼に笑顔が戻り、また再び人懐こくしゃべりだしたのは、市内電車道に入ってからであった。


今記憶を辿り昨日のことを思い出しながら書いているだけでまた興奮がよみがえる。そしてニヤニヤしながら笑顔で書いている。。。。アディオスNapoli!!!グラッチェGG!!!


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これはPOSITANO。

Napoli

Napoli  9/17SAT

此処Napoli も今回この旅行を選らんだ理由の一つである楽しみにしていたAmalfi 観光である。故、船のOPには申し込まず前もって日本から予約していた個人旅行である。



それが後で一つ間違えばとんでもないことになるところであったが、まぁ無事に船に帰れてなによりであった。ただそのハプニングにより
Napoli
は旅の大きな思い出の地となったことである。


0830船を下りて待ち合わせ場所に向かう。時間が過ぎても車は来ず焦る。

横では気のよさそうなおじさん
TAXIドライバーがしきりに自分の車に乗って観光したらどうかと勧めて来る。何とか10分ほど過ぎてその運転手が現れる。船の前で待っていたとのこと。


さぁ期待に胸を膨らませて一日観光の始まりである。高速道路を飛ばして、一般道へ。運転手はきついイタリア語訛りであるが英語が喋れて慣れるまでは聞き取りにくかったが、マンツーマンでしかも第二外国語同士なので細かい気味まで通じ合えあないもののいろんなことを説明してくれ矢張りここは個人旅行にして正解であった。


後でとんでもないハプニングが起こるとは思いもよらずに・・・


ベスビオス火山を左手に見て一路、Positanoへ。


ナポリソレントを望む

ソレントを望む。
(遥かに見える白い四角い建物は、ソフィアローレンの別荘だそうである。)(注)青字は帰国後加筆したものです。


ここからAmalficoastが 続く。

なぜこんなに笑っているかというと・・・

最初は、運転手がここからソレントの街が絶景だからこれをバックに撮ってやると言われて離れて並んでいると、彼がお前ら何やってんだとばかりに、チッチッチと指を振りながらいかにも困った様子でこちらに来て私の手をつかんで「ナポリは、ロマンティックな街だ。だからお前らももっとロマンティックにしなければいけない。」と肩に手をまわして呉れたからである。

イイ奴でしたね。


途中ソレントでトイレ休憩し、木工細工の製作所を覗く。オルゴールの化粧箱他を作っていた。「帰れソレントへ」の曲を選び海の絵が化粧されたオルゴールを買う。



Amalfi
海岸に入ると道は車がすれ違うのがやっとのような狭い道になりPojitanoへは一方通行であった。 


Positano
はごった返していて約1
時間の観光時間を取って人であふれる小道を海岸まで歩く。途中小さな教会(ドーム)があった。

小さいながらもその中は礼拝堂、祭壇がありドームの天井には細かい装飾が施されていてステンドグラスからは地中海の煌めく光が降り注いでいた。


中はひんやりとしていてそして外の喧騒がうその様にシンとして、ドームに響き渡る荘厳な曲がその雰囲気をさらに高めていた。それは初めスピーカーからかと思えたが、音につられて歩いて行くと祭壇横で小さな楽団が演奏しているのであった。


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あまりにもこしらえたように具合が良かったのでしばし脱帽し礼拝の長椅子に座り聞き入る。異教徒ながらその調べに、気持ちは清らかに溶けていくことであった。


途中何回か演奏をやめてオルガン奏者の女性がチェックを飛ばしている。バイオリンの奏者達がそれにしたがい何やら楽譜に書きこんでいた。祭壇横に飾られたその花から何かのどうやら何か特別なことが行われるようであった。

降りて来る途中の道でこの暑いのにびしっとダークスーツにネクタイを締めているセニョール、ドレスアップした花束を持ったセニョリータに出会ったが多分結婚式であろうと推察できた。



海まで降りると、その海岸では海水浴客がこれ以上だめというほどの小さい水着で日光浴をしていたり、家族連れが海で泳いでいた。また沖では小さなさまざま形のボートが行きかっていた。



振り返るとその急峻という一言では表わすことのできない一瞬思わずごくりと生唾を飲んでしまったくらいの一大パノラマであった。


180
度見渡す限りのその崖にへばりつくようにびっしりと家が立ち並んでいる。よくこんなところに家々を建てたものである。ここの歴史については下調べをしていたのでその思いに気を馳せながらしばし仰ぎ見ていた。


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Positanoの海岸より振り返り山を仰ぎ見る。

先を急ごう、
Napoli滞在時間はたった9時間である。最後はナポリ市内の見物も少ししたいし、本場のピザパイも食べたい。


海岸から迷路のように続く同じ階段道を息を切らしながら帰る。するとまた何人もの盛装した男女に出会い、駐車場手前では、父親と思しき男性に腕を預けたBrightに出会った。矢張り先ほどの教会の準備は結婚式であった。


congratulation!!」と声を掛けると少し小柄で別嬪さんで純白のドレスに身を包んでブーケを持ったそのbright
は照れくさそうにしながらもこちらににっこりとほほ笑んで英語で「サンキュー」と応じてくれた。ただ苦虫をつぶしたように口を真一文字に結んだ横の男性はにこりともしなかった。

これは娘を嫁がす父として世界共通であろうと、歩きながらにやりと含み笑いをしてしまった。

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次の目的地は、今回旅行のもう一つのhighlightAmalfiである。

途中下調べをしていたエメラルドの洞窟に立ち寄る。洞窟の中はその名の通りエメラルド色で、真っ暗な中手漕ぎボートでぐるり一回りする。

O
ソレミオを歌ってくれたので一緒に歌っていると横の客が怪訝そうにこちらを見ていた。往きあったあるボートはにぎやかで俺たちはドイツから来たんだだと聞きもしないのに声を掛けて来る奴がいたので「グーテンターグ」と答えてやるとお~っと喜んでいた。

洞窟を出て丁度桟橋に船が来たのでエリーがこれも付いているのよ言うので一人5€にしてと怪訝に思いながらも乗り込む。

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解纜(かいらん)し暫しするとクルーが何やら切符を集めに来る。当然持っていいないことを告げるとこれはAmalfi航きであるという。えらいことである。どうしようかと思っているとすぐにとって返してくれた。

「助かったぁ・・・」が他の
20
人ほどの客には大迷惑であったろう。

にも拘らず彼らはニコニコと「お前らドジやなぁ・・」という顔で笑っていてくれた。英語でえらいスンませんとみんなに謝り、下船して桟橋からアディオスと手を振ると船のみんなも笑顔で一斉に手を振り返してくれた。この辺りは西洋人のおおらかさと寛容さであろう。グラチェ。グラチェ。

元来たエレベーターを上り予約していた「Lido Azzuro」で少し遅くなった昼食である。中の大きな部屋ではルビーのシールを付けたOPの団体が食事を取っていた。こちらは外のPositano の全貌が見渡せるテラス席である。

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ここではるか眼下真下に見える小舟が行きかう真っ青な海と澄み渡った空、そして崖に広がる
Positanoの町のemeraldgreenskybluebrown
で彩られた絵葉書のような景色の中で、現地ナポリのビールで乾いたのどを潤しながらの昼食はほんと今回この旅行に来てよかったと改めてしみじみ思ったことであった。


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個人旅行のもう一つの良さは、私にとってトイレを気にせず遠慮なくビールが飲めることである。


 


 


 

Rome

Rome9/16FRI

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今回の旅行で唯一訪問したことがある土地、Romeである。故にここではOPツアーには申し込まず、個人で行くことにした。ただ下調べが甘く行き当たりばったりで随分時間を無駄にしたが、行きあった人々はみんな親切でローマの一日を楽しいものにしてくれた。

朝早く、まず、CIVITAVECCHIA 駅までシャトルバスで行き、そこから駅まで歩く。700mほど歩いて駅まで行く。なぜそんな遠くでバスを下されたのか今は不明である。そこではなぜかそこで切符を売っていて特急は0930しかなくまた普通列車も今出たばかりなので40分あまりあるが、ふつう切符を買う。9€であった。当然ここからStピエトロまでの片道だと思ったが、この切符がどういう切符か後で知ることになる。40分ほど駅で待つが色々と見ていると退屈はしなかった。なぜか駅の売店にはピストルを無造作にぶら下げた警官がきびいしい目で周りを睥睨していた。しばし待った来た電車はお世辞にも最新式とは言えず結構の年式であろう車体であった。なにも調べていなかったので駅で貰った商売っけたっぷりの一枚の広告を見ていると切符と周遊バスで一緒に買うといくらとか書いてある。市内は「るるぶ」に従って歩きと、TAXIで回るつもりであったが、乗り降り自由で市内一周しているのでこれで行くことにした。ごちゃごちゃ調べているとあっという間にSTピエトロ駅に。少し迷いながら33年前に訪れたおぼろげながら記憶にあるSTピエトロ寺院に着く。当然今も変わらず壮大であった。正面の乗り場から市内見物へ。バスは二階建てでほとんどの客が強い日差しにもかかわらず屋根のない二階席に陣取る。入り口でイヤフォンを渡され、日本人は、8番だと聞く。席の横にあるジャックに差し込み8チャンネルを選ぶ。日本語である。今回の旅行で初めての日本語によるガイドであった。分かりやすい。

矢張り日本語はいいなぁ・・・



Anyway、ローマ市内では唯一行こうと決めていたのは朝から開かれている市場であったが、少し時間があったのでトレビの泉を訪れることにした。博物館前で降りて少し迷いながらそこに着く。途中土産物屋が並んでいたが売っているものは日本の夜店並みのものばかりである。そして所々にぼろをまとった今は日本では仕事なりつつあるもの乞いが地べたから哀れげに見ている。立派とは言えないがこれも仕事である。日本の体力もあるのに何もせずに生活保護で暮らしてる輩よりよほど納得ができると何ぞと思いながらぶらぶら歩きトレビの泉へ。

そこはごった返すを通り越して立錐の余地がないほど大賑わいであった。しばし正面に陣取って記憶を辿り、写真を撮って降りたバスストップに帰る。通りに出ると歩道の横も車があふれかえっている。

ちょうど昼過ぎになったので市場横で降りるつもりがちょっとうっかりして乗り過ごしてしまい。もうふた駅乗って別の近くのストップで降りることにした。ちょうどそこは以前行っていなかった場所であったので少し見物することにした。途中雰囲気のいいとラットリアがあったので休憩がてらお昼にした。ここの生ビールはうまかった。食事もマァマァ。ただ横にいた若者4人組はたばこを吸いまくり、言葉からしてドイツ人のようであったがさすがのドイツ人好きの私も声をかけるのをやめた。吸い終わったたばこを歩道の真ん中にポイと投げ捨てていた。

広場を見物してしばし歩いて市場へ。ほとんどの店が仕舞いかけていたが雰囲気だけ味わったし、ちらと見た売っていたものも大したものはなかった。いわゆる観光市場であったろう。

近くの下調べしていたレストランがあったので入った。るるぶに書いてあるほどのものではなく。まぁ時間を損をしたかな・・・歩けそうだったのでSTピエトロ駅まで歩くことにし川沿いを歩く。たがあまりの暑さにちょうど近くを通ったTAXI運転手とアイコンタクトが出来いいかと目で問うとOKとのことで駅に向かう。乗ってみると結構距離があり、また車内は若者の運転手であったためかクーラーが珍しく良く利いていて快適。乗ってよかったね。



駅ではこれまたマンが悪く電車は出たところであった。帰りの切符を買おうとすると4.2€であった。ホワイ?片道9じゃなかったのか?計算が合わないので帰れないと困るのでしばし考えることにした。


(後記:正解は、CIVITAVECCHIA で買ったのは往復切符であった。それでもおかしいでしょ?そうなんですよね。
その上に、往復乗り放題券だったのですね。船客で誰がこの日一日で往復以上する人がいますかね。
「ROMAまで。」と言ったら当然のごとくこれを出されました。それも駅から700mも離れた店で・・・
みんな買っているので買いましたが、後から思えば駅で買えばよかったですし、一寸これはイタリア人いかんですね・・・)

さてナポリが見えてきた。今日は又一つのhighlightアマルフィーである。



また時間があるときにリポートを続けよう・・・・

現在ナポリからギリシャに向かって移動しています。9・18日本時間1020(船時間同0421)
なぜかメールが昨日から使用不能です。

すみません。コメント個々に対応できません。
Kennyへ ロガーとても役に立っています。




 


 


 


 

Firenze

さて今日は、イタリアFirenzeである。夏遊びすぎてなにも調べていなかった訪問地である。エリーの希望で、トスカーナでのワインの試飲ができるツアーにbookingした。それも船上で。90分もバスで走ってまずFirenzeへ。ここで2時間の自由行動である。広場で解散して市中心部に向かう。

びっくりする。車内で少し知識は入れていたものの、町中が遺跡の中である。ミケランジェロ、ガリレオ、Rossiniを輩出した町であることを知る。建物は歴史に名をとどめる、教科書で見たことがある建物がひしめいて並んでいる。ミケランジェロ作の石像が広場のあちこちに建っている。



ドームを一周してポンテベキオへ。大阪にも同名のイタリアントッテリアがあるが、この橋の名前だったんだ。ガイドの説明で「古い橋」の意だと知る。ガイドはイタリアなまりの英語でネイティブより聞き取りやすい。昨日のガイドはフランス訛りであった。

昨日のガイドも親切であったが、今日のおばちゃんイタリアンは、なんでも質問してくれと言い、色々と見どころ、お勧め等々、めんどくさがらずに答えてくれた。



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街は、観光客で歩くのもままならずほどの混雑であった。

ポンテベキオに行く途中にヨットティングと書いてあるショップを見つけて入りセーター、ベルトを買う。時間が足りない。ポンテベキオは、混雑に輪をかけてごった返していた。人々を分けて何とか真ん中で写真を撮って急いで待ち合わせ場所に向かう。

裏道を通ってやっと集合場所へ。40人ほどの今日のグループはすでに全員集まっていいてみんなが「来た来た。」と指さしていた。2分ほど遅れたかな。

帽子を取って、ごめんなさいと謝るとみんなからワイワイと冷やかされた。お昼のジュースは最後のものが奢るんだぞと肩をたたかれた。今日のグループのたぶん全員アメリカンで陽気な連中ばかりであった。ほとんどが我々世代の夫婦であった。アメリカ人は日本人以上にせっかちで時間には正確である。上海旅行の時には全員中国人のそれに混ざってツアーをしたが時間通りに出発したことはなかった。そしてツアーの終了は予定から1時間以上も遅れたことであった。
アメリカ人は楽しい。



Firenzeも最高の町。またゆっくり是非したい。バスからみんなでFirenzeアディオスと手を振って、トスカーナ地方へ。



お昼は、ワインつきのイタリアン。まぁまぁおいしかった。テーブルワインは

1,500円程度のもであったが、昨今の円高を差し引いても中々のもの、船用に一本購入する。

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トスカーナのワイン。これは美味しかったですね。



中世の城であったレストランでお昼の後、ワイン屋さんへ。試飲したワインはそれぞれに美味しかったが、日本まで持ち帰るのが大変なので購入は断念。世界どこにでも送れますとのポスターもあったが後もあるのでやめておいて正解であろう。

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カードを差し込んでボタンを押すとワンショットいくらで出てきます。それで後でまとめて清算。
中々の商売上手。


船に帰ると9時間のツアーでヘトヘト、出航を見て夕食は今日もシェアテーブルでフルコースの食事を楽しむ。

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さらばFirenze。リボルノの港。灯台も素敵ですね。



今日のシェアメンバーは、初めて会ったイギリス人の4人。リバープールから来たそうである。Liverpoolの発音が分からず彼らのBeatlesのまねをされてやっとわかった。発音が分からなかった言うとイギリス人同士でも分からんことがあると言っていた。どう聞いても「リボポー。」と聞こえました。

陽気な4人であった。特に一人のおばちゃんはにぎやかに場を盛り上げ、横のご主人から少ししゃべるのをやめて食事をしろとたしなめられていた。イギリス人に対する考えが変わったことは言うまでもない。もう一カップルは、ワシントンDCの南にある小さな町から来たアメリカ人であった。この二人はおとなしかったがビデオを向けると陽気にあいさつしてくれた。



後ショウを見て就寝。


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まだ行っていない場所が90%以上ある船内散策はまた明日以降である。

全部行けるのかしらん。

多分絶対だめだろう・・・・


 


 


 


 


 


 


 

Monte Carlo

モンテカルロ一望
今回の旅行のhighlightである。

此処、Monte Carloに来るためにこの旅行を選んだことであった。

初めて訪れるこのMonte Carloは、期待に違わず素晴らしい国というか街であった。その想像を超えた煌びやかさは強く心に残っている。これはいささか暑すぎたがその街をギンギンに降り注いだ青空の恩恵に因るところも多いにあることであろう。



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Monte Carlo
を望む。国全体で皇居の2倍ほどの広さ。

係留してあるヨットは、ほとんどが100ftオーバークラス。折しもクラシックボートの大会があり、ヨーロッパ各地から木造ヨットがポンツーンにひしめいていた。もう一度・・・別世界である。



今夜は、桟橋横の会場でパーティーが開かれるとのこと。

クルーたちもオーナーが来るのであろう、さらにピカピカに船を磨き上げていた。



右手に見えるのがルビープリンセス。約12万tである。

この湾にそってモナコGPが開かれる。

左手から回ってトンネルを通るコース。何とかというウォーキングの先生がそのトンネルの真上のマンションをもっているとかTVで見たことがある。




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来たかった。クラウンカジノ。なんと入場料が必要。10€。

これは期待外れ。メチャメチャしょぼかった。5分ほどで出た。


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カジノから見た街。観光客でごった返していた。

バカでかいルビープリンセスが入港しているのでそれでなくても狭い湾の入り口はさらに狭められ地元の船は縦に並んで出入港していた。

またルビーが出航のときには、多くの船が港の沖で入港を待っていた。


前では、今夜のパーティーの準備が忙しく行われていた。港全体のフェスティバルが行われるようである。行きたかったなぁ・・・

船旅の唯一の欠点は、その土地のナイトライフを楽しめないことである。

Monte Carloは、またゆっくり来よう。


DSC00689 - コピー


港の入口を対岸から対岸までシャトルしている海上TAXIで湾を横切ってルビーに帰る。
前にはクラシカルウッドボートが肩を並べて舫われているのが見える。
 

小さい船でも海を渡るのは気持ちがいい。

ホントに私は、海と船が好きなんだと思う。



さて今夜は、予約してあるレストラン「サバティーニ」でイタリアンを楽しもう。


Barcelona

バルセロナは素晴らしい町であった。
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昨晩行ったフラメンコショウ。

早朝から市場に行った後、午前中2時間ほどバイクを借りて町を走った。

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町中はいかにも歴史を感じさせる建造物が点々とし、緑も多く、出会う人々はみんな親切であった。
 
建造物の圧巻は、矢張りガウディ のそれで,特にChurth of La Sagrada familiaは素晴らしいものであった。

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正面。これからまだ完成に500年の歳月を要するそうである。
時間が無く、内部を見ることが出来なかったののがホント残念である。



出発前の忙しい中でTAXIに回ってもらって外からだけ一周したがその天につきあげるような壮大な存在感にはただ圧倒されるだけであった。
今まで世界の訪問地で人工物の第一は、カイロのピラミッドであるが、それに勝るとも劣らない素晴らしいものであった。時間を割いて行き良かった。空港で出会った日本人は、ガウディの作品を見るためだけにBarcelonaの4日間の旅に来たとのことであった。
モノ好きな二人だと思ったが、ガウディの作品は2つ見たその後では大いに納得である。
 
レンタバイクの店が市場の近くにあったので市場も二度行ったが店の人もみんな陽気で親切で、食べ物もおいしくこの町が、そしてスペイン人が大好きになった。
ヨットハーバー等の見学を計画しながら行けなかったところも多くぜひまたこの地を再訪したく思う。
 
 
 
 

KIX~AMS~BCNへ

半年も前から楽しみにしていた旅行。いよいよ出発である。
エリーにせかされて関空へ。今回のエアーはKLM。初めての利用である。ネットの評判では、毀誉褒貶合い混ざりというところ。関空のラウンジは滑走路が見渡せ最高のviewである。軽食も用意されていてそば、冷し茶碗蒸しもおいしい。
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中々のレベルの高さ。美味しかったですね。
ダラダラするつもりが以外と時間がなくてgateに行った時には最後であった。

今バルセロナのホテルで書いている。エリーが急かすので  この項つづく

おじさんバンド今年最高の出来。

今日は、月例のおじさんバンド。今回は、みんな結構練習してきていて今年最高の出来でした。
何曲か、演奏後に自画自賛で自然に拍手が起こりました。
いや~~~楽しかった。。。。
これなら、ライブ開催も遠からずと思いますが、これがおじさんバンドの悲しさでかなり月ムラが
あるんですよね。

でもライブは、練習の絶対の目標になるので是非やりたいですね。
来春くらいかなァ・・・・
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ご機嫌です。

バイスパロットの法則

楽しみにしていた日本海の釣りもこの台風であえなく中止です。自然現象だけは仕方ありませんね。
そんな厄介者の台風も、大量の雨という副産物の恵みも運んでくれるのですからそれも良しとして我慢しましょう。

そんなことで二日間予定がなくなりましたが遊び過ぎたおっちゃんにはいい休養になりそうです。

それにしても奴は、今、瀬戸内海塩飽諸島あたりにいるはずなのに、一向に風が強くなりません。
空の雲もそれほど走っていませんね。

それでも行けなかった日本海に思いをやりながらひつこく、未練がましく大きなベルトコンベアに乗ったような北西に流れる黒灰色の雲の流れをぼんやり見ていて「バイスパロットの法則」思い出しました。

海に出る方は知っている方も多いかと思いますが

北半球では、風を背にして、左手を10~11時に伸ばした方向に低気圧の中心があります。

何かの時に覚えておくと便利ですね。

南半球では、逆に低気圧は右巻きとなりますので右手1~2時の方向となります。

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